第2章 ジラがご主人さまと出会う話
朝の大大地駅で会った美少女に心を奪われた俺。学校へ行くと那加が待っていて条件さえ飲めば、彼女とデートさせてあげると言われます。でもその条件というのが……
那加に初めて出会ったのは、九月の初めだ。
俺は、少し遅くなったので、いつもは自転車をおりて上がる坂を、自転車で必死で登ってきて、やっと学校へ着いたところだった。
校門を通り抜けてグイッとハンドルを切ったところで、目の前にいた女の子と思い切りぶつかってしまった。
自転車が倒れ、俺はしたたかに腰を打った。相手の女の子も転んでいる。
しまったと思い、俺は駆け寄る。
かけよった時、相手の女の子は横向きに倒れていた。眼鏡が飛んでいる。
「ごめん。大丈夫?」
助け起こそうとした俺の手を相手は振り払う。
そして、俺のことをじろっと睨むと、マスクをかけなおした。そして、何も言わずにメガネを拾うと、逃げるように行ってしまった。
「ごめん。大丈夫? 足、怪我してない」
転んだとき彼女の足から血が出ていたので、俺は二、三歩追いかけながらそう呼びかける。
だが相手は無視して、昇降口に駆け込んでしまった。
「まいった、完全に嫌われたな」
追いかける元気もなく、俺は倒れた自転車を起こす。かばんに詰めていたラノベが飛び出していたので、かばんにしまった。
正直に言う。俺はラブコメが好きだ。主人公がかわいい女の子にもてまくるラブコメが好きだ。だから、本の中ではかわいい女の子とぶつかるシーンに何度も出くわしている。
だが、実際にぶつかってみると、これが現実だ。もっとも、俺が、イケメンでスポーツ万能の人気者だったら、結果はもう少し違っていたのかもとも思うが、冴えないオタクの俺ではね……リアルの世界はきびしい。ラノベなら俺みたいなやつが、なぜかもてまくるのだが……
それにしても……と、俺は思った。俺は誰とぶつかったんだろう?
すぐにマスクとメガネで隠してしまったが、けっこうかわいい子だった……ような気がする。
何かを期待するわけじゃないけど、もう一度、謝りたい気がする。嫌がられるだけだろうけど
……まあ、絶対に許してくれないよな
……女子はモブキャラには妙に厳しいからな……
そんなことを考えながら教室に入ると、にやにやしながら菅谷が近づいてきた。
「おい、見てたぜ。派手にぶつかったな」
「どこから見てたんだよ」
「おまえさ、あんだけ派手にころんだら、みんな立ち止まってみてたよ。けっこう恥ずかしかったぜ」
菅谷はうれしそうだ。人の不幸は他人を楽しませるものらしい。ということは、俺は入学して初めて、ずいぶんたくさんの人を楽しませたのかもしれない。
菅谷は悪いやつじゃない。ラノベも読むし、俺と少しは話が合う。
俺にとっては、数少ない大切な友だちだ。
だが、彼にとって、俺は「大切な友だち」ではない。
友達に入れてくれているとしても、たくさんの友だちの一人だ。気が向いたときだけ寄ってくるだけだ。
今回も俺が転んだのが面白くてやってきたのだ。
「ぶつかった相手が悪かったな。普通は『大丈夫です』とか言ってくれるもんだが……一言もしゃべらないで、手を振り払われたもんな……よりによって中井だからな」
「中井? あの子、中井っていうんだ」
「は? おまえ、知らなかったの。同級生だぜ」
そう言われて、俺は初めて思い出す。
同級生の女の子の中に、一人だけ、まともに顔を見たことのない女の子がいた。
なにせ、一日中、マスクをして、大きな黒めがねをかけているのだ。
高校入学して以来、女の子たちには、ほぼ存在さえ気づいてもらえていない俺は、女の子たちの事情に疎かった。かわいいなと思う女の子がいても、せいぜい名前を知っているぐらいだ。
「相手が悪かったよ」
と、菅谷は嬉しそうに言った。
「あいつは、男、嫌いだからな」
「男、嫌い?」
「女の子とは仲良く話しても、男とは話す気はないみたいだ。たまに何かの時、話すけど、まあ、相手にされないわな。別にこっちも、相手にしてほしいというわけではないけどな」
なるほど、と俺は思った。
菅谷はやはり幸せなやつだ。俺は、基本、女の子には相手にされていないので、女の子とはそういうものだと思っていた。菅谷ぐらいになれば、女の子は基本的に相手にしてくれるらしい。
まあ、菅谷は確かにイケメンだし、スポーツも好きだし、話もうまいし、俺なんかを相手にするぐらいだから、気のいいやつであることに間違いない。女の子にもてるタイプだ。
全く、人生は不公平だ。
あっちには、菅谷みたいに多くの女子から相手にされて、それで普通だと思っているやつがいて、こっちには、俺みたいに、女の子は誰一人相手にしてくれるいないやつがいるんだから。
