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第七章(3/4)

「おはよう」


 朝、僕にそう声を掛けてきたのは――


「おはよう、才川さん!」


 三度目の正直で、才川さんとは今度こそ教室で再会することができたのだった。


 驚きに思わず大声を上げる僕に対して、才川さんは照れるような鬱陶しがるような微苦笑を浮かべる。しかし、僕はお構いなしにまくしたてた。


「久しぶりだね! 退院できたんだ! よかった!」


「またすぐ入院する可能性もあるけどね」


「でも、復帰は復帰だよ」


 夏休み中に退院が決まったのだろう。才川さんが登校してきたのは、ちょうど二学期の始業式の日だった。だから、まだ半年くらいは中学生活を送るチャンスが残っていることになる。


 僕がそう喜ぶのに対して、どういうわけか才川さんの表情は浮かなかった。


「……君の方はダメだったみたいだね」


 野球には未練があるけれど、引退して一ヶ月以上も経つからそれなりに冷静だった。それに、またまた言い当てられたという驚きもある。


「何で分かったの?」


「髪型だよ。前はもっと短かったから」


「ああ」


 僕は反射的に髪に触れる。坊主強制のルールがあるわけじゃないけれど、練習で汗をかくから洗いやすいように、以前は短めのスポーツ刈りにしていたのだ。ほんの数回、数分の間しか会っていないのに、よく見ているものだと感心してしまう。


「それで、野球をやめてどうするつもりなんだ?」


「どうしようかな……」


 とりあえず、夏休み中は、「スポーツ推薦の話がなくなったし、受験勉強をしないと」と心の片隅で思いつつ、結局毎日ダラダラとゲームばかりしていた。学力は上がらず、かといってストレス解消にもならず、最悪の過ごし方だったと言えよう。


「そういえば、図書室にあったから読んでみたよ、『黒死館殺人事件』」


「本当に?」


 まずは意外そうに、次に色めき立ったように才川さん尋ねてくる。


「どうだった?」


「あの本、難し過ぎない? 1ページ目で挫折したんだけど」


「君ね……」


 才川さんは一転呆れ顔をした。


 しかし、ただでさえ難解な言葉や言い回しを使った文章を、さらに少ない改行で読めというのは、国語の教科書くらいしか読書経験のない僕にとっては拷問に近い。頑張って1ページ読んだ自分を褒めたいくらいだった。


「もっと簡単な本はないの?」


「そうだね…… まぁ、考えておくよ」


 才川さんはそう答えを保留した。そんなに真剣に悩んでもらわなくてもいいんだけど…… それとも、まさか僕のレベルが低過ぎて、薦められる本がないってことなんだろうか。


「そういう才川さんは、今は何か読んでるの?」


「昨日ちょうど――」


 ど忘れしたのか、才川さんは一度言いよどむ。


「昨日ちょうど、『スローカーブを、もう一球』を読み終えたところだよ」


「スローカーブって、もしかして野球の本? 才川さん、興味ないって言ってなかった?」


「私は本なら大体何でも読むよ。ミステリでも、ファンタジーでも、エッセイでも、ノンフィクションでも」


 自分が全然本を読まないこともあって、これには素直に感心していた。


「へー、読書家なんだね」


「濫読なだけだよ。ただ目についたものを読んでるってだけ」


 才川さんは淡々とそう訂正した。でも、青白い頬がほんのり赤くなっていたから、本当は照れくさいのを誤魔化したかったんだろう。


「その本って難しいの?」


「いや、そんなことはないと思うけど」


「じゃあ、次はそれを読んでみるよ」


 ミステリは無理でも、野球の本なら読めるかもしれない。かもだけど。


 そんな僕の宣言を聞いて、才川さんは提案してくる。


「そういうことなら、私のを貸そうか? 図書室にあるか分からないし」


「いいの?」


「ああ、明日にでも持ってくるよ」


「ありがと。今度はちゃんと読むから」


 そうやって、僕と才川さんは普通の友達みたいに明日の約束をしたのだった。



          ◇◇◇



「乾杯する?」


「私は構わないけれど……」


 才川さんがそう答えたので、僕は「乾杯!」と音頭を取る。才川さんは本当にやるのかとばかりに、「……乾杯」と遠慮がちに湯のみを掲げた。


 球技大会の打ち上げに、僕と才川さんは回転寿司に来ていた。途中までは焼肉屋に行くという話になっていたけれど、学校帰りなので制服ににおいがつくことを危惧して予定を変更したのである。


