第九章(1/4)
「ショースケ! 準備はいいデスか?」
「ええ」
都子ちゃんからの依頼を解決した、その翌日の放課後。俳句部の部室へ行くと、息を着く暇もなく用意を急かされる羽目になった。
そして、僕の用意が済んだと見るや、エミー先輩は高らかに宣言する。
「それでは、吟行に行きマショウ!」
「はいはい」
「レッツゴーハイキング!!」
「ハイキングって、そういう意味じゃないですけどね」
話の内容と声の大きさに、僕は顔をしかめる。さらに言えば、やたらと機嫌の良さそうな笑顔にも。
「『目指そうぜ俳句の王様俳キング』!」
あと、しょうもないボケにも。
「……先輩、今日テンション高くないですか?」
「だって、ショースケが吟行に誘ってくれるなんて初めてのことデスからね!」
「それはそうですけど……」
自分から「俳句をやる気になりました!」とアピールしたようなものである。改めて指摘されると、気恥ずかしくなってしまう。どうせ先輩とはほとんど毎日のように吟行に出かけているのだから、わざわざ僕から言い出す必要はなかったかもしれない。
そんなことを考えて、僕がいつまでもへどもどしていると、エミー先輩は部室のドアを指差しながら命じた。
「さぁ、早く行きマショウ!」
「はぁ……」
「レッツゴー! ギンコー!!」
僕はますます顔をしかめると、呆れ半分諦め半分で言った。
「暑いんだから、はしゃぎ過ぎないでくださいよ」
◇◇◇
「せっかくデスから!」とエミー先輩が任せてくれたので、僕は行き先に恒和山を選んだ。初めての吟行で訪れた例の山である。
しかし、もっと近場にすればよかったかもしれないと、僕は校舎を出た途端に後悔していた。
「うわ、本当にあっついなぁ……」
部室にいた時も十分息苦しかったけれど、外に出ると直射日光が照りつけてきて余計に暑く感じる。異常気象か、それとも地球温暖化か。「立夏といっても、それはあくまで暦の上での話で……」とか昨日は思ったけど、今日の暑さはもう夏だと言っても過言ではないだろう。
とはいえ、エミー先輩が言い出さないかぎり、僕は吟行をとりやめる気はなかった。
「夏の季語って、どんなものがありますか?」
「『夏』、『夏めく』、『夏空』…… 分かりやすいのはこのあたりデスか」
そのまんまだから、確かに分かりやすい。逆に言えば面白みがない。
「分かりにくいのは?」
「『山滴る』というのがありマスね」
「もしかして、『山笑ふ』の夏版ですか?」
「ハイ。これも『臥遊録』の一節、〝夏山蒼翠にして滴るが如く〟――〝夏の山は木々に葉が青々と茂って滴るようだ〟という言葉から来ていマス」
山が青々と、か……
以前、先輩の俳号の青山は、『青嶺』から取ったものだと推理したことがあった。けれど、先輩がお祖父さんに懐いていることを考えると、正確には『山笑ふ』と繋がりのある『山滴る』に由来しているのかもしれない。
「季語というのは季節を感じさせる言葉デスから、難しく考えなくても夏っぽいものは大体夏の季語デスよ。『プール』とか『向日葵』とか『アイスクリーム』とか」
「僕は冬でも食べますけどね、アイス」
「『歳時記を放つて炬燵でアイス食ふ』みたいな?」
「早速一句詠まないでください」
やっぱり『炬燵』は冬の季語なんだなと思いながら、僕はそうツッコミを入れた。
「夏のイメージなら、僕はアイスよりスイカですね」
「ノーノー! 『西瓜』は秋の季語デスよ」
「えっ?」
太陽がギラつく中、風鈴の音を聞きながら縁側でスイカを……というのは実際に体験したわけではないけれど、よく漫画やアニメなどで描かれる光景である。そういうステレオタイプなイメージを抜きにしたって、やっぱりスイカを食べる季節は決まっているだろう。
「スイカですよ? どう考えても夏でしょう?」
