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第82章 青柳佐和がヒロインを目指す話

生徒会主催の劇のヒロインのオーディションには結局、友部の他に酒出、小尾先輩、青柳が立候補することになった

「やったー。佐和ちゃんと握手しちゃったよ」

「俺も握手したよ。二回だぜ」

「うそ!」

「知らんぷりして裏門から出て、もう一回、校門から入った。『がんばってください』って言ったら、にっこり笑ってくれて、『ありがとう』って……ぎゅっ、ておれの手を握ってくれたよ。もう、最高だね」

「やさしくてあったかな手だったね。やっぱり佐和ちゃんに入れるよ。俺は」

「最高だよね」

 俺のわきで話しているのは、俺と同じ三流グループだ。何が起こったんだ、と思って振り返ると、俺の近くにいた一人が、おれの肩にがっと手を置いた。

「いやあ、すばらしいね、ジラ会長、君の企画は。はじめは、何、自分勝手な企画を立ててるんだと思ったが、おかげで、俺たちにもしっかり恩恵があるというわけだ」

「なに? 何があったの?」

「知らないの? 佐和ちゃんが、校門の近くで、アピールしているんだよ。昔、おまえが会長に立候補した時にやってたじゃん。それを真似してるんじゃないの? 『がんばってください』っていうと、にっこり笑って握手してくれるんだ」

「は?」

 俺は、唖然として、相手の顔を見つめる。あの青柳が?

 明るくて、気さくで、誰にも優しい彼女だが、どちらかというと、恥ずかしがり屋で、そんな人前で注目を集めることを積極的にするなんて思いもよらなかった。もっとも、オーディションに出ること自体が、かなり意外だったわけだが。

「お前も行って来たら? 彼女と握手できる、めったにないチャンスだぜ」

 窓に行って校門を見る。校門のわきの植え込みの前に青柳が立っている。隣にいるのは、矢祭と、たぶん、その軍団のメンバーの一人だろう。背の高いがっしりとした体格の男子が、青柳佐和と書かれた大きな板を持っている。昨日もチラシを配らせてほしい、と軍団の一人が生徒会室にやってきたので断ったばかりだ。ポスターも禁止しているのだが、紙を手に持って立っているのまでは規制できない。

 時計を見ると、授業開始時間までまだ十五分ほどあった。俺は階段を下りて、昇降口で外靴に履き替えた。四月も終わりとはいえ、まだ肌寒い。おまけに、今日は風が強く、灰色の風の中にぽつぽつと雨粒も交じっている。

 俺は、青柳のところへかけていった。男の子が何人かと女の子もいて、青柳と握手している。前の友部の選挙運動の時のような長い列が出来ていないのは、やはり、青柳の知名度の低さか。もっとも、だんだんには、出来てしまうかもしれないが。

「会長!」

 俺を見つけると、矢祭が声をかける。

「佐和をよろしく。握手していいよ。そのかわり、握手したら、佐和に投票すること。それが条件だよ」

「あ、そんな」

 と青柳。少し、あわてたように手を差し出す。

「たかちゃん、握手しましょ。でも、いいんだよ。無理に投票はしなくて……」

 俺は青柳の手を握る。細くて華奢な、女の子の手だった。冷たい風の中にいるのに、たくさんの人と握手したせいか、ふんわりと暖かかった。小さいころから、よく知っているはずの青柳の手は、久しぶりに握ると、少し大きく感じて、何か不思議な感じがした。俺の知っていた、あの小さい手の感触が、体のどこかに残っていて、長い間の思いが不意に流れ込んでくるような気がした。

