第202章 女の子にあげられるものは何にもない三流男
ジラは女の子にあげられるもの何か持ってる? と額田に聞かれて、俺は絶句した。
そう聞かれて、俺は、一瞬、硬直した。
そう、俺は何も持っていない。太い腕も、リーダーシップも、明晰な頭脳も、強い意志もない。社会の中でたくましく生きて行くには、心が弱すぎる。いつも人の眼を気にしておどおどしている。
改めて、指摘されれば胸が痛むが、とうの昔からわかってはいた。那加にも言われた。俺は最低ランクだと。女の子にあげられるものは何もない。どんなにポケットをひっくり返しても何もない。
「何一つないよ。河合の言うとおりだよ」
「だよね、女の子から見れば、ど三流もいいとこ……だよね。だけど、ど三流のどスケベだからこそ持っているものがあるんすよ」
「え? なに?」
「ジラが、ソフト部のマネージャーになったと聞いたとき、わっしは思ったっす。『こいつどこまでスケベな三流なの』ってね。わっしでなくても、みんなも、ジラがど三流のくせに、さわやかさんと仲良くなりたいという下心だけで、マネージャーになったのはわかってたっす」
「いや、違うよ。俺は……」
言いかけて言いよどむ。那加の命令でとも言えないな。なんと言えばいいかな。
「ジラは、さわやかさんにすてきな最高の恋人がいるのを知ってたっすか?」
「うん、知ってたよ」
「やっぱり、そうっすか……みんなは、それを知らずにさわやかさんに近付いてるんだろうって噂してたっすよ。間抜けぶりを笑うやつもいたっす。でも、わっしは、知っていて、近付いてるんだなって思ってたっすよ」
「知ってたよ。だから、下心なんて……」
那加の目論見という意味では、大ありだったわけだけど……。
「いいっすよ。さわやかさんに恋して、役に立てることがあるなら、何でも役に立ちたいという気持ちだったんでしょ。ジラらしいっす。いつももてない三流だからこその、けなげなスケベ心っす。近くにいて、顔が見られれば、少しでも役に立てれば、それでいいという気持ちだったんでしょ?」
俺は言葉が出なかった。
那加の命令だった。後で考えれば、大宮先輩との関係をよくするために、酒出にひたすら恋する男の役を演じたのだ。けれども、俺自身の気持ちは、額田の言う、それに近かったかも知れない。酒出に恋していなかったといえばうそになる。だからこそ迫真の演技ができて、ご主人様にほめてもらえたのだと、改めて思った。
「炎の天使様にも恋してるよね」
「いや、そんな大それたことは……」
「今さら、とぼけてどうするっすか。デートをかけたテスト対決の話は、私のクラスでも噂になってたよ。どこまでスケベでどこまで三流なの! ってわっしは思ったっすよ」
「あ、まあ、あれは……」
那加の命令でとも言えない。端から見れば、恋する三流男の奇行にしか見えないな。確かに。
「まさか、ほんとに勝つとは思ってなかったっすよ」
俺もです。
「ほんとにデートしたらしいっすね。楽しかったっすか」
「いや、全然……申し訳なさすぎて」
ものすごく気を使った記憶しかないな。でも、今、思い返すと、楽しかったのかもしれない、と、宝物のようにおいてある友部のゲーム機を眼の隅に見ながら思う。
「生徒会に立候補したのも炎の天使様が目当てだったんでしょ。副会長に誘って、まんまと成功して、結構、仲良くして……うまくやってるね。どさくさに紛れて抱きしめたと思ったら、今度は劇の練習にかこつけてあんな熱いキスまでして、目的のために手段を選ばない、このやりかた、まるで一流みたいっす。ここまでスケベだったのか、と感心してるよ。、さすがのわっしも頭が下がるっす」
「いや、あの、そんな大それた作戦を立てたわけじゃなくて、偶然こうなっただけだから」
超一流のご主人様の頭脳から出たことだから、もちろん作戦は超一流だが、そのご主人様だって、こんな結果を予想できたわけじゃないはずだ。そもそも、オーディション自体は、おそらく、青柳のための計画であって、俺がみんなとキスすることはただの成り行きだった。ま、いくらかは、ご主人様が、スケベな俺にいい思いをさせてやろうなんて気持ちもあったのかも知れないが・・・・・・。
「今のジラはまるで一流男子みたいっす。だけど、本当に一流になりたいのなら、今日は、初めから、何にも聞かずに私を抱いてしまわなくちゃだめよ。発情した女がくれば、適当にだまして、抱いてやって、あんあん言わせてやって、終わったら、あとは適当に追い払うのが、一流男の条件だよ。それなのに、ジラときたら」
