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11食目 豆腐と炎のらんでぶー


「そんじゃ、行ってくるわー」



 久しぶりの休日。俺はよれた部屋着のまま、寝惚け眼で玄関に立っていた。

 大きな欠伸をしながら立つ俺とは対照的に、靴を履く妹は舞い上がりそうなほどの上機嫌で外出を口にする。


 いつもはスーツかスウェットなどの部屋着、あとはデニムとシャツなどという格好くらいしかお目にかかれない我が駄妹。

 だというのに今日は随分めかし込んでいて、おまけに普段はまず着ることのないスカート姿。

 スーツでは毎日のように着ているが、それ以外だと去年か一昨年、小学校の同窓会に出席した時くらいのものだ。



「今日は帰り遅くなるから。いや、むしろ帰ってこないかも?」


「……左様か。まぁ程々にな」


「そう言う訳だから、今日は夜食要らないわよ」



 メイクもバッチリだ。

 普段帰宅するなり速攻で化粧を落とし、人に見せられぬすっぴんを晒し続けている妹とは思えない変身ぶり。

 そんな完全他所行きモードとなった妹は、不敵な笑みで"お泊り"の可能性を口にしながら、意気揚々玄関から出て行くのだった。


 俺はそんな後ろ姿へ小さく手を振って、扉が閉まると同時に深い溜息をつく。

 事情を知らぬ人間でもわかる。あいつはこの日、男と会いに外出するのだと。



「(あいつ本当に大丈夫か? まだ1回しか会ったことない相手だろうに)」



 一人残された玄関。ようやく目が覚めてきた俺は、少しばかりの心配になってしまう。

 妹がデートに行くこと自体は問題ない。あいつもいい齢だし、交際相手が居たっておかしくはないのだから。


 しかし問題があるとすれば、相手がどこの馬の骨とも知れないという点。

 妹はつい先日、行きつけにしているカフェで男に声を掛けられたようで、上機嫌で会いに行くのはまさにその相手。

 ようするにあの駄妹は、自身をナンパしてきた男の誘いに、アッサリ乗ってしまったのだ。



「……気にしても仕方ないか。あいつもいい大人だしな」



 そう自身を納得させ、俺は再び欠伸をしながら玄関に背を向ける。

 折角得た休日だ、妹に対し要らぬ心配をしながら過ごすより、自分のため時間を使う方がよほど有意義。


 という訳で、今の俺にとって一番優先度の高い趣味、小説書きという作業へ没頭することに。

 台所で水を一杯飲み、適当に焼いた食パンを一枚口に放り込むと、自室に戻って速攻でPCの前に腰を下ろす。

 今日は丸一日を創作に費やせる。さてさて、どの程度進められるだろうか。




 ついさっきデートに向かった妹のように、俺は意気揚々朝っぱらから執筆に取り掛かった。

 全体像を定め、大まかな流れを決め、いざ準備万端書き連ねていく。

 しかしどういう訳だろう。何時間座っていても、まるで進んでいる気がしない。

 時間が延々過ぎていくばかりで、普段書くペースの半分も出ていないという有様だった。



「誰か、誰かアドバイスを……」



 展開はわかっていても、登場人物たちの吐き出すセリフが浮かばない。キャラクターが動き出してくれない。

 こんな状況では、人のアドバイスがどうこうという次元ではないとわかっている。

 そうは思いつつも俺はつい無意識に、最近ずっと辛辣な意見を飛ばしてくれる、妹の言葉が欲しくなってしまう。


 まさかとは思うが、今の俺は妹に依存してしまっているのでは……。

 自分の作品を書いていると思いきや、妹に流されすぎなのではという不安が首をもたげる。

 とはいえそこを止めるというのも悩ましいところ。なにせ妹のアドバイスを受けて以降、ブックマークが数倍以上に膨れ上がっているのだから。



