16食目 和解と米に彩りを
世は草木も眠る丑三つ時。……の少し前。
この日も俺はPC前に座り、延々とキーボードを叩き文字数を重ねていた。
普段書いている速度を大幅に超え、半分の時間でノルマ分を書き終える。
書き溜める分も1話2話と増えていき、数日はノンビリしても問題ないだけの文章量となりつつあった。
だが文字数ばかり増えていく一方で、これがまともに話として成り立っているかが疑わしい。
物語の軸がブレているというか、展開が支離滅裂というか、あるいは日本語すら多々間違っているような気がする。
いつもであれば早々に直すなりするのだが、今夜の俺はそれすら出来ず、ただただキーボードに指とため息を叩きつけるばかりだった。
「……しくじった。アホか俺は」
キーボード上で無闇に動いていた手をようやく止め、重苦しい声を吐き出す。
そして椅子の背もたれにグッと身体を倒し、天井を見上げ再び溜息を洩らした。
昨夜は……、本当に失敗した。
つい妹の軽口が癪に触ってしまい、助力などなくても大丈夫だと強がった結果、少しばかり口論となってしまったのだ。
おそらく自分の力だけで書いたものが、まるで読んでは貰えない悔しさもあって。
だが少々と言わず、兄貴としてはなかなかに情けない態度だったとは思う。
おかげで今夜は帰宅しても、妹からは一瞥を食らい簡潔な「……おかえり」という言葉だけしか掛けられなかった。普段はもっとやり取りがあるというのに。
いやむしろそれで済んだだけマシかもしれない。
「(……ちょっと様子を見に行ってみるか。案外まだ起きてるかもしれないし)」
俺はキーボードから手を放すと、立ち上がり部屋から出る。
既に深夜になってはいるが翌日は休みだ、今であればまだ妹も、ゲームやら何やら趣味に勤しんでいる可能性は高い。
行ったところで、まともに相手をしてくれるかはわからない。
だが今のままというのは非常にキツイものがあるだけに、せめて普段通りに話せるようにはしたいところだった。
そこで妹の部屋の前へ行くと、扉の隙間から光が漏れているのに気付く。
やはりゲームでもしているのか、あるいは明りを点けたままで眠ってしまったのだろうかと考える。
ただ静まり返った廊下へは、部屋からは紙擦れやペンの音が漏れ聞こえてきた。
案外会社で終わらなかった仕事を、家に持ち帰っているのかもしれない。
「そろそろ夜食を作るんだが、要るか?」
意を決して扉をノックし、妹へと精一杯の話題を告げる。
毎夜のように続いているそれだが、考えてもみればこれがあいつとの一番のコミュニケーションな気がする。
そこでこのとっておきのネタを振るのだが、なかなか返事は返ってこない。
聞こえていないのか、それとも無視されているのか。
とはいえ物音が無くなったところから察するに、たぶん聞こえているのだと思う。
もう一度ノックをしようと思うも、二度目をするだけの思い切りが持てない。
今は俺の顔など見たくもないのだろうかと思い、今日の所は諦め扉へ背を向ける。
ただそこで扉が開かれる音がし、安堵しながら俺は振り返るのだが、妹の視線に意気消沈するのを感じた。
「ああ……、っと。どうだ?」
「……別にいい。今仕事してるの、台所まで行って食べてる暇は無いから」
ジトリとした視線と共に、拒絶の言葉が放たれる。
遅くまで起きていた理由は予想通りだったが、そんなのが当たっても別に嬉しくはない。
俺がたどたどしい言葉だけで返事を後ずさると、妹は無言のまま扉を閉めるのだった。
声を詰まらせるままで閉められる扉を前に、微動だにすら出来ない。
ちょっとばかり強めに、バタンと閉じられた音によって、俺はようやくハッとする。
……ダメだったか。上手くいくとは思っていなかったが、こうも冷めた反応をされるとは。
俺はガクリと肩を落としながら、トボトボと台所へ歩いていく。
寒い台所へ入り、照明を点ける。
ただ当然そこに居るのは俺一人。ここ最近は妹と2人だったのを思えば、かなり物寂しい光景に思えてならなかった。
