第62章 眞知と那加の秘密の話
眞知との初めてのデートの日。トイレに行っていた眞知は少し恥ずかしそうに便秘の話をするのだった。
今日一日を一緒に過ごしてきて、感じてきた眞知の魅力の正体を見つけたような気がした。うまく言えないが、「飾ることなく、正直で、ありのままでいる美しさ」とでも言ったらいいだろうか。身勝手な男が考える、かわいい女の子の理想そのものだと思った。
最高の美人、すばらしいスタイル、しかも頭もいい。それでいて、まるで俺を崇拝しているような会話、やさしさ、それがまるで、自然に生まれるように、そう、俺に気に入られようとしてではなく、心の中から、ありのままにできてしまう。
俺は、那加に何度も「黒いわね」と指摘されたとおり、他人の眼ばかり気にしている。自分と他人を比べて自分が劣っていることで他人を嫉妬し、「どうせみんな俺なんて相手にしてくれない」と、落ち込んでばかりいる。人に嫌われることばかり恐れて、ぶつかる代わりに、逃げてばかりいる。ところが、眞知には、嫉妬や羨望や虚栄というものが感じられない。こんな子が本当にいるんだ、と俺は改めて思った。
那加の言葉の意味、が初めてわかったような気がした。
「眞知は本当に美少女。でも、内面はもっと美しい。私は、世界最高だと思ってる。どんなことがあっても、眞知には幸せになって欲しいの」
俺もそのとき、心底、そう思った。この子は幸せにならなくちゃいけない子だ。この子を幸せにしたい、と。那加は、俺が幸せにするんだと言っていた。だが、この俺にできるのか?
だめだ、と俺は思った。この子の美しさに比べたら、俺なんかゴミみたいなものだ。那加の奴隷になって、命令に忠実に従っているうちに、あれよあれよという間に仕立て上げられて、外見は立派に見えるようになったらしい。ほめられることも増えた。「ロバ的」ではあるが、人気も出た。ちょっとはいい気にもなっていた。でも、今、わかった。俺の中身は空っぽだ。見栄っ張りのいじけ虫、眞知の前で虚像を失うことを恐れて、ただ、おどおどしている。那加なら「自信を持て」と言うだろう。情けないジラも虚像だからね、と念をおされた。でも、どうしたらいい?
少なくとも、おどおどしないことだ。俺は、なるべく明るい声で言った。
「ちょっと、心配してしまいました。でも、たいへんなんだね」
「はい。那加にも、『もし、デート中に出そうな感じがしたら、絶対に、我慢しないで、トイレに行くのよ』って心配されるくらい重傷なんです。『待たせたら、正直に、ジラに言うといいよ。ジラはきっと笑ってくれるから』って言ってました。」
「あは」
思わず少し笑ってしまった。
「那加ったら……俺、笑いませんよ」
「今、少し、笑いましたよ」
「これは、違いますよ。那加は、何でもお見通しなんだなあ、と思って笑ったんです……」
「お姉ちゃんは、すごい人です。ほんとに、すごいと思います。双子なんですけどね。一卵性のはずなんですよ。顔かたちは、けっこうそっくりって言われるんだけど、でも、全然、違うんですよ。お姉ちゃんは、すごく頭がいいんです。そして、すごくやさしい。ジラも知ってるでしょうけど」
頭がいいのは知ってる。でも、やさしいか?
