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第63章 那加と眞知

眞知と初めてのデートをした俺。次の日の朝、那加の書斎で昨日の話をします。

「ジラのこと、とても気に入ったみたいよ」

 次の日の朝、那加はいつものいすに座って、机に頬杖をついて、窓の向こうを見ながら言った。屋上に近い高い場所なので、見えるのは空と雲ばかりだった。朝の光が斜めに那加の肩のあたりを照らしている。

 昨日、眞知にバイトの話を聞いたせいだろうか。那加の声はどこか疲れて聞こえた。今日も、早朝のバイトをやってから、学校へ来たのだろうか?

「嬉しそうにジラのこと、話してたよ。まだ、ジラに恋している、とまでは言えないな。でも、『電話してくれるかな』なんて、心配してた。私、笑っちゃった。『そんな心配いらないよ』って言っておいたよ。『ジラは、眞知に夢中だから、きっと、次のデートで好きです。恋人になってくださいって言ってくれるよ、ってね』。だから、ジラ、次のデートでは『大好きです。恋人になってください』って告白していいよ。眞知は、すごく喜ぶと思う。そして、たぶん『はい』って言うんじゃないかな。もしかすると、キスまでいけるかも。とても気に入ったみたいだもの。キラキラ目を輝かせてデートの話をしているの。正直、ここまであなたが気に入るって思ってなかった。ああ、眞知も、年頃の女の子なんだなあ、って思っちゃった。ジラ、いったい、あなた、どんな魔法をかけたの?」

「魔法をかけたのは、那加でしょうが……俺、正直、申しわけなかったです。『会えてうれしい』なんて言われて。眞知さんは那加のことを信じ切っているから、俺について那加の言ったことをそっくり真に受けているみたいで、俺をとてもすてきな人と思い込んでいるみたいです……ただ、俺も、勘違いされていることを否定する勇気はなくて……那加の言うとおり、俺の心も黒いです。那加に口止めされていなかったとしても、すべて、俺のやってきた「かっこいいこと」は、ただ那加の命令通りやっただけだって自分からは言えなかった」

「いいんだよ。少し黒いくらいでいい。眞知みたいに美しい心は、他の人から見ればすてきだけど、自分も他人も幸せにするとは限らない。だって、多くの人は多かれ少なかれ黒い心を持っているんだからね。もしかすると、幸せになるためには、眞知もいずれ汚れを知らなくちゃいけないのかもしれない。いつか処女を失う日が来るようにね。なんとしても、私は眞知には幸せになって欲しいんだ。ジラ、あなたが幸せにするのよ」

「俺? 俺がですか?」

 どうもそこが納得できない。那加は、俺が本当は自分では何もできない腑抜けだと知っている。那加の命令がなければ、パニックになってしまうようなやつだ。それが、眞知に愛の告白をしろという。そして、那加を信じ切っている眞知は、きっと恋人になってくれるだろう、と言うのだ。それでいいのか。俺にとってはそれで良くても、那加や眞知にとって、それでいいはずがない。俺に幸せにしろというのは、一体、どういう意味なんだ?

 那加は、いつものように頬杖をついたままこちらを見る。表情はまったく見えない。本気なのか、ただのからかいなのか、俺には分からなかった。

「ジラ、あなたがよ。この前から、同じことを何度も言ってるのに、まだ、わからないの? 眞知にとっての幸せは、自分を大好きな人が、自分をこの世で一番大切に思ってくれることよ。ジラにはその資格があるって言っているの」

「那加は、もともとは、俺を笑ってやろうと思って、眞知さんとのデートを奴隷の条件にしたんでしょう? 違いますか?」

「最初はね。そうだったかもしれないわ。でもね、今は、眞知があなたを気に入るなら、眞知を幸せにするチャンスを、あなたにあげてもいいな、って思ってるの。あなたは、自分のスペックの低さを気にしてるのね。前にも言ったでしょ。人と比べて、人を羨ましがって自分を嘆くのは心が黒いからよ。同じ物差しで眞知を測るの? もしそうだとしたら、あなたは眞知の心の美しさがまだわかっていないわ」

