第五章(4/4)
「『百合』の話です」
「エッ」
僕の言葉に、主張した本人がそう驚く。俳句脳をこじらせているわけではなく、冗談のつもりだったらしい。
しかし、エミー先輩にとってはただの冗談でも、僕にとっては男装説を捨てる十分な根拠になった。いや、それどころか、真相を推理する大きなヒントにまでなったのだった。
「エミー先輩の言う通り、季節を考慮する必要があるのかもしれません」
「一体、どういうことデスか?」
エミー先輩は不思議そうな顔をする。僕の推理力を信用してくれているらしく、筒井先輩も名簿をめくる手を止めてこちらに視線を向けてきた。
「制服を汚されたのに、〝気にしないでください〟と佐藤君が言ったのは、普段着る必要がないから……という推理は基本的には間違っていなかったと思います。ただ、僕はその理由を難しく考え過ぎていたみたいです」
分かってみれば、呆れるほど単純な話だった。それだけに盲点になっていたとも言えるかもしれないけれど。
「佐藤君との一件があったのは、およそ一ヶ月前だと筒井先輩言ってましたよね? 一ヶ月前は三月――卒業シーズンじゃないですか。佐藤君はその日が卒業式の帰りで、もうその制服を着なくなるから〝気にしないでください〟と言ったんじゃないでしょうか」
「あっ」
筒井先輩が声を上げる。名簿を借りてきた本人だけにもう分かったようだ。
「それで、名簿を調べても佐藤君が見つからなかったんだ。私がコピーしたのは今年度の分だから、昨年度に卒業した生徒は載ってないもんね」
「ええ、そういうことです。筒井先輩、最初の頃は同じ電車に偶然乗り合わせるのを待ったり、似顔絵を描いて探したりしたと言ってましたよね? だから、電車で佐藤君に会った時と、学校まで名簿をもらいに行った時に、タイムラグが生じてしまったんでしょう」
それに、筒井先輩は四月に一年から二年に進級しただけである。そのせいで卒業を意識していなかった、というのも今までミスに気づかなかった原因かもしれない。
「オー、なるほど。ショースケやりマスね」
筒井先輩に遅れて、エミー先輩も感心したように言う。
しかし、卒業説は何も僕一人で思いついたわけではなかった。『百合』の話はもちろん、それ以外の点でもエミー先輩との会話を参考にしていたのだ。
〝サトーさんはどうやって男子の制服を手に入れたんデスか? もし誰かから借りた物だとしたら、汚されたらとても困ると思いマスよ。それこそ自分のもの以上に〟
〝えーと、もう着なくなった兄や弟の制服が家にあったんですよ〟
エミー先輩に男装説を否定された際、僕はそんな理屈をひねりだした。この時、兄や弟が制服を着なくなった理由として、僕は卒業を想定していたのだ。それですぐに真相に気づかなかったというのも情けない話だけど……
ともあれ、佐藤君が昨年度の卒業生と分かればあとは簡単である。
「ですから、筒井先輩が候補に挙げた学校の昨年度の名簿になら、佐藤君が載っている可能性は高いと思いますよ。そこから、住所や卒業後の進路について調べてみたらどうでしょうか」
僕の話を聞いて、筒井先輩はあっという間に荷物をまとめる。
「分かった。じゃあ、またコピーを頼みに行ってみるね。ありがとう!」
「今から行くんですか?」
せめて電話の一本でも入れた方がいいような…… そう驚きまじりに尋ねた僕に、筒井先輩は当然のことのように答える。
「だって、早く佐藤君にお礼がしたいから」
「いや、でも学校側にも都合ってものが……」
「大丈夫。心からお願いすれば分かってくれるよ」
「そ、そうですね」
筒井先輩の目が据わっているのを見て、僕はそう同意するしかなかった。
◇◇◇
翌日の放課後、僕とエミー先輩は、部室ではなく校舎裏に集合していた。筒井先輩に頼まれて、校舎の影から先輩を見守ることになった為である。
やはり緊張しているようで、筒井先輩はしきりに前髪を気にしていた。おかげで、こっちまで上手くいくかどうかハラハラしてしまう。
