第64章那加の誤算?
眞知とのデートの次の日、那加は俺に眞知と恋人になっていいよというのでした。
俺はそれ以上何も言わなかったが、おそらく俺の言いたいことは伝わったのだろう。那加は頬杖をついたまま、少しうつむいて考えた。
「いいよ……ジラがそうしたいなら、もう少し、私の奴隷でいて。ただし、これからは、命令に盲目的に従うのではなく、命令を実行するときにも、自分が何をしているか、何をしたいのかをよく考えてね。そうして、やったことが、全部、自分のやったことだっていう自信が持てたら、眞知に告白なさい。それまで待つわ。眞知を待たせることになるけど……まあ、ジラが私に言われたからでなく、本当の自分として眞知に告白してくれなくちゃ、意味ないものね。仕方ない。もう少し、時間が必要ということにしましょう。それで、私のほうも、少し、ほっとする部分もあるから。いろいろと、ジラに、もう少し、やらせたいこともあるしね。実は、私も、こんなに有能な使い勝手のいい奴隷を手放すのが少し惜しくなってきたから……でも、告白は後にしたとしても、眞知とはまた会ってあげてね。眞知が楽しみにしてるから……ふふふ」
那加は少し笑った。
「私の心も黒いわね。あなたがちょっと憎らしいのよ。眞知がジラをこんなに気に入るなんて、ほんと、計算外よ。今回のデートもね、正直に言うと、眞知がもう待てないって言うから、許したの。最近は、毎日、家に帰ると、ジラの話を聞きたがって、うるさいくらいで、早く会いたい、って言ってたの。ジラ、あなた、何をやっても一筋縄でいかなくて、結構、ドジなものだから面白いみたいよ。実物に会ってみたら、幻滅するかなってちょっと期待してたんだけど、なんだか、ますますジラが気に入っちゃったみたいで、え、まさか? っていう感じなの。参ったわよ。こうなってみると、私の大好きな眞知を、ジラに取られそうで、ちょっとジラが憎らしい気分よ。恋人候補として紹介しておきながら、ちょっと後悔してるんだからね、ほんとまっ黒。偉そうにジラのこと言えないよ。でも、もう、こうなったら、許すから、近いうちに眞知に電話して。デートしてあげて」
朝のミーティングが終わって階段を下りながら俺は考えていた。なんかやっぱり少し変な気がする。声のはりが、いつもの那加じゃない。疲れているのかと思ったが、最後の最後に思わず本音が出たのかもしれない。二人きりの姉妹。自分を慕って、家出についてきた妹は彼女にとってかけがえのない存在に違いない。もし、眞知が俺と本当に恋人同士になったとしても、眞知の那加に対する愛が変わるはずはない。那加にもそれはわかっているだろう。それでも、独り占めしてきた宝石を、ほかの人と共有することになったとしたら、やはりどんなにかさびしいだろう。落ち込むのも無理はない。「愛情は半分にならないよ、二倍になるんだよ」なんてことをいう人もいそうだが、それはきれいごとに過ぎない。そばにいる時間は確実に減る。眞知が那加のことを考えている時間も減る。俺にとって那加は偉大すぎて遠い存在だが、冷静に考えればやっと高校二年生になろうとしている少女に過ぎない。まして、今の那加の境遇を考えたら、妹が誰かの恋人になるということは寂しいことに違いない……
これは、もしかして那加の誤算なのか?
俺をからかうために始めたことが、思わぬ結果につながったというわけなのか? とにかく一回はデートさせるつもりで、俺のことを美化していたのが、眞知が俺を気に入るというハプニングを引き起こしてしまったのか? もっとも、美化といっても、何かを大げさに言ったわけではなく、「すべて那加の指示」という部分をかくしておけば、正直に、俺のやったことをそのまま話しただけで、十分に面白い物語になるし、俺もすてきな人に見えるかもしれない。そう考えれば、少なくとも眞知が俺に興味を持ったとしても、ありえないことじゃない。そして、俺が、デートの最中、正体がばれないようにと、おどおどと振る舞ったことが、「すごいことが出来る人なのに謙虚」と好印象につながったのかもしれない。今朝、最初に那加が俺に言った『あなた、どんな魔法をかけたの?』とはそういう意味だったのか……ここまでは那加も読んでいなかったということか? そして、ちょっと困ったなと思っているのか?
でも――と俺は心の中でつぶやく――那加の立場なら、困る必要はない。俺たちの仲を裂くことは簡単だ。眞知に俺の本当の正体――奴隷であることを話してしまえばいい。
しかし、那加はそうするつもりはなさそうだ。なぜだ?
