第101章 公園で青柳に出会う話
友部と酒出も参加して、青柳と小尾先輩の歌声対決が終わって、いよいよ明日はオーディションです。
「ある人に言われたの。どんな小さな希望でも、希望があるなら、それをかなえるために必死になっていいって」
「どんな小さな希望でも?」
公園は夕闇に包まれようとしていた。公園の街灯がついて、青柳の顔を斜めに照らしている。俺たちは家から歩いて1分もかからない場所にある小さな公園の、砂場の脇にあるコンクリートの低い塀のようなところに、並んで座っていた。昔から、二人でそこに座る習慣があった。
「そう、望みが本当にあって、とてもかないそうもないと思っても、時はどんどん過ぎていくんだから、望みがかなったとしても、かなわなかったとしても過ぎてしまうんだから、おそれることはないって」
「あ、ああ、確かにそうだね」
俺は、青柳の顔を改めて見る。望みがかなわないことを恐れて、長いこと、望むことから身を引いてきた俺にとっては、耳の痛い言葉だった。でも、小さいころから、俺の欲しいものを何でも持っているように思ってきた、この美少女が、俺と同じようなことを考えているなんて、なんか不思議な気がした。
「今日だけは、たかちゃんと少し話がしたかったから、この公園で待っていてみたくなったの。部屋の電気、ついてなかったから、まだ、帰ってないと思って。そしたら、ほんとに会えた。望みが一つかなってうれしいわ」
「あ、俺も……なんとなく、会えたらいいなと思って……部屋の電気がついてないのが見えたから、まだ帰ってないのかと思ってた。もしかして、公園にいたりして、なんて思って、きてみたら、本当にいるんだもの、びっくりした」
「テレパシーが通じたのかな? うふ……わたしね。毎日、学校から帰ると、何となくたかちゃんの部屋見るんだよ。電気がついてないときは、まだ帰ってないんだなって。ついてるときは、何してるかなって」
「え、ほんと?」
俺は、うれしさに心がほわほわしてきた。
「俺もだよ。夜なんか外出して下を通る時、電気がついていると、何してるのかな、なんて思ってる。勉強してるのかな、がんばってね。なんて心で言ったりしてるよ」
そう、そんなとき、俺はいつもさびしくなる。
「さーちゃんは、俺よりずっと楽しくあの部屋にいるんだろうな」なんて思って。
努力もせず、人を羨む悪い癖だ。
「ありがと。その心の声、届いていたよ」
「え、うそ」
「うそだよ。届いていたらうれしかったのに、っていうこと……そう言えば、昔はずいぶん、遊びに来たよね」
「そうだね。さーちゃんの部屋、よく覚えているよ。さーちゃんの部屋、いつもきれいに片づいていて、すてきだった」
小学生のころは、青柳の方が勉強ができて、俺はよく教わっていた。俺の部屋はいつも散らかっていたので、よく、青柳の部屋にお邪魔していた。青柳の両親とも小さいころからのつきあいだったし、少し年の離れた青柳の兄も俺をよくかわいがってくれた。俺の妹と一緒に遊びに行ったことも何度もある。
最後に青柳の部屋に入ったのはいつだろう。女の子らしいかわいい部屋で、畳の上にベッドや学習机が置いてあった。その間の小さいテーブルで畳にすわって勉強をよく教わった。何の屈託もなく、青柳の部屋に上がり込んで,自分の部屋みたいに好き勝手していたなんて信じられない気がした。最後に入った時も、あたりまえに遊びに行って、またいつでも来るような感じで部屋を出たんだろう。それが最後になるとは想像もしないで。
中学で学年が進むにつれ、俺は、青柳にべたべたくっついていることができにくくなった。青柳はたくさんの友達に囲まれ、いつも忙しそうだった。そして、中学というところは、何となく社会的階級のようなものがあって、みんなに囲まれている一流女子の青柳と、人付き合いの下手な三流男子の俺とでは、「身分」が違った。俺が、勝手に、ひけ目を感じていただけかもしれない。青柳の特別でありたいという一種の恋心と、どうせ自分なんか相手にされないといういじけた気持ちが混じって、勝手にふてくされていたというのが正しいのだろうか。
それでも、青柳は俺のことを相手にしてくれて、何かというと話しかけてくれたり、手を振ってくれたりしていたが、「部屋に勉強しに来ていいよ」とは誘ってくれなくなっていた。
「いよいよ、明日は、オーディションね」
「今日のさーちゃんの歌、すてきだったよ」
「えへ、ありがとう」
青柳は少し恥ずかしそうに微笑む。この恥ずかしげな、はにかんだような微笑みが青柳の一番美しい表情だと思う。
「明日、うまくいくといいね」
