第1章 田舎の駅のホームに舞い降りた天使の話
第一章 駅のホームに舞い降りた天使の話
ああ、あの子だ。
探すまでもなく目にとびこんできた。
天使よりも美しかったから。
この町がどうしようもない過疎の町だということを忘れてしまうぐらいに、大地駅のホームは人であふれている。
高校生と通勤の客が色とりどりの服を着て、うごめいている中で、彼女は一人だけ身動きもせず、駅のホームに立って、入ってくる電車の方を見ている。水都二高のブルーの制服を着て。
その姿を見て、俺は息を飲む。
まさに、生まれて初めての衝撃。
衝撃というのは断じて比喩ではない。
体全体がどこかに持って行かれそうな衝撃だった。
セミロングの黒髪に透き通るような白い肌。
大きくてはっきりした眼とちょっと高めの形のいい鼻、ほんのりと赤い唇、こんな完璧に美しい人がいるなんて、と俺は思った。
背筋をまっすぐにして遠くを見る姿勢までが美しい。
かばんを持つ白い腕も、少しふくらんだ形のいい胸も、どんな神様がこんな美しいものをこの世に作りだしたのだろう。
那加に写真を見せられていたが、本物はまるで別次元の美しさだった。
俺は、ただ茫然と立ちつくしていた。
本当にこの世のものなのかとさえ思えた。
電車が入ってくる。
彼女の姿は見えなくなり、電車に連れ去られてしまう。
電車が小さくなり見えなくなるまで俺は見送っていた。
自転車に乗ると俺は学校へ向かった。
俺は大大地高の一年生だ。
うちの学校は大地市にあるから大地高校というのはわかるが、なぜか大の前にもう一つ大がついて「おおだいちこう」という名前である。
なんでも、遠い昔、偉い人が高校を創立するとき、日本に誇れる高校にしたいと思ってつけたという話だ。
まあ、とにかく、このちょっと勘違いしたような名前は、誇れるかどうかはともかくとして、有名になってもおかしくはない。
田舎町の丘の上に立っていて、どちらの方から登ってもきつい坂を登ってこなくてはならない。俺みたいに自転車通学だと、登校は一苦労だ。
校舎へ入ると俺はいつものように階段を一番上まで上る。
生徒進入禁止という札がぶら下がっている鎖を超え、さらにいすの山をすり抜けると、那加が待っていた。
「だいぶ、お気に召したみたいね」
那加は、からかうような声で言う。表情はあいかわらず、マスクとメガネに隠れていてよくわからない。
「ジラ、どこか目がうつろよ」
俺はいつもの開かない屋上の扉の前の階段にすわって、那加を見上げる。
那加はいつものように、扉の前におかれた古い椅子に座って俺を見下ろしている。
那加は同級生だ。セミロングの髪はろくに手入れをしていないように雑にとかされている。いつも大きなマスクをつけ、黒縁メガネをかけていて、しかも前髪が目の上にかかっていて眼鏡越しの眼の表情でさえよく見えない。そしてそのマスクと眼鏡を外しているのを見たことがない。
要するに俺は彼女の素顔を見たことが全くない。
彼女は俺のことを、最近、なぜかジラと呼びはじめた。俺の名前が鯨岡高志だからだろうが、他にそう呼ぶ奴はいない。
「本当にかわいかったでしょう。私の言った通り」
かわいさは予想をはるかに超えていたが、俺は何も言わなかった。
「気に入ったんでしょう」
俺は正直にうなずいた。
「めずらしく素直ね。すっかり眞知のとりこ?」
「そんなんじゃないです。だけど……」
「うそ。『あの子を抱きしめてキスしたい』って顔に書いてあるよ」
「違います。そんなこと」
「しらばっくれたってだめ。まったく男って、結局、美人に弱いよね。本人がどんな人だか知りもしないのに」
「だから、そんなことまで考えてませんって」
女だって、イケメン以外相手にしないじゃないか、と心で口をとがらせたが、いつものように口には出さない。
「とぼけてもいいけど……でも、もっと知りあって、デートしてみたいとは思ってるでしょ」
「そ、それは……」
正直言うと、あの時から、あの姿が一時も頭から離れなかった。
あの時の衝撃がまだ俺の胸を震わせている。
横顔、そして周りを振り返るしぐさ、思い出すだけでどきどきする。
「まず、彼女とさりげなく会話して、お互いのこと話したり、いろいろあって、彼女もジラのことを好きになって、手なんかつないで赤くなって……それから初めてのキス? ……まあ、そんな少女漫画的ラブコメ展開でしょ。ジラの理想は……。わかってるって」
「そ、そんな、俺は」
「顔、真っ赤だよ。男ってホント単純」
俺は返す言葉に詰まって黙りこむ。
那加はいつものからかうような調子で言う。
「だから、ジラの夢を、かなえてあげるって言ってるでしょ。そして、今は本気になったでしょ。たったひとつの条件だけなんだから……」
「たった一つったって……」
「だって、眞知に会えるんだよ。デートもさせてあげるよ」
「だって」
「簡単じゃない。命を取るって言ってるわけじゃないし……でもね、ほんとは命かけるぐらいの覚悟じゃなきゃ、あの子には釣り合わないわね」
俺は黙り込む。簡単にのめる条件じゃない。それに、条件を飲んだって、何の保証もない。
予鈴が鳴った。授業が始まる。
「まあ、よく考えてね。人間、チャンスをつかむ勇気がないと、いつまでもジラのままだよ」
階段を降りて曲がる時、那加は俺をふりむいて言った。
「そうそう、明日は眞知は一本早い電車で行くみたいだよ。明日も見に行っていいよ。だけど、決心がつかないなら、明日までにするといいよ」
俺は那加が消えた階段をしばらく見つめていた。それからあわてて立ち上がる。一時間目は担任の授業だった。遅刻にうるさい先生で、遅れるとまずい。
授業を受けていても、俺は上の空だった。考えることがありすぎる。
考えてみると、最近はすっかり那加のペースに乗せられている。
那加と知り合ってから、まだひと月もたっていない。
那加は同級生だったが、あの日までは、まったくその存在にさえ気がついていないくらいだった。あの日、まったく偶然にぶつかるまでは……