第五章(1/4)
朝、僕はあくび交じりに登校する。きりよくボス戦まで進めようと、昨日は遅くまでゲームをやっていたせいで、どうにも睡眠不足なのである。
が、学校に着くと、一瞬で目が覚めた。
下駄箱に手紙が入っていたのだ。
「うえっ」
見た瞬間、「ラブレター」の五文字が頭に浮かんで、思わず変な声が出た。
次に浮かんだのは、「誰が?」という疑問だった。確かめてみたけれど、少なくとも封筒には名前はない。
だんだん冷静になってくると、今度は「そもそもラブレターなのか?」と思い始める。よく考えなくても、ラブレターをもらうようなあてはなかった。もちろん、僕が好意に気づいていないだけという可能性も0とは言えないけど、柳井田君あたりのイタズラの方がよっぽどありえそうである。
となると、さっきの奇声は仕方ないとしても、これ以上みっともない真似をするのはまずいだろう。ここで手紙を確認しに慌ててトイレにでも駆け込んだら、卒業したあともずっとネタにされかねない。そう考えた僕は、興味なさそうに淡々とした素振りで手紙をカバンにしまうと、真っ直ぐ教室へと向かった。
しかし、教室に到着しても、一向にネタばらしの気配はなかった。普通に挨拶したり会話したりするだけで、探りを入れてくるクラスメイトさえいない。柳井田君とも球技大会やモンハンの話をしただけだった。疑ってごめん。
今度こそ誰かネタばらしに来たかと思えば、才川さんという始末である。
「おはよう、天草君」
「……おはよう」
ここまで誰も何も言ってこないのを見ると、あの手紙は本当にラブレターだったんだろうか。それなら、早く差出人の名前を確認したい。わざわざ席まで来てもらって悪いけど、才川さんと話している場合じゃあ――
「手紙はもう読んでくれたかい?」
「うえっ」
また変な声が出た。
「あれ、才川さんが入れたの?」
「……そうだけど」
普段のクールなポーカーフェイスが崩れて、才川さんは緊張にこわばった表情を浮かべていた。信じられないけれど、これで才川さんのイタズラというパターンも消えた。
しかし、まさか本当に才川さんからのラブレターなんだろうか。
「あの、今読もうか?」
「恥ずかしいから手紙にしたんだが…… 仕方ないか」
気まずさでお互いがお互いから目を逸らすように、才川さんはそっぽを向き、僕は手紙を読み始める。
文面はいたってシンプルだった。
沈む陽と何が違うか落ちる柿
「俳句かよ!」
周りの迷惑も考えず、僕は大声を上げる。本人の前でなければ、手紙を引き裂くか床にたたきつけるかしたかもしれない。俳句かよっ!
「俳句かよって、寄稿してほしいと言ったのは君じゃないか」
「それはそうだけど」
こんなまぎらわしいことをしなくても……と抗議しかけてやめた。わざわざ「ラブレターと勘違いした」なんて、自分から恥をかきにいかなくたっていいだろう。
「前に、作る方は興味ないとか、人に読まれるのが恥ずかしいとか言ってなかった?」
「球技大会の件で、俳句部にはお世話になっているからね」
「律儀だなぁ」
僕もエミー先輩も、そんなこと気にしないのに。
そう考えたあと、僕は以前寄稿を断られた時の会話をさらに詳しく思い出す。
「でも、文芸部はどうするの? 俳句部にだけ寄稿するのはまずくない?」
「文芸部の方も書く気でいるよ」
「へー、どんな話?」
「小説じゃなくて評論だよ。単に好きな本を薦めるだけになるかもしれないけど」
「ああ、そっか。その手があったね」
納得いった。
納得いった分、気になることもあったけど。
「でも、俳句部に寄稿する為に、そこまでしてもらうのは……」
「君が気にすることじゃないよ。元々、文芸部に入ったのに、読むだけというのももったいない気がしていたからね」
本心もあるだろうけど、僕への気遣いもあるんだろう。才川さんはそう言うと、照れ隠しするようにすぐに話題を変えた。
「それで、私の俳句はどうかな?」
「ああ、うん。詳しいわけじゃないから大したこと言えないけど、いい句だと思うよ。秋の風物詩を上手く対比してるっていうか」
秋の風物詩で、橙色で、落下するものという共通点があるのに、沈む夕日は儚く美しいものとして扱われる一方、落ちる柿は無残で惨めなものとしか思われない。才川さんはその哀れさや虚しさを詠んだんだろう。きっと。
どんな評価をされるか不安だったらしい。僕の感想を聞いて、「それならよかった」と、才川さんはホッとしたような照れたような表情をわずかに浮かべる。
