善の定義はあるべき姿を教えてくれる
私たちは愛とは何か、幸せとは何か、平和とは何か、などなどいろいろと考えますが、やはりそれらは本当の愛、本当の幸せ、本当の平和でなければなりません。いい加減なものであってはならないのです。「本当の」とは間違いのない、真実の、絶対的に正しいという意味です。つまりこれらにも「正しい、つまり公の為」が含まれるのです。ですから愛の意味には公の為、思いやりが含まれていなければなりません。幸せの定義にも思いやりが含まれていなければならないのです。平和を築くにも公の為、思いやりがなければ本当の平和は築けないのです。民主主義の正しい在り方にも公の為、思いやりがなければ本当の民主主義国家とは言えないでしょう。
このようにすべての善い言葉にはやはり「公の為、思いやり」が含まれているのです。歌や芸術も、もちろん政治も経済も、権利や自由、人生などの意味にも本来「公の為」が含まれていなければ、それは正しくないのです。日本の漫画、アニメが世界中で愛されています。それはなぜか?勿論それは日本の漫画、アニメに思いやり、正しいとは何かを世界の子供たちが感じ取っているからでしょう。
世界人権宣言なども非科学的なキリスト教思想を基礎に作られたものですから、まがい物です、まがい物では必ず弊害が出ます。ですから世界人権宣言なども善の定義など絶対的に正しいものを基礎にしたもので新しく作り変えなければならないのです。
このように善の定義を知れば世の中の本当の正しい在り方が見えてくるのです。心に関する社会問題で絶対的に正しいことは「公の為であり、種族(民族)保存」なのです。これ以上に正しいことはないのです。全てはこの為にあるのです。
そしていろいろな社会的問題も全て公の為、種族(民族)保存に関係しているのです。憲法改正も消費税の問題も核問題も今回のモリカケ問題やラクビー問題も全て「公の為、みんなの幸せの為、種族(民族)保存の為」なのです。ですから、それらの問題を考えるときには常に「それは公の為、種族(民族)保存の為なのか?」と初めに考えることが大事なのです。
皆さん、善の定義を理解できれば世の中の本当のあるべき姿が見えてくるようになるのです。