「らしくないって思ってるんでしょ。たかちゃん」

 手を握ったまま、青柳が言う。丸くてかわいい眼のはじが少し下がる。その自信なさげな微笑みがなつかしい。

「いや、そんな」

 俺は言葉につまる。

「自分でもそう思うよ。でも、前に、たかちゃんが、生徒会長に立候補した時、こうやって立ってたよね」

「ああ、うん……」

「あれも、らしくなかったよ。どうしちゃったの? って思った。だからね、私も、ちょっぴり『どうしたのかな?』って思ってもらおうかなって思って……」

 去年の秋、俺は、那加に命じられて、生徒会長に立候補した。そして、那加の命令で、朝と帰り、校門に立った。不審な目で見られ、無視され続けても、手を振り、チャンスがあれば握手をし、頭を下げ続けた。いろいろあったが、とにかく、最初は、恥ずかしくて惨めだった。なんで、那加はこんなことさせるんだと思ったものだった。まったく、俺らしくなかった。だが、その俺らしくなさが、俺らしくない、今の俺につながっているのも事実だった。

 風が青柳の髪を乱して、何本かは頬にかかっている。俺は、青柳の顔を見つめた。美しかった。少女のころのあどけなさが残るその顔には、大人の女性へとなっていく肌の艶やかさが加わっていた。みずみずしい果実のような頬に、雨が小さな水玉をつくっている。あごの柔らかなカーブがきれいだった。

「たかちゃんの手を握るの、久しぶり。大きな手になったね」

 青柳が笑う。

 俺は言葉に詰まった。そう、小学生の頃はしょっちゅう手をつないでいた。すぐ隣の家に住む俺たちは、ずいぶん仲良しだった。昔の小さかった青柳の姿が、俺の頭の中にいっぺんに押し寄せた。

 俺の知っていたあのさーちゃんが、今、かわいい少女から美しい女性になりかけてここにいる。

 校門を入る生徒が走っていく。

「もう、行かないと。授業、始まっちゃうよ」

 俺は青柳の手を少しだけ強く握った。

「がんばってね」

「ありがと」

 それ以上、何も言わず、俺たちは、急いで教室に戻った。雨が本格的に降り始めていた。

 教室に戻ると、雨はごーっと音を立てて降り始めていた。窓の外は真っ白で何も見えないぐらいだ。

 授業は数学だった。問題を解き終えて、ふと、俺は、斜め前に座っている青柳の姿を見つめた。当たり前に問題を解いている姿を、消しゴムで消しては書き直している姿を、俺は、何か悲しいような不思議な思いで見つめた。

 肩の細い線も、スカートから延びる白い足も、それが今の彼女そのものだった。いつの間にか、彼女は女性になろうとしている。小さいころは、あんなに一緒にいて、あんなにたくさん話して、一緒にいるだけで楽しくて、なんとなく、明日も明後日も、いつまでもこうしていられるような気がしていた。

 中学になって、お互いが忙しくなって、片やクラスの人気者、片やクラスの日陰者という現実を知るようになっても、いつまでも昔のままでいたいという、俺の思いを彼女は受け止めてくれていたような気がする。それが、俺の片思いだとしても……その片思いに対して、青柳はごく自然にやさしかった。青柳自身も、まだ幼なじみという郷愁の中に、いてくれたのかもしれない。

 青柳が俺の視線にふと気づいたらしく、俺の方を見て微笑むと、小さく手を振った。俺も、思わず振り返す。中学時代みたいだと思う。後にも先にも、こんなことをしてくれるのは彼女だけだ。小学校、中学校のころ、なにかと人に後れをとってぼっちになりがちな俺を、彼女だけは見捨てなかった。すれ違う時に小さく手を振ってくれたりした。手を振り返しながら、俺はうれしかったが、同時に気後れも感じて胸を痛めていた。

 やさしい性格で、とびきりきれいな彼女は、いつもみんなの中心にいて笑顔だった。

 一方、俺は引っ込み思案で、積極的にみんなの輪に加われずにいた。乱暴で自分勝手な子が何人かいて、いじめというほどでないにしても、弱気な俺をよくバカにしていた。強くなりたい、みんなの輪に加わりたいという思いの一方で、それができない自分に自己嫌悪していた。

