第四章(1/4)
「ふーん、結局俳句部に入ったのか……」
才川さんはそう意味深げな相槌を打った。
朝のSHR開始前、僕は入部の件を才川さんに報告していたのだ。
「でも、幽霊部員は禁止のはずだろう? 真面目に部活をやるつもりなのかい?」
「一応は」
「あれだけ帰宅部をやりたがっていたのに、随分な心境の変化だね」
「…………」
エミー先輩が「心配かけるのも申し訳ないデスから」と言うので、才川さんには先輩の病気の件は伏せてあった。この前倒れたことも、ただの貧血としか伝えていない。
僕が先輩の病気に気づけたのは、部員として先輩の言動を知る機会に恵まれていたからである。俳句部の活動が話題に上がることもあるとはいえ、一言一句正確に話しているわけではないので、いくら才川さんでも僕と同じように推理するのは無理だろう。多分。
そういうわけだから、僕は先輩の病気とは全然無関係の入部理由をひねり出す。
「季語の話とか聞くのは結構面白いから、もうちょっと続けてみようかと思って。嫌になったら他の部に行けばいいし」
「そうか。君、最初の吟行の時から楽しそうだったものな」
口からでまかせのつもりのはずが、案外簡単に納得されてしまった。才川さんからはそう見えているんだろうか……
ということを深く考える暇もなく、才川さんは続けて言った。
「でも、そういうことなら、バレーの練習はやめにしようか」
「え?」
「だって、俳句部に入ったんだろう? 私に付き合わせるのも悪いじゃないか」
「それはそうだけど……」
途中で特訓をやめたら、今度は才川さんに悪いだろう。自分から提案したことだけに、僕には責任もあるはずだ。それで、「まぁ、その件については考えておくよ」と曖昧に答えるのだった。
「それはそうと、才川さん俳句に興味ない?」
「早速勧誘?」
「いや、別に部に入らなくてもいいんだよ」
「?」
才川さんが不思議がる。普段は何でもお見通しみたいな顔をしているから、なかなか珍しい表情だった。SRくらいかな。
「エミー先輩、文化祭で部誌というか句集を出したいみたいなんだけど、部員二人じゃあ俳句の数が足りないかもしれないでしょ? だから、寄稿を頼めないかと思って」
「ああ、なるほど」
去年の俳句部は先輩一人だったから、句集は諦めて展示会を開いたと言っていた。そこに俳句が作れるか分からない僕が加わったところで、状況はほとんど変わらないだろう。だから、せめて句集の発行に協力できないか知恵を絞った結果、僕は寄稿を募ることにしたのだった。
才川さんも俳句作りは未経験とはいえ、僕と違って読書家だから文学の素養は十分で……と期待していたのだけれど、いかんせん本人は気乗りしないようだった。
「でも、先輩にも言ったけど、私は作る方はちょっとね」
「やっぱり、興味ない?」
「それもあるけど、作品を作って発表するというのは気恥ずかしいから」
「それは分かるよ」
音楽や美術の授業で、人前で歌わされたり、絵を展示されたりしているわけで。俳句を発表したことがなくても、その照れくささはなんとなく理解できる。
「文芸部を差し置いて、俳句部に寄稿してもらうのも変だし、仕方ないかー」
「悪いね」
「いやいや」
才川さんが気にするようなことじゃないだろう。俳句部の――というか、ほぼ僕の問題なんだから。
「でも、才川さん、小説の方も書く気ないの?」
「ないね」
やっぱり、学校生活に憧れがあるんだろう。一度はそう否定しておきながら、才川さんはすぐに前言撤回する。
「でも、俳句を詠むよりは、小説を書く方が興味あるかな。私は正岡子規よりも夏目漱石だから」
「…………」
僕は思わず黙り込む。
不意に出てきた子規の名前から、先輩の病気を連想してしまったのだ。
◇◇◇
「Hello!」
放課後、俳句部の部室へ行くと、エミー先輩がそう明るく挨拶してくる。
対照的に、僕の返事は「……どうも」と静かなものだった。
常にというわけではないけれど、先輩と顔を合わせていると、どうしてもその病気のことを意識せずにはいられない時があるのだ。
早逝するかもしれないという先輩の境遇には同情してしまう。しかし、先輩のことだから、腫れ物に触るような扱いは嫌がるだろう。かといって、病気への配慮や気配りを一切しないのもまた違うような気がする…… 僕はそんな風に堂々巡りに陥って、結局「なんとなく気まずい」という態度しか取れなくなっていたのである。
エミー先輩が病気のことを隠していたのは、こうやって周りに気を遣わせるのが嫌だったからなんだろう。勝手に秘密を暴いたあとで、そのことがやっと分かった。
「そういえば、先輩に質問があるんですけど」
「何デス?」
挨拶での失敗を取り返す為に、僕は自分から話題を振った。都合のいいことに、俳句について気になっていたことがあったのだ。
「もしかして、夏目漱石って俳句を詠んだことがありますか?」
「エエ、よく知ってマスね」
「才川さんがそんなようなことを言っていたので」
才川さんのことだから、まさかシキとソウセキというだけのダジャレではないだろうと思っていたけれど、予想通りだったようだ。
「漱石は子規の親友デシタからね。その影響で俳句を詠んだことがあるんデスよ」
「あ、そうなんですか」
才川さんの発言は、ダジャレどころか、二人の関係を踏まえた上でのものだったらしい。
「子規といえば、『柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺』という句が有名デスが、これは漱石の詠んだ『鐘つけば銀杏ちるなり建長寺』という句が元になっているという説がありマス。
反対に、負けず嫌いという意味の『漱石』というペンネームは、元々子規が俳号に使っていたものを漱石がもらい受けたんだそうデスよ」
「へー」
そもそも漱石という言葉の意味でさえ初耳である。僕は素直に驚いていた。
「漱石の詠んだ句の中で、記録上最も古いとされているのは、ホトトギスの別名不如帰にちなんだ、『帰ろふと泣かずに笑へ時鳥』という句だと言われていマス。これは結核を発病した子規を励ます為に作ったものだそうデスよ」
「へ、へー」
僕は上ずった声でそう答える。
単に子規の名前が出ただけの時はまだ無視することができたけれど、結核の話題にまで触れられたらそうもいかない。先輩の病気を意識してしまって、どうしても気まずい気持ちになってしまう。
そんな僕に、エミー先輩は言った。
「というわけで、ショースケも病気の私の為に俳句を詠んでくだサイ!」
僕は思わず咳き込んでいた。
「大丈夫デスか?」
「え、ええ」
気力でなんとかそう答える。病人に体調を心配されるというのも、なんだかおかしな話だけれど。
僕の無事を確認すると、エミー先輩は改めて言った。
「では、病気の私の為に俳句を――」
「病気を都合よく利用しないでください」
二度目ということもあり、僕は先輩に厳しく当たる。
以前していたような気安い会話がやっとできたな、と思いながら。




