24食目 緑と白と負けん気と
いつもの週末。いつもの深夜。
夕食後に小休止を摂り、しばしの団欒を経て入浴。そして良い頃合いで自室へ向かい、PCを点けて執筆に取り掛かる。
そんな普段となんら変わらない、毎夜のように繰り返されるルーチンワーク。
この日も書き終えた分を投稿するべく、俺が"小説家になってもいいんじゃないか"を開いた矢先のことだ。
目にした光景に身体を硬直させてしまったのは。
「……マジか」
目を丸くし、小さく呟く。
暗い部屋の中にあって煌々と光るPCの画面。俺はそこの一点を凝視する。
一日分のノルマを終え、いざ投稿準備も完了。
あとは良さ気な時間を見計らってワンクリックするだけというタイミングで、俺はふと思い立って他の人が書いた作品を巡ることにした。
書く側に回って以降、どうしても人の作品を読む比率というのは下がり気味。
ただそんな中でも、以前からずっと追いかけている作品や作者は居るし、合間を縫って目を通していたりはする。
今回驚愕し唖然としてしまったのは、そんなうちの一人が書いた作品。
厳密には作品そのものというよりも、その作品に対し付けられた評価、人気の程と言える数字に対してだ。
「これはまた、随分と伸びてるわねぇ」
暗い室内へと、軽い声が響く。
その声と同時に画面を覗き込んでくる頭の主は、さっきまで俺のベッド上でスマホを眺めながら寝落ちをしていた妹。
いつの間にやら起きていたこいつは、驚愕に身体を硬直させる俺にもたれかかり、感慨深げに呟く。
「ものの見事に、速攻で抜かれたわね」
「言うな。心が痛い」
妹の言葉に、俺はガクリと項垂れる。
なにせ今見ているのは、つい先日"小説家になってもいいんじゃないか"へ投稿を始めたばかりの後輩が、一足飛びに俺のブックマーク数を越えていった光景。
まだ始めて1ヶ月も経っていないというのに、俺から見て遥か高みに昇っていったのだ。
「……なによ、まさか一丁前にショック受けてんの?」
「当たり前だろう。俺が何ヶ月書いてると思って……」
「弱メンタル乙。むしろ兄貴がこれを予想してなかったのが意外だわ」
部屋の電気を点け、明るくなった天井を見上げる。
妹が欠伸をしながら言うように、たぶん俺は相当にショックを受けているのだろう。
別に後輩を侮っていた訳ではないが、それでも一日の長があると、半ば根拠なく思い込んでいたようにも思える。
「っていうか、そんな気にしなくていいのに。今兄貴が書いてるのって、現実世界舞台のサイコスリラー? とかでしょ。流石に恋愛モノと比べるってのは」
とはいえ妹にしてみれば、そもそも俺と後輩の書くジャンルによる影響も無視はできないと考えたらしい。
確かに後輩が書いている恋愛モノは、元々需要の大きいジャンルであるというのもあって、伸びる時は一気にくるだろうという予測はあった。
ただ実際にそうなるためには、読者の需要を上手く読み、作品に無理のないよう展開していく必要がある。
なのである程度勝手を掴むまで、相応の時間を要すると思っていた。
しかし蓋を開けてみればこの通り。
俺の2作目がずっと低空飛行をしているのに対し、彼女の作品は易々とブックマークを伸ばしつつある。
それはもう、比較するのがおこがましい程に。
「"同好の志、かな"。どやぁ」
「……お前、まさか起きてたのか」
ならば仕方がないと、無理やりに自身を納得させようかと考える。
だがその強引な慰めの思考を打ち払ったのは、背後から妹がボソリと呟いたとある台詞。
つい先日、キャンプ場で俺自身も書いていることを後輩に告白した時、彼女にそこでの関係性を言い表わした言葉だ。
さては狸根入りをしていたのかと思い、拳を振り上げるマネをする。
