32食目 続く乾杯
数枚の皿を棚から下ろし、台所にあるテーブルの上へ並べる。
普段使っているプレーンな白磁の皿ではなく、柄の描かれた比較的値の張るそれを眺め、腕を組んで思案する。
いつもであれば、諸々の面倒臭さもあってまず使わない来客用のそれ。
けれどこの日ばかりは、俺も多少の気合が入っており、ちょっとした気まぐれから棚の奥をあさって拭き上げる。
もっとも選んだこの皿が、今から作ろうとしている料理に合うかは、いまいち自信が持てない。
そこで冷蔵庫を開き茶を取り出す妹へと問うと、ヤツは嘆息交じりに返す。
「別にどれだっていいんじゃないの」
「面白味のないヤツだな。少しは遊び心ってものをだな……」
「あの子はたぶんシンプルな方が好きだと思うけど。それより早くしないと来ちゃうよ」
どうやら俺の苦悩は、妹にとってどうでもよいことらしい。
冷蔵庫の冷気を顔に浴びる駄妹は、軽く手を振って適当な反応を示すと、茶のボトルを持ってリビングに戻っていった。
その素っ気ない反応に閉口する。……だが確かに、今は皿を選んでいる状況ではないのかもしれない。
これから来る客、つまり後輩であるが、彼女を迎える準備をしなくてはいけないのだから。
いつもであれば気楽に出迎え、料理を作るのだって手伝ってもらっている。
しかし今日ばかりはそうもいかない。今回は少々込み入った、真面目な話をするために来るのだから。
先日、妹と酒を呑んでいる時にかかってきた後輩からの電話。
その時に交わした内容は、改めて家に伺い、話をしたいというものであった。
おそらくは後輩がしてきた、本来なら俺にとってはとても幸福と言える、告白への返答を求めて。
……いやおそらくではない、間違いなくそうだ。
かなり緊張する状況ながらも、来訪を断る理由もなかったため、とりあえずはそれを承諾。
あれから数日、俺は彼女が来る日を指折り数えながら、迎えるための準備を続けていた。
とはいえ別にクリスマスやひな祭りのように、飾りつけや特別な物を用意する必要があるでもなく、もっぱら作る料理を考えるばかり。
「とは言っても、別に高価なものを作るわけじゃないんだが」
俺は誰にともなくそう呟き、冷蔵庫を開いて食材を取り出す。
ごく粗挽きの豚ミンチ、少量の野菜、そして市販の餃子皮。至って普通な、どこででも売っていそうな餃子の材料。
ここからもう少しばかり食材を追加するが、とりあえずは今日作るのはこいつだ。
下手に見た目で凝った物を作るよりも、パッと見ではシンプルな方が、話をする時には気楽であろうと考えて。
ただやはりこういう場では、料理に何かしらの意図を持たせたいようには思える。
熱心に想いを伝えようとしてくる後輩。それにここ最近、どことなく機嫌が良くない妹。
この二人に対し願わくば、これからも上手くやっていければという、腑抜けた思惑を込めて。
俺がそんな少々情けない思考をしながら準備していると、玄関のチャイムが鳴らされる。
若干予定よりも早い気がするが、どうやら後輩が来たようだ。
彼女は妹に促され家に上がると、まずは台所に来た。そしてジッとこちらを見つめると、小さく笑顔を向けてくる。
「少し待っていてくれ。ちょっとしたら出来るからさ」
「あの、お手伝いは?」
「今日は大丈夫だよ。……それに俺だけじゃなく、あいつとも積もる話があるんじゃないか?」
当然彼女とは、ここまでも毎日のように会社で顔を合わせている。
もっとも会社ではある程度の割り切りがあったため、こうして家で顔を合わせると多少ギクシャクしてしまうのではと思った。
けれど彼女が普段通りに徹してくれているためか、思いのほかアッサリと、別段変わった様子もなく言葉を交わす。
この辺りは少々ありがたい。
