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第11章 大量の荷物を運ぶ話

クラス役員に立候補するという暴挙のおかげでクラスのさわやか美少女酒出南と言葉を交わすチャンスに恵まれた俺はいっぺんで彼女のファンになった。でも、那加は彼女に恋しちゃだめだよと言う。

「まあ、心配はしてないよ。ラノベの主人公と違って、ジラは、何一つとりえないからね。モテるわけないものね」

「はあ、おっしゃるとおりです」

「でも、いつまでもそれじゃ困るよ。眞知に紹介するんだから……数学は昨日も勉強した?」

「しました」俺はノートを出す。毎日、見せることになっている。

「いいわ、だいぶわかるようになってきてるじゃない」

 那加はノートをぱらぱらめくる。「ここ、ちょっと無駄な計算ね。間違ってはいないけど、数学は時間との勝負だからね。『できる』だけでなくて『早くできる』ことを目標にスキルアップしていきましょう。それと、ここ、教科書のやり方をまねたわね。違う?」

「はい、その方がいいかと思って」

「だめ、だめ。私の言ったとおりに解きなさい。教科書とか参考書はそれなりに正しいことは書いてあるけど、ベストなことが書いてあるとは限らないの。本屋に行って参考書を比べてご覧なさい。同じ問題を微妙に違う解き方をしていることがわかるはずよ。その中で一番いいやり方を私が教えているんだから、私の言うとおりにやるの。活字になっているからって無条件に信じちゃだめ。教科書だって、どこかの学校の先生がつくって、大学教授がろくに見もせずに、監修なんて名前を貸しているだけなんだから、あてにしちゃだめ。自分の頭で考えるのよ」

「はい、わかりました」

 数学に関しては、俺は那加を尊敬している。感謝していると言っていいくらいだ。ずっと数学の上にかかってきたもやもやしていた霧をどんどんすっきりさせてくれる。最近は、数学って面白いかもと思っているくらいだ。

「数学のガリ先生の授業は面白くはないけど、よくノートをとるだけの価値はあるわ。教科書は全高校生を対象に使えるように作ってあるわけだけど、ガリ先生に限らず、学校の先生は、経験値は高いからね。うちの学校の生徒のレベルにあった授業をしてくれているよ。一流進学高の生徒なら公式を見れば意味を理解して使いこなせるけど、うちの学校じゃそういう人ばかりじゃないよね。だから、公式を分解して、どういう使い方をするかまで教えてくれているわけ。せっかく教えてくれているのに、教科書を見て解こうとする人がいるけど、それじゃ数学できるようにならないよ。授業をちゃんと理解して、理解したことをノートに書いておくの」

 実は、俺は、授業中でも、わからないと説明を聞かずに教科書通りに解いてきた。

「それじゃ教科書と同じ問題しか解けるようにならないよ」と那加が言う。これまでの俺はそれだった。だから、問題が解けても、ちっとも解けた気分にならなかった。でも、那加に教えてもらうようになってから、問題を「解く」ということがどういうことかわかるようになってきた。それは答えを出すというよりも、問題を理解するということに近い。友だちの家に行くのに、角を曲がって、まっすぐ進んで……という道の教え方をされると、一か所間違えただけで迷子になる。そうではなく地図を渡されれば、「こうなっているのか、じゃあ、この道で行こう」と自分で行き方を探せるようになる。ちょうどそんな気分だ。

 那加によれば、あの先生もそんな地図を渡そうとしているのだということになる。もう少し真面目に聞かないといけないな、とあらためて思う。こんなことを思うのもある程度、数学の上の霧が晴れてきたおかげだと思うが……

「試験二週間前だからね。他教科にもそろそろ手をつけないと……」

 待ってくれー、と俺は心のなかで悲鳴を上げる。だって、数学と英語の勉強だけで毎日4時間以上かかっている。これ以上勉強を増やせというのか。

「数学はこれまでの分は一通りできたから、あとは、これから進む分をチェックしていけばいいだけ。これまでの半分の時間で済むはず。その分、他教科を入れていくわ。まずはこれ」

