13食目 冬の春と和のナポリ
陽はとうの昔に落ち、深夜に向けて気温はどんどんと落ちていく。
吹き付ける冷たい風に身を震わせながら、コートの前をがっちり閉じて歩く。
時刻は22時半。そんな遅い時間を、俺は妹と会話しながら家路についていた。
いつもであれば、この駄妹と一緒に帰る事などまずない。
あるとすれば、それは仕事帰りに偶然バス停やらで出くわした時くらいのもの。
ただ今日は少しばかり事情があって、前もって打ち合わせ互いの仕事帰りに外で合流していたのだ。
たまには一緒に羽目を外そう、などという理由では決してない。
今回合流した理由はあくまでも、母親の誕生日プレゼントを物色するという目的あって。
故に妹と仕事終わりに繁華街をウロつき、思いのほか遅くなってしまったものの、無事目的も達せられた。
そんな帰路を暢気に会話しながら歩いているのだが、いつの間にやら俺と妹がする会話は、徐々にヒートアップしていくのだった。
「だからさ、あそこはもっと攻めるべきだって。じゃないと人が一気に離れちゃうよ」
「……けどなぁ、もうちょっと心理描写を織り込みたいところなんだよな。そもそも今の流れはそこがキモだろ?」
「言わんとしてるのは理解できるけどさ、そろそろ次の展開に移らないと、いい加減読んでてダレちゃう」
小さな街灯やコンビニの照明に照らされた、県道沿いの歩道。
俺たちはそこを歩きながら、微妙に白熱した議論を交わす。
内容は言うまでもなく、俺が"小説家になってもいいんじゃないか"に投稿している小説の内容について。
最近ではもっぱらアドバイザーというか、作品の指揮官の如くなりつつある妹。
こいつは昨夜投稿したそれを昼休みにでも目を通したらしく、歩きながら俺にダメ出しをしてきたのだった。
言いたい事はわかる。だが俺も意図あって書いたそれだけに、黙って頷くつもりはなく反撃を口にする。
とはいえここまで、妹のアドバイス通りに組んだ方がウケが良かったのは確か。
実際自身の書きたいモノを取るか、それとも読者が喜ぶ展開を取るかというのは、天秤にかけてもなかなか選び難い選択だった。
そんな遠慮ないやり取りを交わしながら、俺たちはようやく辿り着いた我が家の扉をくぐった。
既に食事と風呂を終え、欠伸をしながら眠そうにテレビを見る両親に俺は帰宅を告げる。
一方の妹はその間に、買ってきたプレゼントが見つからぬよう、自身の部屋へコッソリとそれを隠すのだった。
「首尾はどうだ?」
「完璧。絶対に見つからない場所に入れたから」
「油断はするなよ。いつの間にか部屋の掃除とかされた時に、うっかり見つけられかねん」
両親の居るリビングから早々に撤収し、俺の部屋で妹と合流。
そこでプレゼント隠匿の状態を確認し合いながら、俺たちは不敵な笑みを浮かべた。
……だが思い起こしてみれば、父親の方は誕生日のプレゼントをあげてない気がする。
先月辺りにあったはずなのだが、その時は家族全員揃って忙しい時期であり、ついうっかり失念してしまったのだ。
明日にでも、また何かを物色した方がいいかもしれない。本気で地味に凹ませてしまう可能性もあるのだから。
「ところで兄貴。懸念が片付いたところで、一つ物申したい」
「どした? まだプレゼントの事で何かあるのか」
「いやそうじゃなくて、お腹空いたなって」
ただそこから俺がPCの電源を入れようとしたところで、妹は不満気な声を発する。
……そういえば食事がまだだったか。
本当なら、買い物帰りに食事くらいして帰ってもいいところ。
ただ給料日まであと数日という、なかなかに懐事情が厳しい時期であるのに加え、今回のプレゼントという出費の追い打ちだ。
それとなく視線を合わせたところ、互いに言わんとしている事が同じであったらしく、俺たちは帰宅し食事を作るという結論へ至ったのだった。
「で、何が食いたいんだ? 具体的に言ってくれれば、材料の許す限りは作ってやるぞ」
「ならばローカロリーな物を所望する」
大人しく買い物にも付き合ってくれたし、ちゃんと代金の半分も出してくれた。
夕飯くらい俺が作っても構わないし、コイツは放っておいたらそれこそカップ麺で済ませかねない。
そこで食べたいものを問うのだが、返されたのは妙に圧を感じる主張。
「……なんだよ、唐突に」
「いやさ、ここ最近ちょっと夜中に悪さをし過ぎだと思うのよ。私たち」
つまりこいつは、ここ最近続く夜食やらによる影響を懸念しているのだ。