そんな後輩へと、俺はあえて自分たちのことを話すのではなく、今は妹と話すように促す。
「そうですね。ではおまかせして、あたしは妹さんと世間話でも」
「おう。癇癪を起さないように宥めてやってくれ」
台所を出ていく後輩の姿を見送り、俺は肩の力を抜く。
つい最近確信を持ったが、あの駄妹は密かにブラコンの気があるらしい。
そのためか後輩からの告白を受けて以降、妹は若干の不機嫌を抱き続けていた。
告白を受けるにしろ断るにしろ、あいつが苛立ちを重ねるのは間違いない。
なのでまずは落ち着いて話すためにも、こちらの解消を先に済ませておきたいところ。
つまり本来この日の主役であるはずな俺と後輩は、妹の接待をする側に回ってしまうようであった。
実のところ、前もって後輩にはメールでこの話をしてある。
彼女が妹と話すべく、すぐにリビングに向かってくれたのはそのためだ。
「まぁ、なるようになるか」
ともあれこの件に関しては、妹とは親友と言ってもいい関係になりつつある後輩に任せるとしよう。
俺は少しばかり気を楽にすると、彼女が置いて行った土産を覗き込んだ。
袋の中にあったそれを手に取ると、現れたのは一本の瓶。
聞いた事がない名前の小洒落たデザイン。おそらくは日本酒であろうそいつを、とりあえず冷蔵庫へと入れる。
今日作る物に合うかはわからないが、折角もらったのだ、こいつも出すとしよう。
台所から顔を出し、リビングで妹と後輩が腰を下ろしているのをチラリと確認。
とりあえず二人がおかしな雰囲気になっていないのを確認すると、安心して台所へと引っ込む。
そしてちょっとばかり自身に気合を入れると、用意した食材へと手を伸ばした。
ボウルに入れるのは、ミンチ肉と刻んだ白ネギに崩した固形コンソメ、それに黒コショウと少量の赤ワインに塩。
普通に餃子を作る要領なのだが、使う肉がかなり粗い挽き方なので、ちょっと練ったくらいでは繋がってくれない。
そこで少量の片栗粉を加え、表面に粘り気を出すことで補ってやる。
こいつを皮で包み焼いてやれば、ほぼ餃子は完成。
ただそれでは少々面白くない。それに今日のような日には、特別な何かをしたいというものだ。
そこで俺はテーブルの上、その一角に置かれたバットを手に取る。
「うん、両方とも上手く育ってくれた」
手にしたバットに入っているのは、餃子に使おうと考えていた食材。
真っ赤に染まりよく熟れたミニトマト。そしてしっかりと伸び、強い香りを放っているローズマリー。
これらは共にベランダでの収穫物だ。
ミニトマトはしばらく前からベランダで育てており、最近では妹も密かに収穫を楽しみにしているという、趣味と実益を兼ねたものとなっていた。
そしてローズマリーは、妹の誕生日にと後輩がくれたもの。
ローズマリーとパセリ、セージにタイムという、とある歌の歌詞にある組み合わせ。
ちょっとした遊び心でくれたであろうこいつもまた、育つにつれ妹が密かに収穫を楽しみにしていたものだ。
これらを使うことによって、些細であっても今の空気をやわらげさせる一助となれば。そんなことを考えてしまう。
その取り出したローズマリーを細かく刻み、餡の中へと混ぜ込んでいく。
次いで餃子の皮へ少なめに餡を乗せ、半割りとしたミニトマトを埋め込んでから包んだ。
かなりギリギリで中身の詰まったその餃子を作りながら、軽く肩を竦めた。
「中華感、もうどっか行っちまってるな」
生のトマトにローズマリー。それにコンソメや黒コショウ。
本来ならば中華料理に分類される餃子だが、こと材料だけ見ればほとんど洋食の類。
こういった試みをする人が少ないとは思わないが、一般的には餃子の部類に入れていいか悩むような内容だ。
家には料理用の紹興酒などもあるというのに、今回はあえて赤ワインを使った。
