5食目 ほのかに甘く
温かなほうじ茶を一口すすり、明るく灯るディスプレイへ暖かい息を吐く。
深まりつつある秋の涼しさも一線を越え、立冬を過ぎ季節は寒さ厳しい冬へ。
暖気の元と言えばPCが発する熱くらいな自室で、保温のポットごと持ち込んだ温かな茶は、俺の凝り固まった身体を解してくれるかのようだ。
だが例によって例のごとく、茶では腹が満たされない。
椅子から立ち上がってフラリと向かうは、ここ最近この時間へ向かうのが恒例となりつつある台所だ。
「そろそろあいつも来る頃だろうしな」
などと、おそらく今日も姿を現しているであろう妹について口にしながら、軽くなりつつある胃を抱えて台所へ。
すると当然のようにそこへ居たのは、巨大な腹減りGこと妹の姿。
ヤツはひんやりとした台所だというのに、冷蔵庫へ頭を突っ込み中を物色していた。
「目ぼしい物はありそうか?」
「何が目ぼしいのか、そもそも私には判別できない」
「そいつは困ったな。ていうか延々兄貴の作る飯を当てにする妹ってどうなんだよ」
今宵も夜食の気配を嗅ぎつけた妹は、待ってましたとばかりに振り返る。
その手には魚肉ソーセージが2本ほど握られており、俺が来なければそれで空腹を紛らわす気でいたようだ。
しかしその必要もないと判断したらしく、不満タラタラな俺の言葉を聞くなり、冷蔵庫内に魚肉ソーセージを置き立ち上がる。
そして意気揚々、鼻持ちならないセリフを吐きやがるのだった。
「今時考えが古ーい、食事を作るのが女だけだなんて。いっそ男が全て作ってもいいくらい」
「極端から極端に走るんじゃねぇよ。お前もちっとは料理を覚えやがれ」
「いや、だって怪我とか怖いし……」
なんだかんだで、毎度この駄妹は俺に夜食作りを押し付けてくる。
どうしてやらないのかと思うも、これは単純に包丁や火を使っての怪我が嫌であるらしい。
てっきりただの料理下手かと思いきや、それ以前の話であった。
「……仕方ないヤツだな。その代わり作る物にお前の希望は反映せんぞ」
「OK、OK。作ってくれるならワタシ文句イワナイ」
ふざけた調子でカタコトの言葉を発する妹を背に、俺は嘆息しながら台所へと立つ。
さて、今夜は何を使おうか。
とりあえず目の届く所にあるのは、スーパーで安売りしていたであろう大量のメークイン。
冷蔵庫を開けて目につくのは、これまた安売り時に買った特大サイズのマヨネーズ。
これだけを見ると、ポテトサラダが思い浮ぶ。さっき駄妹が持っていた魚肉ソーセージでも入れれば、十分に満足できる代物が作れるに違いない。
「でもそれじゃ面白くないよな」
ここ最近毎度のように行っている夜食作り、そもそもは小腹満たしというのが主な目的ではある。
だがそれに次いで、気分転換というのも大きなウエイトを占めていた。
ならばちょっとくらい遊び心があっても良いのでは。もちろん普通のポテトサラダも美味いし好きなのだが。
そう考え視線を巡らせていると、一点で目が止まる。
置かれていたのはオレンジ色をしたひょうたん型の野菜で、表面にはシール状の値札が乱雑に貼られたままだった。
なるほどこれは悪くないと思い手に取ると、まな板の上に置き包丁を刺し入れる。
「なにそれ、瓜かなんか?」
「バターナッツだ。南瓜の仲間みたいなもんだよ」
暇を見つけては、近場に在る農協の直売所へ足しげく通う母親。
その母親は物珍しい野菜があると、つい買ってしまうという困った癖があるのだ。
今回もまた気まぐれを起して買ってきたであろうそれを、俺は真っ二つに割る。すると表皮とほとんど同じオレンジ色の果肉が露わとなった。
使う分だけの皮をピーラーで剥き、適当な大きさの角切りにしていく。
次いで妹にメークインも2つほど持ってくるよう頼み、そいつも同じく皮を剥いて同程度の角切りに。
新品のビニール袋に両方を入れ、レンジへと放り込み数分待つ。
その間にボウルを用意してバターを一欠け入れ、妹が食べ損ねていた魚肉ソーセージを刻んで放り込む。
「ポテトサラダ? っていうか南瓜サラダか」
「半々だな。ついでにソーセージ入りで」
「私、キュウリ入ったのが好きなんだけど」
「無い物は使わない。大人しく諦めろ」
後ろから手元を覗き込む妹へと、適当な言葉を返しながら作業を続ける。
溶けたバターと少々の塩が入ったボウルへ、レンジで蒸し上がったメークインとバターナッツを移し、形を崩さぬよう馴染ませていく。
人によってはここに少量の砂糖を入れたりもするらしいが、材料の半分近くは甘みのあるバターナッツ。これで十分なはず。