と、そこへ来たのは――
「あ、サトー君デスよ!」
「エミー先輩、声大きいですよ」
あのあと、佐藤君こと佐藤親斎君――「よくある名字だから親が変わった名前をつけた」というのが僕の推理だ――を名簿から見つけて、卒業後の進路も調べて、筒井先輩は今日校舎裏に彼を呼び出したのだった。
僕の予想通り、佐藤君は今年の三月に市内の中学を卒業。そして、その後はなんと僕たちと同じ共律高校に進学していた。これを運命だと筒井先輩が喜んだのは言うまでもないだろう。
男装説が仮説として成立するだけのことはあって、佐藤君は筒井先輩の美化を抜きに美少年だった。その上、180センチ近い、すらりとした長身でもある。だから、あの少女漫画の王子様風の似顔絵も、特徴を捉えていたと言えなくもない。
僕も事前に名簿の写真を見せてもらっていたけれど、実物はそれ以上だった。
「やっぱり、カッコいいですね」
「ショースケ、いけマセンよ。『薔薇』も夏の季語デスから」
「なんでそういう発想になるんですか」
僕は呆れてしまう。それがイケメンを見た女子高生のする反応か。
反対に、筒井先輩は乙女チックに反応し過ぎなくらいだった。後ろ姿しか見えなくても、声のトーンで真っ赤になっているのが分かる。
「さっ、佐藤君……だよね?」
「は、はい」
手紙で校舎裏に呼び出されたから、告白されると思っているんだろう。佐藤君も赤い顔で答える。イケメンのわりに女の子慣れしてなさそうで、僕の中で好感度が上がった。いや、上がったからなんだって話だけど。
「私のこと覚えてないかな? ま、前に電車で寝ちゃって、佐藤君の制服によだれをたらしちゃった……」
「ああ! あの時の」
思い出してもらえなかったらショックだったことだろう。しかし、思い出されると、それはそれで恥ずかしくてたまらないようだった。目を逸らす代わりに、筒井先輩は勢いよく頭を下げる。
「あっ、あの時はごめんなさい!」
「いいですよ、あれくらい」
佐藤君はにこやかにそう答えた。笑顔も対応もイケメンである。
一方、筒井先輩は申し訳なさそうに謝罪を続けていた。
「でも、嫌だったでしょ? いくらもう卒業して着ないからって」
「……卒業?」
訝しがる佐藤君に、筒井先輩は僕の推理をかいつまんで説明した。
「卒業式の帰りだったんでしょう? だから、私が制服を汚しても、〝気にしないでください〟って」
「いえ、卒業式はまだ先のことでしたけど」
「えっ? じゃあ、何で?」
「制服を汚されるくらい、大したことじゃないですから」
佐藤君はそう言って爽やかに微笑む。電車で「気にしないでください」と言った時も、きっとこんな笑顔を浮かべたんだろう。筒井先輩が一目惚れするわけである。
もっとも、僕は男同士はナシなので、気になったのは佐藤君の笑顔ではなかった。
「……推理、思いっきりはずしてましたね」
「でも、サトー君はそれだけ性格がいいってことデスから、カコ的にははずれててよかったんじゃないデショウか」
「それもそうですね」
ちょっと行き過ぎている気もするけれど、佐藤君に対する思いの強さはよく知っているから、筒井先輩のことは応援したかった。だから、僕も推理をはずしたことが、かえって嬉しいくらいだった。
真相を知った筒井先輩は、最初以上の勢いで謝る。
「あの、本当にごめんなさいっ!」
「気にしなくていいですよ。むしろ、謝る手間をかけさせちゃったみたいで、僕の方こそすみません」
相変わらず、佐藤君は爽やかに答える。
しかし、この返答が、筒井先輩のお気に召さなかったようだった。
「別に、謝りたかっただけじゃないんだけど……」
「えっ」
校舎裏に呼び出されて告白されるかと思っていたら、以前起きたトラブルの謝罪をされた……と思ったら、やっぱり告白めいたことを言われたのだ。佐藤君も驚いて当然だろう。ただ照れ混じりの驚きだったから、脈はありそうである。
この結果に、エミー先輩は満足げに呟く。
