第一章(2/4)
「私は俳句部部長、二年のエルバートデス。よろしくデス!」
外国人(それも美人だ)が俳句をたしなんでいる。そのことにまごついて、エルバート先輩の差し出した手に対する反応が遅れてしまった。
「あ、どうも」
僕は慌てて、先輩の自己紹介と握手に応える。
「一年の天草、天草照介です」
値踏みするような視線を向けていたのはバレバレだったらしい。それでも嫌そうな顔をすることなく、先輩は説明してくれた。
「出身はアメリカデスよ。グランパは日本人デスが」
「ああ、それで」
金色の髪に青い瞳。背は高く、胸は大きい。そして、表情や性格は明るく快活…… と先輩はいかにも日本人の考えるステレオタイプのアメリカ人らしかった。俳句好きも、「スシ」や「ニンジャ」が、「ハイク」に置き換わったと考えれば、らしいと言えるんじゃないだろうか。
「今ちょっと失礼なこと考えマシタか?」
「いえ、それで俳句部なのかなって」
適当な言い訳だったけれど、先輩は「そうデスね」と素直に納得していた。
「グランパが俳句好きなので、私も好きになりマシタ。日本に留学してるのも半分くらいは俳句の勉強の為デス」
「へー」
わざわざ外国にまで行くなんて並大抵の熱意ではない。思わず感心してしまう。
「メグは――妹は全然興味ないみたいデスけどね」
「そうなんですか?」
「ハイ。グランパの影響で、漫画やアニメばっか見てマス」
「受ける影響が極端過ぎませんか」
何でそんな日本文化の新旧みたいな姉妹に育ったんだろうか……
「それにしても、よく来てくれマシタ! 俳句部に来たのはアナタが一人目デスよ!」
先輩に言われて、僕は周囲を見回す。確かに、部室にいるのはまだ僕たち二人だけのようだった。
「他に新入部員はいないんですか?」
「新入部員以前に、部員は私しかいマセン」
「ひ、悲惨……」
元々エルバート先輩と三年生だけの部で、この春にみんな卒業してしまったんだろうか。
しかし、現実は僕の想像よりさらに悲惨だった。
「せっかく俳句部を作ったのに、去年はずっと一人だったのでとても寂しかったデスよ。文化祭で句集を出すはずが、一人じゃそんなたくさん俳句を作れないので、展示会で誤魔化すしかなかったデスし…… だから、今年はアナタが来てくれてよかったデス!」
先輩は声を弾ませてそう言った。同好の士が見つかってよっぽど嬉しいんだろう。
こんなことなら、何も聞かずにさっさと用件だけ伝えればよかった。
「あの、僕、幽霊部員のつもりで来たんですけど……」
水を差すのは承知の上で僕はそう切り出す。日本人だってNOと言えるのだ。
でも、主張の強さでは、やっぱりアメリカ人には敵わなかった。
「うちは幽霊部員禁止デス!」
「ああ、すみません。そんなルールがあったんですね」
「今作りマシタ」
「部員が自分だけなのを悪用しないでください」
一人ぼっちという言葉のイメージに似合わずたくましい人だ。おかげで、こっちも遠慮する気がなくなる。
「先輩には悪いですけど、そういうことなら他の部に行きます」
「そんな!」
「僕、部活やるつもりないので」
「『ショースケも部活で青春しましょうよ』!」
「俳句っぽく言って洗脳しようとしないでください」
あと、しれっとファーストネームで呼ばないでください。
そうしてしばらくの間、「入る」「入らない」とぐだぐだ押し問答を続けた結果、ようやく先輩も根負けしたようだった。
「じゃあ、今日一日! 入部しなくていいので、今日一日だけ活動に付き合ってくだサイ!」
「……まぁ、一日くらいならいいですけど」
渋々とそう頷く。根負けしたのは僕も同じだったのだ。
「でも、活動って言われても、俳句なんて作れませんよ」
「一緒に来てくれるだけでいいデスよ」
「一緒にって、どこにですか?」
「吟行デス!」
「ギンコー?」
耳なじみのない言葉を聞いて、ついオウム返しする。さすがにバンクのことじゃないのは分かるけど……
「バンクのことじゃないデスよ。ものすごく簡単に言うと、散歩をして目についたもので俳句を作ることデス」
「へー、初めて知りました」
