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27食目 潮の香りと郷愁と


 夜も遅く23時。仕事を終え、立ち寄った店で少しばかりの酒を入れ。

 バスに揺られて十数分、既に深夜と言える時間帯に入った頃、俺は最寄りのバス停へと降り立った。


 ただ降り立った俺の背後から、もう1人の姿が。

 別に偶然乗り合わせただけな、見知らぬ誰かという訳ではない。

 頻繁に言葉を交わしても居れば、名前も知っている人物。本来ならもう一つ先の停留所で降りるはずであった、会社の後輩だ。



「ほら、しっかり歩きな。もう少しで着くから」


「だいじょーぶですってー。あたしちゃんと歩けてますからー」


「そういう自信は、忘れず鞄を持ってから言おうな」



 後輩はバスから降りると、飛びつくように俺の背へと抱き着く。

 そんな彼女を引っぺがすと、彼女がバスの中へ忘れそうになっていた鞄を押し付けた。


 普段であれば、例え同じバスに同乗してもここで降りるということはない。彼女は自身の自宅により近い停留所を使うためだ。

 なのに今日ここで降りたのは、相当に酔っている彼女が、俺の家に寄ると言い出したため。

 彼女とは少々話があって帰りに居酒屋へ行ったのだが、そこでかなり速いペースで呑んでしまい、いつもなら決して言わないような要求を酒の勢いでしてきたようだ。


 その後輩をジッと見てみれば、肩を貸すという程の酔い方ではないものの、明らかに高いテンション。

 彼女は鞄を俺から受け取ると、肩紐を掴んでぶんぶんと振り回していた。



「こうやってお前を連れ帰るのも2度目か。家に一人で帰して、ぶっ倒れられても困るしな……。少し家で休んでいくとい」


「そうしまーす。でもせんぱいー」



 元々は呑んで帰る予定などなかった。ここ最近は諸々出費の予定が立て込んでいるというか、節約をする方向で考えていたため特に。

 ただ今日は彼女が少々精神的に参っていたため、気分転換と愚痴を聞くために連れて行ったのだ。


 とはいえそんな状況であるが故に、本来のペースを保てなかったらしい。

 基本的に彼女は酒に強い部類だが、こうなるともう一気に崩れてしまう。

 そのことを証明するかのように、後輩は俺を見上げとんでもないことを口走る。



「なんだ? 吐く前に言うことがあるなら聞いてやるぞ」


「そのセリフ、なんだかエッチぃです。家でご休憩(やすん)でいけだなんて」


「参ったな……。今のは忘れてくれよ、じゃないとセクハラで色々とマズイことになる」



 こんな冗談が飛び出すあたり、今日は随分と酔い方が酷い。

 俺は妙な下ネタを繰り出し始めた後輩を促し、マンションの入口をくぐってエレベーターへと乗り込んだ。


 だが考えてもみれば、この状況は傍から見るとマズそうだ。

 酔った後輩を介抱するフリをして、狼に変身しようとする外道な先輩。そう捉えられてもおかしくはない。

 俺はこの近所に同僚が住んでいないことへの安堵をしつつ、自宅の扉を開く。

 するとそこには、氷嚢を手に妹が立っていた。



「うわ、こりゃ酷いわね……。どうしたのよ?」



 出迎えてくれた妹は、後輩の姿を見るなり驚きを表情に浮かべる。

 なにせ今までも多少なりと酔った姿は見てきたが、ここまで泥酔に近付いている姿というのは初めて。

 最初にうちへ連れ帰った時は、今とはまた異なる酔い方をしていたのだ。


 ただ妹はすぐさま後輩を家にあげると、手にしていた氷嚢を頭へ当ててやる。

 バスの中で連絡をしておいたため、こうして酔っ払い対策の準備をし、玄関で待っていてくれたらしい。

 仲の良い友人であるためか、なかなかに甲斐甲斐しい。



「ちょっとばかり上司に絞られちまってな」


「なによ、じゃあ犯人は兄貴ってこと?」


「いや俺じゃねぇよ、もっと上の人間だ。っていうか犯人って表現はどうなんだ……」



 仕事上での失敗なんてのはまず間違いなく、誰もが経験すること。

 そして失敗とセットで行われる上司からのお説教に、憤慨したり凹んだりなんてのも誰だって経験するはず。

 俺や妹も当然経験して来たし、ご多分に漏れずこの後輩も今回その状況に直面した。

