第七章(1/4)
病院の廊下を歩いていると、不意に声を掛けられた。
「君は確か、天草君と言ったかな」
「そうですけど……」
医師や看護師ではなく、患者に声を掛けられるとは思わなかった。その上、相手の顔にはまったく見覚えがない。
同年代くらいだと思うけれど、僕は念の為に敬語で尋ねる。
「失礼ですが、どなたでしょうか?」
「才川泪香」
「ああ」
それに続いて、僕の頭の中に思い浮かんだ言葉は二つだった。「同じクラスの」。そして、「病欠中の」。
一学期の始業式から既に一ヶ月以上が経つけれど、彼女は授業のほぼ全てを欠席していた。クラスメイトから聞いた話――美人だということで、男子の間でも噂されやすかったのだ――によれば、彼女は生まれつき重い病気を患っていて、幼少期から中三の今に至るまで何度も入退院を繰り返しているのだという。
「体、そんなに悪いの?」
「そうだね。でも、子供の頃ほどじゃないよ」
ずっと学校休んどいて何を。そんな意味のことを言いかけたが、直前で思いとどまる。子供の頃は、それこそベッドから起き上がることすらできないような生活を送っていたのかもしれない。
今のはちょっとデリカシーのない質問だったかな。と、一度は反省したけれど、この際だから僕はさらにデリカシーのない質問をすることにした。
「学校には戻れそう?」
「さあね」
彼女はとぼけるようにそう答えた。ただ、とぼけるということは、あまり見込みがないんじゃないだろうか。やっぱり、聞かない方がよかったかもしれない。
僕がそんなことを考えるのを遮るように、今度は彼女が尋ねてきた。
「そういう君は、どうして病院に?」
「どうしてだと思う?」
あまり他人に触れられたくなかったから、誤魔化そうと僕もとぼけてみる。
しかし、話題にしてほしくないのなら、はっきりとそう主張するべきだったようだ。
彼女は、あっさりと僕の事情を言い当ててきたのである。
「怪我だろう。肩か、肘か…… 肩かな」
「よく分かったね」
先程まで秘密にする気だったことも忘れて、僕は感嘆の声を上げていた。怪我に対する複雑な感情が、一時とはいえ吹き飛ぶくらい衝撃的だったのだ。
「表情は暗いけど血色はいいから、病気よりも怪我だろうと思って。先生からたまにクラスの様子を教えてもらうけど、君は野球をやっているそうだから、怪我をすることも怪我で落ち込むことも十分考えられる話だしね。そこまで分かったら、あとは体の部位を挙げていって、君の反応を窺うだけだよ」
「なるほど。すごいね」
「正直、当てずっぽうだけどね」
謙遜ではなく、彼女は事実そう思っているのかもしれない。けれども、まだ驚きの渦中にいた僕には、やっぱり謙遜を言っているとしか思えなかった。
「それで、君の方は?」
「何が?」
「肩の怪我だよ」
「大会までに治るといいんだけど、難しいだろうね」
隠そうとしても、どうせまた言い当てられるに違いない。そう考えて、僕は正直に告白してしまうことにする。
しかし、彼女は驚愕と後悔と罪悪感の混じったような表情を浮かべていた。そこまで重い怪我だとは思っていなかったようだ。
「そろそろ行かなくちゃ」
気まずい空気のまま別れるのも嫌だから、僕はなるべく明るく言った。
「復帰できるといいね、お互いに」
◇◇◇
子育てに腰を曲げたる稲穂かな
これは比較的分かりやすかった。秋になって実った米の重みで稲が曲がる様子と、育児の苦労で老け込む親とを重ね合わせた句だろう。
「今回のもいい句だと思うよ」
朝のSHRの前に、僕は寄稿してもらった俳句の感想を才川さんに伝えていた。
「思うけど、なんで毎回下駄箱に入れるの?」
最初の『柿』の句を、「恥ずかしいから」と手紙にして出したのは理解できる。しかし、これでもう四度目なんだから、さすがに慣れてきてもいい頃だろう。
「いいじゃないか、別に。それとも、何か不都合でもあるのかい?」
