18食目 隠れ作者のベジたべる
時折窓の外から聞こえるのは、家の前に伸びる県道を走る車のエンジン音。そしてシトシトと降り続く雨音。
一方で家の中から聞こえるのは、自身の発するキーボードの音。加えて背後から響く、呻きとも笑いとも取れる気味の悪い声。
丸一日ずっと降り続く雨の中、俺はこの夜も創作活動へ勤しんでいた。
本来であれば、ずっと家に篭りっぱなしというのはどうなのだろうと、少しくらい家の外に出たりはする。
例えばコンビニであったり、鈍った身体を解すためにジムへ行ったりだ。
しかしこの日は生憎の雨模様ということもあって、こうして日がな一日PCの前に向かいっぱなし。
……背後のベッド上で、延々ゲームに興じる妹と共に。
「なあ、妹よ」
「なにかね、兄貴よ」
「…………アイデア下さい」
俺はそんな背後の妹へと、キーボードを叩く手を止め振り向きもせず懇願を口にした。
ここまでの数時間、ひたすら頭を働かせアイデアをひねり出してきた。
しかしもうそれも限界。ストックもなければ新たなネタもない、ある物と言えば疲労と僅かな意地くらいのもの。
もっともそのなけなしの意地は、今まさにした妹に対する懇願で、木っ端微塵となってしまったのだけれど
しかし恥も外聞も投げ出して口にしたそれに、妹はしばし沈黙する。
後ろを振り返っていないため見えないが、なんとなくわかる。きっと今頃ヤツは、ジトリとした視線で呆れながらこっちを見ているに違いない。
「なんていうか、少し前に強固な意地を見せられた記憶があるんだけど。あの時の兄貴はどこへいったの」
「そんな人間は知らん。きっと幻を見たんだ、忘れろ」
「ここまでみっともないと、逆に呆れる気も起きないわね……」
どうやら呆れ混じりの視線とやらは回避できたらしい。
もっともそれは良い意味ではなく、もっと悪い方向での外し方だったようだ。
「――さんが今の兄貴を見たら泣くわね、きっと」
「ちょっと待て、なんでそこで彼女の名前が出てくる?」
大きく溜息をついた我が妹。
しかしそれと同時に吐かれた名前に、俺はつい大きな音を立て立ち上がり振り返った。
その名前は、つい先日酔っぱらって家へ来て、結局泊まっていった後輩のもの。
意気投合とまでは言わないが、なにやら相性が悪くなさそうな妹と後輩。
しかし突然に名前が出てきたため、つい面食らってしまったのだ。
「なんでって、それはもちろん……」
「もちろん?」
「……なんでもない。そんなことはどうだっていいのよ」
息を呑み理由を聞くも、肩透かしを食らう言葉にガクリと肩を落とす。
ただ妹が何か言おうとしていたのは確か。
そこを根掘り葉掘り聞いてみたい欲求に駆られ、おずおずと尋ねてみたところ、妹は不機嫌そうな表情で不満を露わとした。
「だから何でもないって言ってるでしょうが!」
「いや、絶対になんか隠してるだろお前」
「それ以上聞かれても答えないって言ってんの。まだ聞こうとするなら仕方ない、あの人に兄貴の趣味を暴露して……」
「オイそれはやめろ!」
憮然とする妹に突っ込んで問うも、ヤツはその問いを跳ね退ける"とっておき"の手を繰り出してくる。
ヤツはこう言いたいのだ、これ以上聞いてくるようであれば、俺が毎夜やっている執筆という趣味について暴露すると。
たぶんではあるが、あの後輩は偏見なく、この趣味を受け入れてくれる気がしないでもない。
なので断固として秘密にしておきたいとまでは言わないが、おそらく彼女はその事を知ると、ブックマークあたりはしてくれると思う。
だからこそ、それが逆に心苦しい。
それにしても、この様子だとどうやら2人は連絡先を交換しているようだ。
いったいいつの間にと思うも、妹の部屋へと泊まった時にでも、もう少しばかり親交を深めたのかもしれない。
「わかった、わかったから。頼むからそれは黙っててくれ」
「仕方ないわね。とりあえず後で何か作ってくれるのなら黙っていてあげる」
「……お前はなんでそう偉そうなんだ」
観念して俺が手を挙げると、妹は参ったかと言わんばかりに腰へ手を当てる。
そして交換条件として、今夜もまた夜食作りを強要してくるのであった。
どうしてそんな交換条件が必要なのかと思うも、こいつの傍若無人ぶりは今更なので、その点には突っ込む気力すら起きない。