 ただ彼女の場合、不運な面が大部分に当人の責任が少々といったところなので、ちょっとばかり不憫に思わないでもない。


 酷い酔っ払いである後輩をリビングへ運び、アルコールを薄めるべく水を飲ませる。

 その間に妹へと、話せぬ部分を除いて経緯を大雑把に説明した。

 妹は話を聞くなり後輩の頭へ軽く手を置き、柔らかく撫でるように慰めていた。



「とりあえず明日は休みだから、今日はお前の部屋にでも泊めてやってくれ」


「はいはいっと。ところでさ」



 今日のところはうちに泊めて、明日の朝にでも食事を終えてから帰らせればいいだろう。

 そう結論付けた俺は立ち上がると、とりあえずスーツから着替えるべく部屋へ戻ろうとする。

 しかし了解を告げた妹は、ふと思い立ったように俺の袖を掴んだ。



「2人とも、食事は摂ったの?」


「なんだ、まさか自分も腹が減ったとか言うつもりじゃないだろうな」


「違うっての! なんていうか、ちょっとお腹減ってるみたいよ彼女」



 よもや後輩が来たのに乗じ、自身もおいしい思いをしようとしているのではと訝しむ。

 けれどそこだけは断固として否定する妹が指す方を見ると、ソファーに座らされた後輩は、トロンとした目で置かれていた雑誌に視線を落としていた。

 地元のタウン誌。特集記事はうどん。

 胡乱ながらもそいつの一点を凝視している姿は、確かに腹が減っていそうにも見える。



「一応腹には入れたんだがな。あれか、酒の後に来る炭水化物欲求か?」


「そういうのもあるかもだけど。ちなみに、何を食べたの」



 大抵酒の後というのは、どういう訳か妙に食欲が刺激される。特に炭水化物の系統に。

 ついさっき肴を食べたばかりだというのに、帰り際に見かけるラーメン屋などが、やたら美味そうに見えてしまうというアレだ。


 さてはその類かと思うも、妹に言われ口にした料理を思い出す。

 入ったのはただの居酒屋だったのだが、俺はそれなりに色々と頼んで食べた。

 一方この後輩は海藻のサラダやナッツ、あとは冷奴と……。



「……考えてもみれば、サラダだのナッツだの、軽い物ばっか食ってたような」


「最近ダイエットしてるって言ってたしなぁ。こういう時でも失念しないのは流石だわ」


「お前も見習ったらどうだ?」



 思い起こせば、彼女は頼んだ料理に一応一度は箸を伸ばしていた。

 けれどもっぱら軽い料理というか、いかにも健康志向な代物ばかりを食べていたような気がする。

 別に菜食主義でもないはずで、肉だって好んで食べる娘だ。けれどそういった物ばかりを口にしていたのは、妹にるとダイエットという大義があったためらしい。



「もーー! 先輩のまえで言わないでよぉ」



 そんな彼女は、何気にこちらの会話を聞いていたようだ。

 酒の影響か気恥ずかしさか、少しばかり頬を染め妹に抗議の声を上げる。

 とはいえまだかなり酔いの残った口調であり、どこか舌っ足らずで甘えた感じを醸し出していた。



「とりあえず、何か作ってあげてよ。出来る頃には、ちょっと酔いも収まってるだろうし」


「そうだな。……だが彼女はお前と違って、ダイエットが必要そうには見えんのだがな」


「誰がダイエットが必要な豚だって?」



 別にそこまで言ってはいないのだが、妹は腹を立て俺の足を軽く踏んでくる。

 まったく痛みを感じない程度の力加減なので、きっと自分の体重が軽いと主張しているのだろう。



「ていうかそれ当人に言ったらセクハラだよ。たぶんこの子は気にしないだろうけど」


「精々気を付けるよ。さて、何を作ったもんだかな」



 妹の忠告だかなんだかを背に受ける俺は、一旦自室へと戻る。

 そこである程度人に見せても恥ずかしくない部屋着へ着替えると、そのまま台所へ向かった。


 早速冷蔵庫を空け、中身を物色。

 つい昨日買い出しをしたばかりであるため、食材は割と潤沢な方だとは思う。

 妹が夕食にでも使ったのか、少々減ってはいるものの、これであれば色々と作れそうだ。


 ただ出来ることならば、後輩が気分を明るく出来そうな物を作ってやりたい。

 酒を呑んでそれなりに愚痴や弱音も吐き出させたが、きっとまだ内には澱のように溜まったものがあるはずだ。

 残りは酒による力ではなく、食事での気分転換という方法で解消させてやるのがいいだろう。


