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第七章(2/4)

「才川さん!」


「……天草君か」


 声を掛けられると思っていなかったのだろうか。僕が名前を呼ぶと、才川さんは意外そうな顔つきで振り返った。


〝復帰できるといいね、お互いに〟


 前回そう言って別れたけれど、残念ながら再会の舞台は今回も病院だった。


「まだ学校戻れないの?」


「ああ、もう少しかかりそうだよ」


 六月ももう下旬に差し掛かっていた。一学期はそろそろ終わりである。才川さんの言う「もう少し」がどれくらいか分からないけれど、中学を卒業するまでに退院できるんだろうか。


 しかし、さすがにそんなことは聞けないから、僕は別の質問をした。


「入院してる間って、出席日数はどうなるの?」


「中学は義務教育だから関係ないと思うけど…… ただ私の場合は、一応プリントや問題集を提出することになってるね」


「うわ、面倒くさそう」


「そうでもないよ。授業と違って自由に進められるおかげで、余った時間で好きなだけ本を読めるからね」


 どうやら才川さんの趣味は読書らしい。クラスメイトだけど初対面みたいなものだから、今日までそんなことさえ知らなかった。


「才川さん、本が好きなんだ?」


「うん、最近は小栗虫太郎の作品を読んでるよ」


「?」


「『黒死館殺人事件』とか」


「僕、本読まないから」


「…………」


「…………」


 会話が続かず、僕たちは黙り込んでしまう。正直、かなり気まずい。


 普段読書なんかしないくせに、無理に話題にしようとしたのが失敗だった。そう思って、僕は次の話題を振る。


「才川さん、野球は分かる?」


「ニュースくらいでなら見たことあるけど」


「今年は巨人が優勝しそうだよ」


「そう」


「…………」


「…………」


 今度は才川さんの話せる話題ではなかったようだ。僕たちは再び黙り込んでしまう。


 よく考えてみれば、野球少年と文学少女では話が合わなくて当然かもしれない。知り合いを見つけたから勢いで話しかけたけれど、才川さんからすればいい迷惑だったんじゃないだろうか。


 わざわざお互いに気まずい気持ちを味わわなくてもいいだろう。適当な理由をつけて、会話を切り上げようか。


 と、僕が考え始めた頃になって、才川さんは口を開いた。


「……肩の調子はあまりよくなさそうだね」


「どうして?」


「治りそうなら、自分から報告するかと思って」


「それもそうだね」


 思ったよりシンプルな理屈だった。まぁ、なんでもかんでも名推理されても怖いけど。


 怪我のことは、才川さんにはすでに一度話してある。だから、今回もそこまで葛藤することなく打ち明けることができた。


「やっぱり、大会には間に合いそうにないよ」


「中学がダメでも、まだ高校があるじゃないか。よく知らないけれど、学生野球といえば高校野球なんだろう?」


「いや、怪我をしたのが肩だから」


「?」


 野球に詳しくない才川さんにも分かるように、僕は一から順を追って説明した。僕のポジションがピッチャー、それもエースだということ。球速が速いほど打率が下がるとデータでも実証されているくらい、ピッチャーは肩の強さが重要になるポジションだということ。手術をしても、怪我をする前の球速に戻るわけではないということ。僕は小柄で長打力に欠けるから、野手に転向コンバートするのも難しいということ……


「だから、野球は中学で終わりかもね」


「そうか……」


「せめて最後の大会くらいは投げたかったなぁ……」


 そうこぼした僕に、才川さんは何も答えない。何と答えたらいいのか、分からなかったのだろう。


 なにも才川さんを困らせるつもりで怪我の状態を打ち明けたわけではなかった。だから、僕はそれほど気にしていないようなふりをする。


「でも、才川さんの方が大変でしょ? ずっと入院してるんだから」


「そうでもないよ。私にとっては、これが普通だからね」


「そっか……」


「ああ。だから、大変といっても君ほどじゃないよ」


 嘘だな、と思った。才川さんは本当は学校に行きたくて行きたくて仕方がないはずである。そうでなければ、ろくに顔を合わせたこともないクラスメイトに、わざわざ声を掛けたりしなかったはずだろう。


 ただ、僕に気を遣ってついてくれた嘘だから、そのことを追及しようとは思わなかった。


「…………」


「…………」


 僕たちはまた二人して黙り込んでしまう。


 しかし、それまでと違って、今回の沈黙は不思議と気まずくなかった。



          ◇◇◇



「またか……」


 思わず、そんな声が漏れた。


 今朝もまた、下駄箱に才川さんからの手紙が入っていたのだ。


 しかも、今回は封筒をピンク色のものに変え、さらに口を閉じるのにハートのシールまで使って、よりラブレターらしく偽装してあった。もっとも、「才川さんって、ちょいちょい子供っぽいよなぁ」と僕はいつもより冷静になってしまったけれど。


 才川さんの嫌がらせに見えて、実は本当に誰かからのラブレターで……などというどんでん返しもなく、手紙に書かれていたのはやはり寄稿用の俳句だった。


 にもかかわらず、僕はその内容にギョッとする。



   ひとり寝も寂しくもなし人麻呂忌



          ◇◇◇



「『人麻呂忌』は名前の通り、歌人の柿本人麻呂の忌日――命日のことデスね」


 才川さんの手紙を受け取ったエミー先輩は、いつも通りの口調でそう説明した。


 病気のことがあるから、死を連想させるような話はしづらい。そう思っていたので、僕は『人麻呂忌』という言葉を使った句に動揺してしまい、さらには先輩に見せるべきかどうか渡す直前まで悩んだくらいだった。才川さんに事情を説明して、なかったことにしようかと考えたことも何度もあった。


