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第九章(2/4)

 以前にも来た恒和山の麓に着くと、僕とエミー先輩はやはり以前と同じハイキングコースを辿っていった。


 ただ、歩くコースは変わらなくても、景色は初夏のものに様変わりしていた。草も木も四月の頃よりいっそう濃い緑色をしている。中には、白い花や黄色い花を咲かせているものもあった。


 また、春には目にしなかったはずの植物も生えてきていた。


「このへんはタケノコが多いですね」


「そうデスね」


『筍飯』が夏の季語なのだから、『筍』もきっとそうだろう。茶色のとんがり帽子のような妙な形の植物を、僕はじっと観察する。


「お腹が空きマシタか?」


「空いてませんよ」


 せっかく自然を愛でる気持ちになっていたのにぶち壊しである。ていうか、僕ってそんなに大食いのイメージがありますかね。


 しかも、僕のことはからかったくせに、エミー先輩も結局タケノコの観察を始めていた。


「ううん……」


 さっきタケノコの観察だと言ったけれど、エミー先輩が見つめるそれはタケノコとは言いがたいものだった。背丈が先輩の身長ほどもあったからである。しかし、茶色い皮はまだついたままだから、もう竹だとも言いがたい。


 そんな中途半端な状態を見て、エミー先輩は一句詠んだ。


「『竹でなし竹の子でもなし十七歳』!」


 もう子供ではないけれど、まだ大人でもない。そんな希望と不安の入り混じったような心境の自分を、タケノコでも竹でもない微妙な状態に重ね合わせているんだろう。


 僕も同じような年齢だから、どこが気に入ったのか具体的に説明するのは恥ずかしいけれど――


「いい句だと思いますよ」


 しかし、先輩は句を詠んだ瞬間とはうってかわって自信を失っていた。


「うーん、でも十七歳ならもう大人に近いデスかね。十八にもなれば、働いたり、選挙があったりしマスし。最後は十五歳にした方がいいかもしれマセンね」


「そうですか? 僕は十七歳の方が先輩の実感がこもってていいと思いますけど」


 むしろ、実感がこもっているからこそいいとさえ思う。大人が過去の自分に向けて詠んでも、子供が将来の自分に向けて詠んでも、この句の良さは出ないんじゃないだろうか。


 けれど、やはり先輩は納得いかないようだった。


「ショースケはいいかもしれませんが、私のことを知らない人にもそれが伝わりマスかね? 〝作者が十七歳の時に詠んだ句です〟なんて、いちいち説明しなきゃいけない句はあまりいい句とは言えないデショウ」


「はぁ、なるほど」


 そこまでは考えが回らなかったけれど、言われてみればそうかもしれない。


「一応、多少の前書きなんかをすることはありマスが…… この句はちょっと保留にしておきマスか」


 自分でもいい句だと思ったのか、それとも僕の反論が効いたのか。エミー先輩はそう言いながらメモを取った。


 かと思えば、もう次の句を詠む。


「『竹の皮脱ぐや脱がずや十七歳』。十七歳で詠むなら、こっちの方がふさわしいデショウか……」


 題材は先程のタケノコ(竹?)よりも、さらに成長して高く伸びたもののようだった。ただし、こちらもまだ茶色い皮をかぶったままで、青々とした竹にはなりきっていない。まさに「脱ぐや脱がずや」という状態である。


「あのー、悩んでるところ申し訳ないですけど、ちょっと質問いいですか?」


「ハイハイ、何デショウ?」


「『竹』も『筍』と一緒で、夏の季語でいいんですか?」


「『若竹』や『今年竹』なら夏の季語デスが、『竹』だけでは季語になりマセンね」


 七夕のイメージで秋の季語かと思ったけれど、それも違うようだ。門松として冬でも目にすることがあるから、『竹』だけでは季語になっていないのかもしれない。


 しかし、そんなエミー先輩の回答を聞いて、僕の頭に今度は別の疑問が湧いてくる。


「じゃあ、先輩が今詠んだのは無季俳句とかいうやつになるんですか?」


「今のは『竹の皮脱ぐ』までが季語なんデスよ。タケノコが成長して皮を脱ぐ様子は、この季節でしか見られマセンからね」


「ああ、そういう言葉があるんですね。初めて知りました」


「俳句以外では聞かないデスよね」


 そう言われると、クイズゲーム好きとしては聞き流せない。


「他に、何か変わった夏の季語ってありますか?」


「『麦の秋』はどうデショウ?」


「……夏の季語の話ですよね?」


「はい、夏の季語なのに『麦の秋』デス。一般的に収穫の季節といえば秋デスが、麦は夏に収穫の最盛期を迎えマス。その為、麦にとっては夏が秋になるわけデスね」


「なるほど、そういうことですか」


 そういえば、『麦飯』も夏の季語だった。


「それから、『卯の花(くた)し』という季語もありマスね。これは卯の花を枯らすような長雨という意味で、初夏の雨のことを指しマス。梅雨入り前のこの時期でも、迎え梅雨や走り梅雨といって、雨がたくさん降ることがありマスからね」