「それは……」
「まさか、ラブレターだとでも思ったのかな?」
意趣返しのように、才川さんはそう尋ねてきた。もう四度目だから、さすがに慣れた……と言い返したいところだけれど、朝手紙を見つけるたびに、未だにちょっとドキッとしているからそうもいかない。
だから、僕は反論の為にいっそ開き直ることにした。
「そうだよ。〝球技大会のあと、彼女いるのか聞かれた〟って言ったの才川さんでしょ」
「そうだったかな」
才川さんの記憶力なら、間違いなく覚えているはずである。僕に再反論できなくて、誤魔化すしかなかったのだ。
とはいえ、あまりやり込めてもあとが怖いから、僕はこの話題をさっさと切り上げることにする。それに、今の会話で思い出したこともあった。
「球技大会といえば、打ち上げは結局どうする? 行く?」
「焼肉なら行く。ラーメンなら行かない」
「焼肉ならタレをつけなきゃいいもんね」
筋金入りの濃い味嫌いに僕は苦笑する。才川さん、トンカツもフライもコロッケもソース使わないくらいだからなぁ。
「タレなしじゃあ、薄味どころか味がないと思うんだけど」
「そんなことないよ」
「素材の味ってこと?」
「いや、下味だよ」
「下味て」
◇◇◇
放課後、俳句部の部室に赴くと、才川さんの手紙をエミー先輩に渡す。
すると、先輩は寄稿された俳句にひとしきり感想を述べたあとで、僕に対して質問してきた。
「ショースケは、ルイカ以外に仲いい子いないデスか?」
「いますけど…… 僕ってそんな友達少なそうに見えます?」
「いえ、ルイカ以外からも、もらってきてくれないかと思いマシて」
「ああ、そういう意味ですか」
それなら、最初からそう言ってほしかったなぁ。誤解でも結構傷つくから。
「一応頼んではみたんですけど、あんまり反応よくないんですよね。難しそうとか、よく分からないとか」
僕も俳句部に入る前は、似たような印象を持っていた。というか、今も少なからず持っている。だから、あまり強くは頼めないのだった。
「エミー先輩こそ友達多そうですけど、寄稿してもらえないんですか?」
「…………」
「え? いますよね、キャラ的に」
「冗談デスよ。私も断られてるだけデス」
僕の不安を、エミー先輩はそう笑い飛ばした。まぁ、そんなことだろうと思ったけど。
「作るのが難しいっていう以外に、発表するのが恥ずかしいって子もいマシタね。句集で俳号使ったところで、受け取る私には誰の詠んだ句か分かっちゃいマスから」
「そういえば、才川さんもそんなようなこと言ってましたね」
それで、今でも俳句を手紙にして渡すようにしているのである。クラスの男子は未だに「クールな美人」扱いしてるけど、正直あってるのは後半の部分だけのような……
と、そこで僕は手紙から連想して閃く。
「匿名で寄稿できるように、ポストでも置いてみます?」
「That's a great idea! それなら、私たちと直接関係ない人も寄稿してくれるかもしれマセンしね!」
「その場合は、ポスト設置したことを知らせないといけないですけどね」
「じゃあ、ポスターも一緒に作りマスか」
「そうですね。あとは校内放送をするとか」
「いいデスね! クラスに放送部の子がいマスから、あとで聞いてみマショウ」
こうして「ポストを設置する」という案が盛り上がったことで、今日の部活は自然と、どうすれば寄稿を集められるかについて話し合う流れになった。
「俳句教室を開く」、「先生や町の人からも俳句を集める」、「SNSを使ってネットでも募集する」、「他校の俳句部と合同で句集を出す」、「事件を解決して、その報酬に寄稿してもらう」…… 僕たちはそれぞれ案を出し合って、それを一つずつ検討していく。
しかし、球技大会の一件で、僕が怪我で野球をやめたことを知ってしまったからだろう。
エミー先輩は最後まで、「ショースケが俳句を作る」とだけは言わなかった。