「とりあえず飯でも食うか。もう夜じゃねぇか」



 気が付けば時刻は既に20時。

 朝に1枚のパンを食べたきりで、昼飯すら抜かして延々悩んでいたことになる。


 父親は数日間の出張、母親は故郷で旧友と会っているため今日は帰宅せず。

 そしてあの妹は、今頃どこぞやの男に口説かれている真っ最中に違いない。

 となればこの家に俺一人。いくら待てど暮らせど、食事が出てくるはずはなかった。


 そこで仕方なしに腰を上げ、適当にインスタントのラーメンでも作るかと部屋を出る。

 だが台所へ向かう廊下を歩いて数歩、突然背後にある玄関が勢いよく開かれ、その向こうから刺々しい声が響くのだった。



「ただいま!!」



 なんだか強く苛立ちを感じる、荒々しい帰宅の言葉。

 誰であるかなど考えるまでもない。こうも感情剥き出しな、不機嫌さが露わとなった言葉を発するのはヤツしか居ないのだから。


 俺は気怠い気持ちで振り返ると、玄関へ立っていた明るい色の服を着たそいつへ挑発的に問う。



「随分早かったじゃねーか。朝帰りはどうした?」


「誰があんなヤツと!」


「……さてはお眼鏡に叶わなかったか」



 玄関に立つのは、当然のことながら我が最愛の駄妹様。

 だがいったいどうしたのか、上機嫌で出発した朝とはうって変わり、怒りという文字が顔に張り付いているかのようだ。


 一応問うてはみるが、聞かずともデートが上手くいかなかったのが明らか。

 どうやら相当相手への不満を抱えているらしく、苛立ちの矛先を向けんと俺を凝視していた。

 正直そればかりは勘弁してもらいたいところだと思いつつ、聞きたくなくとも渋々事情を問う。どうせ自分から話そうとするだろうし。



「もう最悪。夕ご飯を食べた後で、もう少し店でも見て周ろうかって話してたら、強引に引っ張っていかれてさ」


「引っ張っていかれた? ああ、そういうことか」


「なんで知り合ったばかりでよく知らない相手と、ホテル行かなきゃいけないのよ! ぶん殴って逃げ出して来たけど」


「まぁ……、それは災難だったな」



 声を震わせ怒りを露わとする妹の言葉に、俺は肩を落としながら相槌を打つ。

 ようするに今回誘ってきた男、コイツと交際する気などまるでなく、最初から身体目当てだったのだろう。

 そして手っ取り早く目的を果たすべく、気を許した頃を見計らい不埒な行動に出たようだ。

 おそらくそういった方面に免疫のない妹にとって、それは酷くショッキングだったに違いない。


 少々可哀想にも思う。だがそういう相手と見極めぬ内に、お手軽にデートへ持ち込まれたのはコイツ自身。

 なのである意味では社会勉強になったろう。ちゃんと未遂に終わったことだし。



「これに懲りたら、誘いに乗る相手くらいちゃんと見極めろよ」


「なら具体的にどうすればいいってのよ。兄貴はさぞ経験豊富なんでしょ、是非ご教授願いたいところね」


「生憎と俺の経験はそう安くないもんでな。教えて欲しけりゃ相応の対価を払って貰わんと」



 などと言いつつ、俺は背を向けて台所へ歩く。

 実際には妹よりは若干マシだが、そんな偉そうな事を言えるほど、特別経験豊富ではないからなのだが。


 ともあれ今のコイツには、少々気分の落ち着くような物でも食わせてやれば良さそうだ。

 もう夕食は済んでいるようなので、俺の食事は後にするとして、先にそちらを作ってやってもいいかもしれない。


 そこで妹を引き連れ台所へ入ると冷蔵庫を開ける。

 ただ作る物自体はとっくに決めており、安売りしていた木綿豆腐を冷蔵庫から取り出す。

 そいつを取り出して水を切り、適当な大きさに切って皿の上に乗せた。



