第81章 俺がご主人様に誓いを立てる話
もしかして俺はずっと青柳に恋して来たんじゃないの?と那加は言うのだった。
「ジラ、青柳佐和に告白しないの? 今のところ断ってるようだけど、佐和を狙ってる男は多いよ。他の人に取られる前に、自分のものにしたくないの? あなたにとって大切な人でしょう? ずっと、想い続けてきたんじゃないの?」
「どうして、今になってそんなこと言うんです? 那加は、俺に「眞知に告白しなさい」ってずっと言っていたじゃないですか?」
「私の望みは、それよ。でも、いくら言っても、ジラ、告白しないじゃない。もしかして、本当は、もっと好きな人がいるんじゃないかと思って……ジラ、正直に言っていいのよ。もしも、佐和のほうが好きなら、告白して……それで、彼女が受け入れたら、私、『あきらめて』って眞知に言うわ。『ジラは眞知を好きになってくれる』って期待を持たせちゃっていたから、大泣きされちゃうかもしれないけど」
「え、そんな……」
俺は混乱した。眞知でなく、青柳に告白してもいいと那加が言うのだ。俺は、そんなことを考えてみたこともなかった。確かに、青柳はずっと俺の憧れだった。一生、ずっと届かない憧れだと思っていた。それなのに、那加は、手を伸ばせば届くよ、というのか?
「一番好きな人に告白していいんだよ。ジラ、もう、眞知に紹介した時点で、奴隷契約はなくなったんだから、ジラを縛り付ける理由なんてないから、眞知でも、佐和でも、透子さんでも、ヴィーナス先輩でも、なんだったら、大宮先輩からみなみんを奪ったっていいんだよ」
「まさか」
「日本にもハーレム制度があるとよかったのにね。あんな美女ぞろいのハーレムのご主人になれたら、ジラ、幸せだと思わない?」
「そうですね……一度でいいから、そんな思いをしてみたいですね」
「でも、そうはいかないわよ。ジラ、あなたは、誰か一人を選ぶのよ。一人しか選べないのよ。誰か一人に決めるのよ」
「ちょっと待って下さいよ。選ぶっていったって、どうせ、俺なんか、だれも相手にしてくれないんですから」
「ばか!」
珍しく那加が大きな声を出して立ち上がったので、俺は、びっくりして那加を見つめた。
「昔の奴隷なら鞭で打っているところよ。『愚か者!』 って……いい? よく聞いて……ジラの基準は、相手が振り向いてくれるかどうかなの? 受け入れてくれるかどうかで、決めるの? 眞知なら、告白しても受け入れてくれそうだからって理由で、眞知を選ぶの? もし、そんな基準で選んだら、眞知もかわいそうだし、ジラのためにもよくないのよ。いつか、ジラは嫌われたくないから、眞知に告白しないって言ってたわよね。違うでしょ。こう思ってよ。『嫌われてもいい。眞知が好きだから、眞知にアタックしよう』って、そうすれば、眞知はきっとジラのものになるわ。眞知にとって、ジラの本性なんてどうでもいい……というのは言いすぎだけど、だけど、大切なのは、眞知のためにどれぐらい命をかけられるかなのよ。プライドも見栄も投げ打って『君が好きだ。全身全霊をかけて君が欲しい』って心から思って、それを言葉に出してよ。もし、ジラが……」
那加は、少し言葉を切って、考えた。そして低い声で言った。
「佐和の方が好きなら、佐和にアタックしなさい。本気でアタックすれば、佐和はきっと振り向いてくれる。そういう意味では、絶対美少女の透子さんだって、女神のヴィーナス先輩だって、彼氏持ちのみなみんだって、決して手の届かない相手じゃない。今のジラなら……」
那加はためらった。なぜか、泣くのをこらえているかのように声が震えた。
「この際だから、特別に教えてあげる。今のジラなら、きっと振り向いてくれる。ジラが本気で好きになって、真剣に気持ちを伝えれば……」
「まさか」
「奴隷に対して社交辞令なんて必要ないわよね。ジラ、だから、私の言うことは、お世辞なんかじゃないわ。今のあなたに必要なのは、命をかけてもいいという真剣さだけ。ジラ、あなたの好きな人に、本気で恋して。私に言われたからとか、自分や誰かを傷つけないようにとかでなく、本気で恋して。佐和が好きなら佐和にアタックして。あなたが本気で恋したら、きっと、佐和はあなたを好きになる。あなたの恋はかなうわ。ジラ、眞知が一番好きなら、本気で恋して。愛してるって言って。眞知はきっと喜ぶ。ジラに負けないくらい、ジラのこと恋してくれるよ。だけど、眞知に告白するなら、佐和よりも透子さんよりも、みなみんよりヴィーナス先輩より、眞知を好きになって……」