 那加が出したのは二冊のマンガだった。いずれ出てくるだろうとは思っていた。前に自転車で那加にぶつかった怪我をさせたおわびのしるしに買ってこいと言われて買って届けたものの一つだ。あの時、毎日のように届けていた貢物を奴隷になってから次々と渡されるので、これも、いずれ出てくるかとは思っていた。確か10冊くらいあったはずだが、今回は二冊だけのようだ。

「世界史は、このマンガを読むことから始めましょう。一日に二回読破すること。時間がなかったら、トイレとか風呂に持ち込みなさい。まさか、女の子みたいに長風呂しているわけじゃないよね」

「あのう、トイレと風呂には那加にもらった単語集が張ってあるんですけど」

 那加は、俺に単語集を渡して、トイレと風呂に貼って覚えろと命令していた。家族にはびっくりされたが、まあ許してくれた。というか、中一の妹はさっさと全部覚えて、俺に問題を出してくる。小憎らしいことに、妹は憶えがよく、すべて覚えていて俺を困らせるのが楽しみになっている。おかげで、俺も覚えられて助かると言えば助かるのだが。

「ああ、あれは今週はいいわ。ここから、試験モードよ」

「わかりました」

「歴史は、現実におきたことだということを実感するのが一番大切なの。これは小学生用だけど、エッセンスはすべて入っているわ。まず五日間で一〇回読みましょう。今度の試験範囲はこの二冊に全部入っているから、とりあえずこの二冊でいいわ。いずれは全部、読んでもらうけど」

 那加は、つまり俺のご主人様は、実に頭がいいな、と俺はあらためて思う。もちろん完璧じゃない。委員長のことは誤解しているし、委員のことも読み間違った。俺がぶつかったのも、わざとだと少なくとも最初は誤解していた。数学の計算も、下手をすると俺より間違ったりする。しかし、とにかくいろいろなことによく気がつく。そして、どうすればいいかをきちんと考えている。那加の奴隷になっていれば、俺は本当に一番になれるかもしれないとさえ思えてくる。まあ、恐らく現実は甘くない。たぶん、それは那加もわかっているんだろうが……

「英語と理科も必要だから、まず今週は英語ね。睡眠時間を削ってもらうわよ」

 覚悟はしていたが、俺にできるのか?

「テストが終わったら、ご褒美に、朝一度だけ、眞知を見に行かせてあげるわ。それを目標にがんばりなさい。それまでは、朝の時間一分一秒も惜しんで勉強するわ。はい、これ」

 那加は今度はヘッドホンを出してくる。おっと、これも俺が買ったものだ。

「スマホに、リスニング教材を入れて、朝と帰り、自転車をこぎながら聞くのよ。それから……」

 ピン・ポンと機械音がして放送が入った。

「一年七組の鯨岡君、もしいたら玄関まで来てください」

 担任の声だ。

「おやおや、仕方ないから続きは明日。明日は昼休みよ」


 玄関に行くと担任の先生が待っていた。足元には大量の段ボール箱。

 嫌な予感がする。

「すまんな。鯨岡。せっかくクラスの委員になったんだから、と思って呼んだんだ。初仕事、頼むよ。こいつを2階にあげてほしいんだ」

「はい、ずいぶんありますね」

「これは、模試の問題だ。ずいぶん早く送ってきちまって、数も二〇箱もあるから困るよな。今、会議の最中に連絡が入って、玄関で邪魔だからとりあえずどかしておいてくれっていうんだよ。先生も忙しいのに困っちゃってさ。で、頼んでいいか? 二階の資料室の前まで運んでおいてくれ」

「あ、はい」

 なんか勘違いしてないか? クラスの委員には積極的に立候補するふりをしたけど、これってクラスの仕事じゃないだろ。先生の奴隷になったつもりはないぞ。

 とはいっても、逆らっても無駄だし、那加にもクラスの仕事は積極的に引き受けるように言われている。クラスの仕事じゃないと言っても通用しないだろう。

「わかりました。二階の資料室の前ですね」

「そうだ。頼んでいいな。ちょっと先生は会議で忙しいんだ」

 先生はそそくさと行ってしまう。やれやれ、ってやつだ。

 まあ、二〇往復もすれば終わるわけだが、と思いつつ箱を持ち上げてみる。

「お、重い」

 と思わず口に出してしまう。小さくない段ボール箱に本がぎっしり入っているんだから、軽いはずはない。水平移動ならまだしも、階段を上るとなると、かなりきつい。かなりきついが、しかし、俺は、のぼりながらあれっと思った。けっこう上れるからだ。