「とりあえず、なんか作るか。……俺だけだし適当でいいな」
そんな状況でも、ここ最近沁みついた習慣は抜けてくれないようだ。
慣れた動作で冷蔵庫を開け、夜食の食材を物色する。
けれど2人分のを作るのであればともかく、自分が食べる分だけだと本気で何でもいい気がしてならない。
面倒だし、たまには買い置きのカップ麺で済ますのも悪くはないか。
そんなことを考えながら冷蔵庫を締めるのだが、ふとさっき妹が発した言葉が頭をよぎる。
「(こっちに来ないなら、いっそ部屋で食べりゃいいんじゃないか?)」
さっき妹が言っていたのは、"台所まで行って食べてる暇は無い"というもの。
そこに意味があるかどうかはわからないが、決して腹が減ってないとは言っていなかった。
作る料理の内容によっては、仕事をしながらでもなんとか食べられるのではないだろうか。
そこで俺は再度冷蔵庫を開け放つ。
ながらで食べられる物の最たる例と言えば、やはりサンドイッチだろうか。
ただ生憎と今はパンを切らしているし、生野菜の類も少々心許ない。ハムやマスタード、卵などはあるが、それらだけというのはちょっと気が引けてしまう。
となると次いで候補に挙がるのは……。
俺は冷凍庫をあさると、中から凍った米を取り出す。
そいつをレンジに放り込んで解凍する間に、使う具の類を用意し始める。
作るのはおにぎり。それもただの白いヤツではなく、少々見栄えの良い物だ。
「鮭は……、あった。他にもいくつか」
解凍する間に冷蔵庫に向かい、使う材料を次々と取り出していく。
塩鮭にパウチのひじき、漬物に柚子という、普通はおにぎりに使ったりはしない食材を。
ただ今回は中に埋め込むのではなく、米全体に混ぜて使う。
こいつはつい最近、近くのスーパーで売っていた物を参考にした。
あちらは鮭でなく塩サバだったが、見た目に関してはこっちの方が華やかになるはず。
俺は早速取り出した塩鮭を焼きながら、他の材料を準備していく。
漬物は葉物なら何でもいいが、今回はスーパーで安く売っていたみぶな漬け。
そして最近コンビニなどでもよく売っている、小さなパウチに入ったひじき。その両方をザルに開けて水気を切る。
少量だけ欲しい時には、やっぱりこういった物が便利だ。
「あとは汁物を。普通に味噌汁でいいか」
解凍している米が意外と温まっていなかったため、再度レンジに戻し小鍋を取り出す。
混ぜむすびだけでも十分だが、汁物があるとないとでは段違い。
そこでニンジンや玉ねぎなどの余りを使い、簡単な味噌汁を作っていく。
焼き上がった鮭をほぐしたあたりで、米もようやく温まる。
そいつと鮭、漬物とひじきに白胡麻、あとほんの少しだけ柚子皮を合わせ混ぜていく。
火傷しそうな熱さのそれを手に取り、顔を顰めながら三角形に作って皿に盛り、みそ汁を椀に注いで盆に。
あとは熱い茶をセットにし、俺は台所を出て妹の部屋へ向かった。
料理をしている間に眠ってしまっただろうかと思うも、まだあいつは起きていたようだ。
扉の隙間から漏れる光に安堵するも、再度ノックする抵抗感にも苛まれる。
ただこのまま夜食が冷めていくのも勿体なく、意を決して再び扉に手を伸ばすのだった。
「……なによ。まだなんか用?」
「要らないとは聞いたが、一応お前の分も作ったんだ。余らすのもあれだから食ってくれないか」
緊張に心臓を跳ねさせながら、思ったよりも早く出てきてくれた妹に盆を差し出す。
昨日はあれだけ嫌味やら強がりを飛ばしてやり合ったのだ、1日経ったからと言って、作ったコレを受け取ってくれるかどうか……。
だがここで引いては、明日以降もずっとこうである可能性が捨てきれない。
そんな俺の考えを読み取ってくれたのか否か、妹は深く息を吐くと、盆へ手を伸ばした。
「わかったわよ。食べてあげる」
「そ、そうか。……じゃあ俺は戻るから、食って頑張れよ」
少なくとも、"嫌いな兄貴の作った料理なんて食べたくない"ということはないようだ。
差し出した盆を受け取った妹は、部屋に入り自身の散らかったデスクの上に置く。
