第54章 ヴィーナス先輩の噂をする話
ある朝のミーティングでヴィーナス先輩の噂話が始まります
かつて委員長の友部と、テストの順位で賭けをしたことがある。俺が上回ったらデートをしてもらうという賭けである。その時からの次の3つのテストで勝負すると約束した。幸いにも、俺は最初の「夢テスト」で勝って、委員長とデートをしたのだった。残りの二つのうち一つは、友部があと一点で満点を取った後期中間テストだ。俺は2位だったが点数的には遠く及ばなかった。
そして、賭けたもう一つのテストは、全国模試というやつで、中間テストより前に実施されたのだが、結果がかえってきたのは、冬休みが終わってからだった。当然のように俺の惨敗で、俺はまたケーキをおごった。
俺は学年でも11位で全国順位も何万番か、忘れてしまうような順位だったが、友部は全国順位が3桁だったというからすごい。
「やっぱり、模試は、付け焼き刃くんには厳しいね。でも、これで、賭けも終わったし、次回の期末テストは、透子も油断してくれるかもね」
ある朝、那加がそう言った。
「でも、もう、俺には負けないよって、この前、言ってましたよ」
「なんだか、最近、本気で勉強してるわよね。ジラが火をつけちゃったかな」
「本気の委員長には勝てそうもありませんね」
「何、弱気なこと言ってるのよ。眞知とデートしたくないの?」
「いや、がんばります。というか、言われたとおり頑張っているつもりですけど」
「いいことね。そう言えば、今度の模試のことで面白い話があるわよ」
「面白い話?……ですか?」
「ヴィーナス先輩のことなんだけど、数学で全国1位だったらしいわ。何しろ一〇〇点だから文句なしね。まあ、一〇〇点は、毎回、何十人かはいるんだけどね。ところが、ヴィーナス先輩、5教科会わせた総合順位はずっと下がっちゃうんだって」
「あんなに頭がよくても、苦手教科があるんですか?」
「国語がからっきし点が取れないみたいよ」
「え? 得意かと思ってました」
「だよね。文芸部だもんね。私もそう思ってたから、ものすごく意外で、不思議に思ったの。実は、世の中には、ものすごく数学ができるのに、国語がまるでできない人って、案外、いるものなのよ。記号操作とかは巧みなのに、思考がものすごくデジタルで、人の気持ちとか、そういうあいまいなものが全く分からないらしいわ。アスペルガーって聞いたことある? ちょっとそれに近い感じね……でも、先輩の小説なんか読んだら、むしろ、とっても人の気持ちの機微に敏感な人よね。絶対にそういうタイプじゃない。むしろ、国語ができそうって思うでしょ? だから『なんで国語の点が悪いんですか』って、私、先輩に、直接、聞いちゃった。そしたら、教えてくれた。ちょっとぶっ飛んじゃったけど、いかにも先輩らしいなと思って」
「え? どういうことです?」
「ある意味で、国語ができすぎるのよ」
「え? どういうことです?」
「先輩に言わせると、『正解のない問題が多すぎる』んだって。『だから、正解のない時は答えを書かないの』だって。すごくない?」
「どういうことです? よくわかりませんけど」
「ジラも国語は得意だから、きっと、ある程度、わかると思うんだけど、国語って選択肢の中に答えがない問題があるよね。たとえば『この時の主人公の心情は次のうちどれか。もっともふさわしいものを選べ』なんて言っておいて、なんかどれもちょっと違うぞって思うやつ」
「ああ、確かに。でも、結局、一番それっぽいのを選ぶしかないですよね」
「うん、そう。国語の問題を解くことって、文章を読み取るよりも出題者の意図をくみ取る作業だよね。先輩はそれは嫌なんだって。主人公の気持ちなんて言葉に表そうとしても表せない複雑な気持ちだからこそ、並外れた才能を持つ文豪たちが、実にうまく、それを、文章を練りに練って表現しているわけだよね。そんな素晴らしい表現に傍線を引いて。傍線部はどんな気持ちを表しているかなんて言われても、そのままの文章よりうまい表現を見つけられるわけがないじゃない、って言うのよ。だから、選択肢が4つあっても4つとも違うから、白紙にしておくんだって」
「選択なんて、まぐれでも当たればいいや、ってとにかく埋めちゃいますけどね、俺なんか。でも、だったら、記述式のところには答えを書くんでしょ?」
「書くけど、なかなかとんでもない答えをね。たとえば、さっきの問題だったら、もとの文章がこれ以外にあり得ないというほど的確な表現だったら、そのまま書いちゃうんだって。別の表現が可能だったら書くみたいだけど、『だいたい微妙な問題が多いので50字ぐらいじゃとても書けないから、800字ぐらい書くこともある』って、言ってた。50字っていうところに800字も書いてあったら、採点者もぶっ飛んじゃったでしょうね。『別にいいのよ。テストを受ける以上、問われたことに対してベストな答えを書いて×をもらった方が、間違っているとわかっていることを書いて点数をもらうより、ずっと幸せだわ。』だって。何を書けば丸をもらえるか知っていて書かないんだから、先輩らしいよね。すがすがしいくらいの、”どストレート”だわ。私、先輩のこと好きだなって思った。河合が、神様みたいに崇拝している気持ちもわかるわ」