「うふふ、ありがと、たかちゃん、やさしいね。でも、いいんだよ。私が、透子さんやみなみんに勝てないのはわかってる。もちろん、ヴィーナス先輩にもね」
「そんなことないよ。さーちゃん、人気あるよ」
「じゃ、たかちゃん、私に入れてくれる? たかちゃんの票がもらえたら、その一票しか入らなくても、私、うれしいよ……なんてね。うそ、うそ……いいんだ。私、今はしあわせだから、とても」
青柳は、少しうつむいて口をつぐんだ。
「今日のコンサートも楽しかった。校門でみんなと握手するのも……今日は、ヴィーナス先輩だけでなく、透子さんやみなみんとも一緒に歌えて、本当にうれしかった。コンサートが終わって、家に帰ってきたら、『ああ、終わっちゃったんだなあ』と思った。でも、『夢に向かって、自分にできることは全部やったなあ』……と思って、『私にもやればできるじゃない』と思った。『ああ、私、今、しあわせだなあ』って。だから、そのことをたかちゃんに話したかったの。明日になったら、オーディションがあって、私、もちろん、勝てないってわかっているけど、でも、わかっていても、結果が出たら、きっと泣いちゃうかもしれない。だから、今日のうちに話したかったんだ」
青柳は俺をじっと見つめる。そして、俺の腰のあたりに手を回した。
「もっと近くに来て。昔は、いつもくっついていたじゃない」
言われるままに、青柳の腰のすぐ脇まで尻をずらすと、青柳が肩を寄せかけてきた。青柳の体温を肩に感じる。
「人から見たら、『あんなにきらめく美少女の間に入って、いなかのいも娘が何やってる』って感じでしょ? それはよく知ってる。でも、いいんだ。そのいも娘は、叶わない夢に、思い切り手を伸ばすことって、すてきだねって思ってるんだから。本当に……短い間だったけど……本当に楽しかった。これも、たかちゃんのおかげだよ。たかちゃんがオーディションを企画してくれたおかげ。ありがとう」
「いや、そんな、俺のおかげなんてことはないよ」
オーディションを企画したのは那加だってことを話してしまってはいけませんか、ご主人様、と俺は心でつぶやく。それにしても、こんなに感謝されるなんて……那加はこの日を計算していたんだろうか。はじめから「青柳を主役にする」といっていたのだから、この企画が青柳のためになることは視野に入っていたのだろう。
「こんなふうに並んで話すのって、久しぶりよね」
「そうだね。昔は、しょっちゅうここで遊んでいたのにね」
「覚えてる? 中学のとき、私が砂場でトンネル掘ってたら、たかちゃんが来てくれて……あのときも、長いことこんなふうに座っていたよね」
「うん、よく覚えているよ」
そのときのことはよく覚えている。たぶん、中学2年の秋、あっという間に暗くなる季節だった。
中学までは地元の学校だったから、いろんな子がいて、いじめというほどではないにしても、青柳のかわいさと人気をねたんだ女の子のグループが、悪口を言いふらしていたことがあったらしい。世事に疎い俺は、ほとんど気づかずにいたが、彼女自身は、かなり悩んで、つらい時期もあったらしい。あの日、夕暮れ時に、学校から帰ってくると、近くの公園で砂遊びをしている彼女を見つけた。
「どうしたの? さーちゃん。砂遊び?」
「昔、楽しかったなあ、と思って、砂場を見たらなつかしくなっちゃって」
「あ、ずいぶん、大きな山、作ったんだね」
「トンネル掘ってるの。たかちゃん、向こうから掘ってよ」
「なつかしい」
俺は荷物を置いてかがみこむ。俺はこういう子どもっぽいことは大好きだ。
掘り進めると、中でもぞもぞ動く青柳の手の感触があった。やっと、つかまえて指先に手を触れる。
「貫通したね」
「ほんとだね」
山から手を引き抜いて、手の砂を払う。そして、今と同じように、砂場の脇の低い塀に腰を下ろした。青柳が隣に座って、肩を押し付けて寄りかかってきた。小さい頃、よくやっていたように。
「よかった。たかちゃんに会えてほっとした。今日はね、ちょっと、辛いことがあったりしてね……、ふらふらと歩いていたら、公園に来てたの。無邪気に遊んでいたころが懐かしくて、山を作ってみたんだけど、『あのころみたいにわくわくしないな』と思ってた。でも、たかちゃんが来てくれて、たかちゃんと二人ならこんなに楽しい……」
「俺も久しぶりに楽しかった」
「大人になりたくない。ずっと子どもでいたいな」
青柳でもそんなこと言うんだ、と俺は驚いた。俺自身もまったく同じ気持ちだったから……。
