第175章 劇の練習11 人生最良の日の話
文化祭劇の練習の休憩時間。酒出は俺に弁当を作ってきてくれた。大宮先輩はおにぎりはおにぎりでも「ただの」ではないというのだが
「たとえばハート型とか」
「ハートって卑猥なの? 私のクッキーも卑猥?」
「卑猥っす。ハートって」
額田は青柳のタッパーから一つクッキーを取り出した。
「こうして、逆さにすると尻にしか見えないっす。しかも、このくぼみ。ぷりぷりのやわらかそうな裸の尻っす。だから、みなハート型に惹かれるっす」
「まさか」
「みんな、自分では気がついてないっす。でも、人は、無意識のうちに、エッチなものに惹かれるんす。わっしは、愛の天使様からもらったクッキーをちゃんと尻から食べたっす。ちょっぴり泣きそうになったっす」
「泣きそう?」
「愛の天使様のお尻を想像してしまったっす。尻のところには女の『さが』がつまってるっす。「さが」って、わかるっすか? 性って書くっすよ。あんなに美しい天使のような青柳様も、わっしと同じ人間で、おしりのところには、わっしのような『げす女』と同じ『さが』を持ってるんす。それを食べてるような、せつない気分になったっす」
何だか、わかったようなわからない話だ。もっとも、俺も、一流男子や、美少女たちを見ると、同じ人間のはずなのに、何でこうも違うんだと思うことは、ときどきあるが……
「額田先輩」
大宮が額田の顔をのぞき込む。
「どうして、そんなにかわいいのに、自分をげす女なんていうんですか? それって、謙遜なんですか?」
「わっしが謙遜してどうするっすか? 人間の価値はかわいさじゃないっす。いくらかわいくても、げす女はげす女っす。だから、愛の天使様のハートのクッキーは心にしみたっす」
「確かに心にしみるおいしさですね」
何だかよくわからない会話だ。
「で、結局、どんなおにぎりなわけ?」
会話を聞いていたらしく、赤塚先輩が、少し離れた場所から声をかける。
「まあ、開ければわかるよ」と大宮先輩。「お昼の時間をみんなで楽しみにしよう」
「えー? お兄ちゃん、私、見せてもらったことないよ」
「見せなくちゃいけない理由なんてないだろ」
「そんな……、ほんとにただのおにぎりだよ」
ふと友部の方を見ると、眞知と二人でこちらを見ている。さっきまでジュリエットたち4人と、額田や大宮を交えて話していたが、青柳や酒出、小尾先輩たちが俺のところに集まってしまって、取り残された形だ。
こんな時、友部は、いつもなんとなく取り残される。俺とは比べものにならないが、ほんの少し、俺と似たコミ障的な部分がある。まあ、他人から見ると、あまりに完璧で、近寄りがたいせいもあるが、他人との距離が少し普通より遠い。何というか、「のり」の悪さがあって、なんとなく、わだかまりが残るたちだ。引っ込み思案では絶対になく、友だちもいっぱいいるのだが、孤高という印象を人に与えやすい性格だ。
たぶん、みんなが俺のところへ来たので、なんとなく取り残された形になって、「どうしよう。自分も行った方がいいのかな」なんて、ためらっているのだ、きっと。
そんなこといちいち考えずに、さっさときちゃうか、さもなくば、知らんぷりしてればいいじゃんと、コミ障でない皆様は思うのでしょうが、それがなかなかできずに心を痛めているのがコミ障というものなのですよ。
友部を俺の仲間に分類するのは、どう考えても我田引水(っていうんだっけ?)だが、とにかく気を使いすぎるのがコミ障の特徴だとすれば、友部は間違いなく気を使いすぎる。
俺との初デートの時に、ゲーム機をゲームで当てたときも、「デート代の足しにして」と言って、俺にくれてしまったぐらいだ。
俺は、友部のそういうところは、とても好きだ。あれほどの完璧美少女が、俺みたいなさえないおたくとのデートに無理やり付き合わされているというのに、俺のことを気遣ってくれるのだ。どう考えても気の使いすぎだろう。
ゲーム機は、なんとなく宝物のように部屋に飾ってある。
あの時から、なんとなく友部と心のつながりができたような気がして、どこか同志のような気分に勝手になっていたりする。まあ、友部に知られたら厳しいおしかりを受けるのかも知れないが。
俺の視線に気づいたらしく、眞知が友部に何かささやいている。もともと那加は友部と仲がいいようだ(まあ、天才同士だし通じる部分もあるのだろう)。
そんな友部でも、眞知の変装は見破っていないのかな。まあ、俺でさえ、あらかじめ聞いておかなかったら、だまされていたかも知れない。声も背格好もそっくりだし、マスクが隠しきれていない、眼とかうなじとかも、改めて見ると、那加にそっくりだと思う。逆に、俺は、那加の素顔を見たことはないが、マスクと眼鏡を取れば、眞知にそっくりな、超がつく美少女なんだなとも思う。
立ち上がると、二人は俺のところに来た。
「ジラ、悪かったわね。いくら、にらまれても、私は何も用意してないよ。女子力ゼロだから」
と友部が言うと「私も……ま、たぶん期待はしてないでしょうけど……」といかにも那加の言いそうなことを言う。
「あの、俺、睨んでませんけど……」
「何か言いたそうな顔でこっちを見ていたわよ」
「いや、あの……」
なんとなく同志のような気がしていた、なんて言ったら怒られそうだな。
「別に、何かを期待していたわけでは」
「まったく正しいんだけど、はっきりそう言われるのも、『女子力ないだろ』って言われてるみたいで、ちょっと傷つくわね」
「そんな、委員長は家の中のこと、何でもできるじゃないですか」
わ、しまった。これってプライバシー?
