第96章 青柳が天使になる話1
人事を尽くしても天命が来ない、友部の人生を象徴するような結末に、俺は思わず飛び出して友部を強く抱きしめてしまったのだった。
「どさくさにまぎれて、絶対美少女を、あんなに強く抱きしめちゃうなんて、ジラもなかなかやるわね。ジラにしては上出来よ。うふふ、絶対美少女の抱き心地はどうだった? おっぱいは柔らかだったでしょう?」
次の日の朝、那加の書斎で、那加は、からかうような調子で言った。
「やめてくださいよ……あの時は、無我夢中で、よく覚えてませんよ。なんだか悲しすぎて、自分を見失ってしまって……失敗したと思ってます」
「失敗と言えば失敗ね。ジラらしくもない……あなたの欠点は、優柔不断で行動が遅いことなのに……あんな勢いで走って行って抱きしめちゃうんだもの、ああ、ジラは、透子さんが好きなんだなあ、って、私なんか胸キュンしちゃったよ。」
「そういうわけじゃないです……ただ、あんなに一生懸命なのに、あまりに運命が意地悪しているように思えて……なんか悲しくて、かわいそうというか」
「それって、つまり、透子さんが大好きってことじゃない? どう違うの?」
「それは……もちろん、好きは好きですよ……俺、人間としての委員長は大好きです。尊敬してます。憧れてます。……でも」
「言い訳しなくていいよ。委員長の美しさの魅力にひかれない男の子なんていないよ。まして、近くにいて、彼女の人となりを知れば知るほどね。思い切り、恋していいよ。だけど、あんなに人前で抱きしめちゃだめ。オーディションのことを考えたら、特にね。だって、あれじゃ、委員長とジラはできてるって勘違いされちゃうよ。そもそも、ジラ生徒会長は友部透子に熱烈に片思いしてる、っていう噂があるの知ってる? そして、もう一つの噂は、片思いじゃなくて、二人はもう相思相愛っていうものだけど、どっちにしても、それを証明したようなものだわ。透子さんのほうはともかく、ジラの熱烈な恋心をみんなにアピールしたようなものだものね。まあ、もちろん、あんな熱狂の中だし、抱きしめたと言ってもわずかな時間だし、そう解釈したた人ばかりではないとは思うけど……とにかく、眞知は、あれを見て、かなりショックだったみたいよ」
「え? 眞知は見てたんですか」
「ジラは、本当に鈍い人だよね。ま。ジラに見えにくい場所からこっそり見てたからしょうがないけど。見てたんだよ。ジラが、あんなに勢いよく、ぎゅうぎゅうに委員長を抱きしめるところをね。この前は、眞知を抱きしめなかったのにね?……眞知は「一瞬、抱きしめられるかと思った」って言ってたよ」
「だって、それは、意味が違いますよ」
「違うのかな。そうかな。まあ、いいよ。もう終わっちゃったことだから。ただ、真っ先に激走して行って、透子さんを抱きしめたところは、ある意味、かっこよかったな。眞知だけじゃなくて、あんなふうに抱きしめられたいと思った女の子は、いっぱいいたと思うよ。あんなふうに、後先考えず、無我夢中になってほしいのよ、女の子は。ジラ、あんなふうに、眞知のことを抱きしめちゃいなさいよ。きっと、待ってるはずだよ、眞知は。女の子は、少し強引なほうが嬉しかったりするものよ」
「強引ですか。イケメンだったらそうかもしれませんが、俺が強引にやったら、セクハラって言われかねませんよ」
「そうだね。昨日のは、セクハラって言われても反論できないね
「全くです。いや、俺は、優柔不断のくせに、考えずに行動して失敗ばかりの人生なので……今回も失敗しました……委員長には申しわけなかったと思ってます」
「大丈夫。きっと、委員長は嫌じゃなかったと思うよ。でも、そう、失敗といえば失敗ね。何をやってもうまくいかない、という意味では、いかにも、ジラらしいよ。でも、10回失敗しても、11回めをあきらめちゃいけないよ。昨日の友部さんのバントみたいにね」
「バントですか。あれは意表を突かれました」
「私も意外だっわ。まさか、あそこでやるとは思わなかった。全く、そんなそぶり見せなかったしね。実は、昨日、終わったあと、追いかけて行って、聞いたの。そしたら、教えてくれた。十一球目にバントするって決めていたんですって。バントは、当然、警戒してくるだろうから、やるのは、一度きり、十一球目が来たらって決めていたんだって。迷うと警戒されるから、それまでは、迷うことなく、ヒットを狙って、ストライクを思い切りジャストミートすることを心掛けたんだって。、なまじのあたりでフェアグラウンドに飛ばないようにしていこう、という作戦だったみたい。とはいっても、クリーンヒットはきっと難しいだろうなと思ってたみたい。だって、ピッチングマシーンと違って、コーナーぎりぎりを、緩急をつけて攻めてくるんですものね。きわどい球は何とかファールすることにして、フォアボールを狙うことも頭に入れて、十一球目になったら、思い切って三塁線バントで勝負すると決めていたらしいわ」