 乾杯のあと、一口飲むと、僕はすぐに顔をしかめた。


「これ、ちゃんとお茶の粉入れた?」


「入れたよ」


「白湯としか思えないんだけど」


 相変わらず、濃い味が嫌いなようだ。淹れてくれた手前、あんまり文句は言いたくないけど……


 代わりに、今度は才川さんが文句のようなことを言ってくる。


「でも、打ち上げなら、やっぱりエミー先輩も誘った方が良かったんじゃないか」


 部活後に集まるということもあって、当然同じ部の僕が誘っているものだと思っていたらしい。校門の前で待ち合わせをした時にも、似たようなことを言われていた。


「二人だけじゃダメだった?」


「そういうわけじゃないんだが……」


 特訓に付き合ってくれたエミー先輩に悪いと思いつつ、僕と二人きりは嫌だとは言えない。そうして先輩と僕に気を遣った結果、才川さんは曖昧な返答をするしかなかったようだ。


 気分を変えるように、才川さんは回ってきた寿司を取る。一皿目はタイだった。


「やっぱり、醤油はつけないんだね」


「いいじゃないか、別に」


「いや、なんか通っぽいと思って」


「通は回転寿司には来ないんじゃないか」


 でも、舌が鈍くならないように、一皿目にあっさりしたネタを食べるのはやっぱり通っぽい。大トロとアナゴとアボカドサーモンを確保しながら、僕はそんなことを思う。


「今は何か読んでるの?」


「今日の部活で、ちょうど井上ひさしの『小林一茶』を読み終えたよ」


「小林一茶っていうと……」


 その名前を聞いた瞬間、エミー先輩の声が脳裏に甦った。『やせ蛙まけるな一茶これにあり』、『雀の子そこのけそこのけ御馬が通る』、『雪とけて村いっぱいの子どもかな』――


「そうだよ。俳人の小林一茶が主人公なんだ」


「才川さん、僕より熱心だね」


「濫読なだけだよ」


 訂正したんじゃなくて、誤魔化したんだろう。才川さんの白い頬は、ほんのり赤くなっていた。


「井上ひさしは誰だっけ? なんか聞き覚えがあるような、ないような……」


「いろいろ書いてるよ。『吉里吉里人』とか『父と暮らせば』とか」


「へー?」


「でも、一番有名なのは、『ひょっこりひょうたん島』かな」


「えっ? あの人形劇の?」


「なんだったら、あの歌の作詞もそうだよ」


 そんな益体もない話をしながら、僕たちは次々と回るお皿を取っていく。といっても、食の細い才川さんの箸は、早い段階で止まっていたけれど。


「……君は本当によく食べるね」


「お寿司はあっさりしてるから」


「それはそうだけど……」


 積み上がったお皿を見て、才川さんは「いくらなんでも、そういうレベルの話じゃないだろう」という表情を浮かべた。そういうレベルの話だと思うんだけどなぁ。


「お寿司は食べるものじゃなくて飲むものだからね」


「そんな『カレーは飲み物』みたいに……」


「あ、次はカレーでも頼もうかな」


「まだ食べる気なのか」


 結局、そのあと僕は、エビやイカのお寿司に加えて、カレーやラーメンなどのサイドメニューも注文した。才川さんは何か言いたげだったけれど、僕は「ラーメン屋も候補に入ってたでしょ」と先手を打って反論しておいた。


 そんな風にあれこれ食べて、いい加減満腹にはなったものの、それですぐにお会計というわけにはいかない。僕にはまだやるべきことが残っていたからである。


「才川さんに、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


「何かな?」


 才川さんはそう鷹揚に続きを促してくる。まぁ、仮にダメだと言われても聞くつもりだったんだけど。


 その為に、今日はこうして二人きりになる機会を作ったんだから。


「才川さんの俳句って、もしかして僕に個人的に宛てたものじゃない?」

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