妹はそれに対し小さな笑い交じりの悲鳴を上げて数歩逃げると、軽く首を横に振ってから、肩をすくめて告げた。
「いんや、当人に聞いた」
「そ、そうなのか?」
「なんか様子がおかしかったから聞いてみたら、アッサリ話してくれたわよ。……それはもう嬉しそうに」
てっきり起きていたのかと思いきや、情報の発信源は当の本人であったらしい。
それはコイツを責めることはできまい。嫌味ったらしく言いやがった点は置いておくとして。
ただその妹の醸し出す気配からは、どことなく面白くはなさそうなモノが漂っている気がする。
別にコイツの機嫌を損なうような理由などないはずだが、案外焚火を囲んでしていたあの場に、自身が混ざっていなかったのが不満なのかもしれない。
妹は自身の思考を元に徐々にその不機嫌を深めつつあるようで、腕を組み表情を渋くしていく。
「ったく、今度そういう話をする時は、お前が起きているタイミングでしてやるよ。それでいいだろ?」
「別にそんな理由じゃないけど、……まあいいか」
どうも俺の想像していたのとは、異なる理由によって機嫌を損ねていたらしい。
ただそいつをあまり突っ込んで聞いても、逆に不機嫌さを増していくだけに違いないと考え、俺は椅子から立ち上がる。
物で釣るようで悪いが、夜食のひとつでも作って食わせれば、多少なり落ち着くと考えたために。
流石は長い付き合いであるためか、妹はそんな俺の考えをすぐさま察知。
不承不承らしき表情を浮かべてはいるものの、夜食作りそのものに関しては異論がある訳ではないらしく、大人しく後ろに続いて台所へ。
辿り着くなり冷蔵庫を開ける俺は、しばし中身を窺ったところで、くるりと背後を振り返る。
「なによ?」
「……材料が乏しい。っていうか考えてみたら買い物をしていなかった」
「マジか……」
しかし折角作る気になった夜食も、根本的に材料がなければ形になりはしない。
別に完全な空というわけではないものの、作れる物はかなり限られてきそうなのだ。
両親が転勤によってこの家を離れて以降、もっぱら食料品の買い物は俺が帰宅時にしている。
というのも妹がそれをすると、無駄に菓子やら酒やらを買ってくるため。なので生活費として別にしている財布は俺が管理していた。
作る食事の予定に沿って買い物をしているのだが、今夜は少々帰宅が遅くなったため買い物が出来ず仕舞い。
そして今夜の夕食を作った時点で、かなり食材を減らしてしまっており、夜食分までは確保していなかった。
「つまり私が夜食を食いっぱぐれるのは、全面的に兄貴が悪いと?」
「…………すまん」
「いや冗談だって。で、どうしようか。久しぶりに深夜の禁断、カップ麺へ手を出す?」
気まずく謝る俺へと、妹は小さく吹き出し冗談であると口にする。
てっきりさらに機嫌が悪くなるかと思いきや、案外逆に気分を緩めさせることになったようだ。
そうして棚へ向かい、中をあさり始める妹。
確かにカップ麺も悪くはない。たまにはああいった味が恋しくなることもあることだし。
ただ流石に深夜という時間では気が引ける。それに俺の夜食作りは、単純に小腹が減ったと言うのもあるが、気分転換も兼ねているのだ。
「いいや、有る物でなにか作るさ」
「でも冷蔵庫には使えそうな食材がないんでしょ?」
「完全にって訳じゃない。かなり選択肢が狭まった、適当料理で良けりゃな。それともカップ麺がいいか?」
今回は後輩にアッサリ抜かれたというショックもあるのだ、やはり気持ちを切り替える手段が欲しいところ。
そこで少ない食材ではあるが、なんとかやりくりし一品作ってやろうという気になる。
ただ完成するのが、妹にとって満足のいく品となるかは未知数。
そこで問うてみるのだが、妹は少しだけ悩んでから小さく首を振り、「兄貴が作ったのがいい」と珍しく殊勝な言葉を口にしてくれた。
