第二章(2/4)
「それじゃあ、今日も吟行に行きマスか!」
勢いよく立ち上がると、エミー先輩はそう宣言した。
吟行に行くこと自体には不満はない。しかし、それでも僕は反対意見を口にする。
「いいんですか? 新入部員が来るかもしれないのに」
「もうとっくに部活の時間デスから、今更誰も来ないデショウ」
それもそうか。と僕が納得しかけたところで、エミー先輩はさらに言いたした。
「そもそも俳句部になんか、そう簡単に人は来マセンよ」
「それはそうかもしれないですけど……」
朗らかに悲しいことを言うエミー先輩を見て、僕の方が弱々しい口調になってしまった。誰か早く入部してくれればいいのにと、自分のことを棚に上げて思う。
入部しない代わりに、せめて吟行に付き合うくらいはしよう。そう考えて、僕は椅子から立ち上がりながらエミー先輩に尋ねた。
「それで、どこに行くんですか? また山ですか?」
「ちょっと歩きマスが、今日は吟行がてら神社までお参りしに行きマショウか」
「よく行かれるんですか?」
「よくというほど熱心なわけじゃないデスよ。私は一応クリスチャンデスから」
俳句が好きなだけで、宗教まで日本に染まっているわけではないらしい。まぁ、僕だって洋ゲーはやるけど、キリスト教に目覚めたりしてないしね。
「でも、たまにゴミのポイ捨てがあったり、落書きがされてたりして、クリスチャンの私でもギョッとしマスよ。日本人はモラルが高いんじゃなかったんデスか!」
「はぁ、すみません」
僕が悪いわけじゃないんだけど、日本人らしくとりあえず謝っておいた。
学校を出ると、話し合いの通り、僕とエミー先輩は神社に向かう。都合のいいことに、昨日に引き続いて、今日も吟行日和と言えそうだった。太陽が優しげにあたりを照らし、風が清々しい速さで吹いている。いかにも春らしい天気である。
エミー先輩は早速それで俳句を詠んだ。
「『春の日の心持ちでいけ一年生』…… 『春風の心持ちでいけ一年生』……」
そう呟くと、僕の方を見てくる。
「どっちがいいと思いマス?」
新入生や新社会人は、新しい生活に不安もあるだろうが、春ののどかな気持ちで臨めばいい。二句ともそういう激励の意味には変わりないみたいだけれど、どちらがいいかと聞かれれば――
「そうですね、二番目ですかね」
「えー、最初の句の方がいいと思ったんデスけど」
「じゃあ、聞かないでくださいよ」
二番目の『春風』を季語に使った句の方が、若々しさやフレッシュさを忘れるなという風にも解釈できていい句のような…… それとも、エミー先輩としてはそう解釈されたくなかったんだろうか。
そんなことを僕が考えていると、何か小鳥が空を横切っていくのが目に入った。あれはスズメかな?
「ホトトギスは夏の鳥だとして、春の鳥って何がいますか?」
「季語になっているものだと、『燕』『鶯』『鷽』あたりデショウか」
スワローズもあるから、ツバメはさすがに分かる。「鶯色っていうけど、本物はもっと地味な色だよ」と前に才川さんが言っていたから、ウグイスも分かるといえば分かる。でも、ウソは名前くらいしか分からなかった。
どんな鳥だったかと頭をひねる僕に、追い討ちをかけるようにエミー先輩は続ける。
「あとは『貌鳥』なんてのもいマシタか」
「貌鳥って初めて聞きました」
「名前だけ伝わっていて、どの鳥のことかよく分かってマセンからね。『呼子鳥』と同じパターンデス」
「どうりで聞いたことないわけですよ」
昔の人は仕方ないなぁ。もっとも、名前しかウソのことを知らない僕が言えた義理ではないけれど。
「そうそう、ホトトギスというか『鳴かぬなら』といえば、春の季語に『亀鳴く』というのがありマシタね」
「へー、亀って鳴くんですね」
初耳だった。ウミガメが泣くのは知ってるけど。
「どんな鳴き声なんですか?」
「鳴かないデスよ」
「えっ」
今、鳴くって言ったばかりでしょう。そう驚く僕に、エミー先輩は説明してくれた。
「亀は鳴きマセンよ。首を引っ込める時の音が、鳴き声に聞こえるようなことはありマスが…… だから、村上鬼城は『亀鳴くと嘘をつきなる俳人よ』と詠んでいマス」
