質疑応答してみるけれど……
「それで、許されると思ってるの?」
渡り廊下を渡りながらも一言も発せずにこちらを冷たい目で見ていたオクサナは、彼女の部屋に2人で入って座る間もなく開口一番に言い放った。
「おばば様にした説明じゃ足りなかったか?」
「私はおばあさまの前ではお人形さんなんだから、本音は言えないの。キタタダオも分かってるでしょ。もう一回本音でやり直すわよ」
「俺はキタタダオじゃなくてこっち風に言うとタダオ・キタだからな」
「私にそう言うのはいいけど、他の人間にそれ言っちゃだめよ。あなたはトゥリェーチィの再来なんだから、名字なんてないことになってるからね。だから私もキタタダオと呼び続けるわ。変えたかったら私にあなた自身を認めさせてみなさい」
そう言うと彼女は尻尾の部分に穴を開けてある特注の椅子に座って勝気な目と楽しそうな顔、不安そうに少し揺れる身体と尻尾で忠男を見つめた。
忠男の前でだけお人形さんであることをやめた彼女は、感情を良く表すように顔と身体、特に尻尾と耳を大きく動かして心の動きも逐一知らせようとしているようで、忠男はそのことに優越感を抱いていた。それは一方通行な気持ちではなかった。忠男と彼女は2人互いに誰も知らない秘密を共有した仲になっていた。彼女だけが忠男が異世界から来たということを知っていた。
「よし、じゃあもう一回行くぞ。まず、女だけの5人組を自由につくってもらう」
「でも私は自由につくれないんでしょ」
「それは政治的なものが関わるからな。お前とおばば様の光の巫女、次に人魚で水の巫女のクレール、それと森人で土の巫女のミーネ、最後に兎獣人で風の巫女のリュボフ、これで5人組をつくってもらう」
光の巫女、覡はトゥリェーチィ(帝国)での公式の役職の名称であるが、他の巫女、覡は公式の役職ではなく、慣用表現として精霊の加護の運用に優れていてかつ人望のある者が呼ばれるものだった。単に精霊の加護の運用に優れている者は勇者と呼ばれた。
「綺麗どころばかり集めて、最後の兎獣人なんてこの町の住人じゃないでしょ」
オクサナの尻尾が主人の不安と疑念を伝えるようにさっきから少しだけ動いている。
「巫女さんたちが綺麗なのは俺の責任じゃない。リュボフが風の巫女であることは自称だけで確認できなかったが、少なくても風の勇者は名乗れるだろう腕を持っているし、向こうからこっちに来てて回帰派の学院の知識を期待できるから何とかして口説き落とした。向こうもトゥリェーチィの再来に興味があるらしい」
リュボフ・エフセエフは回帰派の学院に所属しているが、社会学の研究と好奇心を満たすためにこっちに来ていた。一般的な教育機関はともかく学院のように専門知識を扱う研究機関は回帰派にしかない。ただし人魚たちは議論好きで時間があるので哲学の分野においてはトゥリェーチィ(帝国)側は勝るとも劣らない状態である。
「へぇ、すごいわね。それで、それから詐欺を働くのよね」
彼女は忠男を皮肉ったが、声は笑っている。
「詐欺と言うな。それから5人組を男性の手持ち硬貨が多い人間から自由に選ばせて、その人間の奥さんとして扱う代わりに生活費を払わせる取り組みを実行する前に、おばば様が町の為に貯めていた硬貨を俺がもらって1番の選択権を確保する代わりに、これから俺が稼いだ硬貨の7割を俺の奥さんたちの資産とする契約を結んだだけだ」
「でも5人組の財産はその人間の間で共有するって言ってたから、おばあ様は払い損になるんじゃないの?」
