実権は貰ったけれど……
闇に囲まれた中で老いてなお盛んな光の巫女殿の前に忠男は跪く。周りでは町の人々が固唾を呑んで見守っている。光の巫女が口を開けて滔々と話しだす。
「初めに闇ありて、光がそれを照らす。照らす光が種々の物事を映し出す。そして土、水、火、風の精霊が現れん。精霊たちが世界を創り変える。精霊たちは闇の中に小さな世界を創った後に自らの眷属を創りだす。最初に情熱的で短気な火の精霊が創ったものは人と呼ばれた。だが火の精霊が急いで創ったことが人に影響して人も早く生き早く死んだ。次に暢気で気長な土の精霊が人を真似て創ったものは森人と呼ばれた。土の精霊はあまりに長い時間をかけて創ったのでその間に森が出来たことが森人に影響して森人は森から離れられなくなり遅く生き遅く死んだ。賢く冷静な水の精霊が人を半分だけ真似て創ったものは人魚と呼ばれた。水の精霊は彼らが創ったものと自分の創ったものが意思疎通できるように上半身を人に似せたがいつでも逃げることも出来るように下半身は魚に似せて水の中で暮らせるようにした。最後に好奇心旺盛で大雑把な風の精霊が創ったものは獣人と呼ばれた。風の精霊は闇から現れる魔獣を切り刻んでそこから創ったので獣人の間には様々な違いが生まれた。かくして眷属が生み出されたがそれらはあまりに弱く魔獣に食われたので精霊たちは自らを多数に分割して近くから見守るようにした。そして光が眷属たちに語りかけた『闇を照らせ』と。光の声を聴いた眷属たちは魔獣が入ってこれない結界を創れるようになり他の眷属たちに闇を照らすことを求めた。そしてそれぞれの精霊に特に愛された者たちが魔獣を倒しその後に結界が張られることで光を広げていった。汝、キタタダオはその系譜を継ぐものとして我らの光を広げていくことを誓うか?」
「我、キタタダオは光の声との盟約を順守することを誓い、闇を照らさん」
光の社に集まった森人と人魚たちが歓声を上げた。彼らは忠男のことを知っていたが、それでも不安だったのだ。それは彼が森人の父と人魚の母から生まれた人だったからである。
この世界において転生者とは精霊が眷属から生まれたものでありトゥリェーチィと呼ばれる。トゥリェーチィとは人と獣人から生まれて光の声を聴き、各眷属たちを融和させて歴史上唯一の帝国を創り出した森人の自称とその帝国の名前である。彼は自らを精霊の眷属から生み出された精霊トゥリェーチィと称し、その証拠として生まれ出た後すぐに成人し、どんな土の精霊の加護を受けたものよりも自在に土の精霊の力を使い、それによって帝国を築いたという逸話が数多く残っている。それ以後にもトゥリェーチィは現れたが、全て同じ種族の父と母を持ちその眷属を創りだした精霊の力を使ったことがトゥリェーチィをより特別視させる証拠の一つとなった。
忠男も人魚の母から生まれてすぐに成人した人となったことで帝国の始祖としてのトゥリェーチィの再来と呼ばれた。しかしそれには期待だけではなく、不安を打ち消そうとする意図も含まれていた。時代は変わっていたのである。
帝国の方のトゥリェーチィはすでに崩壊していた。
トゥリェーチィ(始祖)が生きている間、帝国は拡大し続けたが、彼もついには肉の身体を棄て眷属たちを近くから見守るようになった。そして帝国の歪みが表に出てきて暴れだしたのである。
彼が死んだあと帝国を継いだ子はトゥリェーチィ(転生者)ではなく、光の声も聞かなかった。彼は拡大方針を維持したが、その方針に異論が出てきた。
帝国の拡大は遠隔地に小さな核となる集落をつくる形で進められていた。まず、人、獣人、光の巫覡が送り出されて入植に都合のいい資源が得られる土地を探して、見つけたところで周辺の魔獣を駆逐して結界を張る。結界を張った土地の全てが使えるわけではない。結界は魔獣を通さないようにするだけで遠距離攻撃を防ぐわけではないからだ。次に、森人と人魚を呼んで森と湖を創り食料を生産したり、防衛に都合のいいように森や川を配置したりすることで自活できるようにする。これで集落として存続できるようになるのでその後は中央と交流しながら少しずつ拡大していく。そしていずれ中央と接触することでこの集落も中央に含まれるようになって、また遠隔地に集落がつくられるというサイクルを繰り返した。