それは赤ワイン煮やハッシュドビーフのようにとまでは言わないものの、かなり洋風な仕上がりになるのではないかと考えて。
上手くいけば3人揃って笑顔。失敗したら……、妹と後輩に揃って俺を非難させればいい。
きっとどのみち悪い結果にはならないはずだ。そう考えながら、俺は餃子の皮を掴んで包んでいく。
「あいつら、ちゃんと話し合ってるんだろうな?」
餡とトマトを包んでいく最中、ふと気になってリビングの方を窺ってみる。
片目だけで見たそこでは、テーブル越しに向かい合った2人が、なにやら真剣そうな面持ちで言葉を交わしていた。
ここからでは内容までは聞き取れない。
ただ真剣そうなその様子から、各々言いたいことを言い合っているような雰囲気は察する。
ともあれ口論にはなっておらず、そのことに密かな安堵をした。
もっともこの件、直接的には俺と後輩の話であるため、喧嘩になどなるはずがないのだが。
考えてもみれば心配する必要はないのかと考え、包み終えた餃子をフライパンに並べる。
オリーブオイルを用いて軽く焼き、片栗粉混じりな少量の水を流し込んでから蒸し焼きに。
良い頃合いで蓋を取って、水分を飛ばすようにさらに焼いていくと、徐々に立ち上ってくる芳ばしい香り。
時折リビングから漂ってくる、内容の聴き取れない妹と後輩の声。パチパチと焼け皮の焦げていく音。
俺はそれらを感じ取りながら、良い頃合いを見計らって餃子を皿に移した。
綺麗にキツネ色となった焼き目。薄く軽い片栗粉の羽。
その出来栄えに満足した俺は、諸々一式すべてを盆にのせ、意を決してリビングへと移動した。
「話は終わったか?」
「……別に、これといって何も話してなかったわよ」
「嘘つけ、こっちにまで声が漏れてきていたぞ。内容までは聞き取れなかったが」
出来上がった料理と、冷蔵庫から取り出した酒をテーブルに置く。
そして妹を一瞥すると、俺が離れている間にしていたであろう会話についてを問う。
ただ妹はそれについて話す気はさらさらないらしく、どことなくぶっきら棒に返すばかり。
それでもちょっとばかりの悪戯心を起こして追及してみると、今度はムッとしたような表情を浮かべ、「スケベ」と言い放たれてしまうのだった。
どうやらこいつにとって、あまり面白くはない会話であったようだ。
けれど印象通り喧嘩らしきものにはなっていないようで、後輩の方をチラリと窺うと、彼女は少しだけ可笑しそうに微笑んでいた。
いったいどんな内容を話したのやら。
「まぁいい、とりあえずは食っちまおう。詳しい話はそれからだ」
「つまり食べ終えたら話さなきゃダメなわけね」
「その通り。今のうちに酒を呑んで、舌を滑らかにしておけよ」
俺が後輩に対する返答を行う場から、いつの間にやら妹の機嫌を取りなす場へ。
そんな奇妙とも言える酒の場で、俺は取り出した酒をグラスに注いでいく。
げんなりとした表情を浮かべる妹。
おそらくはいつの間にかこの場の主役が、俺ではなく妹自身に切り替わってしまっていることが、どうにも不満であるらしい。
とはいえそんな不機嫌も、目の前に置かれた料理と酒によって多少なりと誤魔化されたようだ。
妹の視線は大皿に盛られた餃子に集中。加えて良い香りのためか、横眼にもわかるほど喉が鳴っている。
普段であれば、いの一番に妹が箸を伸ばしているのだろう。
とはいえさっきまで悪態をついていた以上、真っ先に食べ始めるのは気が引けるらしく、何度も箸に手が伸びかけては引っ込むというのを繰り返す。
そこで後輩に目配せをすると、彼女は意図を察し餃子へ箸を伸ばした。
「すごいです、お肉の食感が」
餃子を口に含んで噛むと、目を見開く後輩。
彼女はなによりもまずその歯に当たる弾力に驚き、溢れる肉の汁をこぼさぬよう口元を押さえていた。
そして飲み下すなり、目元を綻ばせ感嘆の声を漏らす。