「しょうがないヤツだな。作ってやるから、お前も少しは手伝えよ」
俺はそう告げて立ち上がると、一時PCをスリープ状態に。
若干肩を落としながら部屋を出て、妹が望む夜食を作ってやるべく台所へと向かった。
背後には少しばかり機嫌を良くした妹が、軽快な足取りでついてくる。
ただ一瞬だけ背後を振り返ると、俺は今夜作る料理の内容を、少々考えねばならない気がしてしまう。
何故ならほんの僅かにだが、以前に比べ妹の輪郭やらが、丸みを帯びてきたような気がしたためだ。
「……お前、今日は一回でも外に出たっけか?」
「ううん、全然。一日中雨だったし」
俺が立ち止まってそう問うと、妹はさも当然のごとく返す。
確かにこいつは基本的に出不精で、友人と約束があったり、余程欲しい物があったりしない限り休日に外出はしない。
なので雨でも降ろうものなら、それこそ絶対に家から出てこないのだ。
つまりこいつは日がな一日、人のベッド上で寝転がり、マンガやゲームへ延々と興じていたことになる。
俺だってPC前から動かなかったので人のことは言えないが、それが到底健康によかろうはずがない。
特に、腹へと溜め込みつつあるカロリーという怪物は、さぞ上機嫌で座しているに違いなかった。
これはいけない。いい歳をした妹の事なのだから、本来ならば当人の管理に任せればいいとは思う。
しかしこの調子で毎夜のように余剰カロリーを摂取し続ければ、どうなってしまうのだろうと。
今はまだいい、若いのだから。
だがこれがあと数年も続けば、この妹はさぞ酷い有様になってしまうのでは。そんな不安が頭をよぎる。
「……よし、作る物は決まった」
「なになに?」
「前に春雨でナポリタンを作ったろう。あの時と同じだ、テーマは"ローカロリー"で」
「ちょっと、どこ見ながら言ってんのよ」
俺は視線を妹の腹回りへやりながら、今夜のテーマを口にした。
妹はその視線に再び不機嫌となりつつ、自身の腹を手で隠そうとする。
今のところそれは太くなっているようには見えないが、それも今の内だけかもしれない。ここでなんとか手を打っておかなくては。
決意した俺は台所へ向かうと、真っ先に小鍋へ湯を沸かす。
その間に冷蔵庫を開き、中から取り出したのは複数の野菜。ニンジンに大根、それにズッキーニ。
まさに野菜オンリー、肉も無ければ炭水化物もなし。そんな光景を見た妹は、どこか落胆した様子を見せる。
「言わんとすることはわかるけどさ、もうちょっと食べごたえってものを……」
「いいから手伝え。コイツを使ってな」
俺は取り出した野菜に、包丁で少しばかりの切りこみを入れる。
そしてその野菜とピーラーを、どこか不満気な表情を浮かべる妹へ渡した。
一瞬、意味が理解できないといった表情を浮かべる。既にニンジンや大根の皮は剥いてあるためだ。
そこで俺は大根だけを取ると、ピーラーを使って切りこみに沿って引いた。
すると現れたのは、平麺のように薄く一定の幅を持った野菜の帯。
「こいつを麺代わりにする。いわゆるベジヌードルってやつだな」
俺はそう告げながら、もう一つピーラーを取り出す。
比較的柔らかい大根を妹に渡し、自身はニンジンを手に取って、削るように野菜の麺を作っていく。
これ専用の道具もあるとは聞くが、自分の場合はこれのためだけに買うことはたぶんない。
ピーラーで十分だと思うし、たぶんそこまで使用の頻度が高くはないからだ。
妹は慎重に、大根へとピーラーの刃を滑らせていく。
丁度良い幅で入れた切りこみのおかげで、均等に切り落とされていく野菜の麺。これなら料理下手な妹でも問題なくできる。
俺はそうして出来上がった3種類の麺を、火の通り難い順に鍋へと放り込んだ。
湯の中で踊る野菜を眺めながら、さらに固形のブイヨンを2つ。
茹でると同時に野菜の旨味も溶け出すため、こいつをそのままスープとして使おうという魂胆だ。
そこから味見をして塩気を調整し、ほんの少しだけのおろしニンニクとショウガを加え、最後に黒胡椒とオリーブオイル(妹の所有)をひと垂らし。
非常に単純ではあるが、これで完成だ。
「さて、それなりに食べごたえはあると思うんだが……」
野菜の麺に、少なめのスープ。
見た目はちょっとばかり派手なスープパスタといった風体のそれを、席に着いた妹はフォークで巻き付け口に運ぶ。