俺は、はっとして思わず口元に手をやった。確かにやさしい。そうでなかったら、俺を使って酒出を助ける理由がどこにある? 友部のこともそうだ。友部を生徒会に入れて、いろいろやらせて、友部は前よりも、間違いなく生き生きしている。友部の境遇を俺から聞いて、「生徒会に誘いましょう」と言った。あれは、友部へのやさしさ以外のものであるはずがない。それに気がつかなかったなんて、俺もいい加減、馬鹿だ。
「どうかしましたか?」
眞知が言う。俺が、一瞬、惚けた表情をしていたのを不思議に思ったのだろう。
「いや、那加は本当にやさしいなと思って……」
「はい。ジラならわかってると思います。私、何一つ、お姉ちゃんに勝てません。知ってますか? というか、知らないと思いますけど、お姉ちゃん、すっごいかわいい美人なんですよ」
「そっくりなんでしょう?」
「たぶん、ぱっと見には、そっくりだと思います。でも、よく見ると、お姉ちゃんの美しさがわかります。というか、わかる人にはわかります。私なんか、比べものにならないです」
「自分では鏡でしか自分を見られないからですよ。俺は、眞知さんみたいに美しい人、他にいないと思います」
「ありがとうございます。本気にしておきますね」
ばりばりの本気です。
「眞知は、那加が大好きなんですね」
「はい!」
まぶしい笑顔で眞知はそう言う。
「大好きです!」
その顔の輝きだけで、どんなに好きかが伝わってくる。
「……えーと、失礼なこと聞いていいですか」
「なんですか」
「双子で、そっくりなのに、何一つ、勝てない姉がいるというのは、むしろ辛いというか、憎らしいとかいうことはないんですか?」
つい、聞いてしまってから、しまったと思った。眞知は、そういう嫉妬みたいなものには無縁だろう。そんなことを考えるのは、俺の心の黒さでしかない。案の定、眞知は少しきょとんとして俺を見つめる。
「え? あ、ああ、そうか……でも、そんなこと考えたこともなかったですね。というか、小さい頃から、ずっとあたりまえでしたから……お姉ちゃんは、何でも知っていて、何でもできて、そして、いつも、私のことを一番に考えてくれるんです。お姉ちゃんは、私にとって、太陽みたいな人です。そばにいれば、世界が明るくなって、いろんなことが明るく進むんです」
そうか、と思う。そうだろうな。俺も、奴隷になった最初こそ反発していたが、最近は、那加のそばにいれば物事がうまくいくことを感じている。そして、その那加が、いかに妹を大事に思っているかは、これまでの話からわかっている。妹からすればまさに太陽みたいな存在に違いない。
那加は、どうやら、こっち側の人間らしい。嫉妬や羨望に心を黒くすることがあると、自分でも言っていた。たぶん、妹の美しさに惹かれつつ、羨望もあるに違いない。それでも、こんなに美しい心を持った妹が、自分をこんなに無垢に愛してくれたとしたら、妹のことがなによりも大切なのは、むしろ、当然かもしれない。
しかし、那加は、その大事な妹を俺に引き合わせた。恋人にしていい、と言っている。本当に俺でいいのか? 俺にそんな資格があると那加は言うのか? どうもそこが不思議だった。
眞知は那加が「ジラの恋人になりなさい」と言えば、「はい」と答えてしまいそうな気がした。だから、那加はそんなことは言わないだろう。恋人になるなら、一人の男としての俺が、一人の女としての眞知と、誰の指図でもなく、お互いを恋人に選ばなくてはならない。だからこそ、那加はもう、奴隷はやめてジラに戻れ、と俺に言ったに違いない。だけど、俺にはそれはできなかった。
眞知と一緒に駅へ戻るバスに乗りながら、俺は考えていた。
俺には今の自分の虚像を壊す勇気はない。今日、眞知と過ごした時間はとても幸せだった。それは黒い打算かも知れない。俺の弱さかも知れない。でも、この幸せを手放したくなかった。
できれば、また会いたい。そのためにも、もう少し、眞知の思い込んでいるような「すてきな人」のふりをしていたかった。でも、虚像を背負ったままの姿で、眞知に、恋人になって欲しい、ということもできない。
もしかして、「はい」と言ってくれるかもしれない。那加が俺の上に作り上げた虚像は、見事なものだと自分でも思うから。そんな俺に「はい」と言わせてしまったら、だまし討ちしたようなものだ。だからこそ言えない。
「外見を本物にすることが、あなたがしなければならないこと」と那加は言う。でも、今の俺には、それはできない。神のような那加の洞察も、俺の情けないほどの弱さだけは見誤っている。眞知の見ている俺の外見と、本当の俺とは、月と地球ぐらいかけはなれている。間を埋めるなんてどうやったらできるんだ?