那加は言葉に詰まった。やはり、少し涙ぐんでいるように思える。
「俺は……」眞知が好きです、と言いかけて、言葉を飲み込んだ。間違いなく、俺は眞知が好きだ。でも、本気で恋しているのかと聞かれると、俺はためらった。何故、ためらうのか、自分でもわからなかった。那加を相手に、隠すこともない。むしろ那加が望むように、眞知が一番だ、と言ってしまいたかった。言えると思った。なのに、言葉が出なかった。なぜだ? 俺は、頭が真っ白になった。
俺みたいな三流人間が眞知に恋することを、那加も望み、眞知も望んでいるなんて、望外と言ってもいい幸せだ。そして、実際、俺は、眞知と恋人になることをずっと夢見てきた……はずだ。なぜ、それを素直に言葉にできないのだ?
那加は、俺が言葉に詰まって立ち往生しているのを見て、眼を閉じた。
「いいよ。いいよ。よく考えて。佐和も、透子さんも、眞知に負けないほど、心も姿も美しい人。東京の進学中学にいたけど、あれほどの人に会ったことないわ。しかも、二人も……ううん、みなみんやヴィーナス先輩も入れて四人かな。私、女だけど、あの人たちに恋する気持ちはわかるよ。佐和はずっとジラの憧れだったし、透子さんは最近、ジラといつも一緒だものね……よく考えて、自分の心に忠実にね……さあ、もう授業始まっちゃうから、私、行くわね」
そう言うと、那加は、いつになく素早く階段を降りて行ってしまった。
泣いていたのだろうか、と俺は思う。俺が答えられなかったから? 眞知以外の人間を選ぶかもしれないと思ったから? でも、そんなに、俺を、眞知の恋人にしたい理由なんてあるのか? あるとすれば、それを眞知が望んでいることぐらいだが……でも、恋人になれなかったら那加が泣いてしまうほど、眞知が俺を好きでいてくれているなんてこと、ありうるのか?
俺は、頭を振った。そんなばかな。確かに眞知は俺を相当に美化している。信頼しきっている那加が俺のことを美化して話していれば、それはむしろ自然だろう。そして、幸運なことに、実際に何度か会っても好印象を壊さないですんでいるようだ、たぶん。でも、それにしても、そんなに好きでいてくれることなんてありえそうもない。
俺は教室に戻ると、席に着いた。青柳と友部と酒出が、教室のそれぞれの場所で友だちと話したり、授業の準備をしている。朝の光が差し込んで、みんなを明るく照らし出している。明るく美しい光の中で美少女達はみな楽しそうに輝いている。
ヴィーナス先輩がいつか言っていたことを思い出す。
「いいな、鯨岡君は。毎日、あの三人を教室で眺めているんでしょ」
確かにあらためて見ると、三人とも、それぞれ個性的で、何とも美しい。
俺はもう一度考えこむ。理解できないのは、俺自身の心だ。眞知が一番だと、なぜ、あの時、言えなかったのか? 俺は、自分でも気がついていないで、本当は、青柳の方が好きだなんてことがありうるのか? それとも友部が? 確かに、青柳は、ずっと、俺の憧れだった。あの美しさ、あの明るさ、あのやさしさ。たくさんの友達に囲まれて、いつもみんなの中心にいる、一流中の一流だ。それなのに、いつでも、一番の友達のように俺に接してくれた。青柳を恋人にできたらというのは、俺に限らず、三流男子の、いや、もちろん、三流でなくても、多くの男子が願っていることだろう。だとしても、俺が、眞知よりも青柳の方が好きだなんてこと、あるだろうか。
「おはよう。ジラ。これ、目を通しておいて」
友部が、生徒会の紙を持ってきて机の上に置く。そして、かがむふりをして、何気なく、俺の耳に顔を寄せるので、俺は彼女の匂いにどきっとする。
「来てるよ、軍団。気がついた? まあ、だからどうってわけじゃないけど……」
窓の外に矢祭軍団のメンバーらしい顔があった。だが、俺はそれよりも、友部の髪の、おそらく、シャンプーの匂いにまだどきどきしていた。友部は本当に、完璧美少女だ。額田は、凍れる炎の天使だと言う。確かに、彼女のまっすぐな瞳の強さは、見つめられるだけで、凍りつきながらどきどきしてしまう。高根の花であればあるほど、惹きつけられる。だけど、俺は、友部に恋をしているのだろうか?