「蛙女房デスね」
意味は知らないけれど、聞き覚えのある言葉だった。
〝でも、寄稿してくれてありがとう。エミー先輩も絶対喜ぶよ〟
〝蛙女房だね〟
以前、才川さんが同じことを言っていたのだ。
「どういう意味ですか?」
「カエルの目は、顔の上の方についているデショウ? だから、妻が上、つまり年上の奥さんのことを蛙女房というんデスよ」
「へ、へー」
からかわれていたことに気づいて、僕は今更赤面した。
◇◇◇
数日後――
「エミー先輩、これ才川さんから」
俳句部の部室を訪れた僕は、挨拶もそこそこに先輩に手紙を渡した。今朝登校してきたら、下駄箱に二通目が入れられていたのだ。
「今回は、普通に春の句みたいです」
子供らは寄居虫探す磯遊び
「今回もいい句デスね! 子供の無邪気さが伝わってきマス!」
などと褒めちぎったあとで、エミー先輩は手紙から僕に視線を移した。
「ショースケはきっと、『磯遊び』を夏の季語だと勘違いしたんデショウね」
「うっ」
まったくもってその通りだった。才川さんに、「『磯遊び』は春の季語だよ。『磯遊び』というのは、海で貝を採ったりして遊ぶ伝統行事のことでね。雛人形を海に流して供養する雛流しから派生したものだから、旧暦の三月三日に行われるんだ。今だって、春になると潮干狩りをやるじゃないか」と呆れ交じりに説明されていたのだ。
だから、この句は、潮干狩りで大人は食べられる貝を採ろうとするけれど、子供は動き回るヤドカリを面白がって探す……というような意味になるんだろう。
エミー先輩が鋭いのか、それとも僕が分かりやすいのか。とにかく勘違いを見抜かれて恥ずかしいことには変わりないから、「そういえば」と僕は強引に『磯遊び』の話を打ち切る。
「筒井先輩の件はどうなったんですか?」
「二人とも電車通学なので、あれから毎日一緒に下校してるみたいデスよ。まだはっきりと告白はしてないようデスが、付き合い始めるのにそう時間はかからないんじゃないデショウか」
「それもありますけど……」
確かに筒井先輩の恋を応援する気持ちはある。けれど、今の僕にはそれ以上に重要なことがあるのだ。
「僕が言いたいのは報酬ですよ、報酬。佐藤君を探し出したら、筒井先輩が俳句を作ってくれるって話だったじゃないですか」
「それなら、ちょうど今日もらいマシタ!」
そう答えながら、エミー先輩はバッグから手紙を取り出す。
が、見ない方がよかったかもしれない。下手とか変とかいうわけではないのだけれど、とにかくコメントに困る作品だったのだ。
「これは甘ったるいというか、熱々というか……」
「こっちが恥ずかしくなっちゃいマスよね」
エミー先輩までそんなことを言う。
筒井先輩の句は、電車通学の様子を詠んだものらしかった。
目借時隣に君いて眠られぬ
きっと今日の下校でも、筒井先輩は佐藤君の隣の座席に座るんだろう。それも、好きな人がすぐそばにいることに顔を真っ赤にしながら。
俳句に詠まれた光景を想像して、僕はつられて赤くなりそうになる。
一方、既に一度目を通していたエミー先輩は、別の感想を抱いたようだった。
「でも、ショースケは協力的なのか非協力的なのか分からないデスね」
「え?」
「俳句なら、ショースケが自分で作ったらいいデショウ」
「…………」
確かにエミー先輩の言う通りだけど、いまひとつ納得いかなかった。寄稿を集めるのを手伝ったのに、どうしてお説教されているんだろうか……
「サクラでもよければ入部するって話だったじゃないですか。今は、『百合』でも『薔薇』でもなく、『桜』の季節なんでしょう?」
「そういうくだらないボケはいいんデスよ!」
「えぇ……」
理不尽にいきり立つエミー先輩に、僕はただただ戸惑う。
それから、「私は今の季節の季語で俳句を詠む必要はないとも言いマシタよ!」とか、「俳句の世界では、五月からもう夏デスよ!」とか、しばらくの間先輩のお説教が続いたのだった。