廊下の途中で、突然、俺は立ち止まった。その疑問の答えがひらめいたからだ。胸がどきどきしてきた。たぶん、そうだ。それ以外にあり得ない。それは、たぶん、那加のやさしさなのだ。しかも、ほかならぬこの俺に対してのやさしさなのだ……俺の正体をばらして眞知の俺に対する熱が冷めても、那加はもちろん眞知も失うものは何もない。しかし、この俺だけは、眞知のような美少女と恋人になれる千載一遇のチャンスを失うことになる。だから、那加はこの俺のためにそのチャンスをつぶさないでおこうとしてくれているのだ。俺がもう少しまともになって、『本物』でなくても、それに近いものになれる可能性があるなら、それを追求させてやろうと思ってくれているのだ。そして、もしそれが実現したら、それは俺の幸せであると同時に、眞知の幸せでもある。「ジラが眞知を裏切らない限り、ジラは眞知を幸せにできる」と那加は言う。那加が言うのだから、きっと正しいのだろう。結局、那加は俺と眞知の幸せを願ってくれているのだ。
だが、本当に恋人同士になれたとしたら、俺と眞知はいいとしても、那加はきっとつらい。それでも、那加は、眞知が俺を気に入っているなら、二人を幸せにしたいと願ってくれているのだ、きっと……自分が不幸になったとしても……
眞知に言われて、俺も那加のやさしさにようやく気付いていた。
なぜなんだ! なぜ、那加はそんなにやさしいんだ! こんな俺にまで。
俺の頭の中には、那加との出会いから、今日まで半年以上のことが一斉にフラッシュバックされた。どの場面でも、那加の指示はいつも投げやりで、意地の悪い響きを持っていたが、改めて考えてみると、那加の指示はいつも、誰か那加の周辺にいる人を幸せにするものだった。俺は、いやいやだったり、半信半疑だったりしたが、それに従うことに心を奪われて、それが何のためかということをよく考えなかった。しかし、従っていくと、まるで宝箱のふたが開くように、何となくうまくいって、誰かが幸せになる。酒出の件もそうだ。部活内がうまくいくようになって、最近では県大会でも上位入賞を果たした。俺がマラソン大会で無理して走って途中棄権したことだってそうだ。那加がそこまで計算していたとは思わないが、しかし、あの一件で、俺は生徒会長としてよりも、「がんばりすぎた生徒」として全校生徒に知られることになって、好感度が上がった。そのことが、あとの生徒会行事の成功につながっていることは間違いない。那加の命令はいつも誰かを幸せにした。しかし、その幸せの輪の中に那加はいたのか?
県大会が終わった後、酒出はわざわざ俺に礼を言いに来た。
「みんなで力合わせられたのは、そして、こんなに勝てたのは、ジラのおかげだと思ってるよ。ありがとう」
わざわざ礼を言いに来てくれて、俺はうれしかったが、同時にひどく落ち着ない気分だった。「礼を言うなら那加に言ってよ」と危うく口元に出そうになったのを必死で飲み込んだ。
那加自身は幸せなのか? 俺がしたことは那加のためには何一つなっていない。俺のしたことが那加自身を幸せにするものであったことは一つもないような気がする。最初のころ何回かケーキやクッキーを二つ買ってきたぐらいか……あれは、眞知と……待てよ、二つ、いつも二つだったぞ、俺は那加と眞知二人分だとばかり思っていたが、眞知はおばあさんと暮らしていると言っていた。だとすると、もしかして、あれには那加自身の分は含まれていなかったというわけなのか……?
これでいいのか。やさしい那加が、それでいいというのだから、それでいいのか? 忠実な奴隷のはずの俺は、ご主人様自身のためには、何一つ奉仕していない。そんな俺が、たった一人の、たぶん心の支えともいうべき、大切な妹とデートして浮かれている。それでいいのか?
それで、那加が幸せだというならそれもいい。けれども、よくわからないが、今の那加はほんとうに幸せなのか? 家を出てきて、眞知以上だという美貌をひたすらマスクに隠し、おそらく友部さえ上回る学力を隠し、深夜や早朝のアルバイトの疲れさえひたすら隠して生きている那加。
俺は那加のことをあまりにも何も知らないことに改めて愕然とする。ひたすら命令に忠実に動いてきたが、命令に盲目的に従い、自分のことばかりにかまけて、那加自身を見てこなかった。やっているときはつらいと思ったこともあるが、結果的には、俺ばかりが楽しくやってきてしまったような気がする。
今思うと、那加はあまりに完璧すぎて、俺にとっては神様のような存在と感じられていたのだ。神様のように絶対的に強い完璧な存在。ただ従ってさえいればいい存在。だが、那加は神様じゃない。俺と同じ一六才の女の子だ。完璧でもなければ、永遠でもない。悩みや苦しみや弱さを持った存在のはずじゃないのか。だとすれば、俺は何かしなければいけないのではないか? 少なくとも、眞知と恋人になれる日があるとしたら、その前に、俺は奴隷としてご主人様に恩返ししなければいけないのではないか?
でも、だとして、いったい何をすれば?
確かなことは、那加には、何か秘密があることだ。家出の理由、マスクの理由、眞知でさえ知らない秘密がある。その秘密が解けなければ、答えが出ない気がした。だが、眞知でさえ知らないその秘密を、俺に教えてくれるわけもない。眞知は彼女らしく、何も聞かないでそばにいるという道を選んだ。眞知にはそれができる。でも、俺にはそういう形での恩返しは無理だ。俺はどうしたらいい? 俺に那加を幸せにするためにできる事が何かあるか?
とにかく、眞知に早く会って相談してみようと俺は思った。那加に何かの形で恩返しするとしたら、眞知と一緒に考えた方がいいと思った。たぶん、その意味で二人は同志のはずだから。




