第10章 小麦色の美少女に出会う話
無事クラス役員に落選した俺。放課後、酒出に声をかけられてびっくりします。
その日は、放課後、那加に数学を教わることになっていた。
俺は、那加が今日の成果を何というのかななどと思いながら、教室の片付けものをしていた。那加の命令で、掃除の行きとどかないところをきれいにするように言われているのだ。那加との密会が見つからないように、俺は、いつも皆が帰るまで片づけものをしている。
また、ベランダに空き缶が放置してある。飲んで片づけない方も問題だが、それを掃除しない当番も当番だ。
昼休みにベランダでよく騒いでいる一流グループの奴らだな。
俺は、別に掃除が好きなわけではないが、一流の連中が散らかしたものを、いつも俺たち三流が片付けさせられる世の中の仕組みを、不合理だとは思う。彼らは、それでいて、俺が何かやらかすと偉そうに文句を言うのだ。
まあ、幸せに生きてるやつには俺みたいな三流はとてもかなわない。
空き缶を持って教室に入る。後ろの方で、何人かの女子はまだ帰らずにおしゃべりしている。男の子も、二人ぐらい混じっている。笑い声が楽しそうだ。
どうもそういう姿を見ると、疎外感を感じる。今という時間を楽しく過ごせていることに、だ。たぶん、彼らには簡単なことが俺には難しいのだと思える。
ごみばこは当番がちゃんとごみを捨てて、からになっていた。今日の当番はちゃんとしている。空き缶を放り込むとからんと音がする。追加で捨てに行くほどでもないよな、と思う。
「鯨岡君」
声をかけられてびっくりする。振り向くと酒出だった。
「鯨岡君、あのね」
酒出は少し言いよどんだ。夕方の光が酒出の顔と体を明るく照らしている。
きれいな顔だな、と思わず、見とれた。クラスメイトだから、しょっちゅう顔をあわせてはいるが、こんなふうに、正面から話すのは初めてかもしれない。あらためて正面から見ると、本当かわいい子だなと改めてどきっとする。
スポーツ少女らしく、小麦色の肌をしている。髪は、たぶん最近切ったばかりだろう。きれいでまっすぐだが、なんのしゃれっけもない。自分を飾ろうなんていう気は全くないように見える。あごのところには小さな擦り傷まである。すらりと伸びた手足、アスリートらしい引き締まった体、胸のふくらみがなかったら少年と見間違うほどだ。でも、その飾り気のなさが、何とも美しい。精悍できりりとした黒い瞳に見つめられて、俺はどぎまぎした。
「あのね、私、今日、会計になったけど……なんか、鯨岡君に譲ってもらっちゃった感じになったね。流れで立候補したんだけど、ちょっと事情もあってね……でも、あとで思ったんだけど、もし、鯨岡君がぜひやりたいっていうんなら、譲ってもいいよ。今からでも、先生に話せば間に合うと思うから……隣のクラスはまだ決まってないって言ってたから」
俺はびっくりした。感動したと言ってもいいくらいだ。さすが酒出だ。この俺のためにそんなことを言ってくれるなんて……
「あ、いえ、とんでもない。俺が酒出さんにかなうはずがないんで」
酒出はファンが多い。これほどの美少女であり、しかも、一年生で、すでにソフトボール部の実質的なエースらしい。超一流の存在であるにもかかわらず、まったく謙虚で、誰にでも明るく接する子なのだ。明るくきどらず、小学生みたいに純粋だ。三流の俺にだってこんな風に接してくれる。委員長とは段違いだ。
俺はあわてる。
この美少女が、俺のために気を使ってくれるだけでも申し訳ないのに、俺の立候補は那加に命じられただけのものなのだと考えると、余計に申し訳ない。俺が、実は、たいしてやりたくもないのに立候補して役員になれなくてむしろほっとしているなんてことがわかったら、きっと嫌な思いをするだろう。
「酒出さんが立候補するってわかってたら、俺、絶対酒出さんを推してたから、だから、俺は、酒出さんがなってくれてうれしいよ。酒出さん、前期も会計だったし、クラスのためにがんばってくれるんだね。ありがとう」
「前期は、私、何にもしてないようなもんだよ。、もっと役に立てることがあればとは思っていたんだけど……」
「酒出さん、もしかして先生に頼まれてたの?」
「頼まれたっていうほどじゃないよ。よかったらやってくれないか、とは言われていたけど……私も嫌じゃなかったから『いいですよ』と言っただけ」