俺には、中学校は住みにくかった。やることばかり、比較されることばかり増えて、いじめではないにしても、心が傷つけられることが多かった。特に、生まれつき心の弱い俺にとっては、ちょっとしたことで傷だらけの毎日だった。学校というところは、まずコミュニケーション力、次に運動神経が評価される。次に大事なのは、おそらく容姿。真面目さや学力といったものは、評価されないどころか場合によってはマイナスイメージでさえある。コミ障の俺みたいなやつは、オタクやぼっちと言われてバカにされ、隅っこに追いやられる。学校は社会の縮図で、大人になるということは、そういう現実を、よりはっきりとつきつけられることだということを、中学生の俺は漠然と感じていた。
そういう意味では、美しい青柳は、俺と対照的な存在だとずっと思っていた。だから、何となく距離を感じることが多くなっていたころだった。
俺の状況とは違うにしても、青柳でもこんなふうに落ち込むこともあるのか、と思った。だんだんと遠く感じられていた青柳が、少し身近な、なかよしの幼なじみに戻ったような気がした。辛いことがあって、それを隠しもせずに、俺に打ち明け、親しい友だちであるかのようによりかかってくれる。俺はそれがうれしかった。小さい頃に戻ったような気がして、俺は、青柳の背中に手を回してぎゅっと抱き寄せた。こんな俺にも何かできることがあるだろうか。
「トンネル、また掘ろうよ。俺、こういうの、今でも好きだよ。さーちゃんといっしょなら、何でも楽しい。昔みたいに、また、いろいろ遊ぼう」
「ありがとう」
俺を見る青柳の眼に涙が浮かんでいた。
その微笑みの美しさを、そのあと、俺は何度も思い出した。
思い出すたびに、青柳にとっての特別になりたいと思いながら、現実の俺のふがいなさに、時ばかりが流れた。そのあと、青柳は俺に悩みを打ち明けることもなく、たぶん、問題は解決しないまでも乗り切ったのだろう。また何となく遠くなって、遠くから見る限り、むしろ幸せそうで、そのとき以来、トンネルを掘ることはなかった。
「あのとき、たかちゃんと話せて、私、とてもうれしかったんだよ。あのあとも、いろいろあったんだけどね、『本当につらくなったら、また、たかちゃんと砂場で遊ぼう』って思うと、心が少し軽くなって、おかげで、なんとか乗り越えられた。たかちゃんのおかげ。たかちゃん、子どものころから変わらないよね」
「まあ、成長がないということで、相変わらず弱虫です」
「そうじゃなくて、純粋だってこと。みんなのこと大切にして、目標に向かって、まっすぐに生きてるよね」
あ、そうか、と思う。
やはり、ここには少し誤解があるようだ。青柳は、俺の奴隷としての活躍の表面を見て、俺の中身まで誤解しているんだなと思う。結局は、本当の俺とは対極的な、那加の作り上げた「みんなのために一生懸命がんばる」虚像が青柳の心を動かしたということなのだろう。
だが、今の俺は、訂正しようとは思わなかった。表面的であれ、俺のしたことが青柳を幸せにしたのだったら、それは本物だし、無理に水を差す必要もない。
そして、俺の虚像のうち、「届かないとわかっても、懸命に手を伸ばし続ける俺」であろうということだけは、本当にできるはずだとも思う。みんなを大切にすることも、俺は、那加から学んだ。那加ほどうまくできないとしても、望み続けることはできる。
俺は、青柳の背中にそっと手をまわした。あの時みたいに。
「俺は、残念ながら、さーちゃんの思っているほど強くもないし、純粋じゃないよ。でも、これだけはほんと。昔も今も、そしてこれからも、さーちゃんのやさしさに感謝してるし、さーちゃんのことを大切に思ってるよ。さーちゃんのしあわせを願ってるよ」
それだけは、虚像でない俺の本当の気持ちだった。青柳は、もう一度、俺を見つめた。その美しい笑顔の中に、昔からよく知っている「さーちゃん」の笑顔を見つけて、少しはっとする。ここにいる、一人の、大人になりかけの美少女は、俺の知っている、あの小さかった、大好きだったさーちゃんだった。
「ありがとう、たかちゃん。あのね、一つだけ言っておくね。あした、オーディションの結果が出たとき、私、大泣きしちゃうかもしれない。けど、心配しないでね。大泣きはしても、私、絶対に、不幸せじゃないから……でも、正直言うと、明日が来ない方がいいな。たかちゃんといつまでもこうしていたい」
「俺も、同じ。明日が来ないほうがいい。誰かが勝って、誰かが負けるのを見たくない」
青柳が身を起こして振り向いたので、俺も振り向く。
薄明の中、少し離れたところで、自転車の上から、俺たちの方を見て立っている人がいる。
自転車から降りて近づいてくる。
なんと友部透子だった。