俺も続いて手を伸ばして口に入れると、後輩が言っていた通りの強い弾力が歯に当たる。
奥歯で噛みしめる度に溢れる肉汁。加えて黒コショウの鋭い刺激に、甘い白ネギと赤ワインの濃厚な旨味。
しかしただ濃いだけの味ではない。ミニトマトの酸味とローズマリーの芳香がぐっと味を引き締め、混然一体となった風味が喉の奥、そして胃へと収まっていく。
…………我ながら何を言っているのかよくわからないが。
ともあれ作った自分で言うのもなんだが、想定していたよりもずっと成功だと言っていい。
すると俺と後輩が食べる様子を見て、辛抱堪らなくなったのかもしれない。妹はどことなく演技めいた口調で、箸に手を伸ばそうとしていた。
「し、仕方ないわね。そこまで言うなら食べてあげても」
「別に何も言っていないだろう。食欲がないなら後で食うといい、その頃にはガッツリ冷めてるだろうが」
「もう、食べるって! 生殺しは勘弁してよ」
ついには観念し、食欲を隠さなくなった妹。
妨害されては敵わぬと、一気に数個を自身の取り皿へと移し、急ぐように口に運ぶ。
俺と後輩による小さな笑いを受けながら食べる妹は、しばし咀嚼して飲み込む。
普段なら真っ先に発しているはずの感想はない。しかしその顔を見る限り、どうやら気に入ってはくれたようだ。
俺は一転してちょっとばかり満足そうにする妹に安堵し、ここでようやく酒へ手を伸ばすことに。
流石にこの短時間ではしっかり冷えてくれなかったため、後輩の持ってきてくれた日本酒を冷やすために、今回はグラスに氷をぶち込んでいる。
とはいえ最近はそういった飲み方もあり、密かに俺は気に入っていた。
もう一度餃子を口に入れ、強い味が残るところへキンキンに冷えた日本酒を流し込む。
この餃子の味であれば、大人しく赤ワインを飲むというのが無難な選択なのだとは思う。
だが彼女が持ってきた日本酒は、まるで狙ったかのようにピタリとはまっていた。
日本酒の酸味はトマトとは別の部分で口をサッパリとさせてくれ、角の取れた旨さは次の一口へ駆り立てる。
「どうだ、自分が世話をして育てたトマトとローズマリーは」
「……もしかして、あえて合わせたの?」
「一応な。こう見えて考えるのに苦労したんだぞ」
「まあ……、悪くはないけど」
箸と酒のグラスを置き、妹をチラリと横目で見る。
食べていくにつれ満足そうな様子を見せるのに安堵しながら、俺は率直に感想を求めた。
妹が育てたトマト。後輩からプレゼントされ、やはり妹が育てたハーブ。そして後輩がくれた酒。
何も言わずとも意味深なこれを、味やらその他も含め妹がどう受け取るか。
反応を見る限り悪くはなさそうではある。けれどそれでは気持ちほど不満で、俺は挑発的に問うてみる。
「悪くないっていう程度か?」
「あたしはすごく好きですよ。頑張って育てた食材で、先輩が作ってくれたこのお料理」
すると妹が反応をする前に、後輩が助け舟を出してくれる。
今回作ったこいつの意図を察していたであろう彼女は、穏やかな表情を浮かべていた。
その反応を見て、形勢不利と判断したらしい。
妹は盛大にため息をつくと、自身の小皿に取った残りの餃子数個を一気に口へ放り込み、氷の満ちた日本酒で流し込む。
そしてしばしテーブルの上と、俺たちを矯めつ眇めつする。
いったいどうしたのだろうかと思っていると、妹はグラスに勢いよく酒を注ぐ。
そいつをまた一気に飲み干し、再度一息。少しばかり口ごもった後で、意を決したように口を開いた。
俺ではなく後輩へと、確認するように、訴えかけるように問う。
「私たち、コレみたいに上手くやっていける、……よね?」
どことなく弱気な気配漂う言葉。
コレというのが、出した料理のことを指すのは間違いないだろう。