このサイクルで重い負担は人と獣人だけが背負っていた。周辺の魔獣を駆逐するために彼らだけが血を流していたのだ。
森人は本当に『遅く生き』ていたので、魔獣を駆逐するためには動きが遅すぎた。彼らは代わりに近づくものに魅了や毒をかけることが出来るが、魔獣たちは彼らを遠巻きにして決して近寄らず遠距離攻撃をかけた。人魚は人と同じ速度で生きていたが、陸を行くことが出来なかった。闇の中の海を開拓しても人魚しか住めないので彼らは全体の為に水を生み出すことで働くことになった。
人は倒した魔獣を火の精霊の加護を用いて加工していたが、獣人たちはその好奇心に従って実験を行ない知識を増やして、その知識を用いて商品を改良するという共同産業が形成されていた。人と獣人は商品を作り森人と人魚が環境と食料を創るという分業が自然と行われるようになっていた。その産業の為には人と獣人は原材料を獲得しなければならなかったがそれには闇から現れる魔獣が必要だった。帝国が拡大していくにつれて原材料を確保するために産業が帝国の外側へと移転していき、それに伴って人と獣人たちも外側へと移転していったことで、中央部に森人と人魚だけが残り外には多数の人と獣人という住み分けが進んでいった。そしてその結果として中央部では商品が手に入りにくくなっていたが、森人と人魚が提供できるものはどこでも同じだったので市場原理が働いて、商品を選好する森人と人魚も距離を縮めて商品をより多く交換するために外側へと移転していった。しかし中央部の森人と人魚も商品を必要とする社会を築いていたので、市場に頼れなくなったら帝に圧力をかけて強制的に商品を供出させた。これが人と獣人が独立を決意する経済的な理由となった。
もう一つの理由は火の精霊のトゥリェーチィ(転生者)が主張した。何故光の声に従わなければならないのかと?
土、水、火、風の精霊とその眷属たちはいるが、光の精霊とその眷属はいない。4精霊の眷属が『闇を照らせ』という声を聴くだけだ。これは4精霊と眷属を闇へと駆り立てて魔獣の餌としようとする策略ではないだろうか?確かに光の巫覡は結界を張って魔獣はその中に入ってこないが、それは本当に入ってこれないことを意味するのか?騙されているのではないのか?精霊の元へと帰ろう。火の精霊が出す炎でも魔獣を斥けられるだけでなく、奴らを殺すことが出来る。光の巫覡では奴らを殺せないことが光の声と奴らのつながりを感じさせないだろうか?精霊とその眷属がそれぞれを互いに支え合うことが理想なのだと。
彼女は布教活動によって人と獣人の支持を得て、独立の直接的な引き金となった。
その後彼女は独立した人と獣人の国の女帝となり、その国の名前は回帰派トゥリェーチィであった。
独立に際して争いは起きなかった。彼女は独立を決めた時点でそのことを布告してすぐに帝国の外側と中央部の交通を塞ぐために結界を張っている光の巫覡を説得して、成功すれば外側へ、失敗すれば内側へと送り出すことによりその土地に張ってあった結界を破壊してトゥリェーチィ(帝国)を分断した。森人と人魚だけでは闇を越えられなかったのでそれで十分だったのだ。
独立した回帰派トゥリェーチィはそれでも困らなかった。彼らには商品を選好する森人と人魚がついてきていたのでそれで十分やっていける食料を確保できた。有利な環境を造り出すことは出来なくなったが、その分は産業が支援することで埋め合わせた。
トゥリェーチィ(帝国)は大いに困った。残った森人と人魚でも生きていくためには十分だが、もはや社会の要求を満たしていた商品を手に入れることも帝国の理念としての拡大も難しくなった。闇の中の海を人魚たちが開拓するためには産業によって加工された武器を必要としていたからだ。
そんな時に生まれた忠男は人魚から生まれた人、つまり火の精霊のトゥリェーチィ(転生者)だった。これは社会を再興するために来たのだという期待とトゥリェーチィ(帝国)を回帰派トゥリェーチィが飲み込むために来たのだという不安をもたらした。回帰派の女帝及び光の巫覡の代替を務めているのは火の精霊の系統だったからである。