「それはそのメンバーの間で話し合って決めてくれ。ただ財産権の保護としては5人組として一括で扱うとしているだけだからな。それにどうせそれからやる事業を考えたら、おばば様も儲ける計算になってるぞ。繰り返しになるが、お前たちの5人組にゲオクミリ会(仮称)を設立してもらって銀行業務と商品の製造業をしてもらう。銀行ではハーレムの更新時期に設定した半ヵ年を期限とした定期預金に対してとりあえず6パーセントの金利をつけることで、デフレに持ち込む。デフレが何かの確認はいるか?」
「今日より明日、明日より明後日に、商品の価格が下がっていくからみんな本当に必要なものだけ買って商品の価格が底に着くのを待ちあうことによって、より価格が下がっていって雇用が減少していく現象で合ってる?」
彼女は自信なさげに答えたが、その答えが合っているかどうかだけが不安の原因ではなかった。
「今はそんな感じだとだけ理解してもらってればいい。森人と人魚は生きていくだけなら硬貨なしで食べ物をつくって生きていけるから罪悪感なしで実行できる。こっち側では魔獣を倒して加工できないから新硬貨の製造が止まっているし、そもそもあっち側との貿易商品がないことが独立の原因のひとつなんだから向こうから新しく硬貨が流れてくることもない。だから6パーセントの金利をつければそれに勝る投資はないはずだから、こっち側の硬貨の大部分を集められるはずだ。そして集めた硬貨を増やして返すために商品の製造業に手を出す。これに成功すればトゥリェーチィ(帝国)での独占産業として帝国を牛耳ることになるだろうし、そうなってもらわないと困る」
「さっきも聞いてて思ったんだけど、それほんとに成功するの?確かにあなたは火の精霊のトゥリェーチィだけど、商品を製造するためには技術力が必要で、だからこそそれぞれの会が必死になって製造情報を秘匿していたと聞いてるんだけど?」
普段の彼女は会話の主導権を握っているのだが、今日はどうしても質問ばかりすることになってしまっている。
「確かに俺だけでは商品をこの作戦で必要なだけ作ることは出来ないだろうな」
「じゃあ。駄目じゃない」
と言いつつ、彼女は耳をピンと立てて次の言葉を期待した。
「そう、だから俺が作るんじゃない。向こうにある商品を買ってくるんだ。手元の硬貨を使って武装交易を始めようと思う」
「そんなことほんとにできるの?」
会話が始まってから初めて、彼女は期待を伴った不安を表していた。
「ああ、リュボフが向こうからこっちに来てる以上は行き来は出来る。あとは採算が合うかどうかだ。そもそもこっち側の総硬貨枚数は増えないから、全額預けられたら何をしても硬貨そのものを増やさない限り、返せなくなるからな。魔獣から硬貨を製造する博打を始めるよりは武装交易を成功させる博打を打った方がいい。こっちには勝算があって、だからこそリュボフを口説き落とせたんだ」
硬貨の発行はそれぞれの会が倒した魔獣から独自で行っているので、硬貨を作ること自体には制限がかからないが、流通させようとすると信用を担保することが難しい。
「勝算って?」
彼女は交易の可能性に目を輝かせて先を促した。
「こっちに来て火の精霊の力を使えることを確認した時に、俺が母さんと海まで実験しに行ってきたのは覚えてるだろ?行きは水路を母さんの背に2時間揺られてずぶぬれになって大変だったが、帰りは船で帰ってきて騒ぎになったやつだ。その時に海で魔獣を狩れるかどうか試してみたんだが、ディアブル・グランの等級には会わなかったけれどディアブル・ミディやディアブル・プティは問題なく狩れた。それで取れた素材はこっちでは使い道がなかったから蒸気機関をつくれないか試してみたんだが、俺とクレールが入れば実用的に動かせるものが出来たんだ。こんなにすぐに実用化できたなんて魔獣の素材の凄さとリュボフ、ひいては学院の技術力の高さを感じたよ。帰ってきたときの船は水路のサイズに制限されて小型だったけどミーネに協力してもらってつくった大型船でも動かせたから量を運ぶことも出来るし、リュボフによると俺が狩った魔獣の素材は向こうでも学会や産業に売れるモノらしいから。あとは交易ルートを探してディアブル・グランがいても問題ないかを確認するだけでいい。……おーい、聞いてるか?」
