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第90章 田舎道で満天の星空を見上げる話

俺を見つめる眞知の美しい瞳。俺は思わず眞知の両肩を両手でつかんだ

 俺は眞知を……抱きしめようとした。しかし……できなかった。俺は両手を下ろした。

 少しうつむいて言った。

「いいえ、こちらこそ、俺みたいなのが何かの役に立てたら、それだけでうれしいです」

 眞知が俺を見つめているのを感じた。顔をあげると微笑んでいる。その微笑みを、いつも以上にまぶしく感じた。

「ジラと話せると、いつもほっとします」

「だったら、うれしいです。俺も話せてうれしかったです。ありがとうございました」

「ありがとうは、私の方です」

 それから、眞知は、何かを思い出したように、急に顔を輝かせて言った。

「絶対美少女とみなみんの対決、見に行っちゃうかもしれませんけど、見つけても見逃してくださいね。ちゃんとマスクしていきますけど……」

「あ、はい」

「それから、また、私のことも見捨てないで……近いうちに会ってくださいね」

 自転車に乗って手を振ると、眞知は、夕闇に消えて行った。

 俺は、姿が消えるまで手を振っていた。

 俺は、すぐに自転車に乗らずに、押して歩く。

 胸の奥に悲しみとも苦しみともつかぬものが残っている。今のシーンがぐるぐる頭の中で回っていた。胸はまだどきどきしている。さっき、抱きしめてしまえば、という苦い後悔で胸がいっぱいになる。あの時、眞知も俺の告白を待っていたような気がする。俺を見つめる、あの瞳……

 那加の言葉を思い出す。

「眞知はジラのスペックなんか気にしてないよ。命をかけてもいいくらい眞知が好きだ、っていえば、きっと眞知もジラが好きになる」「恋してるとまでは言えないな。でも、ジラが告白すればきっとうなずいてくれるよ」

 なぜあの時、俺は抱きしめようとした手を、下ろしてしまったのか。

 俺は星が瞬き始める夜空を、自転車を押しながら見上げた。

 俺の正体を明かしていないからか? そう、確かに、それもある。もし、あの時、眞知が、俺の告白を待ち望んでいたとしても、それは俺の正体を知らないからだ。俺は、告白するなら、眞知に、俺の活躍が、ただの奴隷としての行動に過ぎないことを、実際の俺はただのいじけ虫だということを正直に話してからと決めていた。だから、言えなかった部分はある。

 だが、それよりも何よりも、あの時、俺を押しとどめたのは、恐怖だったような気がする。眞知も、俺の告白を待ってくれているというのは、俺の独りよがりの妄想ではないかという、そして、もし、手を伸ばせば、一瞬で、そのことが明らかになってしまうのではないかという恐怖だった。

 あの時、俺が眞知を街を抱きしめたら、それどころかキスをしたら、眞知は喜んでくれたろうか? 喜んでくれるような気がした。だから、抱きしめようと、手を差し出しかけた。しかし、怖かった。すべては俺の妄想かもしれないということが。

 ……降ってくる夕闇の中で俺は首を振った。

 俺は、そうした妄想が、結局、ひとりよがりの希望的観測に過ぎないことを、これまででいやというほど体験してきた。

 中学の時、クラスの代表をやっていた女子が、いろいろ忘れっぽい人で、しょぅちゅう、役目を果たしていないことがあった。副代表だった俺は、人に注意するのは苦手なので、気が付くと、かわりにやっておいたりしていた。代表は、自分で自分の容姿に自信のある子で、まあ、人によっては美人だというものもいたが、俺にとっては、性格も嫌いで、よくあんな顔で自分が美少女と思えるなと感心していたくらいで、まったく興味のない、できれば関わりたくない相手だった。その女子が、ある時、わざわざ、俺を放課後呼び出して、「私が好きなの?」と聞いてきた時には驚いた。どちらかといえば、「好き」よりは「嫌い」に近かったが、面と向かって嫌いと言うのもはばかられたので、「好きとか、嫌いとかじゃなくて普通です」と答えた。すると、彼女は、「だったらいいけど……」と疑わしそうな目で俺を見て、「一応、言っておくけど、私に付きまとったり、私のことをいつまでも見つめていたりするのを、もうやめてね。あなたみたいなキモオタに、好きだなんて思われていると思うだけで気持ち悪いんだから」と言う。「そんな気持ちありませんから」と言っても、さらに疑わしそうに見て、「好きなら、ちゃんと好きって告白しなさいよ。そうすれば、私も、きちんと断れるんだから。いじいじしてるから、私のほうからきっぱり言っておいたほうがいいかと思ったのよ。わかった? もう、私にかまわないでよ」とそんなことを一方的に言って去ってしまった。あの時は唖然とした。そうか、俺はその程度かと思い知らされた。好かれたいとは思っていなかったが、いろいろサポートしているつもりだったので、感謝くらいはしてくれていると勝手に思っていた。

 見つめていたと言われてびっくりしたが、あとで考えると、彼女が届けなければならない提出物が放置されていて、友達とおしゃべりしているから、いつやるつもりだろう、忘れているのか、やる気がないのかと見ていたことでも言っているのだろう。結局、かわりに届けたことが何度もある。それが気に入らなかったというわけなのか。

 いやはや、それを感謝するのではなく、俺の下心ととって、一層、軽蔑するとは、と思いつつ、イケメン男子が俺と同じことをしたら、きっとうれしいんだろうなとも思った。同じことをして、俺がやるとセクハラですか。