ふう、と俺は軽くため息をつく。何を考えているんだ、俺は。誰を選ぶか、なんて考えてどうなる。どうせ、かなわない夢だ。俺は、勉強をして成績だけはよくなったし、生徒会長という衣も着た。那加の操り人形として活躍もした。操りの糸の見えないみんなには、素晴らしい人に見えているかもしれない。だが、その内側で、中身は去年の俺と何も変わっていない。意気地無しの三流人間だ。恋をしたって、どうせかなうわけがないのだ。那加にそそのかされて、つい、その気になっていたが、眞知とのことだって、「本当の俺」を好きになんかなってもらえないということを知っていて、破局が来るまで夢を追いかけていたい、という情けないスケベ根性でデートをしているだけなのだ、たぶん。結局、告白しないことで、破局を先に延ばしているだけだ……
那加の奴隷になって、命令を忠実に実行して、那加が虚像を作り上げてくれたおかげで、俺は夢のような体験をしてきた。(友部にこそかなわないが)抜群の成績で、学校中の先生が俺を知っていて、しかも好意的だ。「東大二人」なんて勝手な期待をしている先生もいるらしい。生徒たちの間でも評判はいいらしい。クラスの男子にも一目置かれているのを感じるし、女子はとても好意的だ。那加に出会う前は、それこそ、いるかいないか、存在さえ忘れられていたことを思うと、奇跡的な差だ。何よりも、いろいろな行事が自分を中心に動いていて、みなが俺を尊重してくれる、というのは味わったことのない快感だ。(実際は那加の命令だが)あの友部が、会長の俺が言うと、たいていのことを「わかった」と言って、忠実にやってくれるというのもすごいと思う。本当は俺がそれに値する人間ではないことを知っているからこそあえて言うのだが、友部は、たぶん生徒会長としての俺を尊敬している。友部が矢祭軍団に言った、「主役が俺以外に考えられない」というのは、それなりに、彼女の本心だと思う。
那加は、俺にとびきりの美しい夢を見せてくれた。俺みたいな三流人間でも、正しく努力すれば、必死になって努力すれば、届く夢があるということ。みんなに認められる、価値ある存在ともなりうるということ。美少女たちの胸をときめかせる存在にさえなり得るということ。
しかし、眞知とのデートの前に、那加は言った。デートするなら、本物の俺になれと。奴隷をやめて、自分として生きろと。
そう、そのとおりだ。那加には、努力すればかなう夢があることを教えてもらった。次は、自分の力で夢をかなえるべきだ。
そのとおり。
まったく、いつでも、那加は、正しすぎるくらい正しい。
だが、那加の誤算は、天才的な那加には簡単にできることが、凡人の俺にはとてつもなく難しいことを理解していなかったことだ。数学は、教えられれば、少しは出来るようになる。だが「生き方」はそう簡単には進歩しない。まして俺のような、弱い心の持ち主では……那加の指示がなかったら、たちまち、俺の虚像は風船のようにしぼんでしまうだろう。俺は自信を失って、おどおどした自分に戻ってしまうだろう。俺には、それは耐えられなかった。今の夢を失ってしまうことが、せっかく知り合えた眞知に、がっかりされて、引かれてしまうことが。学校で目立たない三流人間に戻ることが。
「もう、奴隷から解放するよ」と宣言されたとき、俺は猛烈な頭痛に襲われた。あの時は気がつかなかったが、俺が恐れていたのは、この夢を、青柳の好意、坂出の感謝、友部の尊敬を含めて、すべて失うことだったかもしれない。俺にとって、失うには、あまりにも美しい夢だった。「もう少し、もう少しでいいから、この夢を見続けさせてくれ」と、俺の体が叫んだのかもしれない。
