第四章(4/4)
「アメリカ人だからって、どういうこと?」
かえって話が見えなくなってしまったせいで、僕はついオウム返しに尋ねる。
「昨日はイースターだったじゃないか」
「……それと弁当に何の関係が?」
僕の理解がまったく追いついていないことを、やっと理解してくれたらしい。才川さんは基本的な話から始める。
「君、イースターがどんな風習か知っているかい?」
「それは、こう、卵を飾ったりする……」
つまり、知らないという意味である。
「簡単に言えば、イースターというのは、処刑されたはずのイエス・キリストが死後に復活を遂げたことを記念する行事だよ。だから、復活祭なんだ。
卵を飾るのは、孵る前の卵が生命の始まりを象徴していて、復活祭にふさわしいシンボルになるからだよ。同じような理由で、多産のウサギもまた復活祭では重要視されているね」
イースターエッグって、そんな意味があったんだ。正直、今までは単にカラフルで可愛いくらいにしか思ってなかった。
「また、イースターの食事では、ローストラムやデビルドエッグのような、肉や卵を使った豪勢な料理を用意するのが一般的なんだ」
「それで今日はあのメニューだったってこと?」
「違うよ。イースターは昨日だって言ったばかりじゃないか」
「ああ」
恥ずかしい。結論を焦り過ぎたようだ。
前提となる話が終わって、才川さんはようやく本題に入った。
「イースターの前の四十日間――正確には安息日の日曜日も含めた四十六日間をレントや四旬節、あるいは受難節と呼ぶ。これはキリストが復活した日を前にして、自分の生活を省みる期間だとされている。
具体的には、キリストが四十日間荒野で断食したことにちなんで、レントの間は食事の量を減らしたり、肉や卵を食べるのを控えたりするんだ。イースターで肉や卵を食べるのは、それらが解禁されるからだよ。
だから、エミー先輩が〝普段はこんな感じだ〟と言っていたのは、今までレントで節制していたのが終わって、食事の内容が元に戻ったという意味だろうね」
エミー先輩のこれまでの昼食のメニューは、材料に穀物を使うパスタや、野菜を使うサラダがメインで、あとはせいぜい魚を使うフライやソテーが見られたくらいだった。
一方、レントが終わった今日は、材料に肉を使うホットドッグに加えて、卵を使うオムレツやエッグタルトまで持ってきていた。
その為、エミー先輩がキリスト教の教義に則って行動していた、という才川さんの推理には説得力が感じられるのだった。
ただ本人はまだ不完全だと思っているようで、さらに推理の裏づけまで追求し始める。
「先輩からは何か聞いてないの?」
キリスト教が関係していると言われれば、思い当たることがあった。以前部活中に、先輩とそんな話をしたのだ。
〝ちょっと歩きマスが、今日は吟行がてら神社までお参りしに行きマショウか〟
〝よく行かれるんですか?〟
〝よくというほど熱心なわけじゃないデスよ。私は一応クリスチャンデスから〟
「そういえば、前にクリスチャンだって言ってたね」
「じゃあ、これで確定かな」
才川さんはさして感慨もなさそうに淡々と言う。
しかし、僕は心底ホッとしていた。あのメニューは病気のせいでもなんでもなかった。僕の取り越し苦労に過ぎなかったのだ。
落ち着いて考えてみれば、そもそもエミー先輩は、あと数年で死ぬような病気ではないと説明していた。あくまで、人並みに長生きするのが難しいだけだと。どうも病気と聞いて、神経質になり過ぎていたようだ。
そんな安堵の気持ちが徐々に収まってくると、今度は羞恥心が湧いてくる。なんて空回りをしていたんだろう。
だから、その羞恥心を打ち消すように僕は言った。
「まさかイースターが関係してるとは思わなかったなぁ」
「キリスト教の行事だから、日本人に馴染みがないのも仕方ないよ。それにイースターの日付は毎年変わる上に、日付の計算方法が『教会暦の春分の日である三月二十一日以降で、最初に満月になる日よりあとの最初の日曜日』とかなりややこしいしね」
「ええと、具体的にはいつなの?」
「三月二十二日から四月二十五日の間のどこかということになるはずだよ」
まさか一ヶ月以上も幅があるとは…… クリスマスと違って、いまいちマイナーな理由が分かった気がする。
「第一、クリスチャンでも、イースターはともかく、レントは現代ではあまり意識していないようだからね」
「そうなの?」
「うん、決まった曜日だけ節制すればいいはずだよ。それも年齢によって免除されたり、ボランティア活動を節制の代わりとすることができたりするようだし。なかには、肉や卵じゃなくて、アルコールを断つようにしている人もいるらしいよ。
しかも、この話もほんの一例で、レントの期間にどんな生活を送るかというのは、宗派や信仰の深さなんかで結構ばらつきがあるみたいだね。そう考えると、先輩は比較的敬虔なクリスチャンなのかもしれない」
「へー」
エミー先輩の楽天的な性格が先入観になって、宗教に熱心なイメージを今まで持てなかった。だから、仮に僕に知識があっても、レントの影響だとは推理できなかったかもしれない。才川さんに相談してみてよかった。
「一応あとで確認してみるけど、ありがとう。安心したよ」
「安心って、病気か何かだとでも思ったのかい?」
「…………」
図星を突かれて、僕は黙り込んでしまう。才川さんなら、勘ではなく推理した上で言っている可能性があるから恐ろしい。
「人がいいね、君は」
やはり僕は答えない。もっとも、今度は照れくささのせいでだけど。
そんな僕を笑うでもなく、才川さんは真面目な顔つきで言った。
「でも、弁当のメニューを気にするよりも、俳句を詠んであげた方が先輩は喜ぶんじゃないかな。確か、イースターもレントも季語になっているはずだから、ちょうどいいだろう」
「そうだね……」
イースター、レント、復活祭、受難節……
そうしてしばらく考えた末、僕は首を振る。
「いや、やめとくよ。馴染みがなくて思いつきそうにないから」
今はどうしても俳句を詠む気になれないのを、僕はそんな言い訳で誤魔化した。