 さすがにこれは極端なケースだが、それよりはずっと軽い、しかし同じような仕打ちを何度かされて、つくづく、俺は女子の恋愛対象からは遠い所にいるんだなと思った。そういえば、那加に自転車でぶつかったときも、わざとだと誤解されたっけ。

 眞知と手を握り合って、今は、浮かれているかもしれないが、結局、俺の独りよがりで、脳内妄想で舞い上がっているだけかもしれない、という思いがぬぐえなかった。

 どちらにしても、あの時、勢いで抱きしめなくて、やっぱりよかったと思う。もし抱きしめて眞知がそれを受け入れてくれたら、俺が「眞知が好きだ」と言って、万が一、眞知も俺のことを好きだと言ってくれたとしたら、俺はきっと「那加の奴隷」という俺の正体を明かせなくなっていただろう。眞知を恋人にできるというあまりの幸せを壊したくなくて、いつばれるかとひやひやしながら、それでも、正体を告白する日を先に延ばし続けただろう。奴隷であることを知っているのは、俺と那加だけだが、やさしい那加は、決して、俺の正体を眞知にばらすことはしないだろう。俺が言わない限り、絶対にばれない。俺がやってきたことは間違いなく俺がやったことなのだから。それをいいことに、おれは、きっと、正直に言えないまま、眞知とキスをしたり、さらにはセックスまでしてしまうかもしれない。そして、そんな俺の卑怯さは、きっと態度に表れて、いつの日か、「思っていたのと違う」と言って、愛想を尽かされてしまうのだろう。そんなことになるくらいなら、抱きしめない方がきっといい。

「だめだよ、それでは」という那加の声が聞こえるような気がした。「一歩踏み出しなさい。そして、後悔するかわりに努力するの」と那加なら言うのだろう。眞知を抱きしめて、眞知がそれを受け入れてくれたら、そうしたら、俺は変わることができたのだろうか。眞知に本当のことを話すことができたのだろうか。くだらない俺の本当を話して、それでも好きだといえばいいだけだったのだろうか。

 いつもこれだ、と思う。勇気を出せずに、逃げ出して後悔ばかりしている。

 那加が青柳のことを言っていたことを思い出した。中学時代、俺が「恋人になってほしい」と、勇気を出して告白していれば、青柳にとって、俺はただの幼馴染でなく、一生、大切な幼馴染になれたのに、と那加は言った。青柳の性格からすれば、確かにそうかもしれない。青柳はそれほどに心のやさしい人だ。その性格を知っていて、その性格に惹かれながら、俺にはその勇気がなかった。その結果を怖がって、決心を先延ばしすることで後悔の苦しみから逃れようとしていた。「俺みたいな三流は、友だちの端っこに引っかかっていれば上出来なんで」などという言い訳を自分にしながら

 もしかして、俺は、今もまた眞知を相手に同じことを繰り返しているのか?

 どうして、俺はこうも弱いんだ! 

 夜空を見上げて、俺は心の中で叫んだ。一面の星が輝いている。なんて美しい、だけど、手を伸ばしても決して届かない。

「それって『傷つきたくない』って、自分のプライドに過ぎないでしょ」と那加は言っていた。そう、そのとおりだね。那加はいつも正しい。でも、改めて考えると、これまでの人生の中で、俺はあまりに傷ついてきたような気がする。あれほど、心の傷の上にまた新たな傷をつけられてきたら、防備を固くすることしかできないとしても無理ないではありませんか? ご主人様。こういう生活をしてきたら、傷つけられることから逃げることばかり考えても当然だとは思いませんか? イケメン男子や、一流女子たちへの羨望で心が真っ黒くなっても当然だとは思いませんか?

 俺は首をもう一度振った。それもまた、自分へのいいわけに過ぎない。根本は心が弱すぎることだ。俺の心はあまりに弱い。それが、欠点だらけの俺の中でも最大の欠点だなと改めて思う。勇気がなくて、傷つきたくなくて、何かに向かって努力することから逃げてきた。後悔することが怖かったからだ。努力はいつも苦しい、そして、苦しんで頑張って必死に努力すればするほど、その努力が結果的に報われなかった時の苦しみは俺にとって耐えられないものだった。だから、俺は、無駄になった努力の苦しみを後悔することを恐れて、努力の苦しみを避けて、小さな怠惰という幸せとも言えない小さな幸せに逃げ込んできた。努力しなければ、当然、何も手に入らないが、世の中で認められないこと、物事がうまくいかないことの自分への言い訳にはなる。努力しないで何も手に入らない方が、努力してなお何も手に入らないより俺にとってはずっとましだった。たくさん告白して振られつづけて恋人ができないより、誰にも告白しないかわり、恋人もできないという状態の方が、おれにとってはるかに居心地がよかった。

 このごろは、らしくもなく、命じられるまま、苦しい努力もしているが……星空を見上げながら、ふと、そう考えたとき、ふいに胸が締め付けられ、頭の中が爆発したような感じで、満天の星が俺に向かって落ちてくるような、あるいは俺自身が星の海へ落ちていくような錯覚に襲われた。那加との出会いから今までの様々な場面が、一度に押し寄せた。分厚い辞書を渡されたこと、奴隷の誓いのキスを上履きにしたこと、テストの順位発表で那加がくれたVサインのシーン、マラソン大会の計画書を渡されたシーンが、すべての映像が一度にフィルムを重ね合わせたかのように頭の中に浮かび、それがパズルのピースのように、頭の中にぴったりにはまった。推理小説の最後の場面のように、初めからのすべての謎が、一気に解けたような気がした。

 そうか! そうだったのだ! それが、那加が、俺を奴隷にした理由だったのだ!


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