十七日目 グライダー人間からの脱出
こんばんは。街風怜音です。
このエッセイもいつの間にか二週間以上続いています。
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書いていくうちに、なぜ書籍化をしたいのかが浮き彫りになりました。
少なくとも、“書籍化"という肩書きを求める気持ちがあるということ。
短期間で書籍化したいというのは、今後の人生でリスクを負いたくないから。
早めにスタートしておけば、後々に挽回もできる猶予があると。
ずいぶん自己中ですが、「自分の文章を楽しんでもらいたい」というのが肩書き以上にほしいものです。
書籍化以前に、このサイトで投稿しようと思ったのは「誰かに文章を読んでほしい」という潜在的な欲求です。
ホンネを言えば、自己承認欲求を満たしたいわけです。
文章を読んでもらい、褒めてもらう。改善点を教えてもらう。
どこまでいっても、「読んで褒められたい」がついて回るのでしょう。
理解した上で、執筆していきたい次第です。
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前置き長くなりましたが、ここからが本編です。
先日、とある有名な著者の方が亡くなりました。
僕はその方の本を一冊しか持っていませんが、その本から受けた影響は計り知れません。
著者の方に敬意を向け、作中のある一説について述べていきます
それが今回のテーマ、グライダー人間からの脱出です。
グライダー人間と言うのは流されて飛び、自ら飛べない人という意味です。
それではどうぞ。
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学校では、与えられた問題から共通の一つの答えを導く勉強がほとんどといってもいいと思います。
答えを一つに絞りこむ作業も大事です。しかし、社会に出た後、果たして学校と同じように一つの答えに絞られる問題ばかりなのでしょうか。
YESかNOかの二択でも、どちらが完全な正解かはわからなくなるような問題に当たることも出てくるのではないでしょうか。
身近な大人のことしかわかりませんが、そうなると学校の勉強だけをしていていいのだろうかと不安になります。
僕は、「答えが一つではない問題」というのは「小説を書く」という行為に一致すると考えます。
小説は、虚構です。虚構に、正解はありません。考え付かないような、あり得ないような世界観を書いてもいいのです。
答えを一つに絞り込む学校の教育とは正反対といえるでしょう。
そういえば国語の授業で一度、太宰治先生の「走れメロス」の続きを書こう、という授業がありました。
二次創作とはいっても、話の続きはどう書いてもいいわけです。
僕はそういったことに慣れていたのでスラスラとかけましたが、クラスメイトを見てみると、五十分の時間があってもたった数行で挫折してしまう人が少なくありませんでした。
慣れないことをしたために書けなかったのかもしれませんが、答えが一つでない問題に取り組むことにいかに多くの人が慣れていないのかを痛感しました。
この経験を通じ、一つの答えを出すことに特化した“グライダー人間”になりかけている人が少なくないのだと実感しました。
スラスラと書けるからといって優れているとはいえませんが、このまま"グライダー人間”になってしまうのかと不安になったことを覚えています。
今やAIの発達で、一つの答えを出すことについては人間がAIに劣ってしまう一面が出てきています。
"グライダー人間"ばかりを作り出さないように、学校教育を根本から変える、といってもなかなか動かないでしょう。
感染症の拡大で見えてきた反省点を放置してしまっているものも少なくありません。
ならば、学校に頼らずにこうやって創作をする機会を増やすしかありません。
苦手だとしても、どんな形でもいいので何かを生み出せないと、これからは厳しいと思います。
周囲は"グライダー人間"のままでいいと思っている人で溢れているかもしれません。
その中で一人脱却しようとするには勇気が要ります。
人と同じことをしていたら同じ人間しか生まれません。
"グライダー人間"を脱却し、グライダーの性能と、自由に空を飛べる性能を持った飛行機を目指したいものですね。
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長文失礼しました( ´ ▽ ` )
今回はこれで以上です。
周りに合わせることも大事ですが、成長のために人と違ったことをするのは悪いことではないですね。
僕のように学生で小説投稿サイトに書いている方も少なくありませんが、学生の全員が全員しているわけではなく、全体で見れば少数派ですよね。
周りを気にせずにやりたいことをやるのもときには必要です。
皆さんも一緒に頑張りましょー
【今日の一言】
周りに囚われすぎると好きなこと・本当に必要なことはできない
ーーあと448日