 そうか、那加に命じられて、毎日腕立て伏せをやり、自転車で坂を上って脚力をつけている成果がこんなところに出ているのだ。まだたったの二週間だが、それでも少しは成果が上がっているということか。確かに、坂登りも最近は休む回数が減った気がする。

 どさっと箱を資料室の前に置く。とは言っても,さすがに疲れる。これが二〇往復とはつらい。那加なら、『体を鍛えるいいチャンスよ』と言いそうだなと思う。汗、びっしょりだ。

 四個か五個運ぶころには、相当、足にきていた。よいしょと階段に足をかけたとき、不意に荷物が軽くなった。手を伸ばして、反対側を持ってくれた人がいる。びっくりして顔を上げると、なんと酒出だった。

「鯨岡君、重そうだね。こっち持ってあげるよ」

 酒出はソフトボール部の制服を着ていた。赤い半そでのシャツに半ズボン、胸にはOODAICHIと白抜きのロゴマークが入っている。サンバイザーみたいな帽子もかぶっている。陽に焼けた笑顔がまぶしいくらいきれいだ。額に見える汗の粒さえきれいだった。俺は正直焦った。

 酒出にこんなことしてもらってていいのか?

「大丈夫だよ。忙しいんでしょ」

「平気だよ。今、休憩なんだ。これ一人じゃきついでしょ」

 二人で持つと重さが半分になる。とんでもなく楽だ。ましてや、酒出と向かい合いで運ぶなんて……、この降ってわいた幸運を手放す勇気は俺にはなかった。

「ありがとう。ほんと助かるよ。正直、足に来てたんだ」

「だよねえ。二人で持っても、ほんと重いもの……あと何個ぐらいあるの」

「えーと、まだ一〇個以上あるけど、大丈夫、この一個運んでもらっただけで、俺、だいぶ回復したから」

「いいよ、手伝ってあげる」

「そんな、忙しいのに悪いよ。俺はひまだから」

「いいの。だって、見捨ててなんていけないよ。それに、私、誰かの役に立つのってうれしいんだ」

 そう言われて俺は感動した。こんなことを、俺みたいな最低ランクの人間に向かって言えるだけで、酒出のほんとうの心のやさしさがわかるというものだ。

 資料室の前に段ボールをどさっと置くと、酒出は俺の顔を見て笑う。

「重かったね。どんどん行こう」

 額の汗を拭きながら髪を書きあげるしぐさがなんともキュートで俺はどきっとする。半そでのアンダーウェアに包まれた腕は細いがしなやかだ。半ズボンから延びる足にはロングソックスをはいている。土がついているが、そんなところまで好ましく見えてくる。

 彼女と運べるなら、荷物は何十個あってもいいぞ、と思いながら肩を並べて階段を降りる。だが、当然のように、幸運は長続きしなかった。

「荷物運び大変そうね。手伝ってあげる」

 振り返ると那加だった。俺と酒出の間に割り込んでくる。

「酒出さん、やさしいね。手伝ってあげるなんて」

「そんな、ぜんぜん。私、力、こう見えてもあるんだよ」

「知ってるわよ。力なかったら、いくらうちが弱くても、ソフトボール部のエースにならないよ。しかも、おかげで勝ってるって聞いたし……すごいね」

「すごくないよ。昔やってて、経験があるんだもの。うちの部は初めての人が多いから……」

「じゃあ、私と酒出さんは二人で一つ、協力して運ぼうよ。鯨岡君は、男の子だから一人で一つ持てるでしょう?」

 はあ、もちろん持てますが……ここまで何個かは運んできたんで……だけど、このまま酒出さんと運んじゃいけないでしょうか……って,いけませんよね、ご主人様。

 俺は精一杯うれしそうな声で言う。

「すいません。いいんですか? 那加……中井さんにまで手伝ってもらって……」


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