6食目 ねばり、フワリ
投稿済みの分もちょっとずつ改稿したりしています。
深夜の自室へと小さな、とても小さな音が鳴る。
扉を叩いて発せられたと思われる柔らかなその打音に、俺は眉を寄せながらソッと振り返った。
自室と廊下を繋ぐその扉を、ジッと凝視する。
その一方で、今まさに思い浮んだセリフを画面に刻もうとしていた手は、キーボードの上で停止。
ヘッドホンなどを着けていたら、きっと聞こえなかったはずなノックに気付かぬフリをし、続きを書こうという衝動に駆られる。
けれど一旦気付いた音を無視するのも気が引け、俺は仕方なく腰を上げ扉を開くのだった。
「たっだいまぁ! 今日も張り切って書いてるかね兄貴ー」
だが開かれた扉の向こうから発せられた声に、俺はガクリと肩を落とす。
そこに立っていたのはフラつく身体を壁に預け、緩んだ顔から酒臭い息を吐く妹の姿だったからだ。
「今帰ったのか。思ったより早かったな」
「これでも2次会までは行ったんだよ。3次会もあったけど、なんか疲れたし帰ってきちゃった」
「……よくこれだけ酔って帰れたもんだ」
世は忘年会シーズン真っ盛り。それは社会人一年目の我が駄妹も同じ。
前もって会社の同僚たちと呑んで帰ると聞いていただけに、てっきりもっと遅くなると思っていたのだが。
結局思いのほか早々に切り上げたようだが、交通機関のほとんどはその日の運航を終了
結局コイツはタクシーを使い、高額の料金を払って帰宅を果たしたようだった。
そんな事をカラカラと笑いながら説明し、笑った勢いで体勢を崩しかける駄妹。
慌てて妹の身体を支えると、髪からはアルコールとは別に強い煙草の臭いが漂っていた。
コイツ自身は吸わないはずなので、おそらく同席した同僚あたりのが移ったに違いない。
それにしても酒には強い部類な妹が、こうもヘベレケになるとは。いったいどれだけ飲まされたのやら。
「ていうかお前は、学生の頃から一度も朝帰りすらしないな。お前をお持ち帰りしてくれる人間でも居れば、こっちとしては逆に安心なんだが」
「うっせー。私の眼鏡にかなう男が居ないのが悪い!」
「同僚とかで良いやつは居ないのかよ」
「既婚者だらけだっつーの。独身連中も大抵彼女持ちだし……」
決して容姿は悪くないはずなのに、こいつは何故か昔から男の気配が皆無。
そんな妹を珍しく案じてみると、コイツもなりにそこそこ気にはしていたのか、少しだけ凹む様子を見せた。
酔いに酔ってるせいか、普段であればしてくる反撃も無い。
酒臭いため息をつき、ウツラウツラと舟を漕ぎながら、廊下で崩れ落ちそうになる。
どうやらこいつの同僚の中には、酒に呑まれてしまった妹に対し、善からぬ行動へ出ようとする輩は居なかったようだ。
「仕方のないヤツだな。ほら、こんな所で寝るな。部屋まで運んでやるから」
廊下に転がりそのまま眠りそうになる駄妹を、俺はなんとか抱き起す。
こんな場所でスーツ姿のままで眠ってしまえば、翌朝にはウイルスの発生源として家中に猛威を振るうはず。
そこでせめて部屋に放り込んでやろうと考えるが、肩を貸したところで妹は少しばかり目が覚めたのか、なんとも気の抜ける言葉を発するのだった。
「……兄貴、腹減った」
「そこそこ食ってきたんじゃないのかよ。確か中華だったけか」
「人前でそんなに食べるわけないじゃん。びみょーに美味しくなかったし……」
妹の口にした欲求に、俺はガクリと膝が折れそうになる。
だがなるほど、酒に強いはずのコイツがこうも酔っている理由がわかった。
人前であるのに加え料理が美味しくなかったせいで、胃にあまり食べ物を入れないまま多量に飲んでしまったのだ。
そうなると当然、アルコールの回りはグッと早くなる。
「なんか美味しいのが食べたい。作ってよ」
「明日は休みなんだろ? 起きてどこか適当に美味い物を食いに行けばいいだろうが」
「やーだー。おにいちゃんのがいい」
「……ったく、仕方ねぇな」
酒の勢いもここまできたか、駄妹は少しだけ甘えた声でおねだりを口にする。
なんだか背筋が寒くなるような気味の悪さを感じるが、俺は渋々ではあるが、妹を台所にまで運んでやることにし肩を貸す。
本当なら水でも飲ませ、ベッドに放り投げてやるのが無難かもしれない。