俺のように一定の運動習慣がある人間ならともかく、妹の趣味は部屋に篭ってのゲームやマンガ。
インドアオンリーなヤツの身体は、カロリーという劇物にとってさぞ居心地の良い場所に違いない。
今はまだ外見へあまり現れてはいないが、この習慣を1年も続ければどうなることやら。
「つまりだ、陰で豚呼ばわりされる前に手を打ちたいと言うんだな?」
「誰が豚だって? ……まあ、つまりはそういう事」
「運動すりゃいいだろうが。慣れると案外悪くないぞ」
「イヤよ。運動は苦手じゃないけど、汗をかいて頭が蒸れるのが特にイヤ」
妹は最近ちょっと伸びてきた自身の髪を掻き上げ、飄々とワガママを言い放つ。
こいつ学生の頃はそれなりに体育の成績は良かったはずなのだが、当時からひたすらに運動を嫌っていたのだったか。
運動習慣さえあれば、それなりに食べても大丈夫だとは思うのに、そこへ改善策を見い出す気が皆無らしい。
「わかったよ。……それじゃ、なにかカロリーの低いヤツを」
俺は妹の我に根負けし、立ち上がって自身の部屋を出る。
寒い廊下を抜け台所へ行く途中にリビングを覗くと、両親は既に就寝したらしく、シンとした空気と蓄光された照明の光があるだけ。
少なくともプレゼントの存在はバレていないことに安堵し、台所へと立ち冷蔵庫を開く。
ただ冷蔵庫の中身を物色しても、なかなか作る料理のアイデアはなかなか浮かんでこなかった。
「と言ってもな、低カロリーで腹も膨れる物となると……」
「かと言って別々の料理は作りたくない。と」
「当たり前だ。こっちだってそれなりに疲れてるんだ、イチイチそんな面倒な事してたまるか」
低カロリーを求める妹と、空いた腹を単純に満たしたい俺。
そのどちらか一方の欲求に寄せるのなら、ここまで悩む必要はない。
腹が減ったなら乾麺のパスタでも茹でればいいし、カロリーを抑えたいなら炭水化物を控えればある程度調整は効く。
ただその双方を両立させろとなれば、いったいどうしたものやら。
コンニャクや豆腐など、腹もちがよく比較的太り難そうな食材は切らしている。
それに仕事の後に歩き回った疲れから、あまり手の込んだ代物を作りたくはない。例え妹が駄々をこねようとも。
ならば何を主に組み立ててやろうか。
「ならさ、アレはどうよ?」
俺が腕を組んで悩んでいると、妹はハッとし棚の一角を指し示す。
いったいどんな突拍子もない案が浮かんだのだろうかと、俺は疑いの目でそちらを向くのだが、すぐさまその疑念は晴れていく。
目についたその食材が、意外にも悪くないと思えたからだ。
「春雨、か」
「どうよどうよ。なかなかに良案だと思わない?」
「料理が壊滅的にダメなお前にしては、悪くないチョイスだな」
そこに置いてあったのは、乾燥し紐で括られた春雨の束。
なるほど、この手があったか。
グラム計算であれば想像程にカロリーは低くないそれだが、あくまでもそいつは乾燥した状態でのもの。
水や湯で戻せばかなり嵩が増えるため、十分満腹感も得られる。
なかなかに悪くないと思った俺は、すぐさまそいつを手に取り、必要分だけを戻す作業に取り掛かるのだった。
「素直に褒めればいいのに」とのたまう妹を無視し、ヤカンに水を入れ湯を沸かす。
普段春雨を戻す時は水からやるが、今回は時短のためにぬるま湯。そいつをしばし放置しておけばいい。
その間に他に使う食材の準備を進めていくとしよう。
「とりあえず今から言うものを出してくれ。ピーマンとベーコン、ニンジンに玉ねぎな」
俺はまな板と包丁を用意しながら、後ろで暇そうにする妹へ指示を出す。
妹は冷蔵庫に向かい大人しく中をあさるのだが、次げた材料によって作る物の見当がついたようだ。
「がっつりナポリタンの材料ね」
「残ってる材料と、胃の具合を考えるとな。正解した褒美だ、ケチャップを出す権利も与えてやろう」
「ここまで嬉しくないご褒美も初めてだわ……」
妹がした予想は正解だ。
俺が考えているのは、スパゲッティナポリタンの麺を春雨に換えただけの代物。
互いの胃や体形の事情を考慮した結果だが、これが醤油味にでもなれば、たぶん別の料理名に変わるはず。
妹がケチャップを出し横に置いた頃には湯も沸いており、そいつを使って春雨を戻していく。
その間に野菜やベーコンを切り、熱したフライパンに手早く放り込んで、僅かな塩をし炒めていった。
そこからすぐに春雨の水気を切って、適当な長さにカットし一緒に合わせ、最後にケチャップを入れて出来上がり。
ケチャップの焦げた香ばしい香りを立てるそいつを、2人分の皿へと盛る。