つまり妹は後輩に対し、想像したよりもずっと合っていた組み合わせのように、良い関係を続けていけるだろうかと問うているのだ。
出会って以降意気投合し、既に親友と言えるであろう妹と後輩。
もし俺が後輩の想いに応えた場合、あるいはそれを拒絶した場合であっても、今までと同じように接してくれるだろうかという問いだ。
後輩も認めるブラコン気質を持つ妹ではあるが、実のところそれと同じくらい後輩との関りも変えたくはないと考えていたらしい。
ここ最近の若干ナーバスな様子は、この部分も含めてであったようだ。
とはいえ後輩にとってもそれは望むところ。もしどういった結果になろうと、そこを変えようとは考えていないに違いない。
だが妹に対しそう答えたのは、後輩ではなく俺であった。
「確かに上手くやっていけるだろうな。なにせこれまでと何も変わらない」
静かに頷く後輩の横で、そう告げる。
すると妹はキョトンとした表情を浮かべ、俺と後輩の顔を交互に見た。
「それってつまり、……どういうこと?」
どうやら混乱しているようで、意図することが伝わっていないらしい。
というよりも説明の仕方が悪かったのかもしれない。そこで俺は軽く咳払いをすると、もう少しばかり簡潔に告げた。
つまりはつい先日後輩からされた、告白の返答について。
「ようするにだ。……保留、と」
「はあああああ!? こんだけ引っ張っておいて、なによその腑抜けた答えはぁ!」
俺がその決心を口にすると、妹は立ち上がり裏返った声で叫ぶ。
てっきり妹は、YESと答えるのだと思っていたのだろう。俺にとってこの後輩は、もったいない程に出来た娘さんであるのだから。
だが返ってきたのは、なんとも中途半端というか情けない内容。気を揉んでいた側からすれば、癇癪の一つも起こしたくなろうというものだ。
俺だってこれが情けない決断だとは思っている。……いや、決断とは言えないか。
だが俺には、この結論が最も無難であるように思えてならなかった。逃げと言われるだろうけれど。
実際それを証明するように、後輩は横目で俺を見ながらも小さく微笑んでいる。
きっと彼女は、俺がこの結論とも言えぬ答えを出すと察していた。
そのうえでまだ兄離れの出来ていないこの妹との絆のため、もうしばらく待ってくれるつもりなのだろう。
「ああ、もう! 変に考えて損した。まさかうちのクソ兄貴がここまでヘタレだったなんて!」
立ち上がった妹は、俺を見下ろしながら癇癪を次々と爆発させていく。
そうしてテーブル上の酒瓶とグラスを拾い上げ、フイと他所を向き並々グラスに注いで、一気に煽りなお怒気を漏らす。
明確に不機嫌さを露わとした態度。けれどそれがポーズに過ぎず、どこか穏やかさすら漂っているような気も。
コッソリと横顔を窺ってみると、への字に曲げられた口ではあるが、その端が緩んでいるようにも見えた。
ただその部分を追求しようとするも、一気に酒を呑んだせいだろうか、妹は突然走り出す。
おそらく身体が危険を察知し、トイレに駆け込んだに違いない。
激しい足音のみを残し消えた妹を見送る俺は、後輩と視線を交わす。
共にちょっとばかりの苦笑をし合ったところで、彼女は腰を浮かして移動、俺のすぐ真横へと座った。
そして身体を傾け肩先だけで寄りかかると、トイレで駆け込んだ妹に聞こえぬよう、抑えた声で囁くのだ。
「お兄ちゃんを取られるの、イヤらしいですよ」
「……困った妹だ。実年齢よりも10歳は下に見ておいた方がよさそうだな」
「でも可愛いじゃないですか」
何を言われるのかと思いきや、料理をしている間に彼女らが話していた内容について。
俺には聞こえなかったが、実のところ二人は思いのほか突っ込んだ内容を話していたようで、その時に漏らしたのがこれであったらしい。
