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鳴かぬなら!‐共律高校俳句部の事件簿‐  作者: 我楽太一
第三章 彼女は呼子鳥なのか?
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第三章(2/4)

「――というわけで、昨日は部活を休んだんです」


「そういうことなら仕方ないデスね」


 僕の説明を聞いて、エミー先輩はようやくつり上げた眉尻を下ろした。


 放課後にバレーの特訓をすれば、当然部活には出れない。僕はともかく、部活を楽しみにしている才川さんはそれでは困るだろう。そういうわけで、特訓は週に二、三回程度にしようという話になった。


 そして、今日は俳句部の方に顔を出した結果、エミー先輩のお説教を喰らう羽目になったのである。


「でも、今度からはちゃんと連絡してくだサイね。昨日はとうとうショースケにも見捨てられたかと思って、心が折れるところデシタから」


「僕は仮入部なんですが……」


 無断で休んだくらいで、怒られなくちゃいけない立場だろうか。


 それに、そろそろ学校の定めた仮入部期間も終わる。言い換えれば、そろそろ幽霊部員をやる為に、僕が他の部活に入る時期が来るのだ。エミー先輩はそこのところを分かっているんだろうか。


 まったく分かっていなさそうな陽気な顔で、先輩は尋ねてくる。


「ところで、女子はバレーでいいとして、男子は何をやるんデシタっけ?」


「野球です」


「オー、そうデシタ! いいデスよね、ベースボール!」


 目を輝かせながら、先輩はバットを振る仕草をした。経験者なんだろうか。腰の入った、なかなかいいスイングである。


「先輩、野球が好きなんですか?」


「ハイ、見るのもやるのも好きデス。ミドルスクール時代は強肩強打で鳴らしたものデスよ」


「ポジションは?」


「主にショートストップを守ってマシタ」


 日本では投手ピッチャーが花形だけれど、アメリカでは遊撃手ショートがそうだという話を聞いたことがある。先程のスイングといい、エミー先輩はスポーツが得意なようだ。


 かと思えば、先輩は俳句部らしい話をするのも忘れなかった。


「ちなみに、正岡子規も野球が好きだったみたいデス。幼名ののぼるにちなんで、野球のぼーるという俳号を使ったこともあるほどだと言われていマス」


「ああ、なんか聞いたことありますね」


 野球が日本に伝わった時、用語の多くを翻訳したのは正岡子規だったそうである。その内、打者や四球といった一部の言葉は今でも使われている。


 運動音痴のわりに、才川さんはこういう話には詳しくて、以前「ベースボールを野球と訳したのは、正岡子規じゃなくて中馬ちゅうまんかなえだけどね」と訂正されたことがあった。さらに言えば、遊撃手もそうらしい。


 しかし、僕が今思い出したのは、そのエピソードではなかった。


「そういえば、子規ってホトトギスのことなんですよね?」


「ええ、そうデスよ。彼が子規という俳号を名乗った理由の一つは、本名が常規つねのりだったことデス。子規ほととぎすと字面が似ていマスからね」


 授業でもするように、エミー先輩はホワイトボードに漢字を書いて説明した。


「もう一つの理由は、子規が結核を発病し、喀血したことデス。当時、結核は不治の病だった為、子規は若くして自分に残された時間が長くないことを悟りマシタ。

 一方、ホトトギスは激しく鳴くことと口の中が赤いことから、鳴いて血を吐く――自分の命を削りながら歌うと言われることがありマス。

 デスから、子規は病気の俳人である自分を、ホトトギスに重ね合わせたわけデスね」


「へー……」


 そんな悲劇的な理由があるとは思ってもみなかった。だから、僕はどんな反応をすればいいのか困ってしまう。


 その上、エミー先輩の話はそれで終わらなかった。


「またホトトギスは夜でも鳴くことから、現世と死後の世界を行き来していると考えられていマシタ。その為、魂迎鳥たまむかえどり死出しで田長たおさと呼ばれることもありマス。もしかしたら、このあたりも子規が俳号に選んだことに関係しているのかもしれマセン」


 だとすれば壮絶である。僕はますます反応に困ってしまう。


 エミー先輩も暗い話をし過ぎたと思ったのだろう。一転して、明るい口調で言った。


「ホトトギスに関する伝承は他にもありマスよ。昔、古蜀の王様である杜宇とうは、農耕によって国を栄えさせマシタ。そして、死後もホトトギスとなり、その歌で田植えの季節を知らせてくれるようになったのデス。

 この伝承から、ホトトギスは杜宇や蜀魂しょっこんという別名で呼ばれるようになりマシタ。また、ホトトギスは不如帰ふじょきとも言いマスが、これは国を滅ぼされたことを嘆いた杜宇が『帰り去くに如かず』、つまり『帰りたい』と鳴いたことに由来しマス。

 日本でも五月の田植えの季節に鳴くので、早苗鳥さなえどり勧農鳥かんのうちょうと呼ぶことがありマスね。同じく、卯月――旧暦四月(現在の五月頃)に鳴くことから卯月鳥うづきどりとも言いマス。そもそも漢字で時の鳥と書くのも、ホトトギスが季節の変化を告げる鳥だからだそうデスよ」