俺にはそこそこしっかり、妹の方は気持ちほど軽めに。
一応はナポリタンという立ち位置のため、フォークを用意してテーブルへ移り、手を合わせて遅い夕食を開始した。
一口含むと、真っ先に舌先へ感じるのはネットリとした質感。
玉ねぎやピーマンのサクリとした歯触りに、ベーコンから染み出る脂の旨味。
麺そのものは春雨であるため、かなりアッサリだとは思う。
けれどなんだか子供の頃を思い出す強い後味に、つい口元が綻んでしまう。
「うん、なんだか懐かしい味。食感は随分違うけど」
「どうしても麺が細いから、ソーメン食べてるような感覚になってしまうな。太いやつもあるが、これはこれで食感が違うし」
「味は少し薄目? まあ、今の時間ならこのくらいで丁度いいか」
フォークに巻き付け一口食べる妹。
一瞬どうだろうかと不安になるも、少々食感が異なる点を除けば、それなりに気に入って食べてくれているようだ。
味は少々薄めと感じたようだが、こればかりは仕方がない。
俺も本来なら、ナポリタンはケチャップでコテコテなくらいが美味いとは思う。
けれど今回使用しているのが春雨という、普通のパスタよりもずっと淡白な食材であるのに加え、もうそろそろ日付変更に近付こうかという時刻。
なので今回は、ケチャップ少なめのアッサリ味だ。
「でもさ、ナポリタンと言えばやっぱ"アレ"が要るよね。アレ」
「タバスコか?」
「そうそう。やっぱり大人だし、少しくらい刺激が欲しいっていうかさ」
今の今まで、問題なく食べていたはずの我が妹。
ただモドキとはいえナポリタン。ヤツはそれに欠かせぬ調味料を要求するのだった。
「あとやっぱコレにはビールかなって」
「はいはい。……っていうか腹がヤバくなる主な原因はこっちじゃないのか?」
俺がタバスコを取りに冷蔵庫へ向かうと、妹はついでとばかりに酒を要求してくる。
なんだか上手く使いっパシリにされてる気もするが、自身も呑みたいという欲求に駆られ、大人しくビールとグラスを手にした。
とはいえ言い返してやったように、たぶん妹が体形を気にするようになったのは、主にこいつが原因な気はする。
酒だけではなかなか太らないとも聞く。ただ太る原因は酒と共に摂取する肴、ツマミの類による影響が大きいのだと。
実際のところはどうか知らないが、大抵高い塩分や脂質で構成された肴の類は、体形維持の大敵というのは疑いようがない。
「カーっ! やっぱビールが美味いわぁ。こればっかりは子供の頃じゃ堪能できないわね」
出したビールを速攻で煽る我が駄妹様。
ヤツはグラスの中身を飲み干すと、なんだかオッサン以上にオッサン臭い声で、ビールの爽快感を露わとしていた。
「気持ちはわかるが、ほどほどにしておけよ」
俺は自身もビールを呑みながら、愉快そうにフォークを巻く妹を眺める。
けれど確かに、このナポリタンと酒という組み合わせは、子供の頃には味わえなかった食べ方。
先日の冬瓜のスープもそうだが、大人になって食べるとまた違った楽しみがある気がした。
俺はそんなことを考えながら、空腹の胃にナポリタンを放り込んでいく。
しかし妹は突然何かを思い出しように、嫌な笑みを浮かべ身を乗り出すのだった。
「ところでさ、お兄様~」
壮絶に、嫌な気配を発する妹の猫なで声。
大抵こういった声で何かを言う時は、碌でもないお願いをする時と相場は決まっている。
いったいどんな無茶振りを繰り出してくるのかと、俺はついつい身構えた。
「母さんにプレゼントを贈ることだし、これは私の誕生日も期待していいのよね?」
ニヤリと笑みを浮かべる妹は、大仰に自身を指し問う。
そういえば、母親の誕生日が近いという事は、コイツのそれも近いのだったか。
家族の中で俺だけ夏生まれで、他は全員冬ということもあって、我が家は例年立て続けにこういったイベントが続くのだ。
当然、毎度財布を直撃してきやがる。
特に今年は、こいつが社会人になったというのもあって、母親へ少々奮発したプレゼントを用意している。
父親には忘れていたというのに、それを頭の隅に追いやって、自分には良い物を寄越せと言っているのだ。
俺は期待に目を輝かせる妹の言葉を遮断し、一気にナポリタンを胃へ納める。
そして残ったビールで口の中を洗い流すと、立ち上がり逃げるように自室へ駆けた。
「ちょっ、逃げるな兄貴!」
背後からは妹の不満気な声が響く。
だが寂しくなった財布を思えば、是が非でも誤魔化したいという想いで、俺は聞かぬフリを決め込むのだった。