しかし実のところ、こいつには少々恩というか、借りのようなモノがないでもなかったのだ。
「とりあえず簡単な物でいいなら作ってやる。……感想の礼もあるしな」
「んー? なぁに?」
「なんでもないっての。いいからしっかり歩け、台所へ来ないと食わさんぞ」
つい先日、朝起きた俺の枕元に置かれていた、妹による小説の感想文というかアドバイス。
俺が妹にした意地悪への、ちょっとした報復としてされたそれだが、実のところ何気に参考になってしまったのだ。
実際そいつを元に手直しをしてみたところ、ブックマークの付き方がグッと良くなった。なんと普段の3倍以上も。
元が微々たるものだったのもあるが、まさかコイツのアドバイスがこうも影響を及ぼすとは。
なのでここで少しくらい、礼をしても罰は当たらないはず。
それに自分も小腹が空いており、夜食を作りがてら世話をしてやるのも、手間としてはそう変わらなかった。
俺はその酔っぱらった妹を台所へ運ぶと、椅子へと座らせ適当に食材を物色する。
そうしていると、酒のせいで胡乱な目をしている妹は、なおも我儘を口にするのだった。
「……和食っぽいのがいい。お腹に溜まるヤツ」
「なんてワガママな酔っ払いだ。少しは遠慮しやがれ」
泥酔に近い状態ながら、欲求を定めるくらいの思考は残っているらしく、作る物に悩む俺へ遠慮なく食べたいものを告げてくる。
もっとも少々具体性に欠けるせいで、余計にこちらを悩ませてくれるのだが。
それにしても、和食で腹に溜まる物ときたか。
つい先日やった里芋は悪くなかった。しかし酒で弱っている胃腸には重いだろうし、そもそもストックがない。
和食の中でも消化に良さそうで、なおかつ腹に溜まる物となればどうしたものだろう。
そう考え周囲を漁っていると、ふと一つの食材に目が留まる。
「なあ、こいつとかどうだ?」
「なにー? ……いいね、私それ好き」
「それじゃ決まりだ。どう使うかは俺が勝手にするぞ」
取り出したそいつを、妹の前へ水と一緒に差し出す。
するとヤツは水を受け取って一口飲みながら、目の前にある食材をしげしげと眺め、納得したように親指を立てた。
どうやらお気に召したらしい。
俺はその反応に満足すると手にした食材、長芋をシンクへ放り込む。
ざっと表面を洗いピーラーで皮を剥いていくと、真っ白な身が露わとなり、手へ強いぬめりが伝わる。
人によってはこれでカブれたりするそうだが、幸い俺はそうでもない。
取り落とさぬよう注意しつつ掴み、フックにぶら下がっていたおろし器を手にし、勢いよく摩りおろしていった。
「お好み焼きでも作るの~?」
「深夜にそんな重いもん作らねーっての。ていうかお前、こいつがお好み焼きに入ってるのは知ってたんだな」
「失礼ねー。そのくらいなら知ってるって」
いい年をしてむくれる妹は、不満気にコップを振り回す。
酔っ払いが使うのを考慮し、プラスチック製のを渡しておいて正解だったようだ。中身も空のようだし。
そんな妹がする不満の声を無視し、俺は長芋をおろし続ける。
そいつを終えると、今度は摩った長芋の中へ市販のすき焼きダレを少量、そして卵を数個割り入れた。
材料全てを合わせ、しっかりと馴染むように混ぜ合わせていく。
駄妹がさっき言っていたように、ここへ小麦粉や出汁を入れればお好み焼きの生地に近い。
「なんか手伝おっか? 暇だし」
「いいからお前は大人しく座ってろ。あとはもう焼くだけだし、酔っ払いに火を任せられるか」
「なんだよー、せっかくカワイイ妹が手を貸してやろうって言ってるのにさ」
「手伝いを口にするのは酔っぱらってない時にしろ」
珍しく料理への参加を告げる妹だが、流石にこんな状態では任せられない。
刃物を使ったりはしないが、それでも火傷の一つもする可能性くらいはある。
もし下手に手伝わせてそうなってしまえば、後日延々と文句を言われるのが目に見えていた。
俺はそんな妹を適当にあしらいつつ、棚から小振りなスキレットを取り出す。
そいつをコンロにおいて熱し、少しばかりの油を引いたところへ、さきほどの長芋を一気に流し入れる。
ジュワリと音を立てる長芋。そしてほのかに立ち昇る淡く芳ばしい香りに、空腹感で胃が締め付けられる。
スキレットへ触れることなく、しばしジックリ片面を焼いていく。
