第12章 彼氏のいるアイドル
酒出に手伝ってもらって荷物運びを始めた俺だったが那加が割って入ってきて……
那加の計画通り、俺は一人で寂しく運び、二人は二人で仲良く荷物を運んで、おかげで荷物運びは半分ですんだ。最後の荷物をどさっと置くと、酒出は本当に明るい笑顔で言った。
「ああ、終わった。ちょっと疲れた。じゃ、私、部活に戻るね」
なんてさわやかなんだ、この子の笑顔は!
俺は頭を下げる。「ほんと助かった。このお礼はいつかするよ。ありがとう」
「いいよ、そんな、鯨岡君だって私よりずっと大変だったんだから……じゃあね」
酒出は手を振ると、かけて行ってしまった。俺は少し茫然と彼女の後ろ姿を見ている。こんなすてきな子が同級生だなんて知らなかった,と思う。
「だめだよ。ジラ、酒出さんに、心、奪われちゃ」
「わかってます。俺だってそんなに単純じゃないよ」
「単純だわ。ジラみたいに、毎日、女の子のことばかり考えてる子は、ちょっとやさしくされただけで、のぼせあがっちゃうんだから」
「酒出さんをすてきだと思っちゃいけないんですか」
「いけなくないわよ。仕方がないじゃない、ジラの言うとおり、すてきなんだから。ジラが抱きしめたくなる気持ちはよくわかるわ」
「俺、抱きしめたいなんて思ってませんけど」
「思ってるよ。隠さなくていいよ。私だって思わず抱きしめたくなっちゃうもの」
「は、そんなものですか」
那加は俺を誘導尋問しているのか? と内心思うが、もちろん、口に出すつもりはない。俺が、酒出を魅力的に感じているのは事実なのだから反論するつもりもない。
那加は歩き出す。俺もついて行く。教室に荷物を取りに行って、帰る予定だが、もし何か命令があると困るので少し下がり気味について行く。
「酒出さんにも困ったものよね。ジラなんかにやさしくしたら、ジラが勘違いしちゃうじゃない?」
「勘違いしませんから、俺。さすがに、自分,わかってますから」
「ううん、だめよ。今度やさしくされたら、もしかして、俺にもチャンスある? なんて思い始めるから。ジラみたいな勘違い男に、やさしくしちゃいけないんだよ。あんたなんか相手にしてないからって、はっきりわからせる方がいいのよ」
なるほど委員長みたいにか? だとしたら、徹底しすぎるだろ……もう少し手加減しろよ、と内心思う。
「容姿もそうだけど、心がピュアすぎるのよね。運動大好きで、かわいくて、性格よくて、みんなに愛されてきちゃったからね」
教室はもう薄暗かった。十月に入っていたので、日はもう短くなってきていた。
那加が窓際に立って駐車場を見下ろす。なんとなく、俺も、並んで窓の外を見る。指さすので見ると、ちょうど酒出がランニングしている。
「ジラ、知ってる? 酒出さん、もう彼氏いるんだよ。ジラと違って、超ハイスペックな彼氏。といっても、この学校の先輩だけど……がっかりした?」
「はあ、がっかりしました……いろんな意味で」
つまり、低スペックな俺には縁のない話って訳だ。
「だから、罪作りなのよ。魅力的で、会う男の子がみんな好きになって、結局、みんなをがっかりさせるだけでしょ……」
「中井さん」と俺は言う。書斎以外では中井さんと呼ぶように命令されているので。
「俺、反論するつもりはないです。でも、俺は、がっかりして悲しんだ方が、冷たくされるよりましです。俺、今日、酒出さんという人を知って、すてきな人だなって思いました。俺が彼女を好きになって、それが報われない思いだとしても、俺は酒出さんに幸せになってもらいたいって思えると思う。きれい事かもしれないけど。男ってそういうところありますよ。女の人だって、そう思うんじゃないかな。酒出さんって、そんな風に思ってもらえるすてきさがあると思います」
「かもね。恋人がいてもアイドルになれる人よね。だけど、それでも、やっぱり罪作りだと思うよ。これは、酒出さんの幸せを思って言ってるの。あの人、あまりに天然にみんなの欲しいものをかっさらって行ってることに気がついてないよね。だけど、あんなさわやかな笑顔で、かっさらわれたら、みんなにどうしたって、嫉妬されてしまうのよ。人間なんて、愚かなものだから、すてきさが気に入らないこともあるのよ。例えば、あり得ないたとえで悪いけど、ジラのことを好きな女の子がいたとするでしょう」
「確かに、ありえませんね」
