第32章 友部が選挙運動をする話
俺の選挙運動も軌道に乗り始めたかと思ったのですが
次の日の朝、俺は校門のわきに立った。昨日の気分の良さがまだ胸に残っている。酒出たちは今日の放課後も手伝ってくれると言っていた。朝は一人だが、昨日よりもずっと勇気をもって話しかけられた。そのせいか、昨日よりも話を聞いてもらえるような気がする。始業時間が近づいて人が増え始めたころ、なんと、友部が来た。俺のところに来ると、持っていたたすきを肩からかける。「副会長候補友部透子」と書いてある。
「いい? 私も、少しだけ、一緒に校門に立つけど、私になれなれしくはしないでよ」
と、俺をにらむ。
「私は、あなたの公約に興味があって、手伝ってもいいかなと思うから立候補するんだからね。あなたと何か個人的なつながりがあるって思われたくないわ。今日、来たのも、自分も立候補するからには選挙運動したほうがいいのかなと思ったからで、あなたのためじゃないからね」
「はい、もちろん、わかってます」
「じゃあ、あなたからできるだけ遠いところに立つから」
友部は、俺とは反対側の門の脇に立った。
始業まで20分しかないから、友部が立っていられるのは、せいぜい10分かなと俺は思った。しかし、そのたった10分であんな騒ぎになろうとは想像もしなかった。
もうたくさんの人が登校する時間になっていた。
驚いたことに、友部がそこに立って皆に呼びかけようとするより早く、3年生の男子生徒が何人か、ささっと寄って行って、握手を求めたのだ。
友部も、選挙運動をしている以上、握手を求められたら笑顔で応じるしかない。一人一人の先輩と笑顔で手を握っている。手袋を用意していないので、素手で握手している。すると、それを見た別の生徒たちも素早く寄ってきて握手を求め始めた。すると、また別の生徒が、というように、それがどんどん膨らんで、あっという間に大きな人だかりができてしまった。
始業時間まであまりないというのに、どんどん膨らんで「割り込むなよ。ちゃんと並べよ」と言うものまで現れて、長い行列ができてしまったのである。男の子ばかりでなく女子もかなり混じっている。学年もいろいろだ。群集心理というものもあるのだろうが、こんなことになろうとは思いもよらなかった。
改めて友部の人気はすごいと思う。同級生として近くにいると、そのすごさに慣れてしまってもいたが、普段、遠くにしかいられないものにとっては、あこがれの対象なのかもしれない。
友部のたぐいまれなる美貌は、もちろん、それだけで注目の的だ。
友部は、だが、それだけではない。
入学式では生徒を代表して宣誓の言葉を述べた。入試の点数は断トツの一位だったらしい。ここらで1番の進学校、水都一高でもトップが取れたのでは、というほどらしい。宣誓の内容も素晴らしく、今でも語り草になっている。学校が用意しておいたものをもとに自分の言葉で述べたのだが、その、声の美しさは、聞くものの心をとらえた。
成績はいつも1位だし、模試の成績も素晴らしいらしい。
そして、さらに前回のクラスマッチで、全校生徒の前で見せた、背中に翼が生えたような飛ぶような走り。あの時の全校生徒のどよめきはすごかったのを覚えている。6位か7位でうけたたすきを、ゴールでは後続を引き離してダントツの一になっていた。
確かに、俺が想像していたよりもずっと、友部透子という存在は全校生徒の注目の的になっているらしい。
始業時間が近づいてきて校門付近は後から来る生徒と、長い列に並ぶ生徒が交錯して、大渋滞になってしまった。
「すいませーん。始業時間なので終わりにさせてもらいまーす」
さすがに限界だと思ったのだろう。友部は、そう言うと逃げるように、というか、まさしく逃げて、校舎のほうへかけていってしまった。
「なんだよう」「もう少しだったのにー」とか、ぶつぶつ言う声は聞こえたが、生徒たちもあきらめて学校へ向かうしかない。
俺も最後にタスキを外しながらついていく。
確かなことは、俺がそこにいたことをだれ一人気づかなかったことだ。
こんなことになるなら、友部を選挙運動に誘わなければよかったなと思う。昨日は忙しくて来なかったが、それで正解だった。これほど絶大な人気があるとは思わなかった。とにかく、友部が当選することだけは間違いなさそうだ。
休み時間、すれ違った時、友部に叱られた。
「ジラ、あなたずるいよ、自分だけ、手袋、用意して……私、手が痛くなっちゃったよ。ひとこと言ってくれれば私も用意したのに」
「すみません。俺が用意すべきでした」
「そのぐらい気をきかせてよ。でも、もういいわ。悪いけど、選挙運動はもうこりごり。あれじゃ、公約も何もないし……もし、私が落ちたら、悪いけど、一人で頑張って」
「あ、はい。でも、委員長は大丈夫ですよ、きっと」
大丈夫どころか、下手すると全部の票を集めちゃいますよ、と俺は心の中で言った。
朝の騒ぎが放課後まで尾を引くとは予想もしていなかった。
放課後、俺は校門に立った。約束通り、酒出たちも来てくれた。
昨日の調子で頑張ろうと思い、並んで声を出し始めたのだが、おそらく朝の騒ぎに味をしめたのだろう、何人かの男子が酒出に握手を求めに来たのだ。そうなると酒出も「よろしくお願いします」と握手に応じないわけにはいかない。すると、それを見たほかの生徒が次々と寄ってきて握手をを求め始まった。なるほど、酒出も人気者だからな、朝の騒ぎのようにならないといいがと思っているうちに、またたくまに人だかりが膨らんで、おまけに、笠間や稲田など、ほかのソフトボール部の1年生にも握手を求めるものまで現れはじめた。そのうちに、どんどん人が増えて、まるでアイドルの握手会のような列ができてしまった。男の子だけでなく女の子もたくさん並んでいる。
困ったなと俺は思った。俺の隣で次々と握手をする酒出を見ながら、握手を求められないのは肝心の立候補者の俺だけかよ、と思う。まさか、こんなことになろうとは……どうするかな、これじゃ酒出たちも迷惑だろうし、「もういいから、部活に行って」というしかないかな、と優柔不断に眺めていた俺だったが、わきから不意に声を掛けられてびっくりする。
「鯨岡君、こんにちは」
そして、握手会のような騒ぎのほうを見て言う。
「これが君の選挙運動なのかい?」
そこに立っていたのは赤塚先輩、つまりもう一人の会長立候補者だった。




