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22食目 辛さと甘さと秘密の物語


 カツリ、カツリと一定のテンポで響く音。

 丁度1秒ごとの感覚で聞こえるそれは、部屋の高い位置へかけられた時計から発せられていた。


 普段であれば意識しないそれだが、眠れぬ深夜や風邪を引いた時のベッド上、もしくは深夜のオフィスなどではよく聞こえたりもする。

 しかし今俺はベッドの上で横になってもいなければ、職場で独り寂しく残業を行っても居ない。

 場所は自室。そして自身のPC前。

 そこで画面を凝視する俺は、スクロールさせる手を止め、大きく息を吐いて椅子にもたれかかった。



「兄貴、読み終わった?」



 大きく肩を回しコリを解す俺の背へと、後ろからノンビリとした声が。

 顔だけで振り返ると、そこには俺のベッド上で仰向けとなって脚を投げ出し、スマホを眺める妹の姿が。

 ヤツは一瞬だけ俺を見ると、上体を起こしてニヤリとする。



「一応な。なかなかに上手いもんだ、結局一気に読んじまった」



 その妹へと、今度は身体ごと振り返る。

 すぐさま率直な感想を口にすると、起き上がった妹は腕を組み、うんうんと感慨深そうに頷いていた。


 俺と妹が読んでいたのは、私小説の投稿サイトである"小説家になってもいいんじゃないか"へと、つい最近投稿された作品。

 普段であれば、決して本当の名も素性も知れぬ作者が書いた物を読むばかり。

 しかし今回読んでいた物に関しては違う。今まさに読んでいた話の作者は、ここ最近我が家へ遊びに来るようになった後輩。

 妹の誘いというか甘言に乗せられ、俺と同じく書く側へと回った彼女の初作品であった。



「思いのほか書き上げるのが早かったな。俺が最初に書いた時は、もっと時間がかかった気がするが」



 そんな後輩が書いた作品の第一話。

 投稿されたそいつを読み終えた俺は、作品そのものの感想を口にするよりも先に、想像を越え早く仕上げてきたことについて言及する。


 前回家に来た時、彼女はこれから書き始めてみようと言っていた。

 あれからたったの2週間程度。まったくの初心者である状態を考えれば、驚異的な執筆速度だと思えてならない。

 おそらく1話だけでなく、もう少しばかり書き進めているだろう。

 それとも俺たちには言っていないだけで、密かにそういった趣味でもあったのだろうか。


 ともあれその後輩連絡を寄越してきたのが、つい数時間前。曰く、これから投稿をすると。

 そこにはペンネームが記されていたため、少ししてからそいつを検索してみると、すぐさまそれらしい作品を発見。

 知り合いに見られる気恥ずかしさもあるだろうに、勇気を出して教えてくれたことに喜びながら、俺たちは早速その小説へと目を通したのだ。



「まぁ、兄貴が読むって約束したし。……気合でも入ったんじゃないの」


「確かに読むとは約束したが。案外書いてて楽しくなってきたのかもな」



 何故だかジトリとした視線を向けてくる妹は、後輩のモチベーションとなる理由を口にした。

 俺に見せると言うのが、そこまで筆がノる要因になるだろうかと思いはする。

 ただもしそうだとすれば、俺としては喜ばしい限り。

 いまだ俺が書いている事は教えていないものの、同好の志が増えるというのは悪くないものだ。



「それにしても、まさか恋愛モノとは思わなかった」


「別に意外って程でもないでしょ。あの子、ああいった類の物をよく読んでるみたいだし」


「確かに印象としては不思議でもないが、恋愛要素とかあるとこう……、ちょい気恥ずかしさがな」


「兄貴が書いてるのにだって、恋愛色がそれなりにあるでしょうに」



 開けてみれば、後輩が書いていたのはなんと恋愛モノの小説。

 異世界でもなければファンタジー要素も無い、至って普通の世界で起こる恋愛模様を描こうとしているであろう作品。

 それが珍しいとは思わないが、ちょっとばかり想像していた内容と異なっていたため、面食らってしまったのは否定できない。



「ていうか兄貴もさ、そっち方面が案外向いてるかもよ」


「そう思うか?」


「個人的にはね。見た感じそこまで悪くはなさそう」