普段はじゃじゃ馬というか、こちらに対し挑発的で反抗的な妹。しかしその実、素面でもそんなことを言ってしまうようなヤツであったようだ。
まあ確かに、そういう意味では後輩の言う通り、可愛らしいと言えなくもない。…………かも。
「あたしは楽しみです、彼女が受け入れてくれる日が。それに妹さんが許可してくれないと、先輩との距離が縮まらないみたいですし」
「なかなか言うようになったな」
「自分の考えや気持ちに遠慮をする気がなくなったもので。特にプライベートでは」
そんな妹の心情を伝えてきた後輩は、これまで見たことのない笑みを浮かべる。
どことなく愉快そうであり、俺には彼女が今の状況を楽しんでいるように思えてならない。
もっと大人しい性格であったように思うのだが、親しくなっていくことで、本来の性格が徐々に見え隠れしているのかも。
どうやら彼女に本格的な返事をするのは、そこをちゃんと知ってからになりそうだ。
「ちょっと、私が居ないところで変な話をしないでよ!」
後輩の新たに見せた一面に困惑していると、トイレの方から叫び声が。
もうしばらくグロッキーが続くかと思っていたのだが、思いのほか回復が早かったようだ。
ただ体調が落ち着いたことによって、今度は自分の居ない場での会話が気になったらしい。
そのいまだ姿が見えぬ妹へと、俺もまたちょっとばかり声を張って返す。
「なら早く戻ってこい、ちゃんと顔と口を洗ってからな。それと冷蔵庫に漬物があるから切って、新しい酒も何種類か見繕ってな」
「人使い荒くない!?」
「そのくらいやっても罰は当たらんだろう。なにせ肝心な酒はまだお前が持ってる、俺たちは酒なしで待ちぼうけだ」
「わ、わかったわよ……。なら台所にあるお酒、全部持ってくからね!」
「早くな。それとお前は酒じゃなく水を飲め」
折角後輩が持ってきてくれた酒は、瓶と共に妹の手の中だ。
酔っていたのだから多少は仕方ないとはいえ、そんな状態でトイレに駆け込み、色々と人に見せられない状態となっている。
持ってきてくれた後輩には悪いが、その瓶から酒を注いで呑むのは御免被りたい。
俺のそんな不満に対し、妹は若干キレ気味に返す。いったいどれだけの酒を持ってくることやら。
「……俺たちはそれまで、次回作のネタ出しでもしておくか」
洗面台で豪快に水を流し口をゆすぐ妹は、次いでパタパタと駆けて台所へ。
こんな遅い時間に迷惑なヤツだと思いながら後輩に向き直ると、妹が来るまでの時間の潰し方を提案した。
彼女と親しくなった一番の要因、小説書きという趣味。
俺は今書いているのがそろそろ終わりが見え始めており、後輩もまた現在のそれが終盤に差し掛かっているという。
なのでこの機にでも、互いに次回作のアイデアを出し合うというのも悪くはない。
すると後輩はクスクスと笑いながら同意する。
ただ彼女はさらに提案を。つまりこのまま共に出したアイデアで、ひとつの作品を作ってはどうかというものだ。
もちろん、今台所で荒っぽく酒をかき集めている妹も含めて。
「なるほど。悪くはなさそうだ」
俺はそんな彼女の提案を、これはこれで有りかと考える。
妹とは行った試みだが、後輩も交えてというのも案外悪くはないのだろう。おそらく彼女自身が、一番それを望んでいるのだろうし。
肯定的な返事をしたことで、表情を明るくする後輩を眺めていると、妹が台所から戻ってくる。
妹は抱えるように何本ものボトルを持っており、俺と後輩の様子を見て、怪訝そうに首を傾げていた。
それにしても今日は後輩と妹、二人の知らぬ一面が今頃になって垣間見えたように思える。
ならばこちらももう少しばかり、我を出して接してもいいのかもしれない。
俺はそんなことを考えながら、彼女らに少しだけ微笑んで、僅かに酒の残ったグラスを無言のまま掲げるのであった。




