第一話 彼は男だけど、時々女になるそうだ
凪川高校二年B組の学級委員である柳沢ヒカルは、担任から回収してこいと言われたプリントのチェックをしていた。
クラス名簿とプリントの名前を交互に見て確認する作業を終えると、三人、プリントを提出していないクラスメイトがいることが判明した。
大島遥と香流裕也と竹澤薫の三人だ。
大島と香流はプリント未提出の常習犯であるため、ヒカルも半ばあきらめていたが、竹澤が未提出とは珍しい。
前者二人よりはすんなり提出してくれるのではないかと思い、竹澤の席に目を向けた。本人不在。
トイレにでも行っているのだろうか?
仕方なしに、教室内にいる大島にターゲットを変更する。
大島は一昔前のギャルといった風貌で、ガングロでケバケバしい化粧に白く脱色された髪の毛はこれでもかというくらいにカールしている。
そんな彼女は椅子にもたれつつ、これまた派手なネイルをしてスマホを弄っていた。
「大島さん、今日提出のプリントなんだけど今持ってる?」
「ああ、ごめん。家に忘れてきちゃってさぁ。明日持ってくるってセンコーに伝えといて」
「ちゃんと持ってきてね」
「はいはい」
すべてスマホを弄りながらの会話だった。少しはこちらに意識を向けられないのかと苛立ちつつも、表には出さずにいた。スマホの先は見なくても分かる。
(どうせ、私の悪口でもSNSか何かでぼやいてるんでしょ。知ってるのよ。そんなことくらい)
ヒカルは次に香流を探した。教室に彼の姿は見当たらない。
「とすると……」
ヒカルは思いあたりのある場所へと向かった。
向かった先は、校舎裏の掃除ロッカー付近だ。予想通り、香流が他二人の男子を引きつれて、一人の少年を追い詰めていた。
その少年は竹澤で、なるほど、竹澤がプリント未提出な理由も頷けた。
「おい、竹澤テメェよぉ」
香流は丸太のような太い腕で竹澤を壁へ押し付けると、鷹の目の如く鋭い瞳で彼を睨みつけた。
「三人分のプリントやってこいって言ったよな?」
「で、でも、自分の分で精いっぱいで……。それに、こういうのは自分でやるべきであって……」
「口答えすんのか? ああ?」
これは完全に恐喝だ。虐めっ子と虐められっ子の典型的なパターン。
ヒカルはこのような場面を何度も目の当たりにしてきた。
そして、ヒカルは香流と竹澤の間に割り込もうとした、その時。
「やめてよ!!」
唐突に女性的な声が聞こえた。それも、竹澤の口から。
一同は肝を抜き、香流はその不気味さに驚いたのか手を引き、一歩退いた。
ヒカルもまた、あっけに取られ、その場に佇んでいた。
竹澤は今までの気弱な態度から一変して、強気な女性が憑依したように、威勢のある声で言った。
「やっていいことと悪いことがあるでしょ! 自分でしっかりやりなさいよ!」
竹澤は三人分のプリントを丁寧に一人ずつ突き返した。そして、相手を見下ろすような目つきをしてその場を立ち去って行った。
ヒカルが未だ状況を理解できず固着していると、香流たちが腹を抱えて笑いだした。
「だーっはっは!! なんだよ今の、ウケる!!」
「なーにが、『自分でしっかりやりなさいよ!』だ」
「オカマだったのかよ、アイツ!」
そして、三人はポケットから携帯を取り出す。オカマをネタに、再び彼を虐めるつもりだ。
(あいつら……!)
下手をすれば全校生徒にバらされかねない。そうなると、竹澤は学校に居場所がなくなるのも時間の問題だ。最悪、それを苦に自殺する可能性も大いにありうる。
「ちょーっと、そこの三人組?」
ヒカルの背後から男の声がした。振り返るとそこには保険医の森康人がいた。
森は白い棒状のものを咥えながら、香流たち三人にゆらりと近づいた。
白衣を着たやたらと背の高い彼は、不思議と人を威圧する力があり、三人組は思わず息を呑む。
そんな三人組にお構いなしに、森はスマホを操作し、画面を三人に見せた。
「これ、さっきのキョーカツしてるとこの写真」
「なっ、いつの間に……っ!」
香流はさっと顔を蒼白させた。取り巻き二人組も冷や汗をかき、心配そうな表情で香流を見つめている。
森は淡々とした表情で語っていく。
「香流は確か、生まれたばっかりの妹がいるんだったよな?」
「うっ」
「お前は確か、両親が貧乏でお勉強頑張って此処に入学したんだったよな? んで、お前はお祖母さんが実家暮らししていていつも楽しみにしてる」
「な、なんでそれを……」
三人はガタガタ身体を震わせて、森を見上げた。森はにやりと口角を上げて三人を見下ろした。
「この写真が拡散されたら、御家族はさぞ悲しむだろうなぁ?」
「……くそっ。一体何が条件だ」
「簡単なことだよ」
森は自分よりも体格がいいであろう香流の肩を掴み、息がかかるほど顔を近づけて低い声で述べる。
「竹澤のさっきのオカマな発言は忘れろ。そして、絶対、他言するな。もし言ったら、そんときは……」
まるで、死神に鎌をつきつけられたかのような声色に、香流の顔は紫色に変わり、がちがちと歯を鳴らす。
「わ、わかった。のむよ」
「本当だな?」
「おう。お前らも、だよなっ!?」