 那加はまるで数学を教えている時のような、少し投げやりな、しかし、はっきりとした調子で言うのだった。

「いい? 眞知はね、あなたがどんなスペックの人でも、全然、気にも留めないわ。あなたが眞知を大切にすることに一所懸命になりさえすれば、眞知はあなたを大切にすることに一生懸命になってくれる。わかる? 自分の容姿や才能なんて天からの授かりものよ。他の人と比べて嘆いたって、何の役にも立たない。同じ時間を使うなら、嘆いているより、それを磨く方がはるかにまし。でも、わかっていてもなかなかそうはできないよね。私もジラと同じだから、ジラの気持ちは、痛いぐらいよくわかる。でも、眞知は、違うよ。恋人をほかの人と比べたりしないわ。ジラを好きになれば、ずっと好きでいてくれる。あなたが裏切らない限りはね。そして、ジラ、私は、そこだけは信じてるの。あなたは、眞知を裏切らないって……」

「そう言われると、俺は、もう裏切っている気がします。だって、眞知さんの見ている俺は、本当の俺じゃない。俺の活躍は全部、那加の奴隷のしたことで、俺のしたことじゃない」

「本当に、ジラは正直だね。生徒会長になって、行事がうまく行って、ずいぶん、ちやほやされたのにね。あれだけちやほやされると、勘違いして、全部、自分のやったことだ、自分はえらい、と本気で信じこんじゃうようなお馬鹿さんが、いっぱいいるのにね。ジラはそんなお馬鹿じゃないっていうのは立派よ。だからこそ、眞知の恋人候補なのよ。だけど、それにこだわってはだめ。奴隷だっていいじゃない。ジラは、私の命令のとおりに動いていたように思っているかもしれないけど、実は、自分の意思で動いたのよ。もし、私の命令が、ジラの正義に反するようなことだったら、決してそうはしなかったと思うよ。ジラは、自分のやりたかったことをしてきてるんだよ。私は後押ししただけ」

「そんな……それは違います」

 それは、絶対に、違うと俺は思った。俺の心の中に、そもそも、生徒会長になったり、地域と学校を結び付けようとする気持ちがあったはずはまったくないし、酒出を助けたいという気持ちが仮にあったとしても、那加の命令がなかったら、まるっきり何をしたらいいかわからず、手も足も出なかったろう。

 もちろん、那加の言うとおり、まったくの偽物とも言いきれない。たしかに、那加の命令を本当にやりたくないと思ったことは一度もなかったような気がする……というより、いつの間にか、少しワクワクしてさえいたような気がする。勉強やマラソンの練習でさえ……マラソンは、結局、完走できなかったが、俺はあの時、つらいなか、努力することに価値があることを感じていた。そう、それに、勉強の成果で、テストの点数が最近、友部に次ぐ二位なのは現実だ。那加の命令とはいえ、俺がしっかり勉強して、勉強の成果がそのまま俺自身の実力になっている。最近では、たまには人に教えるほどになっている。この前など、なんと友部に質問されて答えられたぐらいだ。確かに、俺も、まったくの偽物というわけではない。ちゃんと努力すれば、俺にできる事は、かつての自分が奴隷になる前に想像していたものより、ずっとずっとたくさんあることを学んだ。確かに、今の俺は、昔の俺じゃない。

 だが、だとしても、友部委員長がいつか言ったことが正しい。

「学校の成績では、たまたま、私の方が上だけど、本当の意味の優秀さでは、ジラにとてもかなわないと思うよ。あなたのすることって、びっくりすることが多いけど、あなたが信念をもって必死で取り組んでいるうちに、結局、うまくいっちゃって、みんなを笑顔にするんだものね。あなた、ほんとすごいよ」

 その「すごさ」は紛れもなく那加のすごさだ。誰かの幸せのために、今、何をすべきかを的確に見極め、正しい方向へすすめられるすごさ。そして、そのすごさこそ、酒出に尊敬され、眞知に認められる「俺の価値」なのだ。その肝心かなめのところで、俺は本物じゃない。俺がどんなにがんばっても、一人では「すごい人」としてふるまえるはずはないのだ。那加というご主人様の奴隷でなければ……。


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