額田はちょっと怒った顔をして口をとがらせた。「抱かないんだものね」
「だって……」
「わっしみたいな淫乱女に気を使って、身の上のことを聞きたがるなんて、やっぱり……・ど三流だなって思ったよ。今日は、あんな美少女たちとキスしたあとで、悶々してるだろうから、すぐにでも飛びついてくると思ったんだけどな」
俺を上目遣いで睨む。
「こんな……私みたいな三流女を大事にしてどうするの? なんの役にも立たないよ。あげられるものなんか……何にもないよ……私って、この世にいらない、誰にとってもなんの価値もない女だよ。あげられるものと言ったら、せいぜい、処女ぐらいだよ」
「俺にとって河合は大事な人だよ」
「愛の天使様と同じぐらい?」
「うん、大事だよ」
「馬鹿! 馬鹿! 馬鹿!」
額田は立ち上がって、両手で俺の肩をたたく。
「ジラに遊ばれて、ぽいっと捨てられて、この世におさらばしよう、と思ってたのに!」
少し声が大きくなったのに気がついたのか、口に手を当てる。
「どこまで三流なの!」
うつむいて声を潜める。急に俺の顔を抱きしめた。やわらかい胸の感触と心臓の震えを感じる。
「ジラのことが……ますます……好き……になっちゃったよ」
声が震えた。泣いているのかも知れない、と思う。
少しわかった気がした。
愛されなかった子ども!
額田は愛が欲しいのだ。
それが、三流でスケベなだけの、何も持ってない俺が好きな理由なんだ!
額田は、不意に、突き放すように、俺から離れると、ベッドの上に立って、服を脱ぎ始めた。
ブラジャーとパンティだけの下着姿になると、濡れた眼で俺を見つめた。
「さあ、もう、全部、話したよ。約束通り、抱いて」
その姿の美しさに、俺は圧倒された。華奢な首と肩、小さめの胸のふくらみ、かわいいへそと細いウェスト、太ももからふくらはぎにかけてのしなやかな曲線、大人になりかけの少女の、美しいプロポーションが、そこに輝いていた。奇跡のようだった。俺は眼がちかちかした。
「さあ、あとはこの小さな下着だけよ。ジラが脱がせて……それとも、自分で脱いだ方がいい?」
その美しい瞳に真っ直ぐに射られて、俺は体が震えた。
額田がたまらなく愛しく思えた。
抱きしめずにいられなくなった。
一度だけ抱きしめさせてください。ご主人様。
俺は、手を伸ばす。
しかし、俺の指が額田の素肌に触れる寸前、額田は、不意にしゃがみ込むと、脱いだばかりの服を手に取った。
「誰か来るわね。一応、隠れるわ」
と言うと、リュックを持って押し入れに飛び込んで、扉を閉めた。
手を宙に浮かしたまま、唖然とする俺の耳に、階段のミシミシする音が聞こえた。誰か上ってくる。俺の部屋に来るのか?
耳を澄ませる。ドアが開く音がした。妹の部屋だ。
ふうっ、とため息をつくとベッドに座った。妹に何か用があったのだろう。きっと、父親か母親だ。何か話しているのかな。
時計を見ると、もう11時近い。何をしているんだ?
押し入れでも何か音がする。額田が服を着ているのかな。万が一見つかるにしても、あんな下着姿では大変だ。というより、見つかったら、それこそ大変なんですけど……
ノックの音が聞こえて、俺は文字通り飛び上がった。こんな夜更けにどんな用事があるというんだ。
といっても、開けないわけにはいかない。俺は辺りを見回して、額田のものがないことを確認しながら、ドアに近付く。
鍵を開けると、母親が立っていた。手に洗濯物を持っている。
「はい、洗濯物、今日は、よく乾いたわよ」
「あ、あ、ありがとう」
「なにもないはずだが、それでも不安で、出来る限り、中が見えないように立ちふさがったつもりだったが、突然、母親に脇をするっと抜けられてしまった!
な、なんで、今日に限って入ってくるんだ? 何か気付いたのか?
「な、何、どうしたの?」
うろたえているのを気付かれないようにして、追い出さなくちゃ。
母親はきょろきょろ辺りを見回している。
「夏掛けの薄い布団がないのよ」
と言うと、不意に両手をパチンと鳴らした。
「思い出した。こっちの押し入れにしまったんだ」
向き直ると、押し入れのふすまに手をかける。
だめだ! 俺はあわてる。
「わ、わわ、わ、わ、待って」
と言う暇さえなかった。
母親は、いきなり、押し入れを開けてしまった。