目の輝きも不安と疑念を伴う身体の動きも消えて、彼女はお人形さんに戻った。ただし怒りを抑えきれていないお人形さんだったが。
「……何よ、母親連れて美人とデートしてきて、さぞ楽しかったでしょうね」
彼女の声は平静であるように聞こえたが、冷たさと激情が見え隠れしている声だった。
「そんなんじゃない。実験する必要があって協力してくれた巫女が偶々美人だけだっただけだ」
「でも、私に一言も、言ってくれなかったじゃない!私たちは何でも秘密を共有するパートナーじゃなかったの?それがこんな大事なことを、おばあ様の前で初めて聞かされるなんて!」
彼女は立ち上がって忠男を抱きしめながら言った。顔はくしゃくしゃに歪んでほとんど泣き出しそうだった。
「おばば様は薄々気付いてるのに、お前は気付かなかったのか?おばば様は俺がこっちに来てからの俺とお前との会話以外の俺のことは全て調べているはずだ。そして気付いたはずだ。俺が陸の開拓ではなくて海を開拓しようとしていることを。そもそも陸はすぐ向こうに回帰派の領土があるんだから、開拓するとすぐ向こうにばれる。そしたら最悪戦争で、良くても緊張状態は避けられない上にそれ以上先には行けない。だから競合相手のいない海を進むしかない。そして開拓の為には人数が必要なんでそのためにデフレに持ち込んで雇用を減らした分をこっちで投入できるようにするし、おばば様が町の為に貯めていた硬貨を俺にくれたんだ」
「それは、言わなかった理由じゃないでしょ!相手が気付いてても、気付いてなくてもパートナーには自分で言うべきなの!それにハーレムなんて必要ないじゃない!私はキタタダオがハーレムをつくろうとしたことよりも、それを素直に言ってくれなくて、政治的理由で正当化しようとしてることに怒ってるの!」
言いながら彼女は忠男を痛みを感じるほど強く抱きしめたので、忠男は自分の小さな意地を通そうとしたことを後悔して、ある決心をした。
「あー、まだ言いたくなかったんだが、これで気付いてないならしょうがない。海を開拓しようとすれば必然的にだんだん長距離を移動するようになっていくからどこかに中継点となる陸地が必要となって、それは回帰派と衝突しない海の向こう側である必要がある。そしてそこには結界が張れる光の巫覡が必要となって、その光の巫覡はそこから動けなくなるばかりか海で隔てられているから、こっちのようにどこでも水路で繋がっていて高速移動出来るので故郷の人間に気楽に遊びに来てもらうというようなことは出来なくなる。何より旅路の途中に魔獣が出るから、友達が会いに来た結果として死んでしまうかもしれない。お前だっておばば様にいつか会えなくなることは覚悟してただろうけど、友達にも会えなくなるかもしれないことは覚悟してなかっただろ。だからいい場所を見つけた後に聞くつもりだったんだ。陸地を見つける前も、陸地を見つけた後もそばにいて俺を支えてくれますか?」
「ぇ、この流れでそれを言う?……もちろん支えます。それで、何でハーレムがいるの?正直に白状しなさい」
彼女の顔は泣き笑いしていたが、耳と尻尾はそれではごまかされないぞと意思表示をしようとして、あまりの喜びに失敗してしまっていた。