しかしそれも忠男が誓約をしたことが知り渡れば解消される不安だろう。これからが正念場だと歓声を浴びながら忠男は思った。
忠男は生前ソーシャルワーカーを目指している学生だったが、機会を得て海外ボランティアとしてアフリカへと渡った。そしてそこで働き現地の人々と仲良くなって、政情不安が表面化した際に現地の人々に絆されてそこに残ってあっさりと死んだ。
忠男は生前魂の存在を信じてなかった。いわんや転生をや。だから現世を改善するために働こうと思っていたのだ。しかし彼は生まれ変わってしまった。それも異世界に。
忠男は混乱した。死んだと思ったら目の前に人魚がいたのだ。それもその人魚が自分の母親だと主張しているのだから。そして彼が火の精霊のトゥリェーチィ(転生者)であるとされて、火の精霊の力を使えることを確認した時には喜んだ。これで大きなことが出来る。世界を変えられると。
そして忠男は町で生活をしているうちに人々が十分に生きていけるのに昔の大帝国に囚われていて不幸になっていることに気付いた。世界を変えるだけでは足りない、心も変えなければならないと。
それから忠男が社会運動を組織しようとしていると光の社から接触があり、この町の実権を渡すから受け取って欲しいと言ってきた。忠男にとって渡りに船だったが、これは実権を持つものは光の巫女に対して誓約をしなければならないということを利用して町の人々の不安を鎮めるための策だった。期待通りにトゥリェーチィ(始祖)の再来だった場合には実権を渡した方がいいので問題はないということを光の巫女の孫娘で自分も光の声を聴いた森人と猫獣人の間に生まれた子であるオクサナ・デュエッベルスがこっそりと囁いて教えてくれた。
そのような意図が裏にあることを知って忠男は受けるしかないと悟った。受けなければ自分が社会運動を組織しても人はついてこないだろうし、人魚の母が疑念から迫害されるかもしれない。そもそも目の前に困窮している人がいて見捨てられるなら彼は転生してこなかっただろう。
そして彼は無事、町の実権と誓約に従うという制約を受け取った。
儀式が終わって人々が散会した後で、社の中に光の巫女で森人のゲオルギア・デュエッベルスとオクサナと忠男が床の間に座っていた。ゲオルギアは森人であるので普通ならば彼女の速度も人の10分の1なのだが、彼女は努力によって特別な話し方を体得したことにより話す速度だけは人と同じになった。これは森人の光の巫覡としての義務だとは本人の弁である。
オクサナは灰色がかった髪の毛を短くまとめて、森人の土の精霊が人を真似る際に潰して横に長くなってしまったとされる耳ではなくて森人と猫獣人との間の親権争いに勝った猫耳が二つ頭に乗っかってピンと立っていて、本人は可愛らしい顔で澄まして正座していることでより可愛らしく見える姿だった。
彼女は森人と猫獣人との間に生まれたが、猫獣人のように素早く動き、早く年を取り、近づくものに魅了や毒をかけることが出来て、風と土の精霊の加護を受けて、光の声を聴いたことから次世代の希望の星であるのでそう思って接しなさいとの本人の弁である。
彼女の歳は標準歴において1歳と7ヶ月で、森人の基準だと80歳まで生きるが、人や獣人の基準だと5歳までしか生きれないので是非森人の基準でありたいとも忠男に愚痴ってきていた。
「キタタダオや、そんで実権はこれでそなたに渡したが、そなたは何をしたいんかのぉ」
ゲオルギアの実権どうこうよりも誓約をさせることが一番大事だったというような台詞を聞いて忠男は答えた。
「まずは、ハーレムをつくりましょう」
「ほっほっほ、英雄色を好むというやつじゃの。まぁ誓約に違反せぬ範囲なら構わぬよ」
ゲオルギアは笑ったが、オクサナは横で冷たい目をして祖母の前なので何も言わずただただ忠男の方を見ていた。忠男は説明をさせてくれと思ったが、彼女は祖母の前ではお澄ましさんなのでしばらくはただただ冷たい目で見られることに忠男は耐える羽目になった。