第八章(4/4)
「どういうことデスか?」
解決の手がかりをくれた本人は、まだ分かっていないようで首をかしげる。
ただエミー先輩に解説する前に、僕には一つ確認しておきたいことがあった。
「都子ちゃん、美華ちゃんの日記に出てくるクイナって字は、もしかしたら漢字で書いてあるんじゃないかな?」
「え? はっ、はい」
念の為に日記帳をもう一度開いてそう言うと、都子ちゃんは尋ね返してきた。
「でも、それが何か関係あるんですか?」
都子ちゃんの……というか二人の疑問に答える為、僕はエミー先輩から木の棒を借りて、地面の『水鶏』の文字の横に読み仮名を振った。
「この熟語には二つ読み方があるんだよ。一つはクイナ。そして、もう一つはシュイヂー」
これを聞いて、都子ちゃんは不思議そうな顔をする。
「シュイヂー?」
対して、エミー先輩はすぐにピンと来たようだった。
「もしかして、中国語デスか?」
「ええ、その通りです」
このやりとりを聞いても、まだ不思議そうな顔のままの都子ちゃんの為に、僕は一から説明する。
「日本語と中国語では、同じ漢字なのに別の意味になる言葉があるんだよ。中国語では、手紙がトイレットペーパーのことだったり、床がベッドのことだったり、女装がレディースファッションのことだったり、土竜がミミズのことだったり……
水鶏も日本語と中国語では別の意味になるんだけど、同じ漢字だから通じると思って、美華ちゃんはそのまま使っちゃったんだろうね」
そして、その結果、都子ちゃんたちは、ヒクイナが池にいると勘違いしてしまったのだ。
「それで、一体どういう意味なんデスか?」
「シュイヂーも基本的にはクイナという意味みたいなんですが…… 実はもう一つ別の意味もあります」
急かすようなエミー先輩の質問にそう答えると、僕は池にいるある生き物を指差す。
「それがカエルです」
「カエル!?」
僕の言葉に、二人は声を揃えて驚いていた。
都子ちゃんは僕から木の棒を借りると、『水鶏』の隣にさらに『蛙』と書く。
「中国語ではこう書かないんですか?」
「基本的にはそれで合ってるよ。でも、美華ちゃんのお父さんは、中国にいた頃シュイヂーをよく食べてたって、そう日記に書いてあったんでしょ?
そのまま蛙って字を使うと、やっぱりイメージが悪いみたいでね。鶏肉に味が似てるってことで、中国のレストランじゃあ鶏って字でカエルを表現するんだよ。田んぼの鶏って書く田鶏なら、聞き覚えがある人もいるかもね」
たとえば、「醤爆田鶏」といえば「カエル肉の味噌炒め」のことである。やはり田鶏の方はそれなりに知られているようで、エミー先輩は「あっ!」と声を上げていた。
「それに、ヒクイナと違って、カエルならたくさんいるしね」
この説明にも、先輩はうんうん頷く。
「カエルは春から夏にかけてよく見る生き物デスからね。俳句の世界でも、『雨蛙』や『蟇』は夏の季語デスけど、『蛙』や『殿様蛙』は春の季語に分類されてマス」
時節はまだ五月の上旬である。夏の始まりに当たる初夏の、さらにその始まりという頃合だろう。だから、『水鶏』よりも『蛙』の季節だと考えてもいいかもしれない。実際、僕やエミー先輩が説明した通り、池にはたくさんのカエルがいた。
おかげで、都子ちゃんもすぐに納得してくれたようだった。
「……そっか。そうだったんですね」
呟くようにそう言うと、それから僕たちに深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。危うく、また美華ちゃんを嘘つき呼ばわりするところでした」
「どういたしまして」
「今日はわざわざ来ていただいて、本当にご迷惑をおかけしました」
「そんなに気にしなくていいからね」
大したことをしたわけじゃないから、ペコペコと何度も頭を下げられても困ってしまう。いい子過ぎるのも考えものである。
そんな風に都子ちゃんが僕に感謝する一方、エミー先輩は僕に感心していた。
「ショースケすごいデスね。クイナを食べるなんて話聞いたことないデスから、私も違和感はあったんデスが」
「中国の人は何でも食べるって言いますから、もしかしたらって思っちゃいますよね。僕も才川さんからヒントをもらうまでは、さっぱり分かりませんでしたよ」