「……傷心の妹を労わるんだから、もうちょっと手の込んだヤツを作ってもいいんじゃないの。いや、好きだけどさお豆腐」


「冷奴は俺も好きだが、誰がこのまま食うなんて言った」



 何気に兄妹揃って味覚が似ているのだろうか。普通に皿へ持っただけな豆腐が、既に十分美味そうに思える。

 この上に鰹節やおろし生姜でも乗せれば、十分酒の肴として満足させてくれそうだ。

 けれど今回は冷奴ではなく、荒んだ精神を解けさせる温かな物を用意するつもり。

 俺は皿に移したそいつをおもむろにレンジへ入れると、適当な時間を設定し稼働させるのだった。



「……豆腐をレンジ?」


「こうすると水分が抜けてくれるんだよ。母さんも豆腐を炒め物とかに使う時はやってるぞ」



 過去に見たことのない工程であるのか、妹は怪訝そうに熱される豆腐を凝視していた。

 ゴーヤチャンプルーなどをする時などで、豆腐を入れる前にこれをやったりするのだ。

 重石でもして置いておけば水分は抜けるが、そうしておくのもまた面倒だし、時間が無い時などはこれで十分。


 豆腐の水分を抜く間に、冷蔵庫からシメジを一株取り出し石突きを落とす。

 そして熱しておいたスキレットに薄く油を敷き、解しながら入れて炒めていった。

 ほどよく火が通ったところで、炒めたキノコをスキレットの隅に寄せ、レンジで水分を抜いていた豆腐を中心に放り込む。

 手で適当にほぐしながら。



「ちょ、なんでわざわざ……」


「この方が"らしい"からな。普通に切ったのを乗せたんじゃ、面白味がない」



 乱雑に手で分けた豆腐を乗せたことで、またもや困惑の表情を浮かべる。

 そんな反応は横へ置いておき、熱された豆腐の上に塩を振ると、パン粉とパセリを合わせた物や粗挽きの黒胡椒を振りかけていく。

 これでほぼ完成に近い。けれどもう少しばかり手を入れるべく、俺は棚からある器具を取り出した。



「マジか」


「マジだ。カッコよかろう?」


「いや、カッコイイかどうかは知らないけど……。ってかいつの間にそんな物を」




 取り出したそれに、妹は感嘆の声を漏らす。

 視線の先に在るのは、卓上用ガスボンベとその先に取り付けられた器具。家庭用のガスバーナーだ。



「クリスマスのプレゼントで職場の後輩にもらった。前々からなんとなく欲しかったんだが、自分で買うには踏ん切りがつかなくてな」


「……もしかして女の子?」


「一応な。妙に良いヤツでな、クリスマスは休みたいだろうに率先して出勤してくれた」



 以前より密かに、使ってみたかったこのガスバーナー。

 別段そこまで高くはないが、買ってもちゃんと使っていくかどうか定かでなかったため、これまでは手を出さずにいたのだ。


 そんな話をしばらく前、件の後輩としていたのだが、どうやら向こうは覚えていてくれたらしい。

 年末の25日に出勤した俺へ、その後輩は普段世話になっているという理由で、このバーナーをプレゼントしてくれたのだった。

 小生意気なのが多い後輩どもの中、実に素直な良い娘さんだと感心するばかりだ。



「もちろん礼はしたぞ。年明け後ではあるが、ちょっと良い店に行って夕食をご馳走した」


「で、食事を終えてそのまま帰ってきたと」


「当たり前だろ。翌日も仕事があったんだから」



 俺はバーナーを点火し、パン粉へ向け遠目に焦げ目をつけていきながら話す。

 途端に立ち昇るパセリと黒胡椒、そして焦げの香り。

 しかしそんな食欲そそる香りに反し、妹の反応は妙に渋かった。



「……まぁ、兄貴がいいならそれでも」


「なんだよ、歯切れの悪い」


「べっつにー! それよりホラ、出来たなら早く食べようよ」