 しかし、当のエミー先輩がまるで気にした素振りを見せないのだから、一人相撲もいいところだったようだ。


「命日まで季語になってるんですね」


「前にも言いマシタが、季語というのは季節を感じさせる言葉のことデス。そして、有名な人物の場合は、命日が広く知れ渡っていることも珍しくありマセン。その為、命日にも季節を感じられるということで、季語として使われるわけデスね。

 人麻呂の命日は旧暦の三月十八日デスので、新暦では四月十八日前後、つまり大体今くらいの時期が『人麻呂忌』に当たりマス。デスから、春の季語ということになりマスね」


 エミー先輩はさらに「実際のところ、正確な命日は分かっていないようデスが」と説明を付け加える。


 ただ、僕が知りたいのはもっと初歩的なレベルの話だった。


「柿本人麻呂って、百人一首の人でしたっけ?」


「そうデスね、小倉百人一首に和歌が選ばれていマス。『あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む』!」


「ああ、そうです。それです」


 確か、「山鳥の尾みたいに長い秋の夜を一人で寝るのは寂しい」という風な意味の和歌だったはずである。


『人麻呂忌』に加えて、『ひとり寝』という言葉も使われていることを考えると、才川さんの句が『あしびきの~』の歌を下敷きにしているのはまず間違いないだろう。人麻呂忌もある春になって夜が短くなったから、一人の夜も寂しくない。あるいは、人麻呂みたいに自分と同じような孤独を抱えている人がいることを思えば、一人の夜も寂しくない。才川さんの句には、そんな意味が込められているんじゃないだろうか。


「もっとも、あの歌は人麻呂本人の作ではないみたいデスけどね」


「えっ、そうなんですか?」


「ハイ、万葉集の作者不詳の歌が、人麻呂のものだと誤解されて伝わったと言われていマス。万葉集には人麻呂の歌がたくさん載ってマスからね。

 デスから、人麻呂の代表歌なら『東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ』あたりの方が適切デショウね」


 そういえば、中学の教科書にも『東の~』の方が載っていたような気がする。気がするだけかもしれないけど。


「ちなみに、先輩が好きなのは?」


「万葉集に出てくる『葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国』という一節が印象に残ってマスね」


「ええと?」


「『日本は神の御心のままにあり、人々は自分の考えを言葉にしない国だ』という意味デス。宗教的な意味合いを抜きにしても、言わなくても気持ちは伝わるはずだと思っていたり、一度言ったことは取り返しがつかないと考えて発言を控えたり……というのは今の日本人にも通じるところがあるんじゃないデショウか」


「そうかもしれないですね」


 言いたいことや言うべきことを言わない、というのは自分にも当てはまるところがあるから分かる気がする。それを普通だと思い込んでしまうのは僕が普段日本人同士で付き合っているからで、アメリカ出身のエミー先輩からすると良くも悪くも異文化に感じるのかもしれない。


「柿本人麻呂以外には、誰の命日が季語になってるんですか?」


「先程は有名人と言いマシタが、基本的には俳句に関係する俳人や歌人が中心デスね。たとえば、小野小町の『小町忌』(旧暦三月十八日)、尾崎放哉の『放哉忌』(四月七日)、石川啄木の『啄木忌』(四月十三日)なんかが春の季語になってマス」


 マーカーを手に取ったエミー先輩は、ホワイトボードに人物と季語とその具体的な日付を書き記していった。


「それから、分野が近いせいか、小説家の忌日も季語になってマス。小林多喜二の『多喜二忌』(二月二十日)、坂口安吾の『安吾忌』(二月十七日)なんかがそうデスね。

 著作の名前から取る場合もあって、司馬遼太郎の忌日は『菜の花の沖』から、『菜の花忌』(二月十二日)と呼ばれてマス。私は断然『坂の上の雲』派デスが」


「『国盗り物語』なら、才川さんの薦めで読みましたけど……」


「『坂の上の雲』も読んでくだサイ。正岡子規が出マスから」


「また子規ですか」


「いや、子規を抜きにしても面白いデスけどね」


「はいはい」


 僕がおざなりにそう答えると、エミー先輩は話をそらすように説明を再開した。


「他には、大石内蔵助の『大石忌』(旧暦二月四日)のように、歴史上の人物の命日が季語になることもありマス。これは彼らの切腹で幕を閉じた赤穂事件が、『忠臣蔵』として文化や芸術と結びついているのが理由だと考えられマス」


 やはり、ただ単に有名な人物というだけではダメらしい。まぁ、有名な人物なら大体小説とかドラマとかでネタになってる気もするけど。


 話が一区切りしたようなので、僕は次の質問に移る。


「エミー先輩は――」


 と、そこまで言いかけて、すぐに言い直す。


「いえ、やっぱりなんでもないです」


 からかうようにエミー先輩が「なんデスか? 『言挙げせぬ国』デスか?」と聞いてくるので、僕は「いや、まぁ……」とますます曖昧に答える。


 エミー先輩は、死んだあとに忌日が季語になってほしいですか?


 そんなこと病人相手に言うべきではないだろうし、言いたくもなかった。

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