「お、う。もちろんだ」
「お、男に二言はねえよ」
「なら、よし」
ぱっと手を離すと、ようやく解放された安堵感からか脱力し、香流はよろよろとふらついた。
たった、数秒間が彼にとっては何時間にも及ぶものだった。それほどに、森の声色は恐ろしかったのだ。
ヒカルはその様子をしばらくの間、眺めていたが、香流が例のプリントを提出していないことを思い出し、彼らに駆け寄った。
「香流くん」
「ゲッ、委員長!」
香流は再び顔を青く染めて、ヒカルを見た。
「さっきの見てたよ。どういうこと? 竹澤君に任せてたわけ?」
「それは……、あいつが俺がやるっていってたから……」
「嘘ばっかり。しっかり自分でやったもの提出してね」
「う……、わかった。てめぇら、行くぞ!」
香流は取り巻きを引き連れ、校舎裏を離れて行った。
ヒカルはふうっと息をつき、竹澤の行方を探そうとしたその時、森に肩を掴まれた。
「お前も、さっきの見ちまったよな?」
冷たい声だった。背中越しでもわかる、背骨に氷を押し付けられたようなひんやりとした声。
口封じされるのかと怯えていたヒカルは、恐る恐る振り返ってみた。
すると、意外にも困ったような表情をして、後頭部を掻いていた。
「ま、お前にならいっか」
森はそう言うと、周囲に誰もいないか確認をした後で、こそりとヒカルに耳打ちをする。
「あいつはな、二重人格者なんだよ」
「二重、人格者?」
「そ。それも、別人格は女だ」
「女の、別人格……」
二重人格。ドラマや漫画などでは良く耳にする単語だが、こうして現実に耳にすることになろうとは。
しかしながら、ヒカルは特別に拍子抜けするようなことはなかった。
森は肩を竦ませてみせ、くるりとヒカルに背中を向けた。
「じゃ、俺は仕事があるんで。クラスメイトを探してきな」
「は、はい!」
ヒカルは竹澤の探索に取りかかった。
探索時間は一分もかからなかった。花壇近くのベンチに腰掛け、頭を抱えている所を発見したためだ。
「ああ、やっちゃった。いつの間にかこんなところに来てるってことはまたルカが何かやらかしたかしたんだ。なんであんな最悪なタイミングで出てくるかなぁ。ああ、どうしよう。もうおしまいだ。サヨナラ。オレの平和な高校生活」
「なにぶつくさ言ってるの?」
「うわあああっ!!」
竹澤は隣に座っていたヒカルの存在に気付くと、飛び跳ねるように身体をのけぞらせた。
「い、委員長?」
委員長が自分に何の用だろうか? と竹澤は思いつつも一つ思いあたる点があり、頭を下げる。
「ごめん、プリントだけど。オレの分だけうっかり忘れてきちゃって……。明日持ってくるよ」
「そう、先生に伝えておくね」
「ありがとう」
二人の間に乾いた風が吹いた。
竹澤は用事が済んだのにこの場から去らない彼女を不思議に思い彼女を一瞥する。
「竹澤君ってさ」
「は、はい?」
「二重人格、なんだってね。それも、片方は女性の」
竹澤は肝を抜いた。一瞬、心臓が止まるかと思ったほどだ。
「どど、どうしてそれを」
「森先生から」
「先生……」
竹澤は彼が自信を裏切ったのかと思ったものの、彼女の表情から察するにどうやらそうでもないらしい。
「私は他の人に言ったりしないよ。それに、変だとも思わない。だってーー」
ヒカルはそこで言葉を切ると、言うか言わないか逡巡した後に口を開いた。
「私の方が変なんだもの」
「え?」
「今はまだ、言えない。ちょっと言うのに勇気がいるから」
ヒカルは竹澤の手を掴むと、ぐっと力を入れた。
「だから、私は君たちの力になりたい。いいや、君たちの――友達になりたいな」
竹澤は目を大きく見開いた。こんな自分をこんな真摯な瞳で受け入れてくれる人は両親以外にはいなかった。
ぼろぼろと両目から大きな涙が溢れ出す。竹澤は腕で止まらない涙を拭いながら頷いた。
「ありがとう、ありがとう委員長」
「委員長なんて呼ばないでよ」
「ああ、友達にそう呼ぶのは失礼か。それじゃ、ありがとう。ヒカルちゃん」
ヒカルはぽっと顔を赤くさせた。まさか、名前の方で呼ばれるとは思わなかったのだ。
両頬をに手を当て、熱を押さえこんでいると、隣から女性的な声がした。
「あれれ? ヒカルちゃんってば意外に初心?」
ヒカルははっとして顔を上げ、隣にいる竹澤を見た。竹澤は普段の怯えたような表情からは想像もつかないような意地悪げな笑みを浮かべていた。足を組み、ヒカルの顎に指を添えて近づく。
「アタシに惚れちゃったかしら?」
「!」
「なーんてね! あははっ、反応いいなぁ。可愛い」
ぱっと手を離して軽快に笑う竹澤に、馬鹿にされていたのかと怒りと羞恥で顔を赤らめていると、竹澤はヒカルに手を差し出して言った。
「アタシはルカ。薫の別人格ってことになってるわね。よろしくね」
「うん、よろしく」
ヒカルは差しだされた手を握り返すと、ルカはそれが初めてだと言わんばかりにぶんぶんと振ってみせた。
こうして、ヒカルは竹澤の秘密を知り、友人になったのだった。
「あっ、先生にプリントの報告しに行かないと!」
「アタシもついてくわ!」
「ごめん、薫に変わってくれる?」
続く