 なにやら妙に意味あり気な態度を取る妹に向き直るも、大きな溜息をつくばかり。

 ヤツはそそくさと鍋敷きと取り皿を置き、早く夜食をと急かすのだった。


 なんだかよくわからないが、確かに非常に簡単ながら夜食が完成しているのは確か。

 俺は別で沸かしておいた湯を耐熱のカップに移し、取り出したシソ焼酎を注ぎ入れ、妹が待機するテーブルへ。

 そこで手を合わせると、木製のスプーンを早速豆腐に伸ばすのだった。


 スプーンへと伝わる、サクリと刺さる感触。

 口へ運ぶとパン粉の焼けた固い食感と、程ほどに水分が抜けたことで密度ある豆腐の柔らかさが、丁度良い食感となって広がる。

 鼻からはパセリと黒胡椒の香りが抜け、そこにシソ焼酎のお湯割りを流し込むと、複雑に混ざり合って脳を蕩けさせるようだ。



「ああ……、良い香り」


「外が寒いだけに、酒が温かいってだけで十分ご馳走だが、湯割りにすると焼酎の香りが立って特にいいな」


「私シソって好きなんだよね。なんだか落ち着く」



 ほう、と温まった息を吐き出す妹。

 焼酎に溶け込んだシソの香りが、出くわした男との件でささくれ立っていた精神を解していったようだ。

 それによって食欲が増してきたのか、妹はスキレット内のシメジを笑顔で口に運んでいく。


 俺ももう一口、焼酎の湯割りを呑む。

 和らげられたアルコールの強みと、精神の棘を抜いてくれそうなシソの風味に癒される。

 俺もまたそんな心境になっていると、妹は酒を置いてテーブルに頬杖突き、どこか沈んだ調子で呟くのだった。



「私……、焦りすぎだったのかな」


「たぶんな。気持ちとしちゃ理解できる、俺も似たようなもんだし」



 ここに至って、易々と男の誘いに乗ったことを心底後悔し始めたらしい。

 たぶんこいつは、基本的に色恋に臆病な類だと思う。兄貴の俺がそうであることだし。

 なのできっと普段であれば、もっと誘いを受けるかどうか慎重に考えたに違いない。

 なのに今回易々と受けてしまったのは、案外日頃俺が挑発し続けていたせいもあるのかもと思えば、少し悪いことをしたように思えてしまう。



「でも兄貴は何年か前に彼女居たじゃん。すぐ別れたけど」


「いや……、なんていうか付き合ってみたら、これがまた相性最悪でな……」



 とはいえ妹も沈んだままでいる気はないようだ。

 突如として矛先を俺の方に向け、ニヤリと笑んでからかおうとする。


 確かにコイツの言うように、今でこそ独りを謳歌する俺も交際相手の居た時期が存在した。

 ただその相手と言うのが少々気が強いというか、この妹とは比較にならないほどの癇癪持ちであったのだ。

 独占欲もやたら強かったのもあって結局別れたのだが、それに気付いたのは付き合って以降。



「知ってる。私もあの人少し苦手だったし、別れてくれてちょっと安心したもの」



 けれどそんな相手を、妹もあまり好ましく思っていなかったと見える。

 なにやらちょっとだけ嬉しそうにも見える表情で、別れたことをさも良い話とばかり口にしていた。



「もう少し、ゆっくり相手を選んでいいかもな。お互いに」


「そうする。でも兄貴は急いだ方がいいかもね、もう世間じゃオッサン扱いされる頃だし」


「うっせぇよ。そのオッサンが独り身で喜ぶような妹に言われたくはない」



 軽口を叩く妹と、それを打ち返すべく同じく軽口を放つ兄貴。

 けれどそんなのもまた好ましいようで、今夜の妹は酒を手にカラカラと笑い、今度はデート相手となった男の気に入らない点を挙げ始めるのだった。



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