「その女の子が、ジラは酒出さんが好きだってわかったとする。そしたら、きっと嫉妬するわ。しかも、酒出さんの方は、ジラが好きでもないくせにやさしくしていたら……」
「そんなものですか?」
「人にもよるでしょうけど、私だったら嫉妬する。私、心が黒いから」
心が黒いのは想像してましたけど……と一瞬思って、心の中であわてて否定する。
「事実、酒出さん、最近、いろいろ悩んでいるみたいよ。近くで話しているのを耳に挟んだんだけど……部活内でうまくいってないみたい……って、ある程度わかるわよね。一年生が入ってきていきなりに近くエースをとっちゃうんだもの。面白くない人だっているわよ。実力は認めても、勝つためだけに部活してるんじゃないって思う人もいるわよ。おまけに、入学早々、さっさとすてきな恋人を作っちゃうしね……先輩だけど、すてきな人なんだよ。見たことあるけど、とにかくイケメンなことは確か。おそらく狙ってた女の子もたくさんいるんじゃない? ……となると、女は嫉妬深いからね……おまけに、この彼氏っていうのがね……」
なぜか、那加はだまりこんだ
「……まあ、いいわ。噂話はまたあとで、ジラ、あなたはやることがあるんだからね。帰って、テスト勉強よ。さっき途中になっちゃったけど……」
那加は、メモを差し出す。
「さっき言いそこなったけど、これ、今日中の課題ね」
那加が先に帰っても、俺はびっしりと描かれたそのメモをしばらく眺めていた。
それから、俺は荷物を持って昇降口を通り、自転車に乗る。坂の上の学校なので、帰りはずっと下り道になる。暑さはまだ残っていたので、頬を切る風がさわやかだった。夕日はもう消えようとしている。秋の日は落ちるのが早い。
今日は長い一日だった。立候補の結果は何とも奇妙なものだったが、酒出という存在が急に身近になったのはうれしいことだった。人は知り合ってみないとわからないものだ。久しぶりになんだか心があたたかなのは、酒出という存在に出会えたからなんだろうと思う。
那加は、酒出が悩んでいるといった。酒出みたいな人でも苦労があるんだ、と思う。苦労しないで何でも手に入って幸せ……かと思ったら、不条理に嫉妬されたりするらしい。確かに、嫉妬されるのはつらいことかもしれない。特に酒出のような、人に優しい性格の子には……そういう意味では、あの無邪気さは無神経さにも通じるのかもしれない……難しいものだよね。幸せすぎるゆえの苦労というのは、俺には絶対わからない苦労だな。
俺は、女の子にもてないだけじゃなくて、男の子にも友達が少ない。暗いし、恰好悪い。運動もだめだし、成績だけは平均よりましだがその程度。まったくみんなの意識にものぼらない。そんな俺は入学以来、うつうつとした気分で暮らしてきたが、これも、結局は、嫉妬なのかもしれないと思った。
心が黒いのは、那加ではなくて俺の方か。いや、どちらも黒いのだが、それに気がついているだけ那加の方がましってことか? まさか、那加は遠まわしに俺の嫉妬を批難したわけじゃないだろうな。
いやいや、と俺は首を振る。那加ならストレートにズバリ言うはずだ。ただの酒出の噂話にすぎなかったんだろう。だが、とにかく俺も人を嫉妬してばかりでは、ただ自分を苦しめているだけかもなと改めて思う。酒出に嫉妬していることは、自分だけでなく酒出をも苦しめている結果になっているのかもしれない。せめて、酒出を苦しめる人間にはなりたくないが……。
家に着く頃には、あたりは真っ暗だった。自転車をしまうと鞄をおろす。
それにしても、今日から、昨日以上の勉強が待っているかと思うと、正直つらい。ひょっとして、いやひょっとしなくても俺が目指しているのは、リア充じゃないか? 眞知とのデートなんてまるで夢物語を追いかけているようなものだ。
夢から覚めるか? だけど、奴隷生活をやめたら、気楽だけど空っぽの毎日が待っているだけだ。あるものは嫉妬と自己嫌悪ばかりだ。夢とわかっていても、夢を追いかけている方がまだましなのか?
「おかえり」
母が夕食を作っていた。
「今日も夜食、ほしい?」
最近,俺が夜中まで勉強しているのを知っていて、母親は少し機嫌がいい。
「あ、ありがとう」
ここまで期待されると、今さら、せっかく始めた勉強を投げ出すのも投げ出しにくい。とにかく、次のテストまではがんばるしかないか。あと二週間だ。