「スイカの旬の八月は、暦の上ではもう秋デスから」
「ああ、そういうことですか」
暑さのせいか、うっかりしていた。季語の分類に使われる二十四節気では、五月から七月までが夏で、八月からはもう秋扱いなのだ。まぁ、それを言い出したら、『向日葵』や『アイスクリーム』も秋(八月)の季語のような気がしないでもないけど。
「『西瓜』と同じような季語に『七夕』がありマスね。今でこそ新暦の七月七日の行事になっていマスが、本来の七夕は旧暦の七月七日――つまり新暦の八月に行われるものデシタ。その為、『七夕』は秋の季語に分類されているんデス」
「頭こんがらがりそうですね」
というか、僕はすでにこんがらがっている。
そんな僕に、エミー先輩はあっけらかんと言った。
「そういう時は、歳時記の分類なんか無視しちゃってもいいと思いマスよ」
「いいんですか!?」
驚きのあまり大声になる。結構な爆弾発言のような……
「季語は季節を感じさせる言葉なんデスから、季節感を無視した季語なんておかしいデショウ。伝統を重視し過ぎると、本質を見失いマスよ」
「はぁ……」
季語に『西瓜』や『七夕』を使った句を、秋の句だと言われても腑に落ちないのは確かだった。しかし、だからといって、そんな簡単に「歳時記を放つて」いいものなんだろうか。
まだ戸惑っている僕に、エミー先輩は自論を続けた。
「正岡子規だって〝季語と実際の季節感にズレを感じた時は実情を重視せよ〟という風な主張をしたそうデスよ」
「ああ、それで」
「いや、子規の発言を知る前から同じことを思ってマシタけどね」
「はいはい」
「本当デスって!」
からかうような僕の言い草に、エミー先輩はムキになって反論してきた。そこまで言うなら、おそらく本当なんだろう。
しかし、先輩がムキになっているのは、あくまで「子規の影響ではない」という点だけだった。
「もっとも、基本を覚えるという意味で、初心者の内は歳時記の分類通りに作った方がいいかもしれマセンけどね」
「それもそうですね」
ルールを守った方が自由にやるよりかえって俳句を作りやすい。これも初めての吟行でエミー先輩が言っていたことである。
「でも、どっちにしたって五月はスイカの季節にはまだ早いですよね」
「そうデスね。じゃあ、『柏餅』はどうデスか?」
「そういえば、子供の日がありましたね」
うちの親はそこまで伝統行事にこだわるタイプじゃないけれど、それでも僕の為なのか毎年おやつに柏餅やちまきを用意してくれている。元を辿ればちまきを供える中国の風習から来ているらしいので、僕としては中華ちまきもつけてくれると嬉しいんだけど。
「他にも、『筍飯』『麦飯』『豌豆』『苺』……」
「僕のこと大食い扱いしてませんか?」
「昔の風習や何かより身近だと思っただけデスよ。『大矢数』とか言われても何のことか分からないデショウ?」
確かにその通りだけど、どうも誤魔化されているような気がする。
それに、仮に先輩の言うことが本当でも、今時『豌豆』も『苺』もいつでも見るので、旬と言われてもあまりピンと来なかった。『麦飯』に至っては、牛タンと一緒に食べるものというイメージしかない。
「そういうエミー先輩は、五月といえば何ですか?」
「私は『鯉幟』が好きデス」
「ああ、似合いますね」
「私のこと子供扱いしてマセンか?」
「いえ、そんなことはないですよ」
というのは、言うまでもなく嘘である。鯉のぼりの下で、小さな子たちに混じって折り紙の兜や刀ではしゃぐ先輩の姿を思いきり想像していた。
「でも、『鯉幟』もいいデスが、一番はやっぱり『アレ』デスね!」
「…………」
エミー先輩が何を思い浮かべているか大体予想がつくので、僕は何のことか尋ねようとは思わなかった。