俺の窺うような言葉を聞きながら咀嚼し呑み込む。
すると一瞬だけ動きを止めたため、まさかダメだったのだろうかと不安になるも、妹はすぐさま二口目へとフォークを伸ばしていた。
どうやらそれなりにお気に召してくれたらしい。
俺はそのことに安堵すると、自身も野菜の麺をすくいあげ口へ運んだ。
大根とニンジン、それにズッキーニの麺をそれぞれ順に噛みしめていくと、当然ながら小麦粉を使った麺とは異なる食感が。
どれも異なるが、それぞれがほど良く加熱され、軽い弾力にシャキシャキとした歯触りが心地よい。
3種類の麺を同時に口へ入れてみると、野菜の旨味が出たスープと合わさり、より野菜そのものの甘みが感じられるように思える。
「兄貴、白でいいよね?」
「ああ。俺は少なめでいいぞ、こっちの汁気が多いからな」
妹は少しばかりその麺を食べ進めていくと、おもむろに立ち上がる。
棚からワイングラスを2つ手にすると冷蔵庫へ向かい、俺に尋ねながら良く冷えた白ワインを取り出した。
グラスの3割ほどまで注ぎ、小気味良い音をさせ乾杯。
口に含んで味を堪能すると、白ワインの持つ軽快な酸味が、より野菜の甘さを引き立ててくれるかのようだ。
何の変哲もない、1本500円ほどの安いチリ産テーブルワイン。だがむしろこの料理にはそれが丁度良い。
「糖質とかって面では根菜もそこそこあるが、普通に炭水化物を摂るよりはマシかもな」
「まあ、悪くはないと思う。それなりに食べごたえもあるしさ」
なにやら素直ではない言葉だが、一応は俺の主張に同意をする駄妹。
本当に素直じゃないヤツだとは思うが、ひとまず当初に考えていた、ローカロリーな夜食をという目的は果たせたようだ。
俺はそのことに安堵するのだが、直後耳へ聞こえてきたのは電子音。
妹の方から聞こえてくるそいつを訝しく思い見ると、ヤツはおもむろにポケットからスマホを取り出した。
どうやらこんな夜食の時にまで持っていたようだ。
妹はどれを見るなり、ニヤリと妙な笑みを浮かべた。
不穏な空気漂うその笑みに、俺は密かに背筋を寒くする。
「なんだ、その不敵な笑いは」
「なあに、つい最近仲良くなった人から連絡がありましてねお兄様」
とても、意味深な言葉。
つい最近仲良くなった。と聞いて思い付くのは、少し前に酔ってうちに泊まっていった後輩か。
2人は連絡先の交換をとっくに済ませているようなので、こういった連絡が来てもおかしくはない。
「だいたい誰の事かはわかった。で、なんだって?」
「いえいえ、ちょーっと彼女とは趣味の件で意気投合してさ」
妹が発した言葉に、俺はすぐさま意味を理解する。
つまりはこういうことか。前に後輩が駄妹の部屋に泊まった時、おそらく2人は互いが同好の志であると認識したのだ。きっと棚へ並んだ本などを切っ掛けに。
後輩である彼女の趣味が、妹と同じであったのは少々意外。
しかしああいった物を身近に育った世代だけに、人に言わぬにしても案外そういう人も多い。なのでそこまで不思議ではないのだろう。
むしろ妹としては喜ばしいに違いない。会社ではこういった趣味を隠しているようなので、面と向かって話せる相手が出来たのだから。
「それでね、話の流れからここ最近私が読んでいる、"とある小説"をウッカリお奨めしちゃった次第で。その感想なんかが」
「おまっ!?」
俺は次がれる言葉を聞くなり、ワイングラスを持ったまま立ち上がる。
ここで問題となるのは、妹が言うところの"とある小説"とやらが何を差しているか。
ただそれは言うまでもなく、ヤツが目を通し批評を繰り広げている、俺が夜な夜な書き綴っているアレのことだ。
どういう訳か妹は、私小説の投稿サイトである"小説家になってもいいんじゃないか"の話をし、作者の素性は言わぬまでもアレを勧めたようだ。
おそらく、俺への嫌がらせやちょっとした意地悪を込めて。
「大丈夫大丈夫。兄貴が書いているってのは流石に話してないからさ」
顔から火が出るとはこのことか。
まさか誰が書いているかはバレてないにしても、後輩に読まれてしまったという気恥ずかしさから、顔が急激に熱を持つのに気付く。
そんな俺を指差して笑う駄妹。
俺はなんとか深呼吸し表情を引き締めると、そんな妹の額へめがけ、軽めのデコピンを放つのであった。