 ただ妹にしてみれば、俺も恋愛の絡んだ内容を書いても良いのではないかとの事。

 自身ではそういった類の小説を読んだことがないため、これまで発想としてすらなかった。

 けれど俺が書くのを横で見続けている妹からは、また異なる印象を受けているようだ。



「……そこまで言うなら。たまにはそっち方面に寄ったのを書いても面白いかも」


「この兄貴が恋愛小説を書くとか(笑)」


「鬱陶しい笑い方をしてんじゃねえ、シバくぞ。っていうかお前が言い出したんだろうが!」



 しかし俺が少しばかり乗り気な反応を示すなり、妹は指さして妙な笑い声を上げる。

 俺が立ち上がって拳を振り上げる素振りを見せると、ヤツは笑いながらわざとらしく甲高い悲鳴を上げ、ベッドから飛び降りて自身の部屋へ逃走を図るのであった。

 ……いったいどこまで本気であったのやら。


 俺は再び椅子へ腰を下ろし、PCの画面へと向き直る。

 後輩が書いた恋愛モノの作品から、彼女の作者としての情報が記されたページへ。

 そこに書かれている内容をざっと読んだ後、再度さっきの作品ページに移ると、俺は新たに記されていた数字を凝視した。



「もうこんなにブックマークが増えて。やっぱ一定の需要があるんだな」



 そこで目にしたのは、後輩の作品に対し付けられたブックマークのカウントが、最初に開いた時よりもずっと増えている光景。

 しかもその伸び方は、俺が初めて投降した時とは比較にならない程。

 流石に3ケタにとまではいかないものの、初日かつ最初の投稿作と考えれば上々。


 ただ考えてもみれば、彼女の文章はとても丁寧ではあるが簡潔で、するりと頭に入ってくるシンプルさ。

 かといって飾り気がないと言う訳でもなく、それに読んでいて小気味よいテンポすら感じる文章は、一気に読み進めても苦にならないものであった。

 つまり俺が最初に予想していた通り、彼女は元々文章を書くのが上手いのだ。

 そして元々需要が多いとされる恋愛小説というジャンルもあって、とんとん拍子にブックマークを稼いでいるようであった。


 嬉しい反面、なんだか微妙な口惜しさも感じてしまう。

 俺がそんなことを考えていると、突然自身のスマホが振動するのに気付いた。



『お、お疲れ様です先輩』


「ああ、お疲れ。どうしたんだ?」



 すぐさま電話を取ると、聞こえてくるのはおずおずとした声。

 恐縮さを露わとせんばかりなその声は、今まさに読んでいた小説の作者のもの。



『そ、その……、読んで頂けましたか?』



 いったい何用だろうかと思うも、彼女はちょっとばかりの逡巡を経て、自身の書いたそれに対する感想を求めて来た。

 この後にでも、感想を書いて送ろうかとでも考えていたのだが、彼女は居ても経ってもいられなくなったらしい。

 そこで口頭で伝えるのも不都合がある訳でなく、俺は早速抱いた感想を告げる。主に褒めると言う方向で。



『でしたら、次に書いたら……』


「もちろん楽しみにさせてもらうよ。先の展開が気になるし」


『あ、ありがとうございます! そうだ、この事は会社では……』


「当然黙っているさ。流石に気恥ずかしいと思うからね」



 すると上機嫌となったらしき後輩は、次回の更新時も読んでもらいたいという意思を示す。

 そいつはなによりだ。もしこれでやっぱり恥ずかしいから止めるなどと言いやしないかと考えていただけに。


 そこで俺は、次も楽しみにしていると答える。

 言葉そのものに嘘はなく、想像以上に上手い彼女の書いた物語を、結末まで追いたいと考えた。

 その言葉へとさらに機嫌を良くするも、やはり他の人に知られるのは少々気恥ずかしいようだ。


 俺は後輩に聞こえぬよう口元だけで笑み、他言をせぬと約束する。

 これは俺と後輩、そして妹だけの秘密だ。

 ホッとした様子を露わとする彼女と、そこから一言二言を交わし俺は通話を切った。



「だそうだぞ。当人も手応えが有ったみたいだ、完結まで頑張るとさ」



 スマホの電源を切った俺は、充電器にセットしながらそう告げる。

 会話の途中から、舞い戻ってきた妹がこちらを覗いているのには気づいていた。

 そこで視線を向けると、ヤツは扉の縁に身体を預けながら、納得したように小さく頷く。