マヨネーズを少なめに混ぜるも、これだけでは若干寂しいかと、黒コショウのミルを手に取る。
そいつを多めにガリガリと潰し入れ、風味付けにスパイスを少々。
「出来たぞ。皿を寄越せ」
「あいはーい。小さいのでいい?」
混ぜていたゴムべらで、ボウルの縁で軽く叩く。
若干重い感触と音がすると同時に、鼻先を黒コショウの香りがくすぐった。これは美味そうだ。
妹がいそいそと取り出した小皿へと、完成したサラダを移す。
揃って台所にある小さな卓を前に座り、とりあえず両の手を合わせると、ソッとスプーンで角切り状のサラダを掬い口へ運んだ。
「甘い。でもスイーツとは違う、優しい感じ」
「いい感じに熟してるな。こりゃ調味料要らなかったか?」
一口食べた妹は、その素朴で穏やかな甘さに息を吐いた。
まず真っ先に感じるのは、ネットリとしたバターナッツの食感。
四角く切ったそれが噛まずとも舌の上で崩れ、熱したことによって強まった甘みがより色濃く感じられる。
味としてはこれで十分。ただマヨネーズが持つ酸味も、良い具合に甘さと馴染んでいる気がする。
加えて甘さだけではなく、もう少しばかりアクセントになる部分が鼻の奥から抜けていく。
「……シナモン?」
「悪くないだろ。ちょっとお菓子っぽくなっちまうのが難点だけど、ただの角切りポテトサラダよりは面白いかなって」
「私は好きだよコレ。確かにお米を食べるって感じにはならないけどさ」
目の前で二度三度とスプーンを口に運ぶ妹は、ニカリと笑む。
自分では全く作ろうとしないのがアレだが、ともあれ気に入ってくれたようで何よりだ。
俺も再び口へサラダを運ぶと、鼻から強く抜けていく黒コショウの香り。
追って僅かに入れたシナモンが抜け、ただの芋と南瓜による温かいサラダとは、微妙に角度の変わった面白さを感じさせる。
しかしこれだけで完結するというのは、少々物足りない気がしてならない。
「ところで兄貴……」
「みなまで言うな。俺も同じことを考えている」
スプーンを置き、ジッとこちらを凝視する妹。
俺は一瞬だけその視線と合わせると、椅子から立ち上がり棚へと向かった。
棚から耐熱のグラスを二つ。そして別の場所から、度々CMで見かける麦焼酎のパックを手に取る。
次いで電気ポットの前に立ち、グラスに熱湯を注いで焼酎と一緒にテーブルへ置く。
「こいつでどうだ?」
「良い。やるじゃないお兄様」
焼酎のパックを掲げてみせると、グッと親指を立て称賛の言葉を発する妹。
俺はその姿に機嫌を良くし、熱湯の入ったグラスへと焼酎を注いでいった。
湯気を立てるグラスを持って無言で乾杯し、口を付け一口。
プレーンながらフワリと優しく香る麦焼酎に、お湯の柔らかな口当たり。喉を焼くことなく薄められた酒が、胃から身体を温めていく。
「これで正解かもな」
「うん、料理の味を邪魔しない感じ。麦で良かったかも」
お湯割りの温度が身体に染み入り、ほっこりと力を抜く俺と妹。
淡白な芋とほんのり甘い南瓜、シナモンと黒コショウの香りを阻害しない、パンチの効かぬ焼酎が実に心地よい。
ほんのり温かいサラダと、お湯割りのおかげで上がっていく体温のせいもあり、徐々に眠気すら覚えてくるようなまったり感だ。
「なんかもう、このまま寝てしまいたい気分ね」
「最低でも洗い物だけは片付けてからにしろよ。ここで寝るのは勝手にすればいいが」
「最近寒くなってきたせいでさ、随分水が冷たいんだけど」
「知らん。オレ夜食ツクル、妹皿アラウ、コレ約束」
インディアンが言いそうなイントネーションを用い、ダレた妹に釘を刺す。
料理嫌いな妹の代わりに夜食を作るのはやぶさかではない。だがせめてこのくらいは負ってもらわなくては、割に合わないというものだ。
「そんじゃ俺はもう寝るわ。もう書くような気分でもないし」
「可愛い妹を寒さに晒して寝るなんて! この外道、鬼畜、ド零細!」
「なんとでも言うがいい。だが最後の一言だけは許さん、明日はお前が作れ」
ブーブーと文句を口にする妹へと、突き放すように嘲笑を返してやる。
一応寝る前に水分だけは摂るように告げた俺は自室に戻り、温まった身体とほんのり思考を染める酩酊感を抱えたまま、自室のベッドへ沈み込む。
しかし寒い中に放置した妹は、俺に対する報復を用意していたようだ。
朝になって起きた俺の枕元にあったのは、A4の用紙へプリントアウトされた、小説に対する辛辣な感想という報復。
俺はそいつに目を通すなり、会社を休んでしまおうかと思うほど、強い脱力感を覚えるのだった。