 そう説明したあと、「ちなみに、旧暦の四月を卯月と言うのは、卯の花が咲く月という意味からだそうデスよ」とエミー先輩はさらに説明を付け加えた。


「他には?」


「雨といえば、『虎が雨』デスね。これは鎌倉時代の武士・曾我祐成の死に、愛人の虎御前が涙を流したことにちなんで、旧暦五月二十八日に降る雨をそう呼ぶのデス。

 また、腐るといえば、『腐草蛍と為る』がありマスね。これは暑さで朽ちた草がホタルに変化するという中国の伝承から来たものデス」


「いろいろあるんですね」


 知らない言葉ばかりで、僕は思わず感心の声を漏らす。


 一方、エミー先輩は季語の話から一も二もなく俳句作りを始めていた。


「『腐るならいづれは蛍か草田男くさたおか』」


 何か言おうにも、そもそも意味がよく分からなかった。


「クサタオっていうのは……」


「『降る雪や明治も遠くなりにけり』の中村草田男のことデス。草田男という俳号は、神経衰弱で大学を休学したせいで、親戚に腐った男だと罵られたことから来ているんだそうデスよ」


「自虐的ですね」


 正岡子規も病気に罹ったことにちなんで、「鳴いて血を吐くホトトギス」から俳号をつけている。俳人にはそういう気質でもあるんだろうか。


 しかし、僕の感想に、エミー先輩は首を振っていた。


「そんなことないデスよ。草田は〝そうでん〟とも読めるので、そう出ん男、つまりそうそう現れない男だという意味も込められているみたいデスから」


「へー……」


 向上心や自尊心……いや、反骨精神の表れでもあるらしい。よく考えてみれば、「自分の命を削りながら歌う」という意味だから、子規も単に自虐的なだけの俳号ではない。


 だから、中村草田男の出てくる先輩の句も、そんな反骨精神を詠んだものなのだろう。たとえ惨めに落ちこぼれるような状況に陥ってしまったとしても、いつかはホタルや中村草田男のようになってみせると、あるいはなってみせろと、そういう意味が込められているのではないか。


「そういうのを知ってると、いい句だと分かりますね」


「でも、やっぱり説明が必要な句は……」


「今のは僕の勉強不足のせいでしょう」


 ボツにしようとするエミー先輩を、僕は慌ててそう引き止めた。


「でも、先輩よくそうポンポン思いつきますね。これなら一人でも句集出せるんじゃないですか? それとも、たくさん作ってから厳選してるとか?」


「いやー、去年はなかなか思うように句が作れなくて。他人の句で勉強したりするのがメインだったんデスよ」


「ああ、スランプだったんですか」


 長くやっていれば、なんとなく上手くいかない時期もあるだろう。自分も野球少年だった頃にそんな経験をしていたから、笑って軽く受け流す。


 しかし、エミー先輩の笑顔は、どういう訳か弱々しいものに変わっていった。


「それまで旅行では何度も来てマシタが、本格的に日本で暮らすのは去年が初めてのことデシタからね。おかげで、俳句部に誰も入ってこないどころか、クラスやご近所にもなかなか上手く馴染めなくて…… だから、一年生の頃は精神的に結構辛かったんデスよ」


「……そうだったんですか」


 言われるまでまったく気づかなかった。いや、言われてもまだ信じられなかった。それくらい、エミー先輩のイメージにはそぐわない。


 思い起こせば、青山鶯子という俳号から病気を見抜いた時も、僕は『人間到る処青山あり』と先輩がポジティブなニュアンスを込めていることを見落としていた。どれだけ想像したり推理したりして相手のことを分かった気になっても、それは本当に分かっていることにはならないのだ。


 そして、今回も先輩が何を言いたくて昔の話をしたのか、僕はまったく分かっていなかった。


「だから、私がまた俳句を詠めるようになったのは、ショースケのおかげデスね」


 いつもより少しだけ頬を赤くして、先輩はそう笑いかけてくる。


 それを見たら、もう言い出さずにはいられなかった。


「……エミー先輩」


「どうしマシタ?」


「俳句ができました」


 実際には、以前から用意しておいて、季語と実際の季節のズレがなくなるのをずっと待っていたのだった。けれど、そんなことはおくびにも出さない。


 これまでずっと「詠まない」「詠めない」と言い続けてきたせいだろう。エミー先輩の喜び方は並大抵ではなかった。


「What!? For real!? I'm glad I trusted you!!」


 早口の英語でそう言ったかと思えば、今度は日本語でもまくしたててくる。


「本当デスか? どんな句デスか? 季語は何デスか? 『筍』デスか? それとも、『腐草蛍と為る』デスか?」


「今言いますから、ちょっと落ち着いてください」


 初夏の太陽よりも燦々と目を輝かせる先輩に、僕は呆れるとともに不安になる。仮入部の頃から一ヶ月近く引っ張ったせいで、とんでもなくハードルが上がってしまったようだけど、はたして満足してもらえるだろうか。


 口を閉じても、エミー先輩は「Hurry! Hurry!」と表情で訴えてくる。僕は一度苦笑を浮かべると、それからようやく句を詠んだ。



   黒雲くろくもに負けじと白く咲く空木うつぎ

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