「そうなんですか。それにしてもうまいバントでしたね。練習はしてなかったのに」
「秘密に練習していたみたいだよ。お母さんに球を投げてもらってね。バントが意表をつけるように、味方にも黙っていたというわけ……深慮遠謀というか、見事にはまったよね。あの小石さえなければ……」
「運命というやつですか」
「まったくよ。でも、あの小石のせいで、運命に翻弄される、悲劇のヒロインとして、みんなの票を集めて、オーディションという最後の大勝負には勝つというシナリオもありえるかもしれない」
那加は少し間をおいて俺を見て笑った。
「うふふ、かもしれないのに……、KYの生徒会長がありえないような突進をしていって、台無しにしちゃったかもよ。だって会長と副会長ができてるって思われたら、このオーディションそのものの公平さも疑われちゃうもの。透子さん、よほど運命に見放されてるわね」
「すみません。そう言われればそうですね」
俺の胸の中は後悔の念でいっぱいになった。
「人事を尽くしても天命が来ない、まさに悲劇のヒロインね」
「おれ、委員長に、二重の意味で、申し訳なかったです。でも、まだ、勝負は決まったわけじゃないですから……」
「そうね。昨日の戦いで、透子さんが一歩リードしたかも。試合はみなみんが勝ったけど、勝負は友部さんの勝ちだって、見ている人はみんな思ったもの。委員長のほうにみんなの心は動いたと思う……ジラが邪魔しなければ」
「だから、すみませんって」
「みなみんもかっこよかったよ。透子さんはちょっと完璧すぎるからね。みなみんの方が親しみが持てるわよね。部活代表として、運動部の人は入れるかもね。昨日はかっこよくて、運動部系の子は惚れ直したんじゃない? 昨日の勝負は二人の票を集めたわ。となると、ヴィーナス先輩と青柳佐和が今日の歌声対決とやらでどのくらい巻き返せるかね」
「放課後のライブですね」
「あれは何なの? 生徒会には話はあったの?」
「ありません。ただ、もともと、軽音部の企画としてコンサートが入っていて、場所は確保してあったんで、それに、便乗した形ですね」
「矢祭軍団、軽音部が多いからね……それにしても、誰が考えたの、この企画? ジラの企画のパクリではあるけれど、なかなかの策士ね。人、集まるわ、きっと。矢祭さんか、案外、額田さんかもね。ジラが教えたわけじゃないんでしょう?」
「違います。ヴィーナス先輩かも。あの人も頭はいいですからね。おまけに、どちらかというと自分が票を集めるより、青柳さんの応援してますからね」
「あの先輩ぐらい読めない人はいないよね。歌はうまいの?」
「さあ、どうでしょうか。ちなみに、青柳さんは抜群にうまいですよ。これは保証します。俺、同じ中学で一緒のクラスでしたから、よく知ってます。先生が惚れ込んじゃって、彼女の美声を生かすために、わざわざソロの入っている曲を探して選んだくらいですから」
「そうなんだ。それにしても、私たちには何の相談もなかったわね。一応、文芸部仲間なのにね」
「そうですね。額田さんとヴィーナス先輩で考えたんでしょう。俺たちも何か応援した方がいいのかな」
「まあ、相談がなかったんだから、できることは何もないんでしょう。あのふたりの猪突猛進には、さすがの私もついていけないわ」
那加でさえ読めないとは、と内心思う。あのふたりも、なかなかすごいということかな……
最初のギターのソロが始まった時、まさしくあっけにとられた。稲妻が走るように、ものすごい速さで音が駆け巡る。ときどき雷鳴をきらめかせながら。そのテクニックのすばらしさに唖然としている観衆の心を、それこそナイフのように鋭く強い声がえぐった。
世界の終りのようにふりそそぐ雨
雨粒はカッターナイフ、肌を切り裂く
一億本の槍が心を切り裂く
愛して愛して、口づけをください
歌っているのは矢祭麻耶だった。前から少しハスキーな声だとは思っていたが、声を張り上げると余計そのハスキーさが目立つ。まるできれそうなピアノ線をさらに力を入れて引っ張っているような強い緊張感に、思わず引き込まれる。
今にも振り出しそうな重い暗い曇り空の下、中庭に小高く作られた灰色の野外ステージで、嵐のような重苦しい早弾きの上をフレアのミニスカート、へそ出しの黒のタンクトップに、なんと学ランの上着をはおった矢祭が踊りながら歌っている。真剣に歌う、その表情の美しさ。少し濃い眉、鋭い眼、少しとがった鼻、薄めの唇、少年とも少女とも見えるその完璧な美しさに圧倒されたのは、俺だけではあるまい。俺はまるで本当に嵐が来るかのように、不思議な予感がして、肌が泡立つような感じがした。




