第六章(4/4)
「もしかして、ショースケは昔、本格的に野球をやってたんじゃないデスか?」
エミー先輩の言葉が、残響音のように何度も頭の中で繰り返される。
一体、どうしてバレたんだろうか。
「何ですか、急に」
「それほど急でもないデショウ」
苦笑いで誤魔化そうとする僕につられることなく、先輩は真面目なトーンで答えた。
「意外と運動神経がよかったり、イチローやオータニが左打ちだと知っていたり。今も球春なんて言葉がすっと出てきマシタしね」
野球が好きでスポーツが得意だからといって、野球をやるとは限らない。「部活ではサッカーやバスケをやっているけれど、野球も好きだから知識はある」というパターンだってありえるだろう。僕も以前そういうカモフラージュをしたはずである。
「前に、中学時代は陸上部だったって言いましたよね? あれは嘘じゃないですよ」
「でも、野球をやったことがあるとも言ってマシタよね」
まったくのでたらめを言うと嘘がバレやすいかと思って、先輩に対しては事実と作り話を織り交ぜて昔の話をしていた。しかし、どうやらその小細工が裏目に出てしまったようだ。
「これは調べて知ったんデスが、日本で硬式野球が盛んになるのは高校からで、中学の野球部というのは軟式がほとんどみたいデスね。だから、中学生の内から硬式野球をやりたいという子は、シニアとかボーイズとか呼ばれる、校外のクラブチームに参加するんだとか。
といっても、クラブチームの練習も毎日あるところばかりではありマセン。デスから、練習がお休みの日は、自主練をしたり、陸上部で体作りをしたりするんだそうデスね」
「そういう話は確かに聞いたことありますけど……」
僕のチームメイトには、軟式野球部にも入っているという子もいれば、水泳部と掛け持ちしているという子もいた。なんでも泳ぐ時の動作が、肩の可動域を広げるのに繋がるんだとか。
しかし、エミー先輩の言い方からすると、アメリカでは高校以前から硬式野球をやるものなんだろうか。だとすれば、「シーズンごとにやるスポーツを変えるアメリカ人より、日本人の方が練習量が多い」という意見は少し怪しくなってくる。日米の実力差は、単純な人種の差以外にも理由があると言えるんじゃないか――
そこまで考えて、僕はやっと我に返る。ふとした疑問のはずが、つい真剣に検討してしまった。野球をやっていた頃の気分がまだ抜けていないらしい。
そんな僕の内心を知ってか知らずか、エミー先輩は話を続けた。
「極めつけはこの前の球技大会デス。四番バッターを抑えた、最後の一球。あの時ショースケが投げたのは、ストレートではありマセンね?」
「…………」
僕はとうとう反論に詰まってしまう。まさか先輩がそこまで見抜いているとは思わなかった。
キャッチボールを止めると、先輩は僕に近づいてきてスマホを見せる。
「〝一応やったことがある〟と言うわりに、上手過ぎるのが気になったので、先生に頼んで記録用のビデオをコピーさせてもらいマシタ。そして、検証してみた結果、最後の一球だけボールの握りが違うことが分かったんデスよ」
試合を見ていた野球部員どころか、バッターもキャッチャーも気づけなかった球種の違いにエミー先輩が気づけたのは、繰り返し動画を確認したことが理由だったようだ。ていうか、動画の流通元って、もしかして先輩ですか。
先輩はスロー再生と一時停止を使って、動画の一場面を切り出した。僕がボールをリリースする瞬間のシーンである。
「こっちがそれまでのストレートの握りで――」
一本目の動画では、僕はひょうたん型の縫い目を横向きにして、縫い目に人差し指と中指をひっかけるようなボールの握り方をしていた。
「こっちが最後に投げた時の握りです」
二本目の動画では、僕はひょうたん型の縫い目を縦向きにして、縫い目に人差し指と中指を沿わせるようなボールの握り方をしていた。
「こういう風に、縫い目に指を重ねてボールを持つのは、ツーシームの握りデスよね。
ツーシームもストレートもバックスピンを掛けて投げる球デスが、ツーシームはストレートに比べてボールの回転軸が傾いていマス。だから、この動画のように、ツーシームはストレートに似た球速や軌道から、ピッチャーの利き手側に少しだけ沈むような変化を起こしマス。バッターがボールの上を空振りしたのもそれが原因デショウ」
エミー先輩に「ストレート以外の球種を投げた」と言われた時点で、何を主張するつもりなのかは予想できた。だから、僕は落ち着いた口調で答える。
「素人だから、正しい握りが分からなくなってただけじゃないですか?」
「それまでずっと完璧なストレートの握りだったのにデスか?」
「そういう偶然だってありえるでしょう」
「握り以外にも、指の力の入れ方や手首の使い方も変えないと、こんな風にきちんと変化させるのは難しいと思いマスが?」
「それも偶然でしょうね」
苦しいのは承知の上だけど、そう説明する以外に上手い言い訳は思いつかなかった。
ただ案の定、エミー先輩は納得してくれなかった。
「そこまで言うなら、素人が偶然だけで投げ分けられるのか、ちょっと実験してみマスか」
先輩はそう言って僕にボールを渡すと、20メートル弱距離を取ってから、キャッチャーがやるようにしゃがみ込んだ。