「なら良かった。それじゃ、あの子が作者デビューしたお祝いでもしましょ」


「……当人が居ないのにか?」


「だからよ。たぶん本人はこう言うもの、"こんな事でお祝いなんて滅相もないです"って」



 なにやら無理やりな理屈をこねる妹。

 なので言わんとしている事は一つだろう。祝いにかこつけて、何か夜食を作れと。

 見れば時計の短針は、そろそろ0時を指そうとしている。今日は夕食が早めであったため、腹の虫が疼いているようだ。


 俺も少しばかり小腹が空いて来た気がし、拒絶するのも面倒になったのもあり立ち上がる。

 そして妹の要望すら聞かず台所へ向かい、ヤツが言うところの"祝い"とやらをすることにした。



「よし。では妹よ、ま鍋に湯を沸かせ」


「もう自然と私をこき使うようになったのね」


「というかそっちの方が普通だろうが。俺は他にやることがあるんだよ」



 自ら言い出したのだ、ここでノンビリとソファーへ横になり待たせるとはいかない。

 そこで早速妹へと指示を出すと、ヤツは若干不満気に口を尖らせながらも、言う通り鍋を取り出し湯を沸かし始めた。


 俺はその間に、冷蔵庫を開き食材を取り出す。

 手にするのは鶏肉のミンチ肉を少量に、セロリとトマト。

 セロリとトマトは小さ目に刻み、鶏のミンチ肉と一緒にオリーブオイルを使いフライパンで炒めていく。

 その頃には湯が沸いたようで、それを告げる妹に少量の塩と共に、ある食材を茹でるよう告げた。



「なにこれ?」


「知らないのか。ひよこ豆ってやつだ」


「いや、名前くらいは知ってるけど。兄貴がカレー作る度に入れてるアレだよね」



 放って渡したのは一つの缶詰。妹は受け取った物をジッと眺め、怪訝そうに首を傾げた。

 そいつは近所の酒屋で、一缶100円程度で売られていた豆の水煮缶。

 形状が丸まったヒヨコのように見えることから名が付いたそれは、日本料理という枠に置いてはほぼ見かけない食材だ。


 妹は一応知っているようだが、どうやらコイツとってひよこ豆というのは、我が家のカレーに入る"材料その1"くらいの認識であったらしい。

 確かに今俺が炒めている鍋の中身は、玉ねぎでも加えればカレーを作っているようにも見える。

 ただシナモンやクミンの香りもしなければ、ターメリックの色も見えない台所で、どうしてこいつが出て来たのか訝しんでいるようだ。


 ともあれこのままでは完成品が出てこないと考えたか、缶詰の中身をドバドバと鍋へ入れていく妹。

 俺はその光景に苦笑しながら、炒めている鳥ミンチに味付けをしていった。

 良い頃合いで火を止め、妹とバトンタッチし茹でたひよこ豆をザルにあげる。既に水煮となっているため、少し温める程度で十分だ。



「そんじゃ、コイツを使って豆を潰してくれ」



 そう言って俺が指し示すのは、棚から引っ張り出したフードプロセッサー。

 そいつを使って、ザルの中で湯気を立てる豆をペースト状にするよう告げる。


 てっきりそのまま食べると考えていたようだが、もうこれ以上予想しても無駄だと判断したようで、大人しくフードプロセッサーに豆を入れていく妹。

 妹が駆動し砕いていくそれを時折止め、俺はオリーブオイルと塩、それに少しだけ取っておいた茹で汁を加えていく。

 徐々に粉砕されペースト状に近くなっていったところで、少量のレモン汁と練り胡麻を入れ、最後に馴染ませたところで皿へ取り出した。


 同じ皿へ炒めていたミンチ、それとトースターで炙っていた薄切りのトーストを、適当にカットして乗せる。



「なにこれ?」


「ついさっきまったく同じセリフを聞いた気がするな。フムスって料理だ、最近余所で食って作りたくなった」



 ジッと凝視し、小さくさきほどと同じ言葉を吐く妹。

 俺は冷蔵庫から白ワインを取り出し、テーブルへと運びながら皿に盛られた料理の名を口にする。


 中東あたりの料理であると言うこいつは、ここ最近ちょっと小洒落たカフェなどで見かけるようになった。

 ようするに基本は、大量の豆をペーストにし調味しただけの代物。

 ただ腹持ちの良さや血糖値の上がり難さ、食物繊維の多さなどもあって、ダイエット食としても人気があるとかなんとか。