やはり、と俺は内心思う。
「ありがとうございます。酒出さん、俺、なんかわからない役職をもらったんで、それで十分です。何か手伝える時があったら、いつでも言ってください」
俺はどうせ働くなら酒出の役に立ちたいと本気で思った。
「まさか、四人とも根回ししてあるとはね」
放課後、数学の勉強会で那加が言う。
「そこまでは読んでなかったわ。あの先生もなかなかやるわね。しかも、自分好みのかわいい子ばかり」
「那加でも読み切れなかったとはびっくりです。やはり、全員、根回ししてあったんですね」
「そうよ。私、青柳さんに聞いたもの。もし、誰もいなかったら立候補してくれるか、って聞かれたみたい。実際はジラが立候補して予定が変わったんだけど、先生は『妙なお調子者に役員をやられても困るから、頼む』って言ってたみたいで……」
「そのお調子者が、俺っていうわけですね。なかなかの読みですね」
「青柳さんは、ジラに譲ってもいいかなと思ってたみたいだよ。でも、先生にあれだけ見つめられてはね」
「俺としては、たいへんに結構なんですが……命令で立候補しただけで、やりたいわけじゃなかったんで」
「先生も別にジラが嫌だというわけじゃないと思うよ。ただ、根回しして、かわいい子たちで固めるつもりでいたので、ちょっと焦ったんだと思うよ。あの女子三人は学校全体でもトップクラスじゃない? かわいさだけでなく、魅力も含めて……みんな性格もいいしね、それがみな同じクラスにいるんだもの。先生としたら、自分の周りに集めたいよ」
いやいや、他の人はともかく、委員長だけは那加の思っているような人じゃないから、と内心思うが、もちろん口には出さない。
「そう言えばジラ、放課後、酒出さんと話してたね」
俺は言うつもりはなかったのだが、那加は見ていたらしい。仕方なく酒出との会話を話す。
「酒出さんていい子ね。いい子すぎるな。ジラにまで気を使うなんて。あの子、自分がとびっきりの美人だって気づいてないんじゃないかしら」
俺は、先ほどの会話でいっぺんに酒出のファンになっていたので、那加の言い方が少し気に入らなかった。
「そこがいいところだと思います」
「もちろん、ジラの言うとおりよ。だけど、よすぎるのよ。妹の眞知とちょっと似てるわ。あの子って、天性の魅力と、高いスペックに、あの性格だから、人が自然に周りに集まるでしょう。毎日楽しいし、何の苦もなく幸せな人生をおくれてしまう人だよね」
「それがいけないんですか」
そんなつもりはなかったが、俺の口調は少し不満そうだったかもしれない。那加がどんなつもりで言っているのかわからなかったが、那加の口調が酒出を批判しているように聞こえたからだ。
「奴隷のくせになんか突っかかるわね。もしかして、酒出さんが実は好きだったの?」
「そんなんじゃないです。でも、すてきだとは思ってます」
「ジラには眞知がいるんだから、他の女の子に手を出しちゃだめだよ。一途に約束を守るところがジラのいいところなんだから」
「俺、眞知さんにあってもいないんですけど……」
どうせ、どちらにも相手にされないな、と思うと悲しくなる。
「そうよね、あはは」
めずらしく那加が少し笑った。
「でも、一つだけ覚えておいて。酒出さんみたいに、みんなにかわいがられる人はね。つい、みんなを、自分と同じ『いい人』だと思っちゃう傾向があるの。実際は、あんないい人の方が珍しいのにね。そこに落とし穴があるの。でも、今は、この話はここまで……いずれ、また話すこともあるかもしれないけど」
俺は、何も言わなかった。
「それにしても、ジラを委員長補佐に、という話にも驚いたわ。予定通りになってほっとして、あの先生、ジラに悪いことしたと思ったのかしら。全然フォローになってないけどね。まあ、今度は透子さんの奴隷にもなれたってわけよ。おめでと。ジラ」
那加は、うれしそうに言う。
「はい、ありがとうございます」
俺は逆らわない。なにしろ奴隷の身なのだから。
「委員長にも浮気なんかしないのよ。ジラには眞知がいるんだから、透子さんを好きになったりったりしないのよ」
「はい? 心配無用です。俺は眞知さん一筋なんで……」
酒出ならともかく、委員長だけは願い下げだ。どんなに美人でも、俺を軽蔑して笑顔一つもくれない人を好きになれるわけない。