スカートでそのポーズをするのはちょっと……というのはさておき、先輩の言い分はどう考えても筋が通っていない。経験者なら球種を投げ分けられるわけで、投げ分けが上手くいっても素人だという証明にはならないだろう。というか、本当に素人なら何度も投げ分けに成功する方が不自然である。
だから、先輩はそういうひっかけのつもりで、この実験を提案したんじゃないだろうか。僕がやるべきことは、わざと投げ分けに失敗することだろう。
「では、まずフォーシームの握りで投げてみてくだサイ」
エミー先輩の指示に従って、僕は投球動作に入る。横向きにした縫い目に指を掛けると、次に左足を――
「ストップ!」
投球直前になってそう静止をかけると、エミー先輩はこちらに駆け寄ってきた。
そして、僕の腕を掴むと、ボールの握りを見て言う。
「私は先程〝まずフォーシームの握りで投げてみてくだサイ〟と言いマシタ。素人だというわりに、よくフォーシームがストレートのことだと分かりマシタね?」
ツーシームという名前は、打者から見た時、ボールが一回転する間に縫い目が二つしか現れないことに由来する。一方、ストレートは縫い目が四つ現れることから、ツーシームに対してフォーシームと呼ばれることがある。
アメリカではフォーシームが一般的で、ストレートという呼び方はしないそうだけれど、日本では逆にフォーシームという呼び方をする人は珍しい。だから、野球に詳しい人、それこそ経験者でもなければ何のことか分からない可能性すらある。
「それは――」
「消去法でフォーシームがストレートのことだと推測することもできマスけど、それでも一応ツーシームの言い間違いや聞き間違いじゃないか確認しマセンか?」
エミー先輩の言うことは正論だろう。しかし、「メジャーの中継を見た」とか、「野球ゲームで出てきた」とか、フォーシームのことを単に知識として知っているだけだと誤魔化そうと思えば、まだ誤魔化せるはずである。
ただ、行動力のあるエミー先輩なら、僕が誤魔化したら他の誰かに話を聞きに行くことは十分考えられる。そうなったら、才川さんみたいに事情を知っていて、口裏を合わせてくれる人ばかりではないから、先輩に真相が伝わるのは避けられないのではないだろうか。
それなら、せめて自分の口から伝えておきたかった。
「……エミー先輩の言う通りです。僕は中学までは野球を――ピッチャーをやってました」
これを聞いて、先輩は想像通りの質問をしてくる。
「どうしてやめちゃったんデスか?」
「中三の時に、肩を怪我したんですよ」
背が低いから、せいぜい実力不足で挫折したくらいに思っていたんだろう。予想外の告白に、先輩は顔をこわばらせる。
「手術のおかげで、人並みに投げられるくらいまでには回復しましたけどね。でも、それだけですよ。球技大会だって、本気で投げてあの球速ですから」
プロになることも、甲子園に出場することもありえない。それどころか、野球部のランクによっては、レギュラーになることすらできないだろう。今の僕はそういうレベルの選手だった。
「コントロールやツーシームはよかったデスからね。怪我をする前は、きっとすごいピッチャーだったんデショウね」
「そうですね。自分で言うことでもないですけど、全国でも上の方にいたと思いますよ」
怪我をするまでは、「小柄なわりに」ではなく、大柄な選手に混じっても遜色のない球速だった。おかげで、大会でも上位に進出したことがあるし、高校野球の名門からスカウトの話が来たこともある。
聞けば僕を傷つけるかもしれない。しかし、聞かずにはいられない。そういう表情で、エミー先輩は重ねて尋ねてきた。
「……今でも野球に未練がありマスか?」
「そうでもないですよ。もちろん0ってわけじゃないですけど。身長がこれなんで、怪我がなくてもプロを目指せるほどの選手になれたかは怪しいですから」
身長に比例して指も短いから、変化球はあまり得意ではなかった。球速だって、今後大柄な選手と差がつかないとは限らない。そういう理由により、プロになることを諦めていたわけではないけれど、絶対になれるという自信も持っていなかった。だから、怪我をした時も、周囲が思うほどショックは受けていなかったのだ。
「ただ……」
これだけは隠し通そうと思っていた。けれど、一度打ち明け始めたら、せき止められていた感情が溢れるように、口を突いて出てしまった。
「ただ怪我のせいで、中学最後の大会で投げられなかったことには、正直言って未練がありますね。打たれて負けたのなら、悔しいは悔しいですけど勝負の結果だからまだ納得できたでしょう。でも、僕は勝負することができなかった――負けることすらできなかったですから」
正岡子規の『春風やまりを投げたき草の原』という句は、単に春になって野球ができる喜びを詠んだものかもしれない。しかし、初めて聞いた時、僕の頭には、野球ができないことを病床で嘆く子規の姿が思い浮かんでいた。
きっと、季節は夏で、場所は球場だけれど、僕もボールを投げてみたかったからだろう。
僕の話にエミー先輩が黙り込んだことで、会話が途切れてしまう。
おかげで、野球部が練習する声がいやに大きく響いて聞こえた。