 そう考えた俺は、買った食材の中からある物をメインとして選択する。

 それなりに目を引き、ちゃんと調理すればかなり旨い物。……あとついでに足が速いため、早々に消化したいと思っていた物を。



「兄貴、そんな物をいつの間に」



 食材を手にし冷蔵庫を閉める。そこで背後から聞こえてきたのは妹の声。

 振り返るとヤツは手にしたその食材を矯めつ眇めつし、意外そうに小首を傾げていた。



「節約モードじゃなかったっけ? 犬を飼うために」


「別にそんな高いもんじゃないぞ。そこまで身は付いていないからな」



 妹が指さす先にあるのは、パックに入った鯛の頭。

 基本料理下手な妹ではあるが、流石に鯛くらいは他の魚と区別が付いたらしい。


 確かに鯛となれば、一見すれば高そうにも見える。だがパック内に入っているのは、半割りにされた頭部と胸ビレ回り、それと中骨くらいのもの。

 いわゆる鯛のアラだが、こいつはそこそこの量が有ってもあまり高くはない。

 今持っているパックは鯛2匹分のアラが入っているが、確か400円かそこらであったはずだ。



「今回はこいつを使って、アクアパッツァを作る」


「…………兄貴。あの子が来てるからって、見栄張った物を作ろうとしてない?」



 俺は堂々とそのパックを掲げ、今夜作る料理を宣言する。

 だが妹からは称賛の言葉も期待の目も向けられず、代わりに向けられるのはジトリとした視線と、とんでもない誤解が混ざった疑念。


 俺はそいつを背中で否定しながら、台所で湯を沸かす。

 後ろで見学しようとしていた妹には、ベランダに出てプランターに植わっている野菜を取って来てもらうよう頼む。

 それが来る間にズッキーニを輪切りに。鯛のアラは沸いた湯を回しかけて臭みを抜いてやる。



「取って来たけど、このくらいでいい?」


「上等。そういえば彼女、トマトが好きだって言ってたよな」


「確かね。上手く出来てるといいんだけど」



 ベランダから戻ってきた妹は、適当に千切ったプチトマトを台所に転がす。

 しばらく前にホームセンターで、プランターやトマトの苗などを買ってきて、ベランダの一角を使い育てているのだ。

 これもまた節約の手段。もっとも半分は趣味でやっているのだけれど。


 そのプチトマトを半割りにしている間にフライパンを温め、オリーブオイルでズッキーニを焼いていく。

 良い焼き色が付いたところで火を弱め、白ワインを入れアルコールを飛ばして煮立たせる。

 油と水分が少し馴染んで来たら鯛のアラ。そして塩とプチトマトを入れ、少量のニンニクと同じくベランダで収穫したタイムも放り込んで蓋をした。



「こんなところか。あとはそうだな、バケットを焼いてくれ」


「りょーかい。でもちゃんと食べられるかな? 今は少し酔いも落ちついてるけれど」


「大丈夫じゃないか。確か海沿いの生まれでよく魚を食っていたと言ってたし、食べつけたものならきっと」



 妹は少しだけリビングの方を覗く。

 そこで休んでいる後輩は、徐々に酒も抜けテンションも素面へ近づきつつあるようだが、それでもまだ本調子でないのは確か。

 そんな状態でこいつを食べられるか微妙に思うのも、当然と言えば当然かもしれない。


 ただ彼女はついさっき居酒屋に居る時、実家が海沿いの猟師町に在ると話してくれた。

 身内にも漁師が多く、よく魚をもらっては家で食べていたのだと。

 ならばこういった魚を使う料理を食べさせることによって、多少なりと気分を落ち着かせられるのではというのが、俺の浅知恵で思い付いた方法。



「でもさ、それって逆にハードル上がってるんじゃ。新鮮な魚を食べ慣れてたのなら」


「前に鯖を持ち帰った時は美味そうに食ってたし、問題はないだろ。……たぶんな」



 言われてもみればそうかもしれない。

 片や獲れたばかりの新鮮な魚を、扱いに慣れた猟師町の人間が調理した物。

 片やスーパーで安く売っていた、そこまで劣化はしていなくとも捌いてかなりの時間が経過した物を、素人が適当にあれやこれやした代物。

 どちらが旨いかと言われれば、間違いなく前者だ。断言できる。


 頼みの綱があるとすれば、以前後輩と一緒に持ち帰った鯖は、美味そうに食ってくれていたという点。

 そういえば当人は料理こそするものの、魚を捌くのはあまり得意でないようだし、案外そこまで拘らないのかもしれない。