「随分たくさん別名があるんですね」


「他にもまだまだありマスよ。文目鳥あやめどり偶鳥たまさかどり妹背鳥いもせどり……」


「えぇ……」


 それぞれの由来の説明を聞くだけで日が暮れそうである。というか、先輩もよく知ってるなぁ。


「ちなみに、子規もたくさんの俳号を使っていマシタ。越智おち処之助ところのすけたけ里人さとびと獺祭書屋だっさいしょおく主人しゅじん…… そういうところも、ホトトギスっぽいデスね」


 と、エミー先輩は最後にそう言って話をまとめた。


 だから、僕は気になっていた質問をようやくする。


「そういう先輩は俳号ってあるんですか?」


「もちろん!」


 よくぞ聞いてくれマシタ! とばかりに、エミー先輩は勢い込んでホワイトボードに文字を書いていく。


「私の俳号は青山あおやま鶯子おうこといいマス!」


 ちょっと考えてみたけれど、分からないので素直に尋ねる。


「青山は『山笑ふ』から来てるとして、鶯子というのは……」


「鶯というのはウグイスのことデス。ウグイスは鳴き声の美しさから歌詠鳥うたよみどりと呼ばれていることにちなんでつけマシタ」


 前に『鶯』は春の季語だと先輩は言っていた。おそらく、同じ春の季語である『山笑ふ』からの連想でつけたんだろう。


「その季節で初めて鳥が鳴く声を初音はつねと言いマス。夏のホトトギスや秋の雁の初音もとても人気がありマスが、普通初音といえば春のウグイスのものを指しマス。それほどウグイスの鳴き声は愛されていたのデスね」


「へー」


「もっとも、現代で人気のある初音といえば、ミクさんのことのようデスが」


 そう説明しながら、エミー先輩はホワイトボード用のマーカーをネギの代わりに振り回す。先輩も好きなんですね。


「ウグイスには、他に別名はないんですか?」


「鳴き声が『法華経ほけきょう』と聞こえるので経読鳥きょうよみどり、あるいは『人来ひとく、人来』――つまり人が来ると聞こえるので人来鳥ひとくどりとも言いマス」


 そういえば、呼子鳥――春に人を呼ぶような声で鳴く鳥――の正体は、ウグイスだという話だった。カッコウやホトトギスも候補らしいけど。


「また、春の鳥ということで、春鳥はるどり春告鳥はるつげどり報春鳥ほうしゅんちょうとも呼ばれていマス」


 これは夏の鳥のホトトギスが、早苗鳥や卯月鳥と呼ばれるのと同じ発想だろう。ということは、雁にも何か秋にちなんだ別名があるんだろうか。


「それから、花見鳥はなみどりというのもありマスね」


「お花見の花見ですか?」


「ハイ。もっとも、『梅に鶯』と言うくらいデスから、ここでいう花は桜ではなく梅のことかもしれませんが」


 先輩の話に、僕は「ああ」と声を上げる。


「花が桜のことを指すようになったのは平安時代からで、奈良時代は花といえば梅のことだったらしいですね」


「その通りデス。よく知ってマスね」


「ちょうどこの前、古典の授業でやったばっかりなんですよ」


 普段そんなに真面目に授業を聞いているわけではないけれど、以前エミー先輩が「花=桜」と解説していたこともあって印象に残っていたのだ。


「じゃあ、せっかくデスから、『鶯』で一句詠んでみマショウか」


 先輩は唐突にそう言ったかと思えば、次の瞬間にはもう完成させたようだった。


「『寝入るふりしてでも聞きたき初音かな』」


「警戒心を解く為に寝たふりをするくらい、ウグイスの鳴き声が待ち遠しい……って意味でいいんですか?」


「そうデス。不慣れで下手糞でも見ないふりをしてあげるから、ショースケも早く俳句を詠みなさいって意味デス」


「何度も言いますけど、僕は仮入部ですからね」


 分かっていないようだから、改めてそう繰り返しておいた。大体、『鶯』は先輩のことでしょうが。


 それから、『梅』も当然春の季語だとか、『ねぎ』は冬の季語だとか、ネギにも『一文字ひともじ』や『根深ねぶか』という別名があるとか、正岡子規の話題から脱線したまま話が続き、気がつけば下校時刻になっていたのだった。


 言い出しづらいけれど、言うなら今このタイミングしかないだろう。僕は「あの」と先輩に声を掛ける。


「才川さんのバレーの練習があるので、明日も休みたいんですけど」


 その瞬間、エミー先輩は家族の訃報でも知らされたかのような表情を浮かべた。休む時は事前に教えろと怒っていたくせに、教えたら教えたでこれである。結局、先輩的には休むこと自体がNGなのだろう。


「そんな顔しないでくださいよ」


 そうなだめてみたけれど、簡単には納得してくれなかった。先輩は「うーん……」と不満げに考え込んでしまう。


 そして、考え込んだ末、閃いたように目を見開いた。


「それでは、私も練習に参加しマス!」

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