「そうですね。あんな風だと生きづらくないのかなって、思ったりもしますけど……」
「えーとね。たぶん結構生きづらいんだと思うよ」
「え、そうなんですか? 先輩、見てると、自由に楽しそうに生きているように見えますけど」
「先輩は喜びにもストレートだけど悲しみにもストレートだからね。この前、部活に行った時、ジラも河合も来てなくて先、輩だけ部屋にいたんだけど、入ったらいきなり抱きしめてきて、しばらくじっとしているの。『何かあったんですか』って聞いたら『ううん、那加に会えてうれしかったから』って言うの。『時々、とっても淋しくなるの。発情期なのかなあ』とも。青春って言わないで発情期というところが先輩らしいけど……たぶん、推測だけど、あれだけストレートだと、理解してくれる人ばかりじゃないよね、人にどう思われようと全く気にしない人ではあるけど、淋しくなることはあるのね、たぶん。私を見て『ああ、やっと理解してくれる人に会えた』って思ったのかもね」
「へえ。そんなことあったんですか」
「ジラ、先輩の、この前の小説、覚えてる? ほら、部誌に乗せたやつ。河合がヴィーナス先輩のヌードが載ってるって宣伝してたやつ」
「ヌードっていっても、天使の裸のシーンが文章で出てくるだけですがね」
「それだけで、河合は、先輩の裸を想像して興奮してるんじゃない?」
「ずいぶん想像力がたくましいんですね」
「ジラ、あの小説、どう思った?」
「天使が、美少年に恋をして、愛を貫くために、ただの人間になる話ですよね。とても面白かったです」
「天使が先輩に、美少年がジラに思えなかった?」
「そうですね。天使は先輩に重なって見えましたが、相手役は、俺に重ねるには、美少年過ぎますね。この美少年の描き方は少女漫画に出てくる、かっこいい一流男子っていう感じですもの。俺みたいなオタク系男性読者に自分を重ねさせようとするなら、もうちょっと不細工な方がいいですね。不細工で、普段、もてないからせめて小説の中で理不尽にもてたいといって読むんですから」
「確かにジラの小説ではブサ系男子が、理不尽に美少女をいたぶっているものね」
「もうその話は、勘弁してくださいよ」
「先輩の小説のエロ小説版、ジラには読ませられないけど、とても面白いよ。先輩はまだ17歳で、たぶん性のリアルを経験してないと思うから、想像で書いていると思うけど、そして私だってまだ16だから、よくわからないというのが正直なところだけども、今の年齢での性のリアルをものすごくストレートに書いている気がする。ストレートでまじめだから、書いてることはものすごくエロいと思うんだけど、なんというか厳粛な気分にさせられるの」
「厳粛ですか」
「主人公の天使は島の守り神として、人々を愛し、人々に愛されてきたのに、男の子に恋してしまって、男の子にも愛されてセックスしたいと思う。でも、天使は人間と交わると、もう天使としての力を失うのよね。天使と美少年は思い悩むんだけど、島の人たちの後押しもあって、結局、結ばれて島の一員になって暮らすことになるのよね。ハッピーエンドなんだけど、ジラの読んだ部誌版では、最後の頃に出てくる印象的な台詞があるの、覚えてるかな。「たくさんの人を愛し、たくさんの人を幸せにすることが幸福だと思っていた。でも、これからは、あなただけを愛し、あなただけに愛されることが幸せになるのね。永遠に生きることよりも、年老いて死んでいくことが幸せだなんて考えてもいなかった。でも、愛ってそういうものなのね。私、幸せよ、でも、幸せってほんの少し淋しさに似ているわ」。エロ小説版ではこの台詞が、濃密な愛の交歓の中で語られるのよ。そうするととてもリアルで幸せで同時に淋しいものに聞こえるのよ。もちろんフィクションなんだけど、先輩の本音にも思えたりして。だって、先輩のどストレートさって女神的だと思わない? 先輩に重ねたりすると、リアルな性の描写がとてもすてきな、美しいものに思えたりもするのよね。ジラにも見せてあげたい気はするんだけど、16歳の男の子には過激すぎるわね」
え? 那加だって16歳の女の子のはず。16歳の女の子には過激すぎないのか?
キンコーンと予鈴が鳴った。珍しく、那加があわてる。
「しまった。つい先輩の噂話なんか長々としちゃった。これ、紙に書いておいたから、いつものように解いておいて。質問があったら、また明日ね」
紙を渡される。最近は、毎日、難関大学の入試問題を解かされている。どうも本気で一番を取らせようとしているように思える。眞知に会わせないですむように無理難題を押しつけたというわけではないのかもしれない。とにかく、あと1ヶ月、必死に頑張ってみるるしかない、と自分に言い聞かせる。




