第44章 最後の休憩所からゴールを目指す話
マラソン大会もいよいよ最終の第四休憩所によってからゴールを目指します。
俺のIDカードを手にすると、友部は笑顔で俺を見た。
「ジラ、あなた、早いのね。びっくりしたわ」
「あ、ありがとう」
俺はろくに返事も出来ずに、チェックを受けると、近くのあいている芝生に横たわった。第4休憩所は、マラソンコースの途中にあった小さな公園を利用している。酒出と額田の言葉が頭の中に引っかかったせいだろうか、無我夢中で走ってきて、心臓も足も、もう限界だった。息は荒すぎて苦しいし、心臓は壊れそうなほど激しく打っていた。見上げる空には雲一つなかった。初冬の少し色のあせたような青空だった。
視界にいきなり顔が現れた。
「おい、大丈夫か、ずいぶん頑張ってるな」
菅谷だった。俺のクラスのイケメン副代表。スポーツマンで、成績もいい。一流グループの代表のようなやつだが、俺みたいな三流にも気さくに声をかけてくれる本物の一流だ。スペックは一流でも、それを鼻にかけて、俺たち三流を馬鹿にしたり無視する連中もいて、そいつらを、俺は、腹の中で2.5流と呼んでいる。俺たち三流よりはましかもしれないが、二流以下だという意味だ。まあ、俺にどう思われようと、彼らは痛くもかゆくもないんだが。
「おまえのこの企画のおかげで勝負が出来るよ」
俺が、息が切れて、返事が出来ないのを見ると、そう続けた。
「俺は今回、トップを狙ってるぜ。長距離は苦手だが、短距離五本なら勝負になる」
「菅谷くーん」
女の子の声が聞こえた。顔は見えないがたぶんクラスメートの誰かだ。
「はい、クレープどうぞ。私、作ったの。よかったら食べて」
それから俺に気付いたらしく
「あ、鯨岡君、来てたんだ。向こうに来れば? クレープ、あるよ」
何だよ、菅谷には「クレープどうぞ」で、俺には「向こうにあるよ」かよ、と思っていると菅谷の声が聞こえた。
「ありがとう、残念ながら、もう出るんで、食べてる暇がないんだ。よかったら、鯨岡にあげてよ」
「え、そうなの、ざんねーん」
「じゃあ、もう行くから……鯨岡も頑張ってな」
菅谷は行ってしまった。取り残された女の子は、仕方なさそうに俺の手にクレープを渡した。
「じゃ、これ、どうぞ」
そして、ろくに俺の方も見ずに行ってしまった。ま、俺の扱いなんてこの程度だよな。手にクレープの暖かさを感じながら、呆然と色あせたような青空を見上げている。少しは息も落ち着いてきた。
「大丈夫?」
今度は、美しい顔が、突然現れた。友部だった。チェックするランナーが途切れたのを見て様子を見に来てくれたらしい。
「具合、悪くない? 無理そうなら、先生、呼ぶよ?」
「大丈夫。このまま、めいっぱい休んで、また走るから」
「そう?」友部は少し心配そうになる。「頑張りすぎないでよ」
なんて美しい顔なんだ、と、改めて思う。もし、女優にでもなったら、大人気だろうな。これほど多くの地元商店の協力が得られたのは、友部の美貌の影響も大きいのではと、俺は密かに思っている。しかも、全日本クラスのアスリートで、頭もとびっきりいい。本当に、何もかも持っている人だ。おまけに、とんでもない働き者で、生徒会のメンバーが「そんなに、仕事、引き受けて大丈夫?」と心配するくらいの仕事を、次の日には、もう、しあげてくるのだ。そして、いつも謙虚だ。
ただ、生徒会のなかでも、俺にだけは、相変わらず厳しい言葉を投げてくるのだが、正直、友部の才能と働きぶりを間近で見ていると、俺みたいに何の才能もないものがしかられるのは、ごく当たり前だとさえ思える。そんな俺のことさえ、具合が悪そうだと、こうやって様子を見に来てくれるのだ。那加の言うとおり、本当にすてきな人だ。
友部は振り向いて、ランナーが来たのが見えたのだろう。
「無理しちゃだめだよ」
と言って去って行った。
友部はどんな人生を歩むのだろう。お母さんは、俺みたいな三流でも家を継ぎさえするなら結婚させてもいいと思っているようだが、まあ、まさかそんなことはあるまい。超一流の男と結婚して超一流の子どもを産むのだろう。額田の言うとおりなら、それで世界のためには幸いだということになる
万が一、俺が友部と結婚して、友部が俺の子どもを産むなんてことになったら、額田は激怒するだろうな。
俺は友部と正反対の、世の中にとっては何の価値もない人間なのかなと思う。価値がないから正しく女の子にはもてない。だから、仮面をかぶって、女の子ををだまし続けるしか、生きる道はないのか?
いつか、那加は「眞知に紹介するんだから、それなりに価値のある人間になってね」と言っていた。つまり、那加の考えたことを自分の考えであるようなふりをして生徒会長になるのが、その価値なのか?
そうやって、価値ある人間のふりをしないと眞知のような美少女とデートは出来ないのか。
この、努力賞の1位を狙えというのも、その一つの価値なのか?
友部や、菅谷や、後台先輩や赤塚先輩に比べると、なんて自分は価値のない人間なんだろうと改めて思った。ぽろんと一粒涙がこぼれたことに、俺は自分でもびっくりした。いや、汗か?
胸の奥から何かがわき上がってきて、俺は立ち上がった。とにかく、最後の区間を走り抜こう。俺の、できる限りの力を振り絞って。
友部にもう一度チェックをもらって、おれは走り出した。ゴールに向かって。
ゴールすれば何かが見えるだろうか?
足も胸も、もう限界だと思える頃、学校が見えた。トラックに入ると、ゴールテープが見えた。このマラソン大会は、みんなばらばらに入ってくるので、全員、観客の注目のなかでテープを切れる仕組みになっている。もう少しだ。あそこまで全力で走ればいい。
「生徒会長の鯨岡君が入ってきました」と放送が入るのが聞こえた。ここにも、それなりの数の女子が待機していて、俺のために大きな声援を送ってくれているのが聞こえた。頭はもうろうとしていたが、那加の姿が見えたような気がした。
たぶん、あと十歩もなかったろうと思う。不意に足ががくんとなった。足下の茶色のトラックがふいに目の前に近付いてきて、それもすぐに闇に吸い込まれた。何もかもわからなくなって、俺はその場に倒れ込んで、意識を失って、もう動かなくなった。