 そいつに比較的ローカロリーな、鶏肉のミンチと野菜を一緒に炒めた物を沿えれば、栄養価も問題はないはず。

 これらを一緒に、薄切りのトーストに乗せて頬張ろうという趣旨だ。



「か、辛っ!」



 席に着いて手を合わせ、早速妹は手を伸ばす。

 ただフムスの方は若干警戒感があるのか、カリカリに焼かれたトーストへ乗せたのはミンチ肉のみ。

 そいつを少量乗せて頬張った妹は、少しばかり噛んでから目を見開き、刺激的な味につい声を漏らしていた。



「な、なにこれ。すっごい辛いんだけど……」


「かなり唐辛子を使ったからな。一緒にフムスの方も食え、辛味が和らぐぞ」



 ケホケホと咳込む妹はワイングラスを煽り、半分ほどを一気に減らしていく。余程辛さがきつかったらしい。

 確かにフムスを一緒に食べるの前提で、かなり辛みを効かせたのは事実。

 水ではなく一気に酒で辛みを流したせいか、目をトロンとさせる妹。


 俺は少しばかりフムスを多めに乗せたトーストを作り、いまだ辛さに舌を出す妹へ渡した。

 恐る恐る手を伸ばすと、口へ放り込んで咀嚼する。

 すると徐々に辛さが和らいで来たのか、険しかった目元が若干緩んでいく。

 フムスのまったりとした食感と、混ぜ込んであるオリーブオイルや練り胡麻の油分が、辛さを誤魔化してくれるのだ。


 俺もフムスとミンチの両方を乗せて齧りつくと、双方の合わさった複雑な味が口に広がる。

 別にフムスだけでも問題はない。しかしおそらく妹には物足りないだろうと考え作ったのだが、なかなかに悪くないようだ。



「一緒に食うと、少しピリリとする程度だな。味はちょっと淡白気味だが、酒にも合ってる」


「甘口のワインってちょっと苦手なんだけど、この組み合わせなら好きかも……」



 今回料理と共に用意したのは白ワイン。ただいつも口にしている1本500円程度のチリ産ワインとは違う物。

 普段は辛口を飲んでいるのだが、今日は少々趣向を変えて気持ちほど甘口のそれ。

 そこまで高くはない安価な品で、しばらく前に買ったきり試飲だけして放置していた代物だ。


 ここまで飲まなかった理由は、単純に俺も妹も微妙に好みに合わなかったため。

 なのでどこかで呑んでしまおうと考えていたのだが、辛みのある料理を作ったことで、この機に乗じて消費することにしたのだった。

 ただ想像していたよりも、悪くない組み合わせかもしれない。


 まったりとするようなフムスと、鋭い辛さを持つ鶏のミンチ。それにほんの少しだけ甘いワイン。

 なんだかさっき読んだ後輩の小説から漂う雰囲気とソックリで、俺は半ばこじつけにすら思えるその感想へ、無意識に笑みがこぼれていた。



「なによ。急に笑ったりなんかして」


「いやちょっとな。これから先の展開が楽しみだと思ってさ」



 味にも慣れてきたのか、次々と平らげていく妹。

 ヤツは俺のした含み笑いに気付いたようで、怪訝そうに指摘をしてくる。


 それに対し、咄嗟に後輩の作品への率直な気持ちを返す。

 けれどなにも言い訳などではない。彼女の書いた恋愛物の小説は、まだ1話だけとはいえよく出来ていて、次を読む欲求を掻き立てるものであった。

 なので続きが楽しみであると同時に、ジャンルは違えど負けてはいられないという感情が表に出てくる。


 ただそんな俺の感想に、「ふぅん」と呟く妹は、思い出したように釘を刺す。



「とりあえず兄貴は、どこかで白状する事ね。一方的に知ってるだけじゃ可哀想だもの」


「ああ、わかっているよ。…………もうちょっとだけ覚悟が出来たら」


「時間がかかりそうね、これは」



 後輩の書いた作品を楽しむのは良い。

 もっとも今は、俺が一方的に彼女の作品であると知っているだけで、向こうは俺が書いている事すら知らない。

 そこばかりは妹も口を噤んでいてくれているらしいが、当人はあまり好ましいと思っていないようだった。

 俺自身も、そこを否定する言葉を持たない。


 なら今現在書き溜めている新作を出す時が、白状するのに丁度良い機会かも知れない。

 そんな事を考えながら、少しだけぬるくなったワインを煽るのであった。


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