しかし、僕からすれば、自分の解釈が本当に正しいのかどうかが不安だった。
「……やっぱり、これって秋の句なんだよね?」
「そうだよ。『柿』は秋の季語だからね」
当然とばかりに才川さんはそう答えた。
僕が何に戸惑っているかはすぐに伝わったようだ。才川さんは続けて言った。
「別に、今の季節の句を詠まなきゃいけないなんてルールはないんだろう? あとで読む人からすれば、いつ作られたかなんて関係ないんだし」
「まぁ、そうだけど……」
吟行に出かけて、実際の自然や風景を観察して俳句を詠むエミー先輩の姿が、僕の中では印象づけられていた。だから、そうでない作り方に少し違和感があったのだ。
「でも、寄稿してくれてありがとう。先輩も絶対喜ぶよ」
僕がそうお礼を言うと、才川さんはフッと笑みをこぼす。
「蛙女房だね」
どういう意味か分からずポカンとする僕に、才川さんは「いや、なんでもないよ」とだけ言った。
◇◇◇
才川さんが「詳しい人に目の前で読まれるのは、さすがに恥ずかしいから」と言うので、エミー先輩には昼の休憩時間ではなく、部活の時間に手紙を見せた。
「ショースケの言う通りデスね。私もいい句だと思いマスよ」
「Wow!」だの、「Awesome!」だの、寄稿をひとしきり喜んだあと、先輩はそんな感想を口にする。
僕にはそれが少し意外だった。
「エミー先輩は季節感とか、自然観察とかを重視するタイプだと思ってたんですけど……」
「確かに、私はその場で見つけたものでアドリブ的に作ることが多いデスけど、思いついたネタをしばらく温めておいたり、想像も織り交ぜて詠んだりするって人もいマスからね」
「そうなんですか?」
「たとえば、『柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺』だってそうデスよ。日記によれば、子規が実際に柿を食べながら聞いた鐘の音は、法隆寺ではなく東大寺のものだったみたいデスから。
また、『古池や蛙飛びこむ水の音』も、芭蕉は家の外から聞こえてきた音で、まず『蛙飛びこむ水の音』と詠み、それに合うものは何か考えて、あとから『古池や』をつけたしたんだそうデス。
デスから、子規も芭蕉も、自分の見聞きしたものをそのまま句にしたわけではないんデスね」
そういう作り方もあるとは思わなかった。どうも僕が勝手にエミー先輩を俳人のモデルにし過ぎていたようだ。
「もしかしたら、ルイカは柿と夕日のことが強く印象に残っていたので、季節を無視してでも今俳句に詠み込みたかったのかもしれマセン。
それに、これはこれで、春なのに秋の風景が思い浮かぶようで、素晴らしいと思いマセンか?」
「そうですね。才川さんにもそう伝えておきますよ」
僕と違って、俳句ガチ勢の先輩まで褒めたのだ。才川さんも喜ぶだろう。いや、それより照れるかな。
「でも、俳句部が文芸部に先を越されるっていうのはどうなんデスか?」
「うっ」
思わぬ流れで、口撃を喰らってしまった。
「ま、その内作りますよ、その内」
「エー」
露骨に適当な返事をする僕に、エミー先輩はそう抗議の声を上げた。
それから、
「『ルイカの句見習いなさいショースケも』!」
「できるならそうしたいですけど……」
「『才川の水で育てよ天の草』!」
「何でちょっとかっこよく言い直したんですか。思いついちゃったんですか」
「思いついちゃいマシタ」
などと、僕と先輩がぐだぐだ話している時のことだった。
普段は僕たち以外誰も出入りしない部室のドアが、ゆっくりと遠慮がちに開かれた。
「あの……」
リボンの色からいって二年生――年上だから、こういう感想もどうかと思うけど、リスやハムスターを連想させるような、小柄で童顔の可愛らしい感じの人だった。
彼女の姿を目にした瞬間、エミー先輩は目を輝かせる。
「入部希望の方デスか!」
「い、いえ」
返答にあからさまに落胆するエミー先輩を見て、「え、えっと……」と件の二年生はおろおろしてしまう。やっぱり小動物っぽい。
しかし、今のはどう考えてもエミー先輩が悪いだろう。「入部希望の方デスか?」でも先走り過ぎなのに、「入部希望の方デスか!」って……
エミー先輩に任せておくとらちが明かないので、代わりに僕が話を引き取る。
「どうかされましたか?」
小動物系の先輩はちょっと迷ったような顔をしたあと、それでも意を決したように口を開いた。
「俳句部に人探しを頼みたくて」