 そんな期待を胸に押し付け、フライパンの火を止めた俺は、食器を妹に持たせ鍋敷きと共にリビングへ移動した。


 テーブルの上に出来上がったそれを置き、ソファーの上でぼうっとする後輩を揺り起こす。

 すると彼女はビクリと身体を震わせると、少しだけ周囲を見渡し小首を傾げた。



「あれ、ワンちゃんは……」


「あの子犬ならもう飼い主に帰しただろう。しっかりしろ」



 目は開いていたが、思考の方は完全に沈黙していたらしい。

 そんな彼女は自分が寝惚けた言葉を吐いたことに気付くと、顔を赤く染めるのだった。


 人数分の皿を置き、フライパンの中でスープへ沈む鯛のアラを取り出す。

 半割りにされた鯛の頭にズッキーニ、家庭菜園のプチトマトと少量のハーブ。そしてスープを盛り、カットし焼いたバケットを一人に一つ。

 そして妹のグラスには白ワイン。これは料理の最中にも使った安い物だ。

 だが既に呑んでいる俺と後輩はお茶。こればかりは致し方あるまい。



「あ、軽い」



 早速手を合わせ、フォークを鯛へと伸ばす妹。

 頬の部分にある身を掘り起こして口に運ぶと、そのフワリとした食感に目を開く。


 骨から出た、色は薄くも土台のしっかりとしたスープ。

 それにどことなく漂う気がする潮の香りと、蕩けるような食感のズッキーニ。ほんのりと鼻へ抜けるタイム。

 加えて我が家のベランダで収穫したプチトマトも、爽やかな酸味をスープの中に広げてくれる。


 おそらく妹が口にした"軽い"という言葉は、決して不満の声ではないはず。

 味はアッサリながらちゃんと感じるし、鯛の身は柔らかだが食べ応えがある。バケットも添えて、十分食事として成り立つだけのボリュームにはなっていた。



「どうかな、アッサリし過ぎだったろうか?」


「そんなことはありませんよ。お酒の後にはとても優しいですし、あたしの好みな味です。それに……」


「それに?」



 さっきまでの心配が再び顔を出し、おずおずと感想を聞いてみる。

 すると彼女はある程度酔いも醒めているのか、首を横に振ると自分にとって好ましい味であると告げた。

 ただなにか思う所はあるらしく、一瞬だけ言い澱んだ後、穏やかな表情へと変わる。



「……いえ、なんだかちょっとだけ、懐かしいような」


「そうか。なら良かった」



 やはり今日の凹みようは、郷愁も含めてのものであったようだ。

 彼女は現在独り暮らし。食事はある程度自分で作っているようだが、どうしてもそこにかける手間というのは惜しんでしまいがち。

 食材にしても肉と魚であれば、肉の方が扱いが簡単で食費も抑えやすい。

 なのでここ最近は、あまり魚を食べる機会が少なかったのだと思う。


 それにしばらく地元には帰っていないようなので、故郷の味に飢えていたはず。

 ならこいつを作って正解だったかと思うも、小さく微笑む後輩は、それが少しだけ的外れであったことを告げた。



「もっともうちでは和食ばかりだったので、こういった食べ方がとても新鮮ですけどね」


「参ったな。見当違いの物を作っちまったか」



 残念なことに、彼女の求める料理の方向性は日本国内。一方で今回作ったアクアパッツァは、ユーラシアの西。

 随分と見当違いの場所へすっ飛んでしまったようだ。


 ただそれでも多少なりと、郷愁を紛らわすことには成功したと見える。

 後輩は元々の酒への強さからか、すっかり素面に戻りつつあるようで、旨そうにスープを掬い口へ運んでいた。



 食べるうちに、さらに酔いも抜けていったであろう後輩。

 彼女は妹と一緒になって、帰っていった犬への未練を口にし合っていた。

 ただその内容が、金を貯めてそのうち犬を迎え入れようと考えているという話に及ぶと、目をキラキラとさせこちらへ向き直る。


 そんな後輩の様子に満足した俺は、空となった食器を手に立ちあがる。

 そして彼女の相手を妹に任せると、台所で適当に洗い物を済ませ、自室へと戻っていった。

 おそらく明日以降、立ち直った後輩は再び創作に励むはず。これ以上突き放されぬよう、自分も次の更新をしなくてはと。


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