「陸地を見つけるまでにいつまでかかるか分からなかったからだよ!陸地を見つけるまでは言うつもりはなかったし、それより先に独占産業として成功した上にトゥリェーチィの再来が会長だ何てことになったら、間違いなくトゥリェーチィ(帝国)の上層部が婚姻政策を仕掛けに来るだろ。それをやられたら俺には断れないから、俺は向こうの指定した人間と結婚することになるけど、その後にお前が俺についてきてくれたらお前は間違いなく妾扱いされるぞ。そんなの嫌だろ。だから政治的および経済的理由でハーレムをつくったけど半ヵ年更新でお前に断られたらお前が抜けられるようにして、手持ち硬貨が多い人間から選択権を与えることでデフレ傾向を維持しつつ働く意欲を掻き立てて、これを女たちが受け入れられるように5人組側に性交を拒否する権利も設定して浮気も認められるけど親権は名目上の父親に行くように決めて、ついでに俺の奥さんたちの5人組に銀行業務と独占産業を経営してもらうことでそっちと交渉するように誘導するようにしたんだ」
「陸地を見つける前に言えばいいじゃない!」
彼女はハーレムを抜けられる選択肢を与えられていたことに彼女の意思を尊重してくれたという思いよりも、彼女を疑っていたのではないかと感じて怒りを再燃させた。
「お前に決意させるのに、その後延々と見つからなかったらかっこ悪いだろ!」
「その間中、黙っていられる方がいやよ!他の女にはついてきてくれって言ったの?」
言ってないって言って欲しいけど、そう言われても信じられなくて結局より強く怒るなという感じを忠男は彼女から感じたので、少しためらってから正直に言うことにした。
「……クレールとミーネには言って、リュボフは向こうからついてくるって言ってくれた」
「信じらんない!私が最後なうえに、キタタダオはずっと黙ってるつもりだったなんて!」「お前は特別だろ!他の人間はついてきて嫌なら帰れるけど、お前は結界を張りつづけなくちゃならなくなるんだから!それに武装交易も海の開拓も彼女たちの協力が得られなければ無理なんだから、先に確認するだろ!お前には安全なところにいて欲しかったんだよ!」
彼女は自分が特別であることは嬉しく思ったが、それは彼女の求める在り方ではなかった。宝石みたいに大事にされて箱の中に入れられたくないのだ。それが愛情だったとしても。
「それで死なれたら、私どうしたらいいのよ!死ぬときは一緒よ!いい?キタタダオ。今度から何かしようと思ったら必ず私に言って。かっこ悪いところを見せたくないと思ってくれるのは嬉しいけど、そのために隠し事をされることの方がずっと悔しいから。2人で一緒に歩んでいきたいじゃない。で?綺麗どころのハーレムを持って嬉しい?」
結局彼女が忠男に答えて欲しいことを忠男は答えてくれないので、彼女はいよいよ直球で聞いた。つまるところ彼女の心配は今の2人の関係を別の女に持っていかれてしまうことを恐れていたのだ。
「そりゃ俺だって男だから嬉しくないと言ったら嘘になるが、実際は仕事上の仲間に過ぎないだろ。俺はもう自分のこととお前で手一杯だから、気にしてる余裕なんてないさ」
「ふーん、今はそれで勘弁してあげるけど誰かにドキッとしたら私に言いなさいよ。私の魅力を思い出させてあげるわ」
彼女は得意げにその小さな胸を張った。勝気な振る舞いは彼女と忠男の普段のやり取りへと戻ってきたことを意味していた。彼女は忠男が彼女の内面を愛してくれることを愛していたので、これは彼女にとって冗談の御誘いだった。
「外見のお前は良くも悪くもお人形さんだからなぁ。胸はドキッとしないな」
彼女の胸をチラッと見てから忠男は照れ隠しも含みつつ冗談を言った。
「そういうこと言うキタタダオは後で動悸っとさせてあげるから覚悟しときなさいよ」
彼女もつまらない冗談で返した後2人そろって、顔を見合わせて笑った。
それは、2人の関係性がこれからも続いていくことをお互いに信じているとお互いに思わせるやり取りだった。