第一章(1/4)
「では、ゲームをしマショウ」
先輩は唐突にそう宣言した。
「私のファーストネームを当ててくだサイ。もし不正解だった場合は、入部してもらいマス」
いろいろ言いたいことを飲み込んで、僕は一番重要な点を尋ねる。
「……一応確認しときますけど、論理的に答えが出せるんですよね?」
「ええ、ゲームデスから。今までの話の中に、ちゃんとヒントが出てマスよ」
◇◇◇
「じゃあな」
「バイバイ」
そう口々に言うクラスメイトたちに、僕――天草照介は「またね」と答える。同中の生徒が全然いない高校に来てしまったけれど、幸いにも滑り出しは上手くいったようだった。
「それじゃあ、僕たちも帰ろうか」
『たち』というのは、クラスにただ一人の、中学時代からの友達である才川さんのことだった。
小柄で童顔の僕とは対照的に、才川さんは長身で大人びた顔つきをしていて、同中の贔屓目抜きに美人である。実際、「髪がサラサラ」とか、「肌が白い」とか、「クールな表情がイイ」とか、「胸がもっと大きければ完璧だったのに」とか、男子に早くも目をつけられているくらいだった。
しかし、僕が声を掛けた瞬間、才川さんはその整った顔に奇妙な表情を浮かべていた。
「帰るって、君、今日からの仮入部はどうするつもりなんだ?」
「どうするもこうするも関係ないよ。帰宅部だから」
「帰宅部はないよ」
「え?」
驚く僕を見て、才川さんはますます険しい顔をする。
「呆れたな。生徒は全員部活に入らなくちゃいけないと、あれほど説明されたじゃないか」
「何でまたそんなルールが?」
「生徒が健全で充実した学生生活を送る為……というのは建前で、受験だの就活だので部活経験があった方が有利だからじゃないかという話だよ」
最初に聞いた時は面倒な制度だと思ったけど、生徒の将来を考えてのことだったようだ。そう感心する僕に、才川さんは「進学率や就職率が下がると、学校のブランドに関わるからね」と現実的な意見を言った。
「それじゃあ、みんな本当に部活やってるの?」
「いや、聞いたところによると、適当な文化部に入って幽霊部員で済ませる生徒も少なくないみたいだね」
「へー」
「あとは勉強部といって、受験対策をする部に入る生徒もいるみたいだよ」
「それはパスかな」
宿題をやるくらいならともかく、受験勉強まではしたくない。三年生になったら考えるかもしれないけど……
「そういう才川さんは何部に入るつもりなの?」
「文芸部だよ」
「本好きだもんね」
なにしろ、この前の自己紹介でも、「私は才川泪香です。黒岩涙香みたいな名前ですけど、ルイコウじゃなくてルイカと読みます」と言って、クラスのみんなから「誰?」「名前くらいなら聞いたことあるけど……」という反応をされていたくらいだった。
「てことは、真面目に部活やる気でいるんだ?」
「まあね。肌に合わなければ、幽霊部員にスライドすればいいわけだし」
才川さんらしい冷静な意見である。しかし、その目はそうは言っていなかった。
才川さんは生まれつき体が弱くて、幼い頃から入退院を繰り返していたらしい。やっと学校にまともに通えるようになったのは、中三の後半からという有様だった。だから、学校生活、ひいては部活に憧れがあるんだろう。
そんな期待と緊張がうっすら滲んだ声色で、才川さんは尋ねてくる。
「君も一緒に行くかい?」
「そうだね……」
中三で初めて黒岩涙香の話を聞いた時は、やっぱり僕も「誰?」ってなったくらいで、才川さんに薦められたものを除けばろくに本なんて読んだことがない。才川さんもそれは承知の上で、最悪形だけでも入部すればいいと誘ってくれたんだろうけど――
「でも、二人で仮入部に行って、僕だけ〝幽霊部員希望です〟っていうのもね。才川さん、そのあと先輩たちと気まずくならない?」
「……それはそうかもしれないね」
才川さんが表情を固くする。僕のことが気がかりだけど、部員との人間関係を考えると誘いづらい……といったところだろう。
それに、僕だって部活を楽しみにしている才川さんの邪魔をしたくはなかった。
「僕のことは気にしなくていいよ。適当に他の部でも当たってみるから」
◇◇◇
「その調子だと、どうせ家に置いてきたんだろう? もう必要ないから、私のをあげるよ」
文芸部の部室に行く前に、才川さんはそう言って小冊子を残していってくれた。教師が作った部活の一覧表と部室棟の見取り図、それから部員がそれぞれ作った部活のPRが掲載されているそうだ。
「残念ながら、ゲーム部やe-sports部はないみたいだけどね」
僕の趣味を踏まえて、才川さんはそうも言った。学校で『ストリートファイター』や『パワプロ』ができたら、と思うと確かに残念ではある。
「随分多いなぁ……」
一覧表を見て、僕は思わず呟く。
吹奏楽部や美術部を筆頭に、文芸部、演劇部、書道部とメジャーな部が続き、だんだん落語研究会やアマチュア無線部といったマイナーなものが混ざり始め、最後にはTTTクラブ、ひよこ会など名前だけではどんな活動をするかよく分からない部活が並んでいた。
文化部ほどではないけれど、運動部の欄にもアルティメット部やペタンク部など、普段あまり耳にしないスポーツの名前があった。おそらく入部が義務づけられているから、各々が自分のやりたいことで部活を作って、結果こんな混沌とした状況になったんだろう。
ただ、才川さんの言っていた通り、ゲーム部やそれに類する部活はないようだった。先生の説得が大変そうだから、誰も手をつけなかったんだろうか。
とはいえ、ゲームはあくまで趣味の一つである。僕にもわざわざ新しく部活を立ち上げるほどの熱意はなかった。
やっぱり、適当な文化部に入って、幽霊部員をやろう。
そう考えて、僕は目をつぶって開いたページの部活に入ることに決めた。
「……俳句部?」
またマイナーな部活を引いたなぁ。そう思いながら、部活の名前以外にも細かく目を通す。
PRページには、俳句部らしい達筆で、普段の部活や文化祭における活動内容が書いてあった。もっとも、僕が一番気になったのは、各部の個性が出る全体的なページデザインの方だったけれど。
『卯の花をめがけてきたか時鳥』『鶏頭の十四五本もありぬべし』『糸瓜咲て痰のつまりし佛かな』…… ページの余白には、そんな風にいくつもの俳句がちりばめられていた。
ただ、それらが誰か有名な俳人の句なのか、それとも俳句部のオリジナルの句なのか、僕にはさっぱり分からない。もっと言えば、それらがいい句なのか悪い句なのかも分からなかった。
つまり、それくらい僕には俳句の知識がないということなんだけど、それでもイラストだけはすぐにピンときた。これは正岡子規の写真の模写に違いない。教科書に載っていた写真が、何故か子規だけ横顔だったから印象に残っていたのだ。
……と、そこまで考えてから思い直す。単に形だけ入部するんだから、俳句の知識の有無を心配しなくたっていいだろう。
部室棟を探すまでに少し手間取ったけれど、俳句部の部室には簡単にたどりつくことができた。これも冊子についていた見取り図のおかげだから、才川さんには感謝しなくちゃいけない。
必要かどうかちょっと迷って、一応ドアをノックしてみる。すると、中から「どうぞ」と女子の声がした。
「失礼します」
俳句をたしなんでいる人だから、きっと穏やかで、黒髪で、和風で――
そんな僕の単純な想像は、入室した途端に崩れた。
「Thank you for coming!」
俳句部の部室にいたのは、朗らかな金髪の外国人だった。