そう言ってくれるのであれば、ちょっとばかり頑張ってやるしかあるまい。
俺はもう一度冷蔵庫内を見渡すと、思い浮んだ内容に沿って食材を引っ張り出す。
オカラに卵とプロセスチーズ、それに冷凍庫から剥き枝豆。
その枝豆を流水に放り込んで溶かしている間に、棚からフードプロセッサを取りテーブルへ置いた。
「珍しい。兄貴がオカラなんて買って来てる」
「馬鹿にしたもんじゃないぞ、おから。低カロリーで腹持ちがよく、なにより安い。ちと足は速いが」
「私、ちょっと苦手なんだよね……。あのボソボソとした食感とか」
手にしたオカラを眺め、妹はまたもや渋い表情に。
だがこいつの言うように、オカラはあまりに淡白であるのに加え、元が大豆の搾りかすであるため繊維そのものといった食感は好みが分かれるところ。
実際両親が住んでいる頃は、母親がこいつを嫌いであったため、基本的に家の食卓に上ることはまずなかった。
しかし今はこうして兄妹2人。どうしても食費に回せる予算は減っている。
そのうち車も欲しいところだし、財布から出て行く額を減らすべく、安価な食材を有効活用したいというのが本音であった。
「そこはなんとかしてやるから、お前はこいつを使って全部混ぜてくれ」
そう言って俺はオカラと卵、さらにほど良く溶けてきた冷凍の剥き枝豆の内、半分ほどを妹に押し付ける。
妹がそいつを全部フードプロセッサーに放り込み撹拌している間に、俺は残り半分の枝豆を持ってまな板の前へ。
そこで包丁を使い荒く刻み、フードプロセッサー内ですっかり薄緑に染まりつつあるオカラを持って来させ、ボウルの中で少量の小麦粉を繋ぎとして混ぜ合わせる。
塩コショウをし、プロセスチーズを核にしそいつで包むと、軽く片栗粉をまぶして油の中へ投入した。
「揚げ団子……?」
「イメージとしては揚げタコヤキの方が近いな。かなりデカいうえに、タコも使ってないが」
最初はこのまま蒸すなりして、あんかけにでもしようかと考えていた。
しかし俺の料理バリエーションを振り返ると、あんかけというのは度々使っている手。
毎度似たようなものでは芸がないし、妹に「飽きた」などと言われようものなら、きっと後輩にブックマークの数で抜かれた以上のショックを受けるに違いない。
なので今回は味付けをソースに頼る。
ビックサイズではあるが、普通のたこ焼きを食べるよりも若干ローカロリー。かつタコを用いていないため、より安価に。
揚げ油から取り出したそいつは、最後に高い温度で揚げたため、枝豆の色も隠れコンガリきつね色。
ソースを垂らし鰹節もパラリと乗せれば、一見してやたらデカいたこ焼きだ。
早速そいつを数個ずつ皿に盛ると、ちゃっかり補充を怠っていなかったビールも準備しテーブルへ。
そこで揃って手を合わせると、箸を伸ばしてそいつを割った。
ふわりと立ち昇る湯気と、断面に見える緑、そしてタコの代わりに入ったチーズ。
それらを一緒に頬張り、焼けるような熱を持つそれをなんとか飲み干していく。
「あ、意外とオカラ感がない」
妹は熱を口から逃がしつつ飲み下すと、まず食感についての率直な感想を呟く。
このたこ焼きもどき、幾つかの食材を使っているとはいえ、その大部分はオカラだ。
当然軽くもモッサリとした食感を避けられぬと考えていた妹は、想像していたそれとは異なる感触に意外さを露わとしていた。
「枝豆のおかげだな。最初一緒に潰して混ぜ込んだ分が、おからのパサパサ感を少し抑えてくれてる」
「それにちょっとだけ歯ごたえもある。これも最後に入れてた枝豆だよね」
「いくら外側がカリカリでも、やっぱ食感が単調になりがちだからな。分けて使って正解だったかも」
潰した枝豆からは風味が、一方で荒く刻んで混ぜた枝豆には多少の食感が。