「だから、野外を散策することをハイキングというわけデスね」
「さすがに騙されませんよ」
◇◇◇
藤原市は、住民が「都会じゃないけど田舎でもない」と言い張る程度には田舎で、中心部から少し離れただけで山や田んぼに出くわすことになる。奥地に行けば、未だにたくさんのホタルが見られるという話もあるくらいだった。
共律高校のそばにも恒和山という山があって、僕と先輩はその俳キング……じゃなかったハイキングコースを並んで歩いていく。
幸いにも、今日は春らしい晴天に恵まれたようだった。日差しは柔らかく、時折吹く風は爽やかで、思わず心地のいい気分になる。
それは自然にとっても同じようで、葉っぱや草が気持ちよさそうに青々と生い茂っていた。その様子を見ていると、なんだかますます心地のいい気分になってくる。
「ショースケは何か知ってる俳句はありマスか?」
「『柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺』くらいなら」
「オー、正岡子規デスね。私も好きデス。俳句が確立されたのも、子規の影響が大きいデスから。句なら、『いくたびも雪の深さを尋ねけり』や『卯の花の散るまで鳴くか子規』あたりが好きデス」
俳句ガチ勢の意見に僕は圧倒される。吟行についてくるだけでいいと言われたけれど、僕なんかで相手が務まるだろうか。
ただ、先輩が知ってる俳句について尋ねてきたのは、どうやら初心者向けに解説するのが目的らしかった。
「それじゃあ、ショースケはそもそも俳句とは何か分かりマスか?」
「え? えーと、五文字・七文字・五文字でできてて、季語?があって……」
「大体それであってマスね。〝りゅ〟や〝きゃ〟は一音として数えるので、先程の『柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺』も五音・七音・五音のリズムになっていマスし、さらに秋の季語の『柿』が入ってマス。
ちなみに、季語というのは、簡単に言えば季節を感じさせる言葉のことデス。『柿』と聞けば、大半の人は秋を想像しマスからね」
なんとか60点か70点くらいは取れたようだ。先輩の言葉を聞いて内心ホッとする。
「でも、俳句の中には、無季俳句といって季語のないものもありマスよ」
「へー」
「さらに自由律俳句といって、季語も五七五も無視したものもありマス」
「えー」
相槌にこもった感情が驚きから不満に変わる。それはもう俳句でも何でもないのでは……
「たとえば、種田山頭火の『分け入つても分け入つても青い山』が有名デショウか」
「ああ、なんか聞いたことある気がします」
僕は見栄を張るでもなく頷く。きっと教科書に載っていたか、才川さんから聞いたかしたんだろう。
「でも、『青い山』っていうのは季語じゃないんですか?」
「いいところに目をつけマシタね。『青嶺』なら夏の季語になってマスけど、『青い山』は違うんデスよ」
先輩はさらに「そもそも自由律俳句は、季語に囚われないというだけで、季語に当たる言葉を一切使わないわけじゃないんデスけどね」と付け加える。なんだかややこしい話のようだけど、とにかく『分け入つても~』の句が、季語も五七五も無視したものということだけは分かった。
「それだけルールを破ってても俳句扱いなんですね」
「そう思いマスよね。実際、無季俳句はまだしも、自由律俳句は認めないという人は結構いマスよ」
「先輩は?」
「私はわりと好きデスよ。尾崎放哉の『こんなよい月を一人で見て寝る』とか。ただ作るのは普通の俳句ばっかりデスけどね」
そう答えられると、新しい疑問が湧いてくる。
「どうしてですか?」
「五七五や季語の縛りがあった方が、かえって作りやすいんデスよ。空の絵を描けと言われれば下手糞なりに描けマスけど、好きに描けと白い紙だけ渡されても困ってしまいマスから」
「なるほど」
たとえ話のおかげで、未経験でもなんとなく理解できたような気がする。
そんな僕の様子を見て、先輩は言った。
「というわけで、ショースケもまずは俳句の基本に則って作ってみマショウ!」
「いや、作りませんけどね」