そろそろ頃合いだろうかという頃、熱された取っ手を鍋つかみで持つと、予熱しておいたトースターの中へ。
狭いスキレットの中でひっくり返すのは難しいし、こうして焼くとフンワリ仕上がるのだ。
「あ、良い香り……」
「もう一杯水でも飲んで待ってろ。あと少しで出来る」
焼き上がっていく香りに食欲を刺激されたか、鼻から大きく空気を吸い込む妹。
俺は酔い覚ましの冷水をもう一杯渡すと、トースターの中で焼かれていくそれのようすを窺う。
少しばかり膨らんできたし、焦げ目も付いて良い具合。
トースターの戸を開き楊枝を刺してみると、中にもちゃんと火が通っていた。
「出来たぞ。熱いから火傷すんなよ」
鍋敷きをテーブルに置き、そこへ熱々のスキレットを乗せる。
上から鰹節を少量振りかけると、立ち昇る熱によって踊る光景により食欲が刺激された。
小皿を二枚用意し、木製のスプーンと自分用のビールを置いて手を合わせる。
「兄貴、私のお酒は?」
「お前はもう無しだ。水か茶でも飲んでろ」
焼き上がった長芋を前に一口ビールを飲むと、妹は自身の持つ水とこちらのビールを交互に見比べ、またもや不満を露わとするのだった。
だがさすがにこれ以上飲ませる訳にはいかず、それを速攻で払いのける。
自身の要求が受け入れられないと悟ったか、ヤツは大人しく目の前に出された料理へ手を伸ばす。
木製のスプーンで一口分を掬い取ると、持った小皿の上で息吹き冷ましながら、熱そうに少しずつ頬張った。
「要望通りになったか?」
「完璧。でも海苔とか乗ってるともっと好き」
「……本当にワガママなヤツだよな、お前は」
水と料理を口にする内、徐々に酔いが覚めて来たのかもしれない。
駄妹はホッと息をつきながら、熱を持ったそれを次々と口に運んで行き、小生意気な言葉と共に嬉しそうな表情を溢していた。
俺もビールをもう一口飲んでから、ようやくスプーンを伸ばす。
表面のサクリとした感触を経て、軽い手応えと共に焼かれた長芋を小皿へ移す。
口へ運ぶと、タレの焦げた香ばしい香りと共に、卵によって僅かに固まったふわふわの食感が。
舌を焼くような熱さ。けれど決して不快ではないそれを、口から熱を逃がしつつ飲み込んでいく。
咀嚼すら不要な柔らかな食感と、優しくもしっかりした味。そして消化に良いけれど、ゆっくりと胃で存在感を主張する食べ応え。
鰹節のうま味が加わり、より和の風味が強く喉奥をよぎっていくかのようだ。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様。って言うのも変か」
「いやはや、私は満足だよ。酔って帰ってきたら、兄貴がこんな丁度良い物を作ってくれるんだから」
「褒め称えてもいいんだぞ。"聖人君子のお兄様、いつも美味しいお夜食を作ってくれてありがとうございます"って言葉も添えてな」
気持ちも腹も落ち着いたとばかりに、徐々に酔いの覚めていく妹は椅子の背もたれへ身体を預ける。
ヤツは最近ほんの僅かに自己主張を始めたようにも見える腹をさすり、緩んだ表情で追加の水を飲んだ。
「……まぁ、一応感謝はしてるわよ」
「なんだって? まるで聞こえんな。もっと誠意を込めて、大きな声で言って貰わんと」
「耳が遠くなったのかクソ兄貴。素直に言ったんだから、普通に受け入れなさいよ」
俺は恥ずかしそうに感謝を口にする妹へと、大きな声を出せぬとわかってわざと挑発する。
するとヤツは小さな声ではあるが、なかなかに毒を吐きながら反撃を試みてきた。
どうやらこの深夜に、大声を出すのが迷惑であるという判断が出来るほどには、シラフに戻っているようだった。
礼を言って損したとばかりに、表情で憤慨を表す妹。
俺はそんな様子を見て苦笑しながら、逆にこちらからも礼を口にしてやる。
「俺も感謝してるよ。一応な」
「そんなに参考になった? 私のありがたいアドバイス」
「やっぱりさっきの聞こえてたんじゃねぇか」
こいつのアドバイスが参考になって、ブックマークが増えたのは事実。
しかしどうやらさっきは聞き取れないフリをしていただけで、実際にはちゃんと聞こえていたらしい。
もっともおどけた調子で俺をからかう様子からして、案外これは気恥ずかしさの表れなのかもしれない。
俺は苦笑しながらそんな妹のグラスへと、酔い覚ましの水を注ぎ足してやるのだった。