冷凍品であるため、生を茹でたものよりは弱いそれらだが、ただオカラを卵で繋いで揚げただけよりは、一つ違う味となってくれていた。
「チーズも違和感なく馴染んでる。タコじゃなくこいつを入れて良かったかもしれん。どっちにしろタコはないが」
「案外なんにでも合うわよね。っていうか大豆とチーズはたぶん普通に相性良いし」
トロリと溶け出すチーズは、さらに熱を持ち舌を焼く。
けれどその熱さも含めてこいつの旨さで、俺は開けた缶ビールによって熱を誤魔化しつつ、あっという間に1つを平らげた。
口の中に残るチーズの濃厚な風味と、ビールの後味が心地よい。
妹も熱そうにしながら次々と平らげていく。
今日のは普段よりもよりホットスナック感の強い内容で、ともすればおやつの域を出ないかと危惧していた。
けれど結局、そいつを気にしていたのは俺だけのようだ。
出した料理もほぼ食べきり、ビールの缶もほぼ空に。
そうして一心地ついたところで片づけを始めようとするのだが、ふと妹がこちらへ視線を向けているのに気付く。
なにやら言いたげであり、俺がどうしたのかと問うてみると、おずおずと口を開く。
「兄貴、抜かれちゃったの気にしてる?」
「お前が焚きつけたおかげで、俺のちっぽけなプライドはズタズタだよ。……だがこういうのも悪くないな、抜かれはしたが案外楽しい」
どうやら妹は、自身が後輩へ書くよう勧めたことを今更ながら後悔したのかもしれない。
始めてまだ僅かしか経っていない彼女に抜かれたことによって、俺の創作意欲が減退するのではと。
一切それがないとは言わないが、妹に返したこの言葉に偽りはない。
なかなかに後輩が書いた作品は面白かったし、こうやって批評し合える相手が居るというのも悪くはないものだ。
「でも、本当は負けたくないんでしょ!?」
「そ、そりゃあ多少はな。あんな好敵手宣言をして、アッサリ負けたんじゃ格好がつかな――」
ただ俺が軽い口調で返すも、妹はどこか重い口調でさらに問いを向ける。
いったいどうしたのかと思いながらも、ほんの少し心の底へ残っている負けん気を呟いてみるのだが、あまり好ましい返答ではなかったらしい。
突然に表情を険しくすると、ズイと顔を寄せ深夜にしては少し大きな声を発するのだった。
「そういう事じゃなくて! 今回も私のアドバイスを受けてでも対抗したいのか、そういうのを聞いてるの」
身を乗り出し、俺へと詰問する妹。
全くその意図は読めていなかったが、どうやらこいつは俺に本気で後輩と張り合いに行く気があるのかどうか。そしてそのために、再び自身と一緒に書く気があるのかを問うているようだ。
先日始めた新作を書くに当たって、今回は妹の助力を得てはいない。
前作は多々妹の意見が反映されていたため、今回は自分の作品をと考えたのだが、妹の賛成もあって今作はほぼ自力。
そんな同意をひっくり返してでも、張り合う気があるのかと聞いているようだ。
……正直、そこまでする気はないというのと同時に、負けたくはないという感情もある。
それは先輩後輩というもの以上に、自分の作品に対する自負。
どうしてこんなことを言い出したのかは知らないが、きっとこいつは俺が持つ負けん気の部分を刺激しようというのだろう。
こうまで言われて、大人しく緩い兄貴のままでいるというのも癪かもしれない。
「……頼む。ちょっとは意地を見せたい」
「じゃあ協力してあげる! もっとも今の方向性だと、どこまで張り合えるかはわからないけれど」
「自分で言い出しておいて頼りないヤツだな」
俺が協力を頼むと、途端に明るくなる妹の表情。
堂々と自信なさげな言葉を吐く妹は、胸を張り意気揚々残りのビールを流し込む。
その姿に、なんとも気分屋なヤツだと呆れる俺であったが、自然と口元は綻んでいくのを感じていた。




