第30章 選挙運動を開始する話
ようやく生徒会長の立候補届を出した俺。放課後から選挙運動を開始することになります
「会長立候補者の鯨岡高志でーす。よろしくお願いします」
放課後、俺は、那加の指示通りに、校門のわきに立って校門を出る生徒に呼びかけていた。肩には「会長候補 鯨岡高志」と書いたたすきをかけている。脇には段ボールで作った小さい立て看板が立ててある。「私の公約:楽しい学校を作ります①マラソン大会に賞品を用意します②部活全部の部費を増額します③大大地フェスティバルを実現します」と書いてある。もちろん、内容はすべて那加の指示だ。夕べ、大急ぎで用意したので、立て看は少し小さかったかもしれない。部屋の中で作った時はそれなりにも思えたのだが、こうして広い場所に置くととても小さく見える。まあ、読めないこともないだろうと思いつつ、今更、仕方がない。通り過ぎる生徒たちに、大声で呼びかける。
「楽しい学校を作ることを約束しまーす」
「マラソン大会に賞品を用意しまーす」
「目いっぱい大声を出すのよ」と言われているので頑張るのだが、声を出すのも一つの才能で、俺の声は、大声を出してもなかなか通らない。
俺のほうをちらっと見る者もいるが、大半は知らんぷりで通り過ぎていく。得体のしれないやつがわけのわからないことをわめいているぞ、できる限りかかわらないようにして通り過ぎよう、と思っているのだろう。俺も通り過ぎる立場だったきっとそうするだろうなと思う。少し急ぎ足になって目を合わせないようにして通り過ぎていく生徒たちに向かって声を張り上げながら、俺の胸にはどんどんむなしさが広がる。俺みたいなのが、辻立ち(というんだろう、たぶん)したって、相手にされないどころか、気味悪がられさえすることは、那加だってわかっているだろうに、どうして那加は俺にこんなことをさせたいのか。先生の言うとおり恥の上塗りでしかないぞ、これは。……奴隷だから、今更、恥なんて関係ないでしょと言われればそのとおりだけど、これでいいとは思えないんですが……
友部に無理にお願いしなくてよかった、と思った。
「今日、よかったら一緒に校門でアピールしない?」と言ってみたのだが、断られた。今日は忙しいらしい。
「昨日までは立候補するなんて、考えてもいなかったんだから、今日の今日では無理よ。明日か明後日なら、準備して、私も辻立ちしてもいいよ。だけど、それって本当に役に立つの?」
そう言われても「たぶん」としか俺には答えようもなかったのだが、実際やってみて、これほどきれいに無視されるとは思っていなかった。反応のない集団に、さっきから声を張り上げて続けてきて、のどがからからだ。時計を見ると30分が過ぎている。帰る生徒の集団もまばらになってきた。次の指示を実行する時間だ。
俺は、3人連れの3年生らしい女の子たちに近付いて、一瞬ちょっとためらったが、思い切って握手を求めるように手を差し出した。この時のために、手には白い手袋をはめている。「こんにちは。生徒会長に立候補した鯨岡です。よろしくおねがいします」
「で、結局、何人と握手できたの?」
夜、那加から電話があった。俺は、少しため息交じりに言った。
「3人ですよ。手を差し出すとみんな怪訝な顔をして逃げちゃって。50人以上は声をかけたと思いますけど。一人の女子なんか振り向いて俺の顔を見るなり、走って逃げましたからね。ほとんどストーカー扱いです。ご主人様の命令をしっかり実行したつもりですが、もし当選したいなら、これって逆効果だと思いますよ」
「ちゃんと白い手袋はめてたんでしょう?」
「もちろんです」
「立候補と称して、女の子と握手してしまう新手の変態と思われたのかもね。認知度が足りないか。なるほど、さすがジラというか。ほんとに人脈がないんだね。一人きりだと、ちょっと厳しいかな。だけどね、頑張るしかないんだよ。何度も丁寧にお願いして握手をしてもらって、それでやっと三人に一人、1票がもらえるんだ」
「だとすると、今からどんなに頑張っても俺の得票はせいぜい10票というところですか」
「頑張って、何度もお願いして、まずはあやしいものでないことを理解してもらうことからね。いい、忘れないで、票は必ず1票ずつしかもらえないのよ。一人ずつに心を込めてジラの良さを理解してもらうの」
「俺の……よさですか?」
「そう、この場合で言えば、楽しい学校を作るための公約と約束を守る誠実さよ。明日は朝のミーティングはなしにするから、朝から校門に立ちなさい。そして、まずは話を聞いてくれる、握手をしてくれそうな人を見つけて、握手をして、公約を実現しますって心を込めて言いなさい。ジラならできるわよね」
「あ、はい」
もちろん、友達のいない俺でも知り合いくらいはいるが、朝の忙しい時間に話を聞いてもらうというのは俺には難しいミッションだぞ。
次の日の朝早く、俺は校門に立っていた。秋も終わりに近い寒い日だった。俺は震えながら立っていた。まだ早かったので人影はまばらだ。とにかく片っ端からあたってみよう。
男の子が二人やってきた。1年生らしい。他のクラスの知らない子だが、とにかくチャレンジしてみよう。
「こんにちは」
二人は立ち止まってこっちを見る。俺は丁寧に頭を下げる。
「今度、会長に立候補する鯨岡といいます。当選したらこの公約を実現しますのでよろしくお願いします」俺は立て看板の公約を二人に見せる。二人は顔を見あわせている。俺は試しに手を差し出してみる。なんと、二人とも握手してくれた。
やった、と俺は思った。那加の言うとおりだ。昨日の俺は丁寧な誠意が足りなかったかもしれないと思う。お願いばかりで心を通じ合わせようとしていなかった。よし、この調子で頑張るぞ、と思った。もともと俺は那加の命令で生徒会長を目指しているだけで、なりたいとはちっとも思っていなかったが、こんな風に心を通わせられるのは素敵かもしれないと思った。その後、もちろんうまくいかないことのほうが多かったが、頑張っていると、よく知っている三人の女の子が通りかかった。
結城と笠間と稲田は、俺がマネージャーをやっていたソフトボール部の1年生なのでよく知っている。とにかくお願いしてみよう。
「結城さんと笠間さん、稲田さんも少しいいですか。俺、鯨岡は、今度生徒会長に立候補しました。こういう公約を掲げててますので、ぜひ、ご支持をお願いします」
結城はうれしそうに笑ってくれた。「知ってるよ。みなみんに聞いてたよ。ジラに投票してって頼まれたからそのつもりでいるよ。ソフト部の1年生はみんな投票すると思う」
笠間は俺の手から公約を取り上げてじっと見つめた。
「これが公約なのね。わかるわ、ソフト部にしてくれたことを学校全体にしてあげようっていうのね。素敵だと思う」
「ジラならきっとできるよ。応援してる。それにしても、こんな朝から選挙運動してるの?」
「俺、無名なので少しでもアピールしないと」
「そうか。そうなんだ」
顔を見合わせている。「ジラがどんな人か、みんながわかればみんなきっと投票してくれるよ。ね」「そうそう」「私たち、宣伝しておいてあげる」
3人とも、大きくうなずいている。思わず俺は目頭が熱くなった。差し出した手を3人ともしっかり握ってくれた。寒い風の中で手のぬくもりが伝わってきた。
確かに誠実にやれば道が開けないわけではないんですね、ご主人様。