すぐに夢を捨てることは、あの時の俺にはできなかった。でも、あれから時間がたって、いくらかは成長して、だんだんにわかってきた。いつまでも夢を見続けることなどできない。
「本当に好きになって、告白して」と那加は言った。それは俺に、リアルを生きろという命令だ。
誰かに告白するということは、恋人になってくださいということは、場合によっては、結婚を含めて、一緒の人生を歩こう、と言うことだ。相手の今の境遇を含めて、お互いの人生を重ね合わせようということだ。かっこよくない自分を認めて、「それでも、あなたが好きだから、あなたのそばで生きたい」と告げることだ。それは夢ではない。現実を確かに生きようとすることだ。
俺は、目を閉じた。いつまでも那加の奴隷でいるわけにはいかない。俺は、本当の情けない弱虫の俺にもどって、俺の努力の範囲で、できることをするしかない。
そして、もし、それでも、好きな人のそばにいたいと願うなら、奴隷でないありのままの俺として、告白するしかない。「あなたが好きだから、あなたとともに生きたい」と。眞知に、あるいは、青柳に、それとも友部に、もしかすると、その三人の全部に。告白しても、素の俺はきっと振られるだろう。でも、振られた時、俺は、本当に、自分一人で、俺らしく努力した、と自分に言えるかもしれない。
那加はたくさんのことを教えてくれた。でも、トータルすると、たった一つだったような気もする。それは、努力は届かないことは多いけれど、たとえかなわなかったとしても、努力したことは、自分の誇りになる。そして、悲しみや苦しみと一緒に手に入れたその誇りこそ、自分にとって、人生の宝物になるということだ。
那加の言う通り告白しようと思った。
那加がくれた夢は本当に美しい夢だった。だが、夢から覚めなければならない時は必ず来る。たぶん、誰もが子どもから大人にならなければいけないように……でも、その時、俺は、まっすぐ、それを受け入れられる人間にならなければならない。そうでなかったら、それができなかったら、俺は那加にもうしわけなさすぎると思った。那加は間違いなく、いろいろな意味で、俺を成長させてくれた。那加は俺を使って、酒出南を幸せにし、友部透子の人生を切り開いた。生徒会を活発にし、学校生活を活気あるものにした。みんなが恩恵を受けた。だが、一番、恩恵を受けたのは、間違いなく俺だった。
ふと、手の上に暖かいものが落ちて、俺はびっくりする。気が付かないうちに、涙がこぼれていた。
最高の美少女と恋愛ができる劇の主役を俺にあてがったのは、那加の深遠なる配慮なのかもしれないと、ふと思った。俺の夢の最後を飾るのには、あまりにできすぎている。那加は、そこまで計算していたのだろうか?
「ご主人様」と、俺は、心の中で言った。
「俺、ご主人様の命令に従います。ご主人様の名に恥じぬものになります。俺、文化祭が終わったら、ご命令通り、奴隷でいることをやめます。やめて、すべて本当のことを言って、俺にとって一番大切な相手に告白します。必ずそうします……だけど、文化祭まで、俺が主役の劇が終わるまで待ってください。それまで、あとほんの少しの間、夢を見させてください。あとほんの少しだけ、ご主人様の奴隷でいさせてください」




