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17食目 酔いし彼女の醒め麦サラダ

今まで主人公と妹の二人だけで話が進んできましたが、ここに至って三人目の登場です。

でもたぶんこれ以上は増えません。


 白色の街灯のみで照らされた、夜間の歩道。

 ほろ酔いとなり、酒により内から温まった身体を、歩きながら冷たい空気で冷ます。

 ただ徐々にではあるが、その寒さも日毎に緩みつつあり、これが春の訪れが近いのだと感じさせられた。


 そんな夜の道をゆっくりと歩きながら、俺は軽く弾んだ声を発する。



「ほら、しっかりしろ。もう少しで着くから」



 我ながら、若干疲労感の滲んだ声だとは思う。

 それは単純に仕事終わりであるというのもあるが、今は少しばかり体力を使う歩き方をしているため。

 なにせ俺の肩や首には人の腕が巻き付いており、そこからかかる体重によって、脚は確実に乳酸を溜めつつあるのだから。



「す、すみません先輩ぃぃ……」



 俺に体重をかける女性は、力なく一歩一歩足を前に出しつつ謝罪を口にする。

 その人物はまだくたびれた感じのない、どこか真新しさすら感じさせるスーツに皺を寄せ、地面へ視線を落としグッタリとしていた。


 今肩を貸しているのは、俺が務めている会社の後輩だ。

 ここ最近業績が少しばかり上向いていることもあって、一丁景気づけとばかりに今日は大勢で呑みに行った。

 会費の半分は上司の奢り。そこはいい。

 だがまだ1年目である彼女を含む新入りたちは、高まった上司たちのテンションと、"お前のため"という名目でされる小言の煽りを受けるハメとなってしまった。



「気にするな。だが勧められるままに飲んだのは不味かったな、ああいう時は断ってもいいんだぞ」


「ですけど、上司のお酒を断るのは……」


「いいんだよ、最近はそれを責める人間も少なくなったんだから。むしろお前がこうなったのを見て、かなり焦ってたぞ」



 後輩である彼女はまだ新米であるためか、調子に乗って上司がグラスへ注いでくる酒に対し、飲まないという選択肢が取れなかったようだ。

 実際には僅かに口を付けるだけでもいいというのに、律儀にも毎度グラス半分近くを減らすため、上司にもっと飲めると判断してしまったのだ。

 結果そいつが運の尽き。哀れ後輩はキャパを大幅に超え呑まされるハメになってしまった。


 当然のように酔い潰れたこいつを、参加者一同すぐさま帰そうとする。

 しかしタクシーを呼ぼうと考えるも、どうやらこの後輩は相当乗り物に弱いタイプであるらしく、酔い覚ましがてら歩いて帰ると告げたのだ。

 かといって一人で帰すわけにもいかず、方向がほぼ同じで家も近いというのもあって、俺にその役目が任されたのだった。

 もちろん、不埒な真似をせぬよう上司にキツく念押しされて。



「今までこんなに酔ったことないのに……」


「ほとんど何も食わず、飲んでばかりだったからな。だが気持ちはわからんでもない。上司が居る酒の席なんて、自分のペースが維持できなくなりがちだ」



 大抵回数を重ねていけば、徐々に対処の仕方も覚えてくるというもの。

 なので彼女も、次第にああいった場にも慣れていくはず。

 とはいえこういった煩わしさが嫌で、会社の飲み会に出たくないという人の気持ちも理解はできる。


 俺はそんなことを話しながら、ゆっくりとしたペースで歩き続ける。

 つい最近知ったのだが、彼女の家はうちからもうしばらく歩いた先という、一応近所と言い表わしていい場所。

 とはいえ時刻は既に0時を回ろうとしており、少ない街灯の下、酔った状態を彼女だけで返すというのも少々気が引けた。


 なら俺がこのまま、家まで送るかと思案する。

 だがまだ知り合って1年と経たぬ相手、それも異性。警戒するのはむしろ当然ではないか。



「……えっと、一つ提案なんだが」


「なんですか先輩ぃ」


「このまま俺の家へ来るか?」



 そこで思い付いたのは、この酔いに酔った後輩を我が家へ招くというもの。

 当然俺とて一介の大人。酔った女性を自宅に連れ込むというのが、どういう意味かは理解している。

 だが幸運にもと言うべきか、俺は実家住まい。家に帰れば当然のように両親が居るし、この時間なら妹だって既に帰宅している。