あとは、たまたま中華料理に詳しかったこともラッキーだった。別に僕は大食いってわけじゃないから本当にたまたまだけど。
「そっかー。カエルかー」
そう繰り返しながら、都子ちゃんは池のカエルをぼんやりと眺める。ホッとして、力が抜けてしまったようだ。
気持ちは一緒だったから、僕とエミー先輩も、都子ちゃんと同じようにカエルを見るともなしに見る。
「……アンタたち、何やってんの?」
そう不審げに声を掛けてきたのは、他ならぬ美華ちゃんだった。
事情を説明しようとすると、美華ちゃんが影で嘘つき扱いされていることに触れざるを得ない。だから、僕は適当なことを言って誤魔化すことにした。もちろん、地面に書いた文字を消しながら。
「カエルを見にきたんだよ。そしたら、都子ちゃんがいたから、一緒に見ようかって話になって」
「ふーん…… そういえば、アンタたち俳句部だっけ? カエルで俳句作るの?」
「まぁ、そんなとこ」
都合よく誤解してくれたようなので、僕はそれに乗っかっておく。なんか目を輝かせてますけど、嘘ですからね、先輩。
「美華ちゃんは、カエルは好き?」
「別に嫌いじゃないわよ」
美華ちゃんは交換日記にも「嫌いじゃない」と書いていた。でも、美華ちゃんの性格やこうして池に来たことを考えると、「好き」という意味なんじゃないだろうか。
都子ちゃんも、僕と同じことを考えたらしい。真相を確認する意味も込めて言った。
「日記にも、カエルのこと書いてたもんね」
「そうだけど…… アンタ、もう読んだの?」
「えっ? う、うん、まぁ……」
事情がバレそうになって、都子ちゃんは慌てて口をつぐんだ。
エミー先輩のやることだから、フォローのつもりなのか、それともただの天然なのか分からないけれど、とにかく今度は先輩が美華ちゃんに尋ねる。
「中国ではカエルを食べるそうデスけど、鶏肉の味がするっていうのは本当なんデスか?」
「他の肉でたとえるなら、そうじゃないかしら」
「うーん、私は牛肉の方が好きなんデスが……」
「料理じゃなくて俳句を作りなさいよ」
美華ちゃんはもっともなことを言う。まぁ、エミー先輩の場合、「作るな」と言われても作ると思うけど。
「大体、肉なら牛より鶏でしょ?」
「エー」
「鶏肉の方がさっぱりしてて美味しいじゃない」
「じゃあ、メイファの好きな鶏料理は何デスか?」
「そうね。棒々鶏とか、油淋鶏とか」
「ショースケと同じようなこと言ってマスね」
「不可能」
「ブークーナンって何デス?」
「『ありえない』って意味よ」
二人がそんな会話(今のは珍しいって意味のありえないだよね?)をしている横で、僕は都子ちゃんに小声で囁いた。
「たまたま公園で会った僕に、シュイヂーのことを教わったって、そう日記に書いておくといいと思うよ。それなら、誤解を解けるだろうし、美華ちゃんが影で嘘つき扱いされてたことを隠しておけるし」
「分かりました。何から何まですみませんでした」
「だから、気にしなくていいからね」
またもや頭を下げる都子ちゃんに、僕は苦笑を浮かべた。
ともあれ、単に日中の文化の違いによって、誤解が生まれてしまっただけなのだ。きちんと説明さえすれば、美華ちゃんが嘘をついたわけじゃないと、クラスのみんなも分かってくれるはずである。これで事件は解決できたと言っていいだろう。
僕がそう安心した時のことだった。
「あっ」
僕たちの間から、誰ともなしにそんな声が上がる。
顔から腹にかけて赤みを帯びた色をした鳥が――ヒクイナが池に飛んできたのだ。
「美華ちゃん、クイナだよ! クイナ!」
「見れば分かるわよ」
「でも、クイナだよ?」
「大声出すと逃げるわよ」
はしゃぐ都子ちゃんをそうたしなめたのは、自分もまだ見ていたかったからだろう。美華ちゃんの視線はじっとヒクイナに注がれていた。
二人が喜ぶ理由は分かっている。音楽の授業で、ちょうどそういう歌をやっているからだ。
「夏は来ぬ、ですね」
「そうデスね」
暦は五月の上旬を迎えている。ヒクイナの姿も見られるようになった。夏が来たのだ。
だから、僕は言った。
「先輩、明日吟行に行きませんか?」