その対応に安堵し、俺はこれ以上機嫌を損ねては大事と撤収を口にする。
しかし振り返り台所で自分のを食べようとした俺なのだが、背へ妹のたどたどしい言葉が降りかかった。
「……あ、兄貴も持って来れば? 私だけで食べるのもさ、なんていうか、ちょっと寂しいじゃん」
これはきっと、妹の精一杯の歩み寄りなのだと思う。
こいつを拒絶すれば、また余計にこじれたり距離が詰め辛くなるというのが容易にわかる。
ならばこそ、妹の提案は素直に受けるべきだ。
俺は頷くと、急ぎ台所へと戻る。
そして盆に自身の夜食と茶を乗せると、急く気持ちを抑え妹の部屋へと歩く。
片手で扉を開き中に入ると、妹はこの短い時間でデスクの上を片付け、その前へどこから持って来たのか椅子を2脚置いていた。
どうやら俺の座るために用意してくれたであろうそれに、強く安堵感を覚える。
「と、とりあえず食べようよ」
いそいそとそこへ座るなり、妹は食べるのを促し手を合わせる。
俺はそれに対し頷くと、早速使い捨てのお手拭きを使ってから、混ぜむすびへと手を伸ばした。
頬張ると、口の中でホロリと米が崩れる。
ふんわりとした米の食感。次いで鮭の塩気とひじきの甘さ、そして漬物の清涼感。
それらを一噛みする毎に、深夜の徐々に緩みつつある思考を覚醒させていくようだ。
隣で同じくおにぎりを口に運ぶ妹も、無言ながら熱心に食べている。
実のところ、毎夜のように続く夜食の習慣によって、空腹感を覚えていたらしい。
「香り……」
「ん?」
「香りが好き。柚子の風味って落ち着く」
奥歯で噛み砕いた胡麻と、僅かに混ぜたことで鼻に抜ける柚子の香り。
今までやっていた仕事の残りを片付ける作業のせいで、妹もそれなりに疲れていたようだ。
その疲労感を吹き飛ばすとまでは言わないが、しばしそいつを忘れさせるだけの効果は得られているようで、妹は香りに少しばかり緩んだ表情を浮かべる。
俺はそんな妹の様子に頬を緩めると、みそ汁の椀を手にし口へ流し込む。
米で満たされた口へと、追って流し込むワカメと野菜の味噌汁が、一心不乱に頬張っていた忙しさを和らげる。
根菜や葉物に揚げなどを多く入れた、具沢山の味噌汁も好きだ。
けれどこういった時には、ワカメやくず野菜で作ったありあわせの味噌汁が、どこか落ち着くように思えてならない。
俺がその汁椀を置くと、隣の妹もまた同時に椀を置く。
そしてまったく同時に息をつくと、無意識に互いを見合わせてしまい、ついつい口元が綻んでしまうのだった。
「ところで兄貴」
「どうした?」
「私たち、なんで喧嘩してたんだっけ」
「……さてな。たぶんどうでもいい理由だったんじゃないか」
暗黙の了解で、喧嘩はここで完全に終了という意図の会話が交わされる。
今までも何度となく、特に子供の頃はよく喧嘩の類をしてきたが、終わりの合図は決まってこんな感じだったような気がする。
ならば子供の頃のそれに倣い、ここで完全に仕舞いにするべきだ。
俺たちは間に漂う空気をのんびりしたものへと変え、夜食を食べ進めていく。
そして味噌汁の一滴まで飲み干し、ぬるくなった茶を啜ったところで、湯呑を置いて立ち上がった。
「ま、仕事とはいえほどほどの所で寝ろよ」
「兄貴こそ。そっちは私と違って仕事じゃないんだから、無理しないようにね」
「その言葉、ありがたく頂戴しておくよ」
珍しく優しい言葉を掛ける妹にヒラヒラと手を振り、2人分の盆を持って部屋から出て行く。
立ち上がる前に一瞬だけ、妹の持ち帰っているという物が目に映ったが、量からしてなかなかに大変そうだった。
案外あいつも昨夜のことを引っ張って、少しばかり仕事の進みが本調子とはいかなかったのかもしれない。
ならこれ以上部屋に居座って邪魔する訳にもいくまい。
俺に出来るのは、こうして深夜に飯を作ってやり、もう一頑張する活力を入れてやるくらいのもの。
ただそう考えれば、人様の家とは少々違うだろうが、兄貴らしいことがやれているのではないか。
そう思うと再度、自然と口元が綻ぶのだった。