 アニメやラノベの話をする三流グループの友だちもいるにはいたが、ほんとうにうちとけて親しげにしてくれる人と言えば、彼女くらいしかいなかった。美しくてやさしくて、みんなの憧れの的だった彼女が、俺に話しかけてくれたり、手を振ってくれたりするたびに、俺はうれしかった。俺は、彼女にとって幼なじみという特別な存在だぞ、と内心、誇らしかった。その一方で、俺が特別というわけではなく、それは、誰にでも優しい彼女が、古い関係の俺を見捨てていないだけだ、という現実もうすうす感じてはいた。だから、手を振ってもらえるたびに、うれしくて、同時に悲しかった。

 那加の言うとおりかもしれない。俺は、あの時、青柳の特別の存在になりたかったんだ。ただ、青柳はまぶしすぎて、俺は、その気持ちに無理やりふたをして、気がつかないふりをしていた。

 那加に「ばか」って怒られた。そうだ、ほんとうにばかだ。確かに、あの時、「好きだ」と告白していれば、青柳を困らせることになったろうけれど、それでも、一生、俺は青柳にとって特別な存在になれたのかもしれない。少なくとも 「ごめんね」という前に、「ありがとう」と、きっと言ってくれた。そうだ、青柳は、そういうやさしい人だ。俺はそれを知っていたはずなのに……

「らしくないと思ってるでしょ」と彼女は言っていた。那加の命令で動いていることを知らずに、俺が変わっていくのを見て、彼女も変わりたいと思ったということなのか? あれほどの人気者で、だれよりも充実した学校生活を送っているように見える彼女でも、まだ、何か、足りないことがあるように感じることがあるのだろうか? 

 そもそも、オーディションに応募したことだってびっくりだ。彼女は恥ずかしがりやで、しかも、自分のことを美しいなんてこれっぽっちも思っていない。矢祭あたりに勧められたのかもしれない。それとも、那加か。那加は女子の間では控えめにしているようだが、間違いなく人望はある。青柳あたりとも親しいらしい。オーディションの話も那加からだし、もしかすると那加が仕掛け人なのか? 

 だとすると、何のために?

 うちのクラスの美少女の中で、青柳が、一番知名度は低いだろう。友部はしょっちゅう舞台に立つし、成績も驚異的、マラソン大会でも陸上部をおさえてあっさり一位をとってしまって、学校中を驚かせた。

 酒出も部活の活躍で有名だし、クラスマッチなどスポーツ系の行事での活躍も目覚ましい。

 青柳は成績はかなりいいのだが、1番ではない。運動神経は並み以下、どちらかというと俺に近い。抜群のかわいさをのぞくと、目立つものは何もない。そもそも、控えめで目立つことがあまり好きなタイプではない。中学時代、告白されているのを俺が目撃した時、相手は、運動神経抜群でイケメンの人気者だったが、「すてき過ぎて、こっちが気後れしちゃう」なんて言っていた。それでいて、俺みたいに、人を羨んで鬱々とすることもなく、素直に控えめだ。友だちにも恵まれている。毎日を楽しく送っていそうにみえるのに、自分を変えたいと思うようなことが、何かあったのだろうか。ダメ人間だった俺のようなやつが、それなりに活躍しているのを見て、自分もがんばらなくちゃと思ったのかもしれない。

 控えめで恥ずかしがり屋だが、根性はだれにも負けないことを俺は知っている。いったんこうと決めれば、徹底的にがんばる人だ。オーディションも出ると決めたからには、やれるだけのことはやるつもりかもしれない。そう言えば、那加は、青柳が矢祭を救ったと言っていた。どういう縁なのか知らないが、青柳なら矢祭のために、徹底的に献身的になったことは十分に想像がつく。

 那加から紙が回ってきた。開いてみる。

「授業中、いちゃつかないこと」

 手を振りあっただけなのに……と思う。でも、久しぶりでうれしかったのは事実だ。那加が意図したわけじゃないだろうけれど、このオーディション企画のおかげで、もう一度、青柳と昔のように話すことができるようになったのは、素直にうれしい。那加には感謝だ。


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