菅谷は何か努力をしたわけでもなく、普通にしているだけで、あたりまえに人生を楽しく送っているのに、俺ときたら不幸な日々を、ラノベで憂さ晴らししているだけなのだ。
「きた、きた」
振り返ると、中井那加が教室に入ってきた。
包帯を手に巻いている。足にもガーゼが張ってある。保健室によってきたんだな。やっぱり、怪我をさせたらしい。
一応、無視されても謝っておくべきだろうと、俺は、彼女の方へ行きかけたが、あいにく、チャイムが鳴って先生が入ってきてしまった。
「あいつ、マスクとったとこみたことないよな」
と、菅谷が俺の耳元でささやいて行った。
「マスク取るとなかなかかわいいっていう噂も聞いたことあるけど、逆の噂もあるし、おまえ、このチャンスに仲良くなったら?」
移動教室や選択授業などで休み時間は忙しくて、那加に謝るチャンスもなく、昼休みになってしまった。
とにかく、ひとこと謝っておこうと思った俺は、那加を探したが、いない。
さっきまで、女の子たちと一緒に弁当を食べていると思ったのに、姿を消している。
しかたがないので、ためしに、そこにいた青柳佐和に聞いてみることにする。青柳は、家が近所で、幼稚園入学以前からのおさななじみだ。俺が気楽に話せる、唯一の女の子だ。
つい最近まで「さーちゃん」と呼んでいたのだが……
「あの、青柳さん……」
青柳が振り向く。
俺は一瞬その可愛さに見とれる。
青柳はかわいい。大きな眼とやわらかい頬にロングヘアーがよく似合う。無邪気な笑顔が特にかわいいと、特に俺みたいな三流男子は大騒ぎしている。誰に対しても人当たりがよく、嫌な顔をしないでそのすてきな笑顔を見せてくれるからだ。もちろん、女子にも人気だ。
「あ、はい。なんですか」
振り向いた青柳は、俺を見ると、少し困ったような表情で、少し他人行儀に言った。何か気まずいものを感じて、俺は少しひるむ。
困ったものだ。明るくて気のいい彼女は、ちょっと前までは、長いつきあいのまま「たかちゃん」「さーちゃん」と呼び合って、それこそ普通に話してくれていたのに、このごろ、ちょっと距離をおかれている。
意地の悪いクラスメートが、俺が女の子は青柳としか話せないのを見て「お前、青柳が好きなのか」と聞いてきたのがいけなかったらしい。「みんな好きだろう。やさしいから俺も好きだよ」とか何とかごまかしたのだが、そして、今でも特に悪いことを言ったつもりもないのだが、妙な伝わり方をしたのではないかと俺は疑っている。あいつは「鯨岡は青柳が、好きだって言っていたぜ」などと、平気で吹聴して喜びかねないやつだ。
「あ、あの、中井さんはどこに行ったか知ってる?」
青柳の迷惑そうな顔を見て、話しかけたのを後悔したが、話しかけた以上、続きを話さなければいけない。
「え、中井さん?」
青柳はあたりを見回した。
「さっきまでいたけど……どこに行ったのか……すいません。わかりません」
「あ、それなら、いいんです」
俺は、そそくさとその場を去った。
なんだよ、この他人行儀な会話は、と俺は胸を痛める。
俺が、昔の調子で話しかければ、青柳もまた打ち解けてくれるかもしれないと思いつつ、つい、怖くなってしまって他人行儀になってしまう。こうして、せっかくの貴重な友達を少しずつ失っていくわけか、と俺は思う。
まあ、愛くるしいと言っていいほど可愛い青柳は、俺には過ぎた友だちではある。おさななじみというだけで、ずいぶんやさしくしてもらった歴史もある。その特権も期限切れというわけか。残念ながら、いつまでも甘えるわけにはいかないらしい。あの意地の悪いクラスメートも、俺が彼女に気楽に話せるのをやっかんでいたのかもしれない。
それにしても、あいかわらず、学校の風は俺には冷たい。
俺は、那加を探して廊下に出てみた。トイレかなと思って女子トイレの前を通過するが、会えるわけもない。
女子トイレの前をうろうろしているのも怪しいので、気まぐれを起こして、人のいなさそうな一番奥の階段を登ってみた。屋上に続く階段だが、鍵のかかった扉で行き止まりになっている。その前に使い古しのパネルやら椅子やら机が雑多に置いてある。
俺みたいに、あまり世間から相手にされないやつは暇なので、学校中の隅っこを知っている。中でも、ここは教室から近いし、人も来ないのでお気に入りの場所の一つだ。
少し疲れた俺は、お気に入りの椅子に座って、壁にもたれかかった。
「よくここがわかったわね」
不意に声をかけられて、俺は飛び上がった。
振り返ると那加がそこに立っていた。