「ジラ、なんで、そんなこと知ってるっすか?」
「たかちゃん、透子さんの家に行ったことがあるって聞いたけど、ほんとなの?」
ま、まずい! 口が滑ったぞ。
「そんな、ただ、家事は、結構、やっているって話を聞いただけですよ」
「やれやれ、みんな、結局、いつのまにか、ジラの周りに集まっちゃうのね」
と後台先輩が少し離れたところから、腰に手を当てて、少し大きな声で言ったので、みんなが振り向く。先輩は肩をすくめた。
「とても興味深い話で、私もぜひ聞きたいところだけど、時間もあるから、練習を再開しましょう?」
「会長は不思議な人ですね」
脇で内原先輩が、腕組みをして指で眼鏡を直した。この人も、本当に「知的な」という言葉がぴったりの美少女だなあ、と思う。
「こう言っちゃ失礼ですけど、会長って何か特別な魅力は何もないように見えるのに、いつの間にか輪ができて、会長を中心にして、みんな仲良くなる。近くにいるだけで、みんな、何故か楽しくなっちゃうようですね」
「内原先輩」
と、大宮が進み出る。
「ジラ先輩はイケメンですよ」
どこが? とみんな思った……だろうな。
「うん、それは認めます」
内原先輩が頷く。
「でも、一目でわかるイケメンではないと思いますよ。でも、近くにいると、だんだんイケメンに見えてくる不思議な人、違いますか?」
「私は、出会った瞬間から、イケメンだと思ってました」
と、大宮は俺を振り向く。「先輩、自信を持ってくださいね」
うーん、大宮、それってあまり慰めになってないよ。でも、大宮一人でも、イケメンと言ってくれるなら、もちろん、うれしいけど。
「まあ、いいわよ、イケメンということで……ジュリエットにキスしてもらいましょう。練習再開よ」
後台先輩の言葉に、俺の周りに集まっていたみんなが、笑いながらそれぞれの場所に、動き始める。
ロミオの場所に移動しながら、ふと、もしかして、今日は俺の人生にとって最良の日なのかも知れないなと思った。
本当ならみんなの相手にもされない、ぼっちの俺が、こうしてみんなの中心にいるだけでも十分にすてきなことだ。
俺が、那加の指示に忠実に従った結果、みんなを幸せにすることに貢献してきた、言わば、ご褒美なのだ、と思う。
みんなは、さっき大宮が言ったように、俺が、みんなの幸せのために、努力を惜しまない、「博愛主義者」だと思い込んでいる。そして、実際に、俺は、並外れた知恵と行動力で、みんなを幸せにしてきた。もちろん、すべては、那加が、俺という道具を使ってみんなの幸せを実現してきたわけで、「博愛」という言葉は那加に贈るべきものだが、とにかく、今は、みんなは俺の正体を知らずに、俺をすてきな人だと思ってくれている。
そうして、姿も心もとびっきり美しい美少女たちが、まるで俺に恋していると言わんばかりに、俺と本物のキスシーンを演じてくれる。あの青柳の本物の唇の感触をこの唇に感じ、ヴィーナス先輩の熱い口づけにときめいたあと、このあと、俺は、酒出と友部と唇を合わせることになっている。
将来、俺が、那加の奴隷をやめたとき、俺はまた、世界の片隅で、ひとりぼっちのさびしい人生を送ることになるんだろう、と思う。その時、さびしい人生の木枯らしの中で、いつか、今日のこの日は、自分の人生の最良の日、として思い出されるのかも知れない、とふと思った。
俺がロミオの定位置につくと、後台先輩が少しきょろきょろする。
「さあ、次のジュリエットは誰なの?」
酒出が、恋人の大宮先輩と、ぎゅうと手を握りしめるのが見えた。そして駆けてくる。
転ばないといいけど、と思ったが、だいぶこの服にもなれたようだ。
「はい、私です。すみません」
ジュリエットの定位置につく。
「じゃ始めるよ」
後台先輩が手を上げる。
次は酒出とのキス。
思わず胸がどきんとなる。