「また、会ってくれますか?」
と俺が言うと、眞知は太陽のような笑顔をくれた。
「はい。喜んで」
俺はまた眞知の美しさに見とれる。つり革につかまっているこの美少女。俺は、眞知をいとしいと思った。那加が眞知の美しさは外見よりも内面よ、と言っていた意味がよくわかる気がした。今日、一日一緒にいただけで、俺はすっかり眞知の心の美しさのとりこになってしまったようだ。この子に幸せな人生をあげたい、あげられる自分になりたい、と心から思った。
駅で帰りの電車の時間を確かめていると、ふいに眞知が俺の肘のあたりをつかんだ。びっくりする俺の肩に顔をうずめるようにして肩を寄せてきた。
「ごめんなさい。ちょっと、顔を隠させて」と、小声でささやく。
そのまま、俺の体に身を隠すようにして、時刻表の裏に回る。俺は身を寄せる眞知の体の感触にどきどきしながらも、時刻表などを指差すふりをして、できるだけ眞知の顔を隠すようにふるまう。何が起きたんだ?
「ね、誰かこっちを見てる人、いる?」
俺は時刻表の向こうを確かめる。
「いないよ。みんなさっさと通り過ぎていくよ」
「ふう」とため息をついて、眞知は俺から離れた。
「ごめんなさいね。びっくりさせて。ちょっと、会いたくない人がいたような気がして……見間違いだったかもしれない」
眞知は駅の構内に入るにも、電車に乗るのにも、俺の影に隠れるようにして、おっかなびっくり様子をうかがいながら進んだ。幸い、大地市へ行くローカル線は二両しかなく、すべての乗客を確認するのはわけなくできる。
「ごめんね。びっくりしたでしょう」
一番目立たないと思われる先頭部分にすわったとき眞知が言う。
「たぶん、私の見間違いですけど、ちょっと知り合いに似た人がいたので」
「あの、もしかして秘密なのかもしれないけど、一つ聞いていい?」
「私たちがこっちに来た理由ですか?」
さすが、察しがいい。
「ごめんなさい。言えることだけ言います」
眞知は後ろを振り返って電車の中を見た。発車まで、まだ、間があったので、近くには人がいなかった。やはり人に聞かれては困る秘密があるらしい。
「私が、こっちへ来た理由は、お姉ちゃんについてきたかったからです。お姉ちゃんがこっちへ来た理由は、私は、実は、わかりません。お姉ちゃんは、突然、家出する、と私にだけ打ち明けてくれたんです。私は『ついて行く』といいました。お姉ちゃんはしばらく考えて『苦労すると思うけどいいの?』と言いました。『お姉ちゃんと一緒にいたい』と言ったら『一緒に行こう』って言ってくれました」
眞知の眼から涙がポロリと落ちた。
「一緒に来たのは、もちろん、お姉ちゃんが大好きだからです。そばにいたかった。そして、こんな私でも、いつか、お姉ちゃんの役に立てることがあるかもしれないって思ったからです。役立たずだけど、お姉ちゃんは、『眞知がいるからがんばれる』って言ってくれて……」
近くの入り口から乗客がどかどかっと乗り込んできて、話はそこで打ち切りになった。あとは、たわいのない話をしたが、俺は、少し上の空だったかもしれない。
頭の中がグルグル回っている感じがした。なんと、那加は家出少女だったのだ! おばあちゃんがいるから、保護者がいないわけではない。だから学校にも通えている。詳しくはわからないが、おそらく、おばあちゃんが秘密にかくまっている感じなのだろう。
大地駅で別れるのは、名残惜しくて、別れ道まで自転車を押して歩いた。
「メアド、教えてもらっていいですか?」
俺が聞くと、眞知はいたずらっぽく笑う。
「ジラは、もう知ってますよ。お姉ちゃんと同じですから。うち、貧しいので、スマホは共用なんです。ほとんど私が使ってますけど」
「じゃあ、那加のスマホに連絡していいですか」
「連絡下さい。私、友達いないから暇なんです」
「まさか……でも、連絡しますね」
俺は、わかれ道で、去っていく眞知を、その姿が見えなくなるまで見送っていた。
なんてかわいい人だろう、と思う。心がほかほかだった。
と、同時に、心の片隅に、那加の境遇のことがひっかかっていた。
マスクとメガネを決してはずさず、深夜早朝のアルバイトをしている那加。いったい何があったというのだろう。あの賢い那加が、それが最善の道だと思って選んだとしたら、よほど深い事情があるに違いない。俺は、那加のことをまったく知らなかったことに、今日、初めて、気がついた。