 なので一時的に休ませるのには好都合かと思ったのだが、肩に身体を預ける後輩は、俺を見てキョトンとした表情を浮かべる。



「せ、せんぱい……?」


「いや、このまま帰すのもアレだし、俺は1人暮らしじゃないから多少は安心かなと!」



 彼女の様子に動揺し、俺は慌てて理由を並べ立てる。

 流石に突然こんなことを言い出すのはマズかっただろうか。

 案外俺も酒に酔った影響で、冷静な思考が出来ていないのかもしれない。



「そ、そうですよね。お世話に……、なります」


「おう。じゃあ、先に家へ連絡しておくか」



 ただ彼女は意外にもその案を受け入れ、俺の家で小休止をすると口にした。

 下手をするとセクハラになりかねない発言なだけに、彼女の反応に安堵した俺は、早速携帯を取り出す。

 いくらなんでも突然に女性を連れて行けば、今までが今までだけに度肝を抜かれるのは必至。

 そこで事前に連絡を入れるのだが、たぶん今の時間両親はもう夢の中。となれば間違いなく起きているヤツへと。


 携帯を鳴らすと数コールでその相手、我が駄妹の声が聞こえる。

 そして簡潔に状況を説明すると、返事すら聞くことなく通話を切るのだった。

 なにやら向こうで金切り声が聞こえた気がするが、俺も酒の影響によってか頭へ響くため、ついつい聞く前に切ってしまった。



 ともあれ了解は得たという事にしておき、後輩を連れ我が家へ向け道を曲がる。

 そしてマンションのエレベーターに乗って上階へ行き扉を開くと、目の前には腰に手を当てた妹が大股開いて立っていた。



「……おかえり」



 出迎えてくれた我が妹は、どことなく不機嫌そうな表情だ。

 一応客人が来たのだから、その態度はどうなんだろうかと思わなくもない。

 ただこんな夜中に突然人を連れて行くなどと言えば、多少は機嫌も悪くなるのが当然と言えば当然か。



「とりあえずリビングに行こう。ちょっと水のボトルを何本か取って来てくれ」


「……わかった。ソファーに毛布を敷いてあるから、そこ使って」



 妹は大きく息を吐きながら、背を向け先にリビングへと向かう。

 ただどうやら電話をしてからここまでの間に、迎え入れる準備だけはしておいてくれたらしい。

 不機嫌になりながらも、酔い潰れた俺の後輩が休憩を摂りやすいように用意してくれたことに、ちょっとだけ感謝しながらリビングへ移動する。


 妹が言っていた通り、ソファー上へ丁寧に敷かれた毛布の上へ後輩を座らせる。

 そして一旦台所へ行き、酔いを落ち着けられるよう氷枕でも準備していると、リビングから小さく妹らの声が聞こえてきた。



「す、すみません……。急にお邪魔してしまって……」


「気にしないでいいですよ。さあ、お水を飲んで。落ち着くまでゆっくりしていって下さい」



 持って来た水のペットボトルを渡しているであろう妹。

 頭を下げる光景が容易に想像できるほど、後輩はその妹に対し恐縮する声が響く。

 ただやはり初対面の相手であるためか、妹の口調はやはり余所行きのそれだ。



「兄貴……、兄の後輩って聞きましたけど」


「あ、はい。あたしはまだ入ったばかりで、先輩には教育係としてお世話に」


「って事は私と同じ齢なんだ……」



 考えてもみれば、この二人は共に大学を出て社会人一年目。

 なので妹と後輩は一応同い年になるのだが、考えてもみれば妹にとって、これはなかなかに複雑な心境ではないだろうか。

 なにせ連れてきたのが自身と同じ齢の娘さん。善からぬ想像をし邪推してもおかしくはない。

 もちろんそんな関係ではないのだが。



 用意した氷枕を持ってリビングへ行くと、二人はまだ少しばかりの会話を交わしていた。

 ただどうやら腰を下ろして水を飲み、会話の方へ意識が向いたおかげか、調子も少しずつ回復しているようだ。


 俺はそのことに安堵し、氷枕を渡してから再度台所へ戻る。

 あの様子だと、もう少し休めばすぐ良くなってくれるはずだが、となると今度は別の面が気にかかる。


 居酒屋から出る直前、確か彼女は用を足しに行っていた。おそらくその時に、酒を含め諸々を吐き出しているはず。

 となると胃の中は完全に空。水を入れてはいるが、それだけだとまた調子が悪くなりかねない。