「それ言っちゃっていいんですか?」
思わずツッコむ。前に聞いた『むつかしや猿にしておけ呼子鳥』といい、俳句は真面目なことを詠んだものばかりでもないらしい。
「でも、亀って鳴かないんですね。だから、ヒトカゲとフシギダネは『なきごえ』を覚えるのに、ゼニガメだけ『しっぽをふる』だったんですかね」
「その感想はどうなんデスか」
「お、ハヤシガメゲット」
「だから、ポケモンGOをやらないでくだサイ!」
エミー先輩は眉をつり上げてそう言った。
それからも、僕と先輩が歩きながら、
「鳴かないはずの生き物が鳴くという季語は他にもありマスよ」
「どういうのですか?」
「春の季語なら『田螺鳴く』、秋の季語なら『蚯蚓鳴く』『蓑虫鳴く』……」
「俳人はどんだけ嘘つきなんですか」
とか馬鹿なことを話している内に、目的地に到着したのだった。
神社仏閣に詳しい人が見たならまた違うのかもしれないけれど、僕の見た限り浄仙神社はとりたて変わったところのない普通の神社だった。
石造りの鳥居をくぐると、右側に阿形、左側に吽形の狛犬があり、さらに奥へ進むと小さな拝殿がある。間違っても、朱塗りの鳥居が何百本もあったり、狛犬が猫や兎だったり、拝殿が金ピカだったりはしない。拝殿までの階段がわりあい長くて急なので、お年寄りがお参りする時は大変なんじゃないかと、僕が特別に抱いた感想といえばそれくらいだった。
とはいえ、平凡でも神社は神社。僕は――多分、エミー先輩もだけど――なんとなく改まった気持ちになって、背筋を伸ばして参拝をしたのだった。
二礼二拍手一礼の最後の一礼を済ませると、僕はエミー先輩に尋ねた。
「何をお願いしたんですか?」
「もちろん、ショースケの入部デス!」
とか言うかと思いきや、
「無病息災デス」
「わりと堅実なんですね」
意外な回答に苦笑しそうになる。「新入部員の入部デス!」とか、「俳句の上達デス!」とかくらいは言うと思ったんだけど……
そんな風に僕が失礼なことを考えていると、先輩はやり返すように同じ質問をしてきた。
「そういうショースケは何デスか? 新作ゲームが欲しいとか?」
「それはサンタクロースに頼むやつでしょう。普通に学業成就ですよ」
共律高校はいわゆる自称進学校である。自称する程度には偏差値は高いし、授業スピードも速い。多分、定期テストも難しいだろう。
「勉強苦手デスか?」
「数学はどうも性に合わなくて」
「分かりマス分かりマス」
「先輩もダメなんですか?」
「ハイ。しかも、担当の先生が怖いので、数学の授業はすごくユーウツデス」
「ああ、それは辛いですね」
そんなことを話しながら、僕たちは例の拝殿の前の長い階段を下りていく。
すると、狛犬のそばに人だかりができているのが目に入った。
ランドセルを背負っているから小学生だろう。身長からいって高学年だろうか。とにかくそれくらいの年代の女の子たちが、僕たちのあとから神社に来たようだ。
しかし、女の子たちの目的はどうやら参拝ではないらしい。
「やっぱり嘘じゃん」
「嘘じゃない!」
「じゃあ、何で?」
「それは、今日はたまたま……」
「そんなわけないじゃん。絶対嘘だよ」
「だから、嘘じゃないって言ってるでしょ!」
正面から見て右側の狛犬の前で、グループの内の二人がそんなことを話し合って――いや言い争っていた。声の大きさといい、会話の内容といい、穏やかな雰囲気ではない。
「なんか揉めてるみたいですね。って早っ!」
僕が感想を口にするより早く、エミー先輩は女の子たちのところに駆け寄っていた。行動派にもほどがある。
「どうしたデスか?」
女の子たちはうろたえた様子で、なかなか質問に答えようとしなかった。いきなり見知らぬ高校生に話しかけられたのだから、当然の成り行きだろう。先輩は見るからに外国人だから、余計に驚いたんじゃないだろうか。
それに、先程まで口喧嘩じみたことをしていたのだ。そのことで叱られるんじゃないかという不安もあるのかもしれない。
結局、最初に口を開いたのは、言い争いをしていた内の一人だった。
この子が悪いとばかりに、もう一方を指差す。
「美華ちゃんが、狛犬が鳴いたって言うんだよ」