 なので何か軽い物でも、入れておいた方がいいかもしれない。


 そう考えた俺は、冷蔵庫を開き目についた食材を取り出す。

 そして鍋に湯を用意しまな板を取り出したところで、台所へ入ってくる妹の姿に気付いた。



「様子はどうだ?」


「今は落ち着いてる。でもたぶん吐いてるせいで喉を傷めてるっぽい」


「ああ、やっぱりか。じゃあサッパリした物でも食わせておくか」



 入ってきた妹は、追加の水を冷蔵庫から取り出しつつ、後輩の状態を口にしていく。

 俺はそいつに相槌を打ちながら、取り出した食材をまな板の上で刻んでいった。



「ところでさ兄貴。もしかして、前に言ってた人って……」


「ん? ああ、そういや話したっけか。少し前に使ったバーナー、あれをくれた後輩ってのが彼女だよ」



 沸かした湯の中へ、袋から直接食材を投入する。

 その間にボウルへトマト等の野菜を入れて塩をする俺の背後で、妹はおずおずと少しばかり前の話を切り出した。


 妹がした想像は正解だ。

 以前夜食を作るのに使った、家庭用のガスボンベを用いるバーナー。

 前々から欲しがっていた俺へ、クリスマス時期にお礼としてプレゼントしてくれたのがあの後輩。

 そういうこともあって、俺は酔った彼女を介抱するのに殊更抵抗が無かったのかもしれない。



「ああ、そういうことね。はいはい、なんか全部理解できたわ」


「……いったい何のことだ?」


「べっつにー。なんでもありませんー」



 若干投げやりというか、呆れ混じりな妹の反応。

 俺はその意図するところがよくわからず、振り返って見てみるも、妹の表情はどこか面白くなさ気。

 先日喧嘩をした時とはまた異なる、別種な機嫌の悪さだ。



「言いたい事があるなら言えって。なんでお前が機嫌悪いのかまったく理解できんぞ」


「だから何でもないっての。いいから早く作っちゃいなよ、何をしているのか知らないけど」


「変なヤツだな。とりあえずちょっと手伝ってくれ、鍋で茹でてる物をザルに上げて欲しい」



 理由を問い詰めたいところだが、この様子では大人しく話してくれそうもない。

 そこで一旦そのことは諦め、今は料理の方を手伝わせることにした。

 ただ告げた通り鍋の中身をザルへ移す妹は、物を見て怪訝そうに首を傾げる。



「……なにこれ?」


「オーツ麦だ。お前がよく朝に食ってる、グラノーラのベースとかになってる穀物だな」



 ザルからあげた薄茶色の食材を見て、妹は怪訝そうに問う。

 適当に細かく切った余り野菜なんかも一緒に入っているが、基本的に鍋で火を通していたのはオーツ麦。

 いわゆるオートミールなのだが、しばらく前に気まぐれを起して買ったそいつを煮込まず、塩だけで茹でた物だった。


 そのオーツ麦を水で冷やしヌメりを流してもらい、水気を切ってからボウルへ。

 そこに切っておいたトマト、それにこれまた余っていたパイナップルを刻んで放り込む。

 塩と黒胡椒をし、軽くオリーブオイルを混ぜ込んだら、オーツ麦とトマトにパイナップルのサラダが完成。

 個人的には温玉やアボカドなどが入っていると好ましいが、さっきまで酔ってグロッキーだった人間には、あまりよろしくない可能性もあるか。



「……それ、私も食べていい?」


「別に構わんぞ。朝飯でも食うつもりで、それなりに作ったからな」



 基本的には、かなりアッサリな代物。

 ただそこが逆に妹の琴線に触れたか、さっきとはうって変わって目元をヒクつかせ、食欲を露わとする。

 後輩のために作ったそれだが、流石に何杯もおかわりはしないだろうと、頷きながら許可を出す。

 すると妹はいそいそと、自分用にグラスと冷えた白ワインを取り出した。


 かなり現金なその反応に苦笑しながら、食器を手にリビングへ。

 ソファーへ腰かけていた後輩の前に来ると、小皿へ移したそのサラダを差し出した。



「胃が空っぽだろう。少しだけ食べておいたらいい」



 そう告げて差し出すと、彼女はキョトンとしつつも受け取る。

 トマトにパイナップル、それに少量の野菜と淡白な麦だ。オリーブオイルを使ってはいるが、かなり軽い味なため問題なく食べられるはず。

 おずおずと受け取る彼女だがそれなりに回復しているのか、小さく「いただきます」と口にし、スプーンを口へ運んだ。


 背後ではいつの間にか、卓の上に置いたボウルから皿へ移した妹が、ワインと共に食べ始めている。

 どこまでも自由なヤツだと思いつつ、再度目の前で座る後輩へ視線を向ける。

 彼女は恐縮しながらではあるが、空となった胃と酩酊感を解消するかのように、そのサラダを食べ進めていた。



「あ……、食べやすいです先輩」


「そいつは良かった。食欲もあるようだし、もう大丈夫そうだな」



 水を飲んで妹と話している間に、そこそこ酔いも覚めてはいたらしい。

 その上でこうして食べられるのだ、もう彼女は大丈夫だと考えていいはず。


 サラダを一口、また一口を食べていくのだが、ふと思い出したように顔を上げる。

 そして俺の顔と料理を交互に見ると、おずおずと尋ねてくるのだった。



「あの、これってもしかして先輩が……?」


「ああ。有る物で適当に作った料理で申し訳ないが」


「やっぱり、先輩ってお料理できるんですね」



 なにやら感慨深げな後輩。

 俺はそんな彼女の様子を横目に、自身も小皿へとサラダを移し、ソファーの隅へ腰かけながら口へ運ぶ。


 非常に淡白というか、塩気以外にはほとんど味のないプレーンなオーツ麦。

 だが淡白だからこそ、共に加えた食材の甘みや酸味、それに黒胡椒の風味が際立つ。

 それに軽く茹でただけのため食感は軽く、案外深夜の小腹満たしとしては悪くないように思えた。


 床へ腰を下ろす駄妹は、サラダを肴にワインを傾ける。

 俺は既に呑んでいるため止めておくが、そうでなければ今頃は妹と向かい合って、ワインを片手にしているはずだ。



 少しして見てみると、座る後輩が小皿の中を空にしているのに気付く。

 どうやら食欲は復活しているようだが、これ以上食べるのも良くはないかと、彼女の持っていた皿を受け取る。



「ごちそうさまでした。とても、美味しかったです」


「おそまつさま。……あいつが毎日のように夜食をねだってくるもんでな、すっかり作り慣れちまったよ」


「それは羨ましいです。あたしにも、こんなお兄さんが居たらって思いますし」


「あんまり褒めないでくれ。俺よりも妹が調子に乗る」



 微笑んでおだててくる後輩。

 ただ俺はその言葉を遮り、案の定得意気な表情をしていた妹の頭を鷲掴む。

 当然妹はそれを鬱陶しそうに振り払い、再度「そうだろう」と言わんばかりの表情をしていた。



「それじゃあ、あたしはそろそろ失礼を……」



 そんな俺たちの様子を見て、クスクスと笑いながら(いとま)を口にする後輩。

 どうやら酔いもほとんど覚め、調子の悪さも落ち着いたようだ。

 この様子であれば、もう帰宅できるに違いない。幸いにもそこまで距離は離れていないため、俺はそのまま彼女を見送ろうかと考えた。


 しかし時刻はとっくに0時を回っているためか、それに対し異を唱えたのは我が駄妹。



「――さん、いっそのこと今日は泊まっていったら?」


「え……、ですがこれ以上ご迷惑は……」


「いくら家が近いといっても、本調子じゃないのに一人で帰らせるのもね。兄貴のことなら気にしなくてもいいから。流石に客間は無いけれど、私の部屋を使えばいいし」



 齢が近いことによる親しみ易さか、それとも元来持つコミュニケーション力の差か。

 妹はいつの間にやら後輩と打ち解け、今夜は泊まっていってはどうかと口にする。


 もし仮に俺が女であれば、あるいは後輩が男であればそれも有りかもしれない。

 だが後輩である女性を、酔っているからといって家に泊めてもいいものだろうか。

 後々でなにか問題になるのではという考えが過り、僅かに身震いをしてしまう。

 しかし俺がそんな異論を挟む間もなく、とんとん拍子で彼女らの話は進んでいった。



「じゃあそういう訳だから、兄貴は予備の布団を出してきて」



 速攻でお泊りを確定させる妹。

 ヤツはビシリと俺を指さすと、後輩が使う寝具を持ってくるよう命じてきた。

 そうして傍若無人さを発揮する妹に辟易して肩を竦める俺は、後輩に苦笑